*2.もう、お引き取り下さい ①
「魔術をはね返すとか、またよりによって厄介なのがきたよね」
つぶやいた東の左腕の制服は裂けて血に染まっていた。しかし灰宮ほど重症でもないし、もう血は止まっている。
この程度で済んだのは東がとっさに身をひねったのと、灰宮が引っ張ってくれたおかげだ。
「ええ、私もたまたま机に引っかかっていなかったら、腕がなかったかもしれないわ」
「…………」
ものすごく怖いことを平然と真顔で言うよね、灰宮は。
聞かなかったことにして、東はアンデットに目を向けた。全部で五体。その全てがまるで獲物を見る目でこちらを見つめている。
「それで、君はあれをどうするつもりだい?」
「そうね。魔術がはね返されるのは厄介だけど、魔術以外の退魔法は効くと思う」
「なるほどね」
東は面白そうに微笑んだ。
退魔法というのは魔を退ける魔法というイメージがあるが、より厳密に言えば魔を退ける全ての方法を指す。魔術も退魔法に含まれるが、それ以外にも魔除けやおまじないといったものまで、魔を退けるモノは全て退魔法に含まれているのだ。
(ま、俺は魔術以外の退魔法はよく知らないんだけど)
とりあえず、有名な退魔法をあげてみる。
「一番手っ取り早いのは、聖水をかける方法だね。まぁ聖水持ってないと無理だけど」
「ええ、ごめんなさい。それは東さんが来る前に全部使っちゃったのよ」
どうやら、既に実行済みらしい。聖水を携帯しているとは、さすが灰宮の人間だ。
そう東が感心していると、灰宮は困ったように視線をさ迷わせる。
「退魔法はいろいろあるんだけど。聖水も護符も使っちゃったし、あとは──」
言いながら、灰宮がポケットに手を入れた時、ふと影が落ちた。アンデットが灰宮に飛び掛かってきたのだ。
「灰宮!」
とっさに駆け寄るが、どう考えても間に合わない。灰宮も避けることは無理だと悟ったのだろう。
次の瞬間、灰宮は引くどころか逆にアンデットに踏み込んだ。そしてポケットから出した物をその体に強く押し当てる。
ァアァァアア
本来、アンデットに声帯はないし喋ることはない、が。恐らく断末魔の叫びであろう咆哮が、ノイズのように空気を不規則に揺らして、アンデットは床に崩れ落ちた。苦しむように床の上でもがいて、徐々に体の端から灰になって消えてゆく。
その様子を東は呆然と見ているしかない。対して、それを冷静に見届けた灰宮はホッとしたように表情を緩めた。
「よかった。効いたみたいね、コレ」
灰宮の左手から下がるのは、十字架のネックレスだ。
「それは……」
その銀色の輝きを見て、ようやく先ほどアンデットの体に押し付けた物体がその十字架だったことに気づく。
「この十字架は、いつも部屋にいる時は聖水に浸けてあるの。効果は十分あるみたいね」
微笑む灰宮に、東も穏やかな笑みを浮かべた。残ったアンデット四体に囲まれて出る表情ではないが、まぁ致し方ない。
灰宮へ笑みを返しながら、内心東は強く思った。
(灰宮、一人でも大丈夫だったんじゃないかな)
涼都は灰宮の怪我を考慮して東にフォローしてやれと言ったんだろうが、実際のところ、灰宮一人でアンデットを撃退している。
女の子相手に思うことじゃないが、頼もしいというか、たくましい。
(灰宮家も伊達じゃないってことか)
家業的に専門分野が魔物というのもあるが、さすがは四大一門に名を連ねるだけはある。
「右腕が使えれば、梓弓が使えるのに」
(弓……? それって、もしかして灰宮の)
悔しそうにつぶやいた灰宮に、東は問うように視線を向けた。しかし灰宮はそれに何でもないというように手を振る。
「とりあえずは、この十字架で何とかなりそうね」
「あぁ、そうだね」
東は、ゆっくりとアンデットを観察した。
(さっきから思っていたけど)
何かが、変だ。
アンデットはクーシー程ではないが、それなりに獰猛な性格の魔物である。人間を見たらまず襲ってくる、と教科書にも載っているくらいだ。
しかし、このアンデット達は少し違っている。確かに襲ってはくるが、どちらかというと、じっと相手の出方を伺うように見つめていることの方が多い。
それに。
(微かに魔力の気配が感じられるような……)
「東さん!」
灰宮の声に、現実に戻された。ハッとして東が顔を上げると、アンデットの腕がふりおろされている。
「っ!」
何とか、机を飛び越えて東は避けた。ガシャン、と空振りして机にぶつけたアンデットの腕が砕ける。それを、東は見逃さなかった。
(そうか、このアンデット。魔術ははね返すけど、物理的な攻撃は効くのか)
ならば、もっと話は簡単だ。
「ねぇ、あのアンデット──」
続けようとした言葉は、灰宮に目を向けた瞬間、飛んでいった。
「灰宮?!」
灰宮の顔は蒼白で、左手が右腕を押さえている。その手が小刻みに震えていた。その右手からしたたり落ちる血に、東は目を細める。
灰宮の体が、限界にきたのだ。
東が来る前から、灰宮はたった一人でアンデットを相手にして、予想外に跳ね返ってきた魔術で利き腕に重症を負いながらも、ずっと動き回っていた。その度に、血は出たり止まったりを繰り返している。
いくら灰宮家の令嬢でも、まだ15歳の女の子だ。魔力、精神力は何とかなっても体力は女の子のものでしかない。しかも腕の怪我で、だいぶ失血している。
いつ限界がきてもおかしくない。
「灰宮、大丈夫? ちゃんと意識ははっきりしている?」
「……ええ、意識はしっかりあるわ」
最初、東が『大丈夫か』と訊いた時は、灰宮は即答で『大丈夫』だと言った。しかし、今はためらった上に怪我についての答えはない。
灰宮は自分の状態、出来ること、出来ないことを客観的に判断できる人間だ。従って、その返答は灰宮自身の限界を示している。
(早く灰宮の怪我を手当てしないと)
はやる気持ちとは逆に、東はいつも通り、穏やかな笑顔を浮かべた。
「灰宮、ごめん。君に負担をかけすぎたね──ちょっと、そこで休んでいて」
それに灰宮は視線を周囲のアンデットへ向け、首を振る。
「アンデットが四体。いくら東さんでも、一人で相手をするのは危険だわ」
「大丈夫。物理的な攻撃が効くなら、俺にも手があるからね」
それに灰宮は、困惑した様子でアンデットと東を交互に見る。
「でも」
「それより」
東は灰宮の右腕に手を伸ばした。怪我の部分に手の平をかざすと、あたたかい穏やかな光が灯る。
「東さん?! それは」
「さすがに、治癒魔術で全部治すのは魔力を大量消費するから、今は無理だけど。応急措置に、これぐらいはいいでしょ?」
傷からの出血はおさまり、いくらか綺麗になった傷口に東は微笑んだ。これなら、後でちゃんとした治療を受ければ傷跡は残らないだろう。
「ありがとう。でも、そんなことしたら東さんの魔力が……」
「俺が勝手にやったことだから、灰宮が気にする必要はないよ」
言い終えると同時に、東はハッとして飛び退いた。同時にアンデットの腕が床にめり込む。
「東さん! やっぱり私も」
「いや、灰宮はそこから絶対に動かないで」
アンデット四体に視線を定めたまま、東は胸ポケットに手を伸ばし笑う。
「もし巻き込んじゃったら──今度は俺でも治癒出来ないからね」




