05 私と精霊はここにいるよ
大切なのに、普段は特に何だとも思っていない何かを挙げていったらきりがない。親のおせっかい。毎日食べているありとあらゆるもの。色を、光を、世界を見せてくれる目。
私の左目は子供の時に怪我をして見えなくなってしまった。私にとって右目の視力はとんでもなく貴重で、ありがたい、替えの効かないものになった。
目だけではなく、全てのものが大切だと気が付けたのは、何歳の時だったろうか?
最初は、どうせまた食べ過ぎでトイレに籠っている便所精霊なのだろうと思った。だが、確認してみても、トイレにココさんの姿はない。
自分との絆が切れている事に気が付いた時は、顔から血の気が引いた。ココさんが居なくなっている。一体、どうして?そんなはずはない。私たちは命の絆で結ばれている。片方だけ居なくなるだなんて、そんな事があって良いはずがない!
何日もかけて、家中を探し回り、家畜小屋も探し回り、あまり得意ではない探索魔法まで使ってこの空間を探し回ったが、姿は何処にも見当たらない。知らない何かに捕食された、などという悲惨な可能性も考えてしまうが、その場合は私の命も無くなっている。
今回の場合、二人の間に結ばれていた絆そのものが消え去ってしまっている。可能性として考えられるのは、ココさんが孕んだ。もしくは孕ませた。そして脱出の権利を得て、脱出した。という、色々な意味で結構な緊急事態である。
この場合の何が緊急事態なのかというと、あの女児がそういう行動を取ったという事。
ここでもう断言してしまうが、ココさんは女児だ。守護精霊なのかもしれないが女児だ。子供を作るだなんて早すぎるし、そもそもまだ体だって、そういった行為に及ぶ体制が整っていないだろう。
脳裏にココさんの笑顔が浮かぶ。元気だったあの頃。美味しい物を食べて喜ぶ顔。ぴょんぴょんと跳ねまわり、振り向いてはにかむ。
待って。これって仲間が死んだりした時のやつだよね?さすがに死んでは無いと思う。しかし、頭でわかっていても、目からは少し涙がこぼれた。もう見えない左目だって涙は出る。
「まったくもう。あたしが居ないと何もできないんだから!」
よく言われていたセリフを思い出す。この言葉を投げられた後の結果として、ココさんの手で何かが解決した記憶が全くないのだが、誰かが一緒にいるというのはとても心強かった。
「何があってもここにいるよ。絶対に離れない!」
別のセリフも思い出してしまい、ポロポロこぼれる涙が止まらなくなる。しかし、このセリフを実際に言った場所は、町の競馬場で馬券を買い込んだ勝負レースの時であり、周囲には人生を賭けたおじさんたちがギラついた目で押し合いへし合いしていた。しかも、レースが終わったその後には、手元に何も残らず、はずれた馬券を握りしめて、放心した顔で天を仰ぐ精霊の姿…。
私はとにかく、ありとあらゆる場所を、探しに探しまくった。
子種おじさんの氷に囚われているのではないかと子種おじさんが入った氷の端の、透明度が低く、中身が良く見えない部分を、後先考えずに破壊魔法で割ってみたりもした。
後先考えずに行った魔法による破壊行為は、氷全体にヒビとして広がり、崩れた氷は勝手にボロボロと割れて崩れていく。氷自体が魔法によって生成されていたらしく、崩壊した氷は溶けたりせず、徐々に消えていった。真ん中に残ったのは倒れた子種おじさんだったが、氷を通して見たときは判らなかった。このおじさんは、おそらくもう、残念な事に、相当昔に亡くなっている。
子種おじさんの遺体は状態が良くなかったが、押し入れで発見していた遺体袋に詰め込んでおくことにした。埋葬はココさんを探し終わってからで良いだろう。ただ、果たして探し終えることが出来るのか?という疑問はある。
私は、この空間で、完全に1人になってしまったのだろうか?そう思ってしばらくすると、急に、周囲の何もかもが全て恐ろしく感じ、空間から圧迫され、にぎりつぶされてしまいそうな感覚を覚えた。
私は、孤独になってしまったのだろうか?震える体を自分で抱きしめて、迫りくる恐怖に耐える。町の奇妙な団体が製造し冒険者に配布されている冒険で発生するありとあらゆる恐怖感を抑えるらしいヤバい薬の事を思い出し、貰っておけば良かったかもしれないと思ってしまう。
「あれはダメ、あの団体は、薬の力で冒険者を支配しようとしているんだ。怖くなったら…あたしをギュってして!」
脳内で再生される「あたしをギュッてして!」の動きの愛らしさで正気を取り戻す。とにかく守護精霊が行っていた、私がしていない何らかの行動によって、脱出の権利を与えられていた、と考えるべきだろう。
そしてここからは完全に想像というか妄想だが、その力が働いて現実に戻ったココさんは、再びこの空間に戻ってこようとしているが、何らかの問題があって出来ないのだ。
現実に戻ったとして、戻る場所はやはりあのダンジョンなのだろうか?そうなったら、あの、言葉で表現するのが難しい、猥雑な姿のモンスターに追いかけられているのではないだろうか?
時折襲い掛かってくる孤独の恐怖に耐える為、犬を抱っこして正気を保つ。他の犬たちも抱っこをせがんでくるので、次々と抱っこしてやる。すると、現在、抱っこされていない犬たちは、次の自分の番が早く来るようにと思ったのか、次々に芸を始めた。
芸を仕込んだのは二人でやった。その他の事も殆ど、二人で一緒に同じような事をやっていた気がする。
私がしていない何かをココさんがしていた事で、真っ先に思い出すのが、みかんの食いすぎで下痢してトイレで泣いていた事だというのは、正直自分でもどうなんだろうと思った。
愛らしい姿、間抜けな姿、不思議な姿、様々な彼女が脳裏に浮かんでは消える。
違う。消えてなんかいない。二人は終わりを共にする絆で結ばれているのだから。彼女が私の守護精霊ならば、私は彼女の守護人間。私が居るのだから、彼女は必ず居るのだ。絆が見えなくなっても、姿が見えなくなっても、終わりなんかじゃない。
私がこう思っているという事は、彼女もきっと。今この瞬間も。
そう思った瞬間に思い出したココさんは、みかんの房をくわえて恍惚とした表情を浮かべていた。それと同時に、私の体は突然光に包まれる。驚いて目をつぶり、目を開けると謎の異空間におり、目前には私を祝福していると思われる文面、そして選択肢と思われる言葉だけがあった。
~~~~~
おめでとう
貴方が 孕んだ/孕ませた のは みかん
クリア者は この空間 を自由に出入り出来るようになる
クリア者は 特典として 証の指輪 を入手できる
以上
1・ダンジョンに戻る
2・空間に留まる
3・ダンジョン入り口に戻る
~~~~~
えっ?なにこれ?何なの?と思った時には、既に足が3番の方を踏んでおり、理解する間もなく、私は再び強い光に包まれた。みかんを孕んだ?みかんを孕ませた?どういう事!?
先ほどとは違い、体が揺さぶられ、何処かに移動している感覚がある。不快な感じは全くなく、心地の良いにおいがする。
恐る恐る目を開けると、雲一つない青空の下、キラキラと輝く無数の星に包まれ彩られた、地平線の先まで続いている海のような場所の上を飛んでいた。
まるで、数えきれないたくさんの宝石箱をひっくり返したかのような、私のような平民には似合わないびっくりするくらいファンシーな光景に絶句していると、不意に水面が固まり出し、山の光景に変わる。
ダンジョンの入り口である。私はいつのまにか、あの入り口の目の前に立っていた。
そして、入り口の脇には、口元を食べ物で汚したまま、衣服が汚れるのもかまわずに、地面に寝転がってぐうぐう寝ている女児…我が守護精霊の姿があった。
んあああっ!!!
ココさあん!!!
私は両目から涙を垂れ流し、無我夢中でココさんに抱きついた。突然の攻撃に「ぐえっ!」と声をあげ、とりあえず逃げようともがくココさんを、私は一生手放さないだろう!と思っていた。
そう、正気に戻った今、振り返ってみると、私は多分、狂いかけてしまっていたのだ。