*1.Let's Go 桜華 ⑤
杞憂、彼の名乗った家名に車内が更にざわめく。少年は端から見てもわかる程、一気に青ざめた。
杞憂は厳しい表情で少年Aを睨む。
「その度胸だけは認めてやろう。だがタダでは済まない」
言い終わるや否や、杞憂は少年Aに手の平を向けた。徐々に、バリバリと電流が音を立てて流れる――電撃の魔術だ。車内に悲鳴が上がった。
今まで屍のように黙っていた東も、これには黙っていられなかったらしい。杞憂を止めに行こうと席を立つ、その時だった。
「やめなさい!」
凛とした少女の声が響いた。
腰を浮かして見ると、そこには少女が立っていた。セミロングの髪は灰色で、下のほうだけ巻いている。白雪のように透明感のある白い肌に、こぼれそうな程大きく澄んだ目と、整った鼻梁、そして薔薇を散らしたように紅く、ふっくらとした唇と頬。まさに、深窓の令嬢といった表現がぴったりの、美しい少女だった。杞憂を諌めるよう、険しい表情をしているのが、残念なくらいだ。
隣で、安心したように息をついて、東が席に座った。
「何、止めるんじゃないの?」
「必要ないよ。彼女は灰宮のご令嬢、灰宮 千里だ」
「灰宮の?」
涼都は再び、身を乗り出した。杞憂と同じ四大一門、灰宮の令嬢は通路に立って、堂々と杞憂を正面から睨みつけている。美人の厳しい眼差しに、杞憂はひるむどころか、薄く笑んでいた。
「おや、これはこれは灰宮のお嬢さま」
また、灰宮という単語で車内がざわつく。
「任せていいのか? つーかお前結局、丸投げしてんじゃねーか」
「大丈夫、大丈夫。彼女は杞憂と互角の実力者だよ。いくらなんでも、こんな所で魔術バトルなんかしないって」
「だといいけど」
何事かと、腰を浮かしたり席を立つ周りに同調して、涼都も立って前列のシートに腕を組んで乗せる。東は少しだけ顔を倒して、通路の様子を盗み見ていた。
「灰宮のお嬢さんが、俺に何か用?」
「私の用は一つだけよ。貴方も四大一門の人間なら、場にふさわしい行動を取るべきだわ」
だから、魔術で攻撃するのは止めろ。
暗にそう言った灰宮に、杞憂は嘲笑した。
「ふさわしい行動なら取っている。杞憂にたてついたバカを、杞憂の人間として落とし前をつけるだけ……お嬢さんに、どうこう言われる筋合いはない」
「無抵抗な人に電撃をくらわす事が、正しい行いには見えな――」
「黙っててくれないか」
灰宮の言葉を遮った杞憂は、先ほどより灰宮よりも厳しい目で睨みつけた。
「どういう状況であれ、迷わず助けに入るのはさぞ立派な行いだ。だが……事情も知らない人間にとやかく言われても、何の説得力もない」
まぁ、確かに。という意見だが灰宮も負けていない。
「でも、貴方が電撃をくらわせれば、この人は死ぬわ。貴方はもう少し、自分の実力を考えた方がいい」
あまりのピリピリした空気に逆に静まり返り始めた車内で、涼都は完全に見物を決め込んだヤツに目を向けた。
「おい、何か長くなってきたから、スパンと止めて来いよ」
「大丈夫、大丈夫。灰宮に任せておけば、そのうち――」
「いい加減にしろ。弱い者を守って前に飛び出して、親子そろってバカなのか? お前も、誰かさんの二の舞になるぞ」
「っ………」
一瞬、耐えるように灰宮が唇を噛みしめたかと思うと、感情を押し殺した声でポツリと言う。
「お父様は私を守って死んだの……馬鹿にしないで」
なんかお家事情が入ってきたぞ。
「これはヤバいね」
東は全然ヤバくなさそうな笑みを浮かべながら言った。
「いやいや。確かに空気張り詰めてきたけど、なんかあんた見てると緊張感無くなんだよ」
「そう? まぁそれはいいとして。灰宮家の前当主、つまり灰宮のお父さんは、まだ幼かった娘を守って死んだんだ。今は灰宮のお母さんが当主だけど。とにかく、灰宮に父親の話はタブーだよ」
涼都は舌打ちして、灰宮と杞憂へ目を向けた。
「そろそろ、ヤバくなってきた空気だぞ」
「そうだね。まず灰宮が魔術で攻撃することはないと思ったけど。禁句持ち出されちゃ、わかんないしね」
「てめぇが、さっさと止めに行けばいい話だろ」
東はにっこりと笑うだけだ。ギリギリまで行くつもりはないらしい。
こいつがムカつくのは、デフォルトにしても、だ。
(あいつ、なーんかムカつくな)
あの杞憂というヤツ。さっきから、自分が1番偉いみたいな態度をとりやがって。1番偉いと威張っていいのは俺だけだ。
東でムカついた分も一緒に、今すぐにでも殴りに行くか。しかし、入学初日で暴力沙汰もどうかと思うのもある。
(他に、赤っ恥さらさせるような方法なんて――いや、あるな)
涼都はニヤリと、自分のカバンに手をつっこんだ。一方で、灰宮はスッと少年Aの前に立ち塞がる。
「私は、退かないわ。やるなら、私ごとやればいい」
「…………」
その男前発言に、杞憂はしばらく黙っていたが、軽く息をついた。
「お嬢様。そんなに巻き添えくらいたいなら、もう好きにすればいい」
今まで、ハラハラして見ていた生徒達が悲鳴をあげた。杞憂の手には炎が上がっていたのだ。それを、灰宮や少年Aに向かって振り上げる。
「!」
今までは平気な顔して、笑ってさえいた東の顔が真顔になった。ニ人を止めるため、すばやく通路へと飛び出して行く。しかし、涼都の方が一瞬早かった。
東の後を追うように通路へ出ると、目にもとまらぬ速さで、大きく振りかぶり―――投げる!
ベチャっ
「「…………」」
「え……」
杞憂の手が、止まった。ついでに、魔術の炎も消えた。そして、全員が固まっていた。
当たり前だろう。
涼都が投げたのは、ケーキだ。先ほどのケーキ屋から、ありがたくタダで頂戴した物である。しかし今や、そのケーキは見るも無残な形で杞憂の顔にへばりついていた。
ナイス、俺のコントロール!
一同、唖然な中、通路に出た涼都だけが、唯一声を上げて笑っていた。
「ははははは! ざまぁ見やがれ!」
涼都がそう言うと、隣にいた東もクスクスと笑い出した。杞憂の正面にいた灰宮も、心なしか口元が緩んでいる。
「なっ……」
杞憂が顔を真っ赤にしたのがわかった。後ろにいた子分が、笑いをこらえながらタオルを差し出す。杞憂はそれをひっつかむようにして奪い、乱暴に顔を拭いた。
意外とおもしろかったな。
ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべ、杞憂を見る。顔を拭き終わった杞憂が、涼都を睨みつけた。
「今、投げたのはお前か!?」
「そうだけど? なんかカッカッしてたから、糖分摂取も必要だと思ってな」
それに周りの生徒も、こらえきれなかったのだろう。徐々にクスクスと笑いが広がっていく。
「バカにしやがって……! 貴様、この杞憂にたてつくだけでなく愚弄するとは! 今までにない屈辱だ!!」
「そりゃよかった。俺はムカついたからぶん投げただけだぜ? 避けないお前が悪いんだよ! 恨むなら、自分の反射神経のトロさを恨め!」
「なん……だと!?」
涼都は口元に浮かんでいた笑みを引っこめて真顔になった。
「それにお前さぁ。なに勘違いしてんの? 自分が1番偉いって顔しやがって! いいか――この世で1番偉いのは俺様だ!」
辺りが、いきなり静かになった。唯一、まだ笑っているのは隣の東だけである。周りが呆然とする中、杞憂は目を点にしていた。
「とにかく」
涼都は、灰宮の後ろで腰を抜かして気絶している少年Aの首根っこを引っ付かんで、杞憂にぶん投げた。さすがにケーキで学習したらしい杞憂は、ひょいっと避けて少年Aが杞憂後方のドアにぶつかる。ガァンッと痛々しい音がしたが、気にしない。よくわかんないけど、何かをやらかしたのは確実なので、同情もしない。
涼都は地面に転がる少年Aに目を向けたままの杞憂に向かって言った。
「俺が1番偉いんだからひれ伏せ杞憂」
その言葉に、あっけにとられていた周りの生徒がざわめきだした。まぁ周りが騒ぐ理由ぐらいわかる。あの四大一門のうちの1つ、杞憂にひれ伏せまで言ったのだ。
何も杞憂や四大一門全員が優秀で偉いという訳じゃない。しかし、やはり優秀な人間から生まれる子供というのは、嫌でも小さな時から教育させられるので自然と優秀になる。特に経験が必要な魔術は。
学校に入学するまで魔術自体使えない、または使ったことがないという者がいたって普通なのに、もう杞憂や灰宮は2年、もしかしたら更にその上までいっているのかもしれないレベルだ。
もちろん涼都は別としてだが。
結局、優秀な血を受け継ぎ良い教育を受けた者に、魔術で勝つことは難しい訳だ。魔術師の優劣は実力のみ。とりあえず、魔術で実力のあるヤツの方が偉いのである。
涼都はその見るからに実力のあるヤツにケンカを売っちゃった訳だ。
(しかも相手は見るからに機嫌悪いしなぁ)
杞憂は怒りからか、小刻みに震えていた。それに、東が相変わらずのスマイルで涼都に耳打ちする。
「あー……これはヤバいよ、涼都」