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禍根の封印  作者: 尋道あさな
第一幕
10/71

【八衣】

 

 屋敷の玄関でローファーを脱ぎ、揃えて中へ入ろうとした。

 けれど、隻弥が脱ぎ散らかした草履がハの字を歪めたような形で見え、依月は仕方なしにそれも揃える。

 依月が来ると聞いて出てきたのか、それとも偶然出てきたのか、その様子を見ていたらしい速水はクスリと笑って紫煙を吐き出した。


「依月ちゃん、几帳面なんだ?」

「いや、そうでもないと思、います」

「別に無理して敬語使わなくていいよ。それともオッサンだから気になる?」


 速水は依月をからかいつつ、到底“オッサン”とは思えない程に若々しい顔立ちで微笑んだ。


「速水さんって、何歳?」

「何歳に見える?」

「その切り返しって古くない?」

「……嘘、マジで?もう古い?」

「うん。多分」

「へぇー。ジェネレーションギャップ感じるなぁ。二十六、意外と若いでしょ」


 軽口を叩く速水に依月もつられて笑みを浮かべた。


 若白髪の混じる頭髪は些か年齢を吊り上げているが、それでも顔立ちは充分に二十代と言われて納得が出来るくらいだった。


「速水さん、隻弥は何歳?」

「お、いつの間にか呼び捨てになってる。やるねぇ、さすが女子高生」

「呼び方に女子高生関係なくない?」

「いやいや隻弥さんが怒らなかったならさすがでしょ」

「怒ったよ。止めろって」


 答えながら、依月も不思議に思っていた。

 隻弥に対しては何故か呼び捨てに違和感を覚えなかったのだ。速水に対しては敬称をつける事が当たり前のような感覚なのに、隻弥は速水とは違い、依月にとって妙に身近な存在に思えていた。


「何でかな。隻弥は“隻弥”って感じがする。速水さんは“速水さん”なのに」


 依月がひどく抽象的な言い方をしたにも関わらず、速水はその意図を明確に感じ取っていた。


「隻弥さんの力の一部が依月ちゃんの中にあるからじゃないかな。親近感が湧くような感じがしない?」


 どこか嬉しそうな表情で、あるいは楽しそうな表情で速水は依月に聞き返した。

 言われてみればそんな感じがしないでもない、と依月は素直に肯定する。


「する。隻弥にはなに言っても大丈夫、みたいな気がして」

「良い事だよ。その調子で隻弥さんにどんどん踏み込んで良いから」


 その言い種に別の何かが含まれているような気がしたが、取り敢えず依月はそういった類いのものを気にしない方向で見て見ぬふりを決め込んだ。

 ある程度、依月に答えをくれる速水に聞いても答えないならば、隻弥は絶対に答えないだろう。疑問を抱いても答えがないなら、疑問を抱かないようにすれば良い。自分を守るための方法が、独りぼっちの依月には嫌になるほど染み付いていた。


 ――ねぇ、それって何の話?


 依月に答えてくれたクラスメイトは、今まで一人として存在しない。


 途中から会話に入ること、自分の知らないことを尋ねること、その二つが幸を成したことは学校生活では皆無だった。

 空気のように溶け込めば、話し掛けられた時だけ返事をすれば、依月は傷付かずにいられる。

 下手に仲間に入ろうとすれば爪弾きに合う。

 寂しい少女の経験した、悲しい現実の話だった。


 何はともあれ、隻弥の一部が依月の中に入っていると言うことは依月にとって複雑な感情を抱かせた。

 今思えば、隻弥が現れていつになく安心したのも、もしかしたらその効果だったのかも知れない。


 依月は一人納得しつつ、昨日の事を思い出した。


「そういえば、速水さん。家に電話してくれたって」

「あ、それは俺じゃなくて――」


 速水が横に首を振り言葉を続けようとした瞬間、突如(とつじょ)としてそれは遮られる。


「この子が例の子?隻弥の(まじな)いを受けたって」


 ぴったりとしたTシャツに、すらりと伸びた長い足。嫌味な程に“格好良い”ベリーショートのつり目がちな女が、依月を射殺さんばかりの勢いで睨み付けながら現れた。


「ふぅん、あんまり可愛くないじゃん。心配して損したかも」


 頭の天辺から爪先までとはいかずとも、女は無遠慮に、じろじろとなめ回すように依月を見た。


「ヤエ、言い過ぎ。初対面でそれはどうかと思うよ」


 速水はヤエと言う女に苦笑いを浮かべながら、柔らかい口調で宥めに掛かる。


 いきなりこき下ろされた依月からすれば、第一印象は当然“腹が立つ女”である。

 (むし)ろそれ意外に出てくる印象がない。


「いきなり何ですか」


 ムッとして言い返した依月に、ヤエは余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)とした態度でその言葉を鼻で笑う。


「可愛くなぁい。協力してあげたのに。あんたの家に電話してあげたの誰だと思ってんの?ねぇ、本当に隻弥の趣味疑うんだけど」


 不機嫌そうに歪められた形の良い眉が、依月を良く思っていないと顔の全面に押し出していた。


「……速水さん、この人誰ですか?」


 依月から問い掛けられた速水は気まずそうに視線をさ迷わせ、ちらりとヤエの顔を一瞥した。


東雲八衣(しののめやえ)、隻弥と同じ開錠師よ」


 小馬鹿にした言い方であからさまに八衣は依月を挑発して見せる。


 胸の奥で炎が揺らめく。

 何だか不思議な感覚だった。


 八衣にイラつけば、何故か胸の奥が響くように熱くなる。


 思わず胸元に手のひらを当てた依月に、八衣はぴくりと眉を動かした。


「なに?この子」


 依月の行動を訝しんだ八衣はスッと依月へ手を伸ばした。

 伸ばされた八衣の腕に依月は言い知れない嫌悪感を抱く。


 触らないで――そう思ったせいで、反射的に依月の身体は後ろに下がった。


 がく、と片足が落ちた時、依月はここが玄関だったと今更ながらに気が付いた。


「なんか遅ぇと思ったら、……何やってんだお前は」


 身体は仰け反るように斜めになり、今にも倒れそうになっていた依月を隻弥は片腕だけで抱き留める。


 (くし)を通していないんだろう、ぼさぼさになった赤錆(あかさび)の髪に小さな紙切れがついていた。


 一体どこから現れたのか――目を丸くする依月とは裏腹に隻弥は片腕に抱き込んだ依月を見下ろして、呆れたように溜め息を吐いた。


「八衣、お前が何か言ったのか。面倒臭ぇから構うんじゃねぇ」

「……隻弥、ほんっとうに趣味悪いね」


 隻弥と依月を睨み付けた八衣は速水の(すね)を蹴り上げた。

 唐突に攻撃された速水は油断していた事もあり、その衝撃に声を上げる。


「痛っ……」

「からかっただけ。別になぁんにもしてないし。那央(なお)のバァカ!」

「何で俺に当たるかな」


 ドスドスと廊下を歩き中へ入っていった八衣に気付き、気後れしていた依月も隻弥の腕から抜け出した。


「どうも、ありがとう」


 素直な気持ちで感謝を伝えられないのは、間違いなく隻弥の言葉のせいだ。

 どこか拗ねたような態度になってしまった依月は、目を伏せて隻弥から視線をそらした。


「八衣になに言われたか知らねぇが、放っておけ。大抵は速水が何とかする」


 何の感情も込められていないそのアドバイスに一つ頷き、八衣の呼んだ聞き覚えのない名前に気付く。


「――なおって、速水さん?」

「ああ。速水那央」

「へぇ……。っていうか、隻弥」

「呼び捨て止めろ」

「今さっき、どこから出てきた?」

「お前には言っても分かんねぇだろ」


 全くもって恐ろしい。というよりもおぞましい。

 人間かどうかすら怪しくなってきた隻弥に依月は心なしか寒気を覚える。


 それでも、気持ちが悪いと思わないのは、隻弥の“力”とやらが引き起こしている“親近感”のおかげだろうか。



 室内へ入っていく隻弥を追いながら、依月は少しだけ胸元をさする。


 妙に胸が高鳴っている。

 隻弥に抱き込まれた瞬間から、心臓がうるさくて仕方がない。


 けれども、それがどういった感情からのものなのか、今の依月には分からなかった。



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