*4.休日のツトメ ④
骨から逃げ込んだ先の、埃だらけの資料室で涼都は嘆息して首を回した。事実、走り回って体力的に疲れているんだが、宇崎と会話するとどうも精神的に疲れる。
もう一度出そうになったため息を飲み込んで、涼都は辺りを見回した。
壁にはデカイ本棚があって古い本がたくさん並んでいる。積み上げられた段ボールが部屋の大半を埋め尽くしていて、その一部は涼都と宇崎が突っ込んだ拍子にひっくり返っていた。その他にも棚や机の上にはところ狭しと瓶やペン、ホルマリンに浸けた怪しげな物体まで様々だ。
さすが、備品室。なんでもある。
そこで、なんとなく涼都は棚の古本に近づき、眺めていた。皮、布、紙、いろいろな材質の背表紙はどれも文字がかすんでいてよく読めない。その中でふと、涼都は一冊の本に目をとめた。
『Garden of Rose』
(薔薇園……?)
薔薇、という単語に涼都は眉をひそめる。やや真剣な顔で、涼都は宇崎を振り返った。
「なぁ、宇崎。ここの本って……」
思わず、涼都は言葉を止める。
宇崎が机によっかかり、携帯片手にアクビしていたのだ。床にあぐらをかいてポチポチとメールを打っている。そのなんとも平和な姿に、涼都は激しく脱力感に見舞われた。
「今のこの状況でメール? よくこんな場所に座れるな。制服ホコリまみれになるぞ」
「いや、俺メールきたらすぐ返さないと忘れちまうんだよ」
言いながら、宇崎は携帯をしまって涼都を見た。その時点で制服のズボンはホコリだらけで、しかもなにやら正体不明の液体がシミを作っている。
涼都はそれを横目で見ながら『今日は余分に洗濯機回さなきゃいけないだろうな、コイツ』と、どうでもいいことが頭をよぎった。とりあえず、ため息まじりに注意してやる。
「今すぐ立った方がいいと思うけど? さっき突っ込んだせいで何かこぼれて、現在進行形でシミできてるよ」
言われて初めて気付いたらしい。
「お、ホントだ。つーか、何この液体……」
そのズボンにシミを作っている液体の先を目で追って、宇崎はサッと青ざめた。
割れたホルマリン浸け用のガラス瓶。流れ出したホルマリンの液体は、宇崎のズボンのシミになり、また違う場所では水溜まりになっていた。その事実に気がつけば、なんとなくホルマリン独特の臭いがしなくもない。床にはホルマリンに浸けてあった肌色の変な物体が転がっている。
気持ち悪っ!
宇崎は瞬時に飛び起きた。
「うわぁあぁぁあ!」
ケーキ屋につかまりその後カツアゲにあった涼都しかり、頭が燃えてコケた寅吉しかり(まぁそれは涼都がそう仕向けたのだが)不幸というものは連鎖するらしい。慌てて立った拍子に、宇崎は盛大に近くの棚をひっくり返した。
思わず、耳をふさぎたくなるような凄い音がする。もうもうと立ち込めるホコリに涼都は咳き込みながら、ドアまで下がった。しかし背に当たったのはドアの硬い感触ではなく、人特有の柔らかいものである。
振り返ったのと、その人物がしゃべり出したのは同時だった。
「うわ、何だこれ。ゴホッ」
「荻村」
「おい、とりあえず窓開けろ、窓」
荻村の言葉に、宇崎は咳き込みながら窓を開ける。幸いにも風向きがよかったのか、すんなりホコリは窓の外へ消えていった。
涼都はホッとして、次に部屋の惨状を見てゾッとする。荻村は嫌そうに顔をしかめた。
「おいおい。俺は魔器の掃除用具を取りに来ただけなのに、何めんどくさいことになってんだ、お前」
棚は崩れ、中身は全て床にぶちまけられたこの惨状を荻村は『めんどくさいこと』で済ませた。まぁ、確かに面倒には違いないが。どうやら怒るとか説教するという頭はないらしい。
宇崎は顔を引きつらせて乾いた笑顔を浮かべた。
「いや、ちょっと、いろいろありまして」
その実感のこもった言葉に、荻村はため息をついてサッと辺りを見回した。
「まぁ見た感じ、壊れたモノは無さそうだし、いいんじゃね」
「いや、ドアノブ壊れたんだけど」
涼都の言葉に荻村はドアノブを回して、苦い表情を浮かべる。
「直すべきか? その場合はやはり業者に言わないと。つーかその前に破損報告が先か。でも面倒だしな」
「先生、頭の中の考えがそのまま口に出てるけど」
「よし、面倒だからそのままでいいや」
全然よくねーよ。本当に教師か、こいつ。
涼都が呆れ半分疲れ半分の目を向けると、荻村は面倒そうに締めくくった。
「とにかく適当に片付けとけばいいだろ。ドアノブは一応、後で言っとくから」
*―――――――――――――――――*
東は息をついて共同スペースのソファに身を沈めた。手には自販機で買った缶ジュースがあるが、中身はもうない。
東はチラッと周りに目を向けた。この共同スペースは寮生の憩いの場である。休みだからと言って簡単に学外へ出れる学園ではないので当然、暇な生徒は各階の共同スペースに集まってくる。周りでは、生徒達がそれなりに楽しそうに談笑したり、チェスやオセロなどのゲームに興じていた。
その中、涼都がつかまらない東は一人でぼんやりしているのだが。
(飽きたな)
この際、叩き潰される覚悟で涼都の部屋に不法侵入してしまおうか。
『東? てめぇ、入るなってご丁寧に書いてやったよな? 覚悟、出来てんだろ』
拳を握って額に青筋を立てた涼都の姿が浮かんで、東はふっと笑んだ。やめておこう。涼都を本気で怒らせると大変な気がする。
空になった缶をゴミ箱に捨てて東は共同スペースを出た。
(さて、どう時間をつぶそうかな?)
そう考えながら角を曲がった時だ。
「あ」
「…………」
バッタリと鉢合わせた相手は、東を認めるなり途端に顔をしかめた。嫌そうな表情で踵を返した相手に東は笑顔を浮かべて、その襟首をひっつかんだ。
「まぁ、待ちなよ」
「っ放せ! おまっ……こんな猫でも掴むみたいな持ち方をするな!」
ジタバタと暴れた挙句に東の手を振り払ったその人に、東は穏やかな笑顔を向けた。
「こんなところで何してるの? 杞憂」
杞憂は嘆息して、面倒そうに答える。
「何でもいいだろう。散歩だ、散歩」
「散歩とか、君に全く似合わない単語だよね。嘘でしょ。今から上級生でもシメに行くの?」
「行かない! 俺のこと一体何だと思ってるんだ」
「猿山の大将」
「殴られたいのか、貴様ぁ!」
「まぁまぁ。ちょっとした冗談だよ」
やり取りに不毛なものを感じたらしい。ため息をついて杞憂はこの場を去ろうと歩き出した。しかし
「杞憂、ききたいことがあるんだけど」
すれ違う瞬間に言った東に杞憂は数歩進んで立ち止まる。
「あのさ、今日の昼食って食堂で出るのかな?」
「出るよ! そんなどうでもいいこときくな!」
舌打ちして杞憂は今度こそこの場を去ろうとし、何か思い出したように振り返った。
「そういえば、俺も貴様にききたいことがある」
*―――――――――――――――――*
「ホコリくさいな。何か喉が痛い気がする」
涼都は喉をさすって寮の廊下を歩いていた。とりあえずアレを適当に片付けてさっさと切り上げてきた涼都は、今は自分の部屋の近くまで来ていた。そこで頭をよぎるのは穏やか過ぎる程の笑顔だ。
(東のヤツ、俺の部屋にいないだろうな)
一応紙は貼り付けておいたが、東がそれで撤退するかどうかは微妙だ。もしまた茶でも飲んでたら、とりあえず殴り飛ばす。
物騒なことを考えながら、涼都が次の角を曲がろうとした時だ。その先に見えるものに涼都は思わず、足を止めた。廊下をしばらくいったところにいるのは。
(東と、杞憂?)
珍しい組み合わせに、涼都はまじまじと見てしまう。
(何だ。あいつら実は仲いいのか? まぁ同じ四大一門だし昔から交流があってもおかしくは――)
涼都はそこでけげんな表情を浮かべる。杞憂が何か話している間に、東の表情が曇った。次第に真顔になっていく東に、杞憂の顔も真剣になる。そして杞憂が向こうに去って行くまで涼都はそれを見て、ふと気づく。
(あれ、もしかして俺っていま)
見ちゃいけないところを見ちゃった?
まぁ、見てしまったものは仕方ない。涼都は開き直って東の元まで行き、素直な感想を述べた。
「東、お前杞憂に何か言ったのか。あんまりイジめると、さすがに可哀想だぞ」
「ねぇちょっと。なんで俺が加害者の前提なワケ?」
そう言って振り返った東の顔は真顔でも何でもない、いつも通りの表情だ。涼都に今の場面を見られていたことに対して何もないので、涼都もそこには触れずに話を続けた。
「お前は杞憂に何か言われてヘコむタマじゃないだろ。むしろその場で3倍返しして、更に精神的な一撃を入れないと気が済まないって顔してるぞ」
「それは涼都でしょ?」
苦笑混じりの東に涼都はニヤリと笑った。
「いや、俺は百倍返しが基本だ」
「……あぁ、そう」
本気で言ったわけでもないのだが、どうも冗談に聞こえなかったらしい。




