*1.雨が運んでくるモノ ⑤
(速水、大丈夫なんだろうな)
今ごろアンデットに八つ裂きにされてたりして、と涼都が廊下を走りながら縁起でもない想像をした時だ。
「きゃぁああぁあ!」
つんざくような悲鳴に涼都は足を止めた。たった今、通り過ぎた教室からだ。涼都と鳴海、東の三人はほぼ同時にそのクラスへ引き返す。
1―K
その教室にはアンデットが大勢入って来ていた。しかも、いくら見回しても教師がどこにもいない。まだK組までは見回りの教師も追いついていないらしい。
つんとする腐臭に涼都は眉を寄せた。
(集団で来たとなるとやっかいだな―…というか)
すぐに助けに入るべきところだが、涼都は思わずアンデットの姿に見いってしまった。
普通、アンデットというのは170cmあるかないかくらいで、まさに(吉田さんみたいな)理科室の骨格標本という感じなのだが。
「デカイな」
目の前にいるのはどれもこれも、170cm代後半の鳴海までもが見上げる大きさの骨だった。
「予想以上に大きいね。鳴海先生、あれ2mはありませんか?」
涼都のつぶやきを拾った東も、アンデットを凝視している。同じくガン見していた鳴海が感心したように言った。
「この雨でこんなに成長しちまって………豊作だなぁ」
まるで農園の野菜みたいな言い方をしないで欲しい。
涼都は嘆息して、ふと教室の中で見慣れた人物を見つけた。
(あれは)
背中の中程にかかる緩くウェーブした髪は、艶やかな光をはらんで揺れている。華奢でありながらも、しなやかな肢体が、見上げる程大きなアンデットの攻撃を俊敏に避けている。その、まるで舞をまっているような優雅な動きに合わせて、制服のスカートがふわりと広がり、花が咲いたように見えた。
灰宮千里
「さすが灰宮家の令嬢。アンデット程度じゃ引けを取らねぇってか」
どこかのほほんとした印象がある灰宮だが、そこは四大一門と名乗るだけはある。あのアンデット相手によく動いている、ただ――
笑顔を消し、涼都は探るように目を細めた。黙って灰宮に視線を固定する。
「どうする? 涼都。灰宮なら一人でも大丈夫かな?」
問いかける東に涼都は視線はそのまま、半ば反射で首を横に振った。
「今の灰宮一人じゃキツイだろ。誰か残って手伝わねぇと」
本来なら灰宮一人でいいと即答するところだが、どうやら事情が違うようだ。
その事情を東は違う方向に受け取った。
「まぁ確かに、クラスメイト守りながらじゃ辛いよね。アンデットに直接攻撃してないのも気になるし」
確かに、灰宮は直接アンデットには攻撃をしていない。汲み取った事情は涼都と違うが、そこは涼都も気にしていたところだった。
(コイツ見てないようで、けっこう見てるな)
チラッと涼都が視線をやると、東はたった今その存在を思い出したように『そういえば』と鳴海へ視線を向ける。
「鳴海先生、どうします? さすがに灰宮残して保健室行くのは無理ですし―…先生?」
東の言葉に、鳴海は全く反応しなかった。笑顔どころか表情すら消した顔色は蒼白で、棒立ちのまま真っ直ぐ前を食い入るように見つめている。その視線の先に在るのは。
(灰宮、か?)
普段の鳴海なら真っ先に飛び込んで助けそうなものだが、今の鳴海は様子が変だ。
東が語気を強めて、鳴海の肩を叩く。
「鳴海先生!」
ハッとして我に返った様子の鳴海が、東を見た。
「あ……悪い。ちょっと考え事してて」
明らかに様子が変だが、今はそれを気にしている場合ではない。灰宮を横目で眺めながら、涼都は思考をめぐらせた。
本来なら鳴海をK組に残して、涼都と東が速水の所へ行くべきだ。しかし鳴海の話から推測するに、生徒だけで校内を歩き回っていては他の教師に逆に保護されてしまう可能性が高い。そうなったら説明する時間が無駄だし、なにより面倒くさい。
それを考えると、やはり教師である鳴海は一緒にいた方がいい。しかし誰かはK組に残して行かねばならない。涼都では今の灰宮をサポートするには不適だ。理由は後々に語るとして、あの場へ自分が行ったなら卒倒しかねない。いや、卒倒する。
(となると残るのは)
涼都は東に鋭い視線を向けた。一瞬だけ二人の視線が交差する。しかし意思を伝えるのはそれで十分だったようだ。
東は息をついて仕方ないと言うように笑う。その袖を引いて、涼都は餞別代わりに助言をささやいた。それに東は怪訝な顔をしたが、追求はしてこなかった。片手をあげて、我が副担任を呼ぶ。
「鳴海先生! 誰か保護してくれる人が来るまで、俺がこのクラスに残ります。鳴海先生は涼都と一緒に速水の所に行って下さい」
「は!? 待て設楽。さすがにそれは」
自分が残る気満々だったに違いない鳴海が、困惑した表情を浮かべた。それを無視して東はK組へ歩き始める。
「大丈夫ですよ。俺、退魔法は魔術分野なら得意です。灰宮と俺で四大一門が二人」
そこで言葉を止めた東は、微笑んで顔だけ振り返った。
「アンデット程度の小物に遅れはとりませんよ」
*―――――――――――――――――*
さらば、東よ。
もはや姿すら見えない東に涼都は小さく合掌した。もちろん無事を祈っているわけじゃない。
「どうした? 御厨」
「いや、出来れば帰ってくんなという淡い願いをこめてだな」
「は?」
「いーえ、こっちの話」
不思議そうな表情の鳴海はあえて見ずに、涼都は視線を外へ向けた。教室に面する廊下を曲がり、一階へ降りた先にあるのは校舎裏の林に面する廊下だ。窓の向こうでは、まだ雨粒が勢いよく窓ガラスを叩いている。
(この様子だと雨は止みそうにねーな。まぁ見たところ校内より外の方が平和に見え―…)
「こっちに来るな! 魔物の身でこの俺にまとわりつくとはいい度胸だ!」
「…………」
窓の外で若干テンションがおかしい杞憂を目撃した涼都は、思わず視線をそこに固定した。
アンデットが3体ほど杞憂を取り囲んでジッと見ている。その明らかに獲物を見る目に、杞憂はやや引きつった笑みを浮かべていた。
「何なんだ、お前ら! 俺を誰か知って」
視線を感じたのか、ふいに杞憂が言葉を止めてこちらを見た。バッチリ目が合った瞬間、涼都は視線をそらす。すると隣で鳴海がやけに緊迫した表情をしているのが目に入った。
涼都はわずかに眉を寄せて前を見る。そこでは、1体のアンデットがジッとこちらを見つめていた。
(こっちもかよ)
*―――――――――――――――――*
1-K、普段綺麗で広い教室も、戦場に変わるとただの広いだけが救いの障害物だらけなフィールドに早変わりするものだ、と残った東は痛感した。
新しい人間の登場で警戒したのか、様子見のようにじりじりと距離を取って見つめてくるアンデットの集団を前に、設楽東は表面的には穏やかな笑顔を浮かべつつも、心の中で深いため息をつく。
『まぁしっかりフォローしてやるんだな』
去り際に涼都がささやいた言葉の意味を、東はいま思い知った。
「灰宮、大丈夫……じゃないよね」
「いいえ。大丈夫よ」
即答した声音には何の迷いもない。しかし、言葉とは裏腹にその体はとても大丈夫そうには見えなかった。
足や手に擦り傷や浅い切傷が多数あるが、最も問題にすべきはその右腕だろう。
後ろから見た時はわからなかったが、制服の上着まで右腕の前面が真っ赤に染まっており、指先からしたたり落ちた血が床に小さな血溜まりを作り始めていた。だらりと下がったその腕の様子を見るに、右腕は全く使い物にならないだろう。握力があるかどうかすら怪しい状態だ。
涼都はそれを察して東にフォローしてやれなどと言ったのだろう。
(知ってるなら一言教えてくれればよかったのに)
全く、あの王子様はろくな説明もせずに『わかってなくてもわかれよ』と丸投げしてくるのだから質が悪い。
東は嘆息して、灰宮の隣に並んだ。すると、灰宮の視線が東の周りをさ迷う。
「……涼都さんは、一緒じゃないのね」
「え? あぁ……うん。別行動中なんだ」
さっきまで一緒にいたとは言えない。というか、東はなぜ自分がここを任せられたのか分からないので、説明の仕様もないのだ。普段の彼なら、進んで残りそうなものだが――まぁ、何か理由があるのだろう。彼は怪我した女子を人に任せるような人間でもない。
「そう」
短くこぼした灰宮の横顔が憂いを帯びていて、どこか遠くを見ている。ここにはいない涼都のことを心配しているのだろうか。
重くなった空気を和らげようかと、少々おどけてみる。
「ここに来たのが麗しの君じゃなくて、残念かい?──なんて、不謹慎かな」
「あら……誤解よ、東さん。私は涼都さんが来なくてよかったと思っているもの」
「へ?」
「だって」
灰宮は小さく笑った。
「貴方の言う通り『麗しの君』だもの。こんな血だらけの情けない姿、見せられないじゃない?──せっかく綺麗だって言ってくれたのに、ね」
最後に小さな声で付け加え、己の手を見やる灰宮の淡い微笑みに『おや?』と思いながらも、東はそこには触れずに肩をすくめてみせた。どうやら、涼都は『麗しの君』で通じるらしい。
(意外と俺ら、感性が似通っているのかな)
さて、と東はそろそろ話を戻した。このまま悠長に脱線し続けている場合でもない。
「まぁ、君が大丈夫だと言うなら無理に止めないよ。でも俺がいることは忘れないで欲しいね」
「ええ、東さんが来てくれたおかげで私にも出来ることが増えたわ。ありがとう」
そうだ。灰宮千里はこういう子だった。
一人で大丈夫だと突っぱねたり、己の限界も知らずにまだやれると判断を間違えるような馬鹿じゃない。冷静で客観的な判断をし、自分の出来る事と出来ない事を理解している人間である。
そんな灰宮がアンデット相手にこんな酷い怪我をしたのはどういうことだろうか。アンデットは確かに自己再生する厄介な魔物だが、頭蓋骨の眉間にある核を破壊すれば簡単に倒せる。
「灰宮、その怪我はどうしたんだい?」
「東さん、気をつけて。このアンデ――」
言葉を遮るようにアンデットの拳が東と灰宮の間に振り下ろされた。とっさに灰宮は右へ、東は左へ飛びのく。
それと同時にアンデットの拳が床に深くめり込んだ。
(すごい破壊力だな)
東が動揺することなく観察していると、視界の端で何かが動いた。見ると1体のアンデットが東に飛び掛かってきている。
避けるより攻撃する方が早い。そう判断し、東は右手をアンデットに向けた。
それを見て、何故か灰宮が慌てたように叫ぶ。
「東さん、駄目!」
※2016/05/30時点において、一話分ほどの転載抜けがあったので追加しました。その関係で一話増えています。転載抜けは*1.兎?いいえ、宇崎です ⑥後半~⑦前半に当たります。本当に申し訳ありませんでした。




