*3.午後の暗雲 ④
前回の話:東……やっちゃったよ、こいつ。
「すいません、先生。手が滑っちゃいました」
柔らかい口調で東が里見に微笑みかけた。ヤツは穏やかな笑顔を浮かべて、全然穏やかじゃないことを口走っている。
(出たよ、今日二回目の『手が滑った』発言。つーか何やってんの、コイツ)
涼都は思わず口元を引きつらせた。
魔術で加速をつけたのだろうが、そんな凄まじい速度でシャーペンを飛ばすなんてどうかしている。しかも、よりによって顔面。当たったら怪我じゃ済まない。
涼都には、東が里見にケンカを売ったとしか見えなかった。里見もそう感じたんだろう。鋭い視線で東を睨みつけた。
「設楽。私は天城の人間だが、それは天城への挑戦状だと受け取っていいのか?」
表情がかたい里見に東は悠然と微笑む。
「やだなぁ先生。僕はただの生徒ですよ。天城と設楽ではなく先生と生徒として考えてくださいよ」
いや、その方向で考えても明らかにケンカ売ってると思うけど。
本家と分家とはいえ四大一門が四大一門にケンカふっかけて大丈夫なのだろうか。涼都がするのはもっとマズイが、東がするのもそれなりにマズイ気がする。
まぁしかしここは学園で教師と生徒だ。
カァーン、カァーン―……
響き渡った授業終了の鐘の音に、里見はため息をついて踵を返した。
「まぁいい。今日の授業はこれで終わりだ」
さすがに設楽の本家を相手に引き際を悟ったのか、あっさりと身を引いた。それに涼都はいくらかホッとする。
もし速水が殴っていたら、里見は魔術で攻撃したかもしれない。そして笑うのだ――正当防衛だと言って。天城の人間ならそれぐらい軽くやる。
それが『天城家』だ。
「………………」
クラス中から厳しい視線を受けながら教室を出ていく里見の背中を、涼都は静かに見つめていた。
*―――――――――――――――――*
「お前あれ先生に当たったらどうする気だったんだ?」
やっと授業から解放され掃除場所に向かう途中で、涼都は東に尋ねた。涼都が飛んでいったシャーペンを見たのはほんの一瞬だが、改めて考ると怖い事実に気がついたのだ。
あれ、里見がとっさに身を引いてなかったら絶対当たってたよな。
もしかしてもしかしなくとも、最初から当てるつもりで投げたのではないか。
暗にそう言った涼都に東はさらりと答える。
「当たった時に考えるよ」
はい、そうですか。
涼都は無言で東から視線を逸らした。やっぱり恐ろしいヤツだな、コイツ。
意外にも打たれ強いのか、里見の事はなかったように普段通りな速水は、その様子に笑みを浮かべる。
「ホントに御厨と設楽って仲いいな。席も隣だし、掃除場所まで同じなんてさ」
それは仲がいいのではなくクジ運が悪いのだ。
東と一緒なのは気にくわないが、もう突っ込まないことにした。
どういう基準で分けたのか知らないが、クラスの半分は教室で残りは資料室である。なぜ資料室を20人で掃除するかは疑問が残るが、行ってみればわかるだろう。
「ここの資料室は相当広いらしいよ」
隣の速水に笑顔を向ける東に涼都はふと思う。最近、この笑顔をうさんくさいと感じてるのは俺だけだろうか。
「へぇーそうなのか? 資料室って言うと小さいイメージだけど」
「まぁ資料室に番号振ってないってことは、資料室が1つだけってことなんだから、広くても納得なんじゃないかな」
もっともらしい東の言葉に速水は『なるほどな』と頷いた。何となく東と速水だけで会話が進行している。その二人が話す内容を右から左に流して、涼都はふと口元を緩めた。
「資料室っていうぐらいだから結構いろいろな古い本とか記録とかありそうだよね」
「いや、俺はそういうのちょっと苦手だな。設楽は楽に読めそうだけど」
「読めるけど、たまによくわからない文字とかあるんだよね」
「やっぱり俺は無理かな」
「涼都なら、そういうのも簡単に読んじゃいそうだよね……って涼都?」
全く会話に参加して来ない涼都を不審に思って東が振り返る。しかし、その時にはもう遅い。
御厨涼都、彼はいつの間にか忽然と姿を消していた。
「……」
沈黙の後、東は深いため息をついてつぶやく。
「涼都、逃げたね」
*―――――――――――――――――*
「まぁ別に掃除が嫌いなわけでもないんだけど」
涼都は一人、廊下を歩きながらつぶやいた。東と速水の注意が向いてないのをいいことにサボったはいいが。
「どこに行こうかな」
涼都は辺りを見回した。出来れば人気のないところがいい。
掃除を抜け出したのは悪い気がしないでもない気がしないでもな――…まぁ、面倒だからソレは横に捨てるとして。
要するに一人で涼都は考えたいことがあったのだ。
(昼は東に邪魔されたからな、今回は誰にも会わずに……)
「おい、御厨」
「…………」
聞かなかったことにして、涼都は構わず足を進めた。
「おい! 無視するな!」
「…………」
「御厨!」
怒りに任せて手首をつかまれ、涼都は仕方なく立ち止まった。振り返れば、不機嫌丸出しな杞憂が涼都を睨み付けている。
涼都は面倒そうに顔をしかめた。
「ワタシ、ニホンゴワカリマセーン」
「張り倒すぞ、貴様」
(やっぱ無理か)
低い声と手首を握る力に、涼都は逃亡を諦めて杞憂に向き直る。
「何だガキ大将、俺様に何か用か?」
「誰がガキ大将だ! 全くもって不愉快なヤツだな」
「そんなに不快なら、わざわざ話しかけんなよ。俺はお前と違って忙しいんだ」
「俺には掃除をサボって放浪してるようにしか見えなかったんだが!」
「目が悪くなったんだろ。じゃ、俺はこれで」
自然にフェードアウトしようとした涼都を、杞憂は慌てて引き留めた。
「待て! 変なヤツとすれ違ったんだ!」
「は?」
思わず、涼都は動きを止めて振り向いた。
(変なヤツって……)
「不審者なら、先生に言えよ。なんで俺に言うワケ?」
「不審者かどうか、そもそもアレは――人だったのか?」
「あ?」
杞憂自身、よくわかっていないらしく、涼都を置いて思考の世界に旅立ってしまった。それにブツブツと自問自答する姿がなんとも不気味だ。
つい、涼都は憐れんだ眼差しを杞憂に向けた。
「杞憂。悪いのは目じゃないな、頭が悪くなったか。それとも、疲れてるのか?」
「頭も悪くなってないし、疲れてもいない! 何で最後だけ妙に優しいんだ?! 何だその可哀想なモノでも見る目は」
「いやいやいや。いきなり呼び止められて未知の物体に遭遇した、なんて言われたら誰でも頭の中身を疑うだろ、引くだろ」
「引くな、戻って来い」
「無理だ。つーか、本当にあんた何しに来たの?」
杞憂は性格に難有りでも、感覚はマトモな人間だと思っていたんだが。とりあえず根本的なところに話を戻した涼都に、杞憂も少しは整理がついたのか思い出すように話し始めた。
「いや、昼休みに誰かとすれ違ったんだが、どうにもそれが変でな。何かゾッとしたんだ」
「怪談話なら他所でやれ」
「違う。そういうんじゃなくてだな、空気みたいな感じだった」
「あ?」
涼都は思いっきり怪訝な表情を浮かべる。
こいつは一体何が言いたいんだ。
「なんというか、アレは……」
ガシャッガッシャン!
ゴッ!
突如、響いた凄まじい音に涼都と杞憂は思わず顔を見合わせた。
音が近い、窓の外だ。
涼都は窓を開けて杞憂共々外を見てみる。
「………………」
杞憂がため息をついた。涼都はとりあえず声をかけてみた。
「灰宮、大丈夫か?」
1階の窓の向こう。外の木の下で、灰宮家の令嬢、灰宮千里が座り込んでいた。
彼女は、何故かその麗しい髪に雑巾を被って呆然と座り込んでいたのであった。