*4.休日のツトメ ①
桜華に入学して、初めての休日。
設楽東はその日、休みだというのに、それなりに早く起きていた。性分とか日々の生活リズムもあるが、今日はやるべきことがあったからである。
そう。『休みの日に、友達と遊ぶ』ということを。
家柄もあるが、門限も厳しい上に送迎が車だった東は、学校の帰りに寄り道するだとか休日に遊びに行くだとかをしたことがないのであった。いや、決して友達がいないとか、ぼっちとか、そうではない。
(全寮制だから、帰りに寄り道とかは出来ないけど、これなら出来るよね!)
部屋着に着替えた東は意気揚揚と部屋を出た。外に出ると、もう目的地はすぐそこだ。東は力強く、隣の部屋の呼鈴を鳴らした。
ピンポーン
「………………」
返事がない。
(涼都、寝てるのかな)
再度、東は呼鈴を鳴らした。
ピンポーン
「………………」
1分、待ってみた。
しかし、やっぱり返事がない。しばらく考えて、東はもう一度、押してみた。
ピンポーン
「………………」
なぜか返事がない。こうなったらやることは一つだ。突撃である。
東は勝手にドアを開ける(不法侵入する)と、やけに明るい声で言った。
「りょーと君、あっそびましょう!」
もちろん『遊びましょう』は冗談というかノリだが、涼都ならすぐさま出てくるはず―…だった。しかし、玄関にはイスが置いてあるだけで、背もたれには紙が貼り付けてある。
『俺様不在。東、てめぇ勝手に入ったら後で叩き潰す!』
東は静かに、ドアを閉めた。
*―――――――――――――――――*
『春日先生、あなたに頼みたいことがあります』
いま思えば、学園長室に行かなきゃよかったのだ。
休日の午前9時過ぎ。1年校舎裏の林で、春日はため息をついて座りこんだ。そして面倒そうに髪をかき上げる。
「二度寝に最高な時間に仕事かよ。引き受けなきゃよかった」
そう後悔しても、悪態をついても眠気は消えない。アクビを噛み殺しながら、春日は学園長の橘の言葉を思い起こす。
『あなたが役に立たなかった魔獣騒ぎについて、現場に行ってよく調べて下さい』
何か、こう、有無を言わさない圧力みたいなものを感じた。やたら最初の『あなたが役に立たなかった』を強調された気がするが。
まぁとにもかくにも、その学園長の頼み事のおかげで、春日は現場に足を運ぶはめになったのである。荻村じゃないが、面倒極まりない。
(それに魔獣騒ぎっていってもな)
学園長から渡された資料に目を落として、春日は舌打ちした。
「……ここに全部書いてあるじゃねーかよ」
そうなのだ。魔獣騒ぎといってもすでに当事者から話は聞いて、それなりに決着がついている。それなのに今さら何を調べろというのだ。
早くもげんなりして春日は資料をポケットに突っ込んだ。
「ま、頼まれたもんはしかたねぇか」
やる気の出ない自分に言い聞かせるように春日はゆっくりと身を起こすと、タバコに火をつけた。林の草木に引火させないように注意しながら、タバコ片手に現場を歩く。
(確かに、新入生が魔術使った程度で歪むほど不安定な空間じゃないな)
今は。
ならば、あの時はそれほどまでに不安定だったのは何故なのか。そもそも、魔界の扉が開いただけで用心深いクーシーが外に出るものなのか。確かに、できすぎている。
(ふーん?)
春日はニッと口元に笑みを浮かべて煙を吐く。
「なるほど。少しは調べがいが――」
ガサッ
草をかき分けて、春日は固まった。
かき分けた先に、同じく向こう側から草をかき分けた人間がいたのだ。お互い、人がいるとは思ってなかったため見事にフリーズした。そして、立ち直るが早かったのは向こうの方である。
「あー……おはようございます?」
なんで疑問形?
春日が教師に見えないのか、不審そうな視線を向けるのは黒ジャージ姿の男子生徒だった。
「……おはよう」
この場面での挨拶に疑問を感じたものの条件反射で返した春日は、改めて目の前の少年を見た。
黒髪にやや白めの肌。二重ですっきりとした目元は涼しげで透き通った鼻梁に、薔薇色の唇。まぁ、なんだ。要するに。
(こんな美形、うちの学校にいたっけか?)
まぁ生徒であることは間違いないだろうが。
考えながら、携帯灰皿にタバコを放りなげる。春日はタバコの煙を生徒に吸わせないのが、秘かにポリシーだったりするのだ。
「1年か? こんな朝から生徒が何して……」
ふいに、春日は眉を寄せた。
遅いが、いま、根本的なことに気づいた。この林に生徒がいること自体おかしいのだ。春日はため息まじりに林の入り口の方向を指差した。
「看板、見えなかったか? ここは今、生徒は立ち入り禁止だ」
看板はあらゆる入り口にあるし、そもそもこの林自体がロープで線引きされている。それをこの生徒は堂々と入ってきて、堂々と歩いていたわけだ。なかなか、いい度胸をしている。
春日の指摘にその生徒は、端正な顔を緩ませ、ニヤリと口元をつり上げた。
「あ、そう。看板なんてあったかな?」
明らかにすっとぼけた発言と、その表情の変化に春日は面食らった。
単純に容姿だけなら、整い過ぎて人形みたいに冷たい印象を与えるのだが、それにぞんざいな口調とタチの悪い笑顔がつくと全然違う。まるで悪の組織の親玉みたいである。
(つーか、コイツ)
その意地の悪い笑顔で、春日は瞬時に数日前の記憶が蘇ってきた。
『御厨涼都。覚えとけ、この世で一番偉い人間の名前だ』
入学式の日、電車で杞憂相手に高笑いしている姿がフラッシュバックして、春日は思わず指差した。
「お前、御厨――」
「先生、ちゃんと服洗った?」
「あ?」
意味不明の質問に、春日は改めて自分の恰好を見た。ベイジュのチノパン、黒のタンクトップにジャケット。どこも汚れなど……
そこで彼は声のトーンを落としてささやく。
「ジャケットの襟に口紅ついてるよ」
「なっ――」
慌てて襟を見て、春日は舌打ちした。
「ついてねぇじゃ……」
そこには、すでに少年の姿は跡形もない。逃げられた。
思わず、ため息が出る。
「ほんっとに、近頃のガキは可愛くねぇな!」
*―――――――――――――――――*
「あぶねぇー」
涼都はつぶやいて背後の林を振り返った。こんな休みの日の朝に、まさか教師がいようとは。思いもしないことに苦しまぎれの方法で切り抜けたが、脱出に成功してよかった。
(というか、『襟に口紅』で反応するって)
何か口紅がつく心当たりでもあるのかよ。
なんとなく、逃げるよりそっちを追求したい涼都だった。まぁ、それはもう置いておくとして。
「しっかし」
足を止めて涼都は目の前の校舎を見上げ、ため息をついた。
「とっさに校舎側に逃げちまった」
いくら急いでたからって、何も校舎側に行かなくてもいいだろう。自分なりに林を調べたのだから、サッサと寮に帰ればよかったのだ。
まぁ、来てしまったものは仕方ない。
「とりあえず学校に入って、適当な非常口から出るか」
今、涼都がいるのが一年校舎の一階非常口前である。ここからさっき逃げてきた林を避けて寮に行く道はないのだ。林の中に入らずとも周囲は歩くことになるので、またあの教師と鉢合わせしかねない。それなら、校舎に入って適当に林から見えない非常口から寮に帰った方がよさそうだ。
「面倒だな」
そうぼやいて、涼都は一応、辺りを確認してから校舎に入る。また教師に会うのはごめんだ。
「つーか何であの教師、俺の名前知ってたんだろ」
せっかく学年もわからないようにジャージで来たというのに、初っぱなから意味を成していない。ブラックカードということで名前は知っていてもおかしくないが、顔で名前が割れてしまうなんて。
涼都はふっと薄く笑んだ。
「すでに俺様は有名人の人気者ってことか」
違う気がするが、そういうことにしておこう。
涼都は欠伸をして肩をほぐす、と。『ん?』と怪訝な表情を浮かべた。
何か、騒がしい。
カラカラと奇妙な音が聞こえてくる。足を止めて涼都は耳を澄ました。
「なんだ?」
ちょうど進行方向で、数m向こうの曲がり角から音がする。首を傾げて涼都は再びその曲がり角へ足を進めた。その、瞬間。
曲がり角でバッタリと出会ったのは、執事の恰好をした――
骸 骨 だ っ た。