02 私と精霊と快適な空間
起き上がり、周囲をキョロキョロ見渡し、落ち着かない様子で、他の精霊たちとのつながりが切れてるんだけど!と主張するココさんに、現在の状況を説明した。
狼狽えて、うろうろ歩き回り、飛んだり跳ねたりしている姿を見ていると、精霊というのは嘘で、やはり本当は何か別の生き物なのではなかろうか?と思えてくる。具体的には、人間の女児だ。しかし、微妙にサイズが小さすぎるんだよね…。
気を取り直し、とりあえず調べてみると、部屋は小さな家だった。装備は充実しており、どれにも生活魔法がかかっていて交換や掃除の手間がかからない。キッチンには流しに食器洗い器や各種調味料まで完備。風呂やトイレも立派である。なんと洗濯機まである。農具や工具、様々なものがぎっしり入った押し入れに、時間停止の魔法がかかった食料保存庫まであった。
池の水は飲めそうだし、生えている木や草には色々な果実や実が生っている。土を掘ると、結構な確率で芋が出てくる。当面の飲食に困ることは無いようだった。
「ねえ、この空間、何気に…めっちゃ便利で快適なんじゃないの?」
発言につい同意してしまうが、おそらくこれは巧妙に仕組まれたダンジョンの罠なのだ。あと、ココさんは精霊の筈なのだが、さっき掘って蒸した芋を、ちっちゃなお口の周りを汚しながらムシャムシャ食べている。精霊って芋をこんなにもりもり食うんだ…?やっぱり人間の女児なんじゃないのかな…?
生き物は居ないんだろうか?生き物がいれば、お肉を食べられる可能性が出てくるよね…?お肉…!お肉だよね?そう思って二人で探してみると、まずは草むらに転がっていた、丸くて大きいネズミのような生き物が、素手で簡単に捕まえられた。
暴れも逃げもせずに「ぷぅ?」とかわいい鳴き声を上げている。可愛くて仕方がないので、もちろんありがたくシメて血抜きをし、さばいて塩をまぶしてじゅうじゅう焼いて、ふたりでがつがつ食べた。味は、まるで豚肉のようだった。
他にはミミズのような虫や、鳩と鶏の中間くらいな感じの鳥が見つかった。鳥も簡単に捕まったし、肉はおいしく頂くことが出来た。味は鶏の肉そのものだ。こいつらは家の近くで延々と地中のミミズをつついており、結構な頻度で卵を産むのだ。この卵もおいしくいただくことが出来る。
「心底ありがたい空間なんじゃないかな。あとはミルクがあればなあ…」
焼いた肉をかじりながら発されたココさんの発言に、益々精霊ではない疑惑を募らせる私だったが、それから数日しないうちに、牛のようなカバのような生き物を発見した。
これは、おそらく、ぎゅうにくである。焼肉である。ステーキである。
さすがに肉を食べるのは我慢したが、巨大な乳房を絞ると、惜しげも無く新鮮な乳がびゅうびゅうと出た。あと、暫くしてからだが、肉はしっかり食べた。まさにビーフという味であった。無論、精霊も牛肉をがつがつ食べ、満足げな表情を浮かべていた。
家にあった保存瓶に乳を詰めて持ち帰る。探索や搾乳で体が汚れていたので、お風呂に入って汚れを落とすことになった。
「あーっ!お風呂!気持ち良いね!広くて泳げそうだよ!」
全身を泡まみれにして、備え付けのアヒルのおもちゃにまたがって、キャッキャと喜ぶ身長60cmくらいの女児なココさんを見て、この子が精霊だなんて誰が思うだろうか?ちなみに、精霊さんにお決まりで定番のちっちゃな羽とか全く生えてないんだよ?
ココさんの存在に関する疑問ばかりが脳に浮かぶのでついでに説明すると、ココさんとの出会いは数年前、エルフの里の学校で定期的に開かれる、守護精霊と触れ合ってみようの会である。普段は無職で農家をやっているが、守護精霊を呼び出す事に長けているエルフが、先生たちの不思議な伴奏にあわせ、参加者に向かって奇妙なダンスを踊るのだ。先生たちが瓢箪で作られた太鼓をたたくと、まるで自分が叩かれたかのように身体を硬直させ、顔を上に向けて口を突き出し声を上げる。弦楽器が鳴ると、その音に合わせて手足をピクピク動かす。その他様々な動きが重なり、まるで虫のような奇妙な動きが目の前で繰り広げられるのだ。何時間も。何時間も。
はっきりいって嫌がらせだ。生徒の間では無職の舞と呼ばれていた。正確には儀式であって、ダンスではないのかもしれないが、それを言い表すならば、奇妙なダンス。としか言いようがない。
そうしていると、詳しい理屈はさっぱりわからないのだが、その場に偶然いた精霊と相性が良いエルフの間に自動的に何らかの強い絆が生まれ、本来は見えず触れない精霊が姿を現す、らしい。
なぜそんな表現になるのかというと、ココさんはその儀式が終わった時、ごく自然に私の守護精霊として、私におんぶされていたからだ。私も誰も疑問に感じない二人の関係が自然に誕生した瞬間についてを言葉にする術がないのだ。
私たちの間に結ばれた絆は生命の共有だった。これは結構珍しいらしい。ココさんという守護精霊なのか女児なのか良くわからない珍妙な生き物も珍しいらしかった。
だが、珍しいだけであって、それ以外には特に何もなく…。ただ、結ばれた絆のせいなのか、不思議なことに二人の間にはすぐに信頼関係が生まれていた。実の姉妹のような。血がつながっているかのような。
お互いの体を石鹸を使って隅から隅までまんべんなく洗いあう事に何の不思議も感じない関係である。いや、精霊さんが、お風呂で体を洗うの?それ、本当に精霊さんなの?という疑問は残るのだが…。
さて、毎日探索以外に何もすることがないのは問題なので、手持ちの荷物を漁ると、母親に持たされた幸福のまじない袋が目に入った。緊急時になったら開けると中にお金が入っている!とかそういうものではなく、ただのまじない袋だ。それも母の手作りである。中身は母親が願をかけた、色々な植物の種だ。
飲食に困る気配は最早全く無かったが、バリエーションに乏しい事は否めない。外の環境でこの種が育つかどうかわからないが、試してみる価値はあるだろう。
部屋に備わっていた農具を前に、これを使うほどの農作業を行わなければいけない事になってしまうのだろうか…?里の無職…いや、農家たちの暮らしと変わらないんじゃないだろうか?などと妄想を膨らませてしまう。
それぞれの種にあった処理を施し、植えたりする仕事は、割とすぐに終わった。他にやることが特にないからである。それなりに疲れたので、部屋のソファに深く座って休息を取る。
「ねえ、押し入れでこんなのを見つけちゃったんだけど…」
そう言って手渡されたのは一冊の古ぼけたノートだった。表紙には『俺の日記』と書いてある。中を開けてみると、わりとゆるい文字で大量の日記が書き連ねてあった。問題は、その日記に書かれた日付が、今から千年ほど前だという事。旅の途中でこの部屋に閉じ込められた男の日記らしかった。部分部分を軽く読み進めていく。
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〇〇〇〇年□月◇日
転移罠に引っかかり、「孕ませないと出られない部屋」に閉じ込められてしまった。
俺は一人なのに、どうすればいいのか?衣食住に困る気配は無いが、解決法が思いつかない。
記録の為に今日から毎日日記をつける。何かのヒントになることがあるかもしれない。
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〇〇〇〇年□月△日
食える草木には飽き飽きしてきた。俺のテイムモンスター達を森に放ってみた。
自然繁殖すれば食い物になったりするかもしれない。
一人での生活は気楽だが、話し相手が欲しい…
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〇〇〇◇年△月▽日
興味深いことが分かった。
自暴自棄になって家を離れることにしたのだが、
家からどの方向に向かって歩いても、元の家にたどり着いてしまう。
この家がある世界は、小さな球体の上に存在している?
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〇〇〇△年〇月▽日
本格的に詰んだかもしれない。3年待ったが、誰もこの部屋に入ってこない。
とにかく誰かと話したい。男でもいい。早く入ってきてくれ!
モンスターたちは勝手に繁殖しているが、消えたりはしていない所をみると
孕めば即脱出できるという訳でもないのかもしれない。
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〇〇△◇年△月◇日
俺ズット一人で過ごしてきタ。今日で終ワり。
開発した独自の冷凍冬眠魔法を使うゾ。
数百年くらいなら大丈夫だろう。
この日記を読ンだ女、地下室に眠る俺を起こセ。
俺の子種ヲ使い、二人で子作りすれば、きっと…
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床を探してみると、絨毯の下に入り口のドアがあった。開けて中に入ろうとすると、ココさんが真面目な顔で呟いた。
「ここに…千年前の子種おじさんが眠っているんだね…!」
さすがは我が守護精霊の知性。命名:千年前の子種おじさんである。もう子種おじさんだとしか思えない。日記には、冬眠魔法は数百年くらいなら大丈夫と書きのこしてあったが、おそらく千年ぶりくらいになってしまった。まだ冷凍冬眠魔法の効果は続いているのだろうか?
地下への階段を降りると、色々な用途に使えそうないくつもの部屋が目に入る。そのうちの一室には、明らかな生活の痕跡が残っており、その部屋の中央に鎮座する巨大な氷の中に、凍っている子種おじさんを発見した。
「じょ…女子更衣室って書いてある部屋で…?子種おじさん…どうして…?ま、まさか…!?」
守護精霊の想像はおそらく当たっている。子種おじさんは女子更衣室で暮らしていたのだ。理由は判らないが、よほど寂しい思いをしたのだろう。日記も最後の方は解読が難しかった。
冷凍冬眠魔法の効果自体は解呪の魔法で簡単に解くことが出来そうだったが、現在凍っている子種おじさんを安全に解凍し蘇らせる方法が思いつかない。蘇生魔法などは僧侶の技で、冒険者や精霊にそんな大技は使えない。とりあえず今日明日にどうにかなってしまうわけでもなさそうなので、階段を上って扉を閉めた。