*3.午後の暗雲 ②
『俺が立派な魔術師になれば少しは家の復興にもつながるかもしれないし、こんな事でヘコんでられないよね。たくさん努力して立派な魔術師になるぞ、俺は』
そう言って笑った速水は、照れたようにその場を去った後も、涼都と東の二人に感慨深いものを残していった。
「そうだよな。新入生ってあんな純粋に希望いっぱい夢いっぱいってカンジだよなー」
羞恥からか、そそくさと立ち去る速水を見送った涼都は、ため息混じりにつぶやいた。
「なのにお前ときたら枯れてるよな。希望とか夢とか無さそう」
「君もね」
「いやいや、お前の方が無いだろ、しおれてるだろ。精神年齢とかお坊さん並みに悟り開いてるって」
「そうでもないよ。涼都の方が割り切って生きてそうだし、乾いてるんじゃない?」
「「………………」」
やめよう。なんかすごく不毛だ。
東もそう思ったのかサクッと話題を変えてきた。
「そういえば涼都、一人で考えたいことがあるとか言ってたけどそれはもういいの?」
そういえばそんなことも言ったかもしれない。涼都は苦い表情を浮かべた。
「だから『一人で』って言ってるだろ。もういいよ、お前といたら無理ってわかったから……それより」
改めて東に視線を定めた涼都はやや表情を引き締め、少し声のトーンを落として尋ねた。
「東、あの時殴りかかって来た二年に何をするつもりだった?」
*―――――――――――――――――*
「待て。お前、何をするつもりだ?」
杞憂は思わず口を挟んだ。少々顔がひきつっていたかもしれない。
昼休みも終わろうという時間に、購買に向かおうとした藍田を思わず呼び止めてしまった。
「何って、ご飯買いに行くんですよ。ちょっと食堂で食べた量が少なかったみたいで、まだお腹すいてるかなって」
杞憂は思わず眉を寄せた。先ほど藍田は定食2セットとサイドメニューを3品平らげたばかりである。それがまだ足りないとは、コイツはどんな胃袋を持っているんだ。
「あ、杞憂さんは先に教室に帰って下さいね」
引いている杞憂そっちのけで藍田は嬉々として購買に向かって行く。その背を見送りながら、杞憂はとりあえず、教室に向かって歩きだした。
藍田のことは忘れて、何気なく窓の外を見ながら廊下を歩き、すれ違った人とぶつからないように僅かに横へ逸れる。
その、瞬間。
ゾワッと鳥肌が立って杞憂は振り返った。
本能的に何か、得体の知れないモノを感じた。けれど、そこには昼休みを満喫する生徒だけで、杞憂はその正体をつかみ損ねた。
(今のは、何だ?)
冷や汗をぬぐって杞憂は目を細める。
*―――――――――――――――――*
5限目、武術。
「1限目から数時間しか経ってないのに、何か久しぶりな感じがするな、お前ら」
相変わらずの爽やか笑顔な鳴海の言葉に、涼都はひっそりと頷いた。確かに、すごく久しぶりな気がする。それだけ過ごした数時間が濃かったということだろう。(ミッシェルの授業とか)
鳴海はどこからその活力がくるのか、元気いっぱいで授業を始めた。
「まず俺が受け持つ武術ってのは、錬金術で精製した魔力のこもった武器や道具を使う教科だ」
主に魔器といえば武器系統が多いが、要は魔力がこもれば何だって魔器に分類される。例えばシャーペンに魔力を込めた『物凄い高速で書けるペン』なんて便利用品としても、魔器は使われているってことだ。ちなみに涼都の精製した魔器は主に武器としてしか使ってないが、便利品としても使えなくはない。
鳴海は腰に下げていたチェーンを外して全員に見えるように掲げた。
「魔力のこもったものを魔器と言うんだが、俺の場合はこのチェーンだな」
そうか、あれ魔器だったのか。
涼都は頬杖を付いてアクビを噛み殺した。武術といえば、生徒が自分の魔器を精製するまではただの体育の授業みたいなものである。今日は導入部だから教室だが、次からは校庭か体育館だろう。
涼都はチラリと東に目をやった。それなりに真面目に鳴海の授業を聞いている。
『東、あの時殴りかかって来た二年に何をするつもりだった?』
そう尋ねた涼都に、東はいつもとは少し違う薄い笑みを浮かべた。
『何って――別に、何も』
(別に何もするつもりがなかった、だと?)
追求しなかったものの、それは嘘だろう。あの時、確かに東から異様な空気を感じた。じゃなきゃ、この俺がわざわざ割って入って止めたりしない。
しかしあの東だ。
魔術を使うにしろ、鉄拳制裁にしろ限度はわきまえているはずで、やり過ぎる危険はないだろう。けれど、何故か涼都は止めに入った。頭で考えてのことではない、直感的に何かを察知して体が勝手に動いたのだ。
「…………」
しばらく東を見て、涼都は視線を前に戻した。
まぁ、どうでもいいや。
息をついて、涼都は窓の外に目を向ける。
(一雨来そうだな)
真っ黒な雨雲が空を覆っていた。
*―――――――――――――――――*
時間は決して途絶えることなく流れるものだが、ついその時間が来てほしくないと思うことは人間よくあることである。まさに今の鳴海がソレだった。
この5限が終われば次は里見の授業だと、内心うかない気持ちでいるうちに自分の授業が終わってしまった。
(里見先生、決して悪い人じゃないんだろうけど)
どうも鳴海は苦手だ。
言動が厳しすぎる上に、笑顔らしい笑顔すら見たことがない。思わず『俺のこと嫌いですか』と尋ねたことがある鳴海である。その返事もちょっと古傷なので、鳴海はあえて脳内の回想を中止した。
荻村が言う通り、恐らく里見も御厨も恐ろしく反りが合わない。しかも二人の性格からして衝突したら崩壊するまで止まらずにいってしまいそうだ。
鳴海は普段通りの表情を心がけて、御厨の席に向かった。休み時間に入った教室で『次の先生こそは』と男子生徒が泣く中、御厨は隣の設楽と何やら話している。
「東。そこはこの公式を当てはめた方が……いや、間違ってはないが効率悪いぞ」
「あぁ、そうか。じゃここはこの式を使った方がいいのかな?」
「そうだな。そっちの方が効率いいから速いし、派手で効果的だろ」
「でも俺はあえてこっちの効率悪くて効果が遅い魔術式の方がいいと思うよ。だって……」
(お、休み時間も二人で勉強なんてホントに仲がい――)
「呪いは知らない内にじわじわと蝕ませた方が、楽しいじゃない?」
(…………………)
鳴海は思わずフリーズした。何か、聞いてはいけないことを聞いた気がする。
一方、御厨は平然としてシャーペン片手に頬杖をついた。
「…まぁな。死んだ方が楽なぐらいの生き地獄を味わせるのが呪いの醍醐味だ。だが目の前で派手に血みどろで苦しむ姿を見るのも――」
「み、御厨! 今の授業は寝てなかったじゃねぇか。どうかしたのか?」
怖い会話を繰り広げる教え子二人に、鳴海は思わず割って入った。とりあえず、今の会話は聞かなかったことにする。怖いから。
「今の言い方だと授業中に寝てた方が普通なわけ?」
言いながら、御厨はシャーペンを筆箱に放り投げると呆れたように鳴海を見上げる。その普段通りの態度にホッとして、鳴海は取り繕うように乾いた笑い声を上げた。
「ハハハ、いや、何だか御厨の顔色がよくない気がしてな。具合が悪いなら次の時間は保健室で寝てていいぞ」
何となく誤魔化す代わりに提案した鳴海に、御厨は苦笑をもらした。
「俺はいたって健康だよ。気のせいだろ」
まぁ、そうだろう。鳴海とて本気で言ってはいない。
「どちらかと言えば鳴海先生の方が顔色悪いですよ。大丈夫ですか?」
穏やかな口調と笑顔の設楽に、鳴海は曖昧に頷いて顔を引きつらせた。さっきの発言と全く同じ口調と笑顔で言われると、なんか怖い。
(言うこと言ってサッサと引き上げるか)
鳴海はとりあえず魔術で黒板消しを窓の外で叩かせながら、ちらっと御厨を見た。
「あー……御厨」
「何?」
不審そうに眉を寄せた御厨に、鳴海はやや声を落とす。
「とにかく次の歴史はおとなしくして絶対に寝るなよ? それと」
無駄に御厨を不安にさせてはマズイ、そう思って鳴海は明るくいつもの笑顔で言ってやる。
「怪我しないように気をつけろよ」
「…………え」
「鳴海先生、そんなに忠告しなきゃいけない程、危ない授業なんですか」
失敗した。こんな笑顔で言うことじゃなかった。
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「げほっ……ごほ」
盛大に、荻村はむせた。
周りは白い粉が飛び散らかり、もうもうと煙みたいになっている。そこからすぐに脱出した荻村だが、多少それを吸ってしまったらしい。真っ白になった頭や服を叩きながら荻村は舌打ちした。
「なんだよ。何で黒板消しの粉が上から降ってくるんだ?」
荻村はたまたま、校舎沿いに外を歩いていただけである。そこでタイミングよく黒板消しの粉が降ってきたわけだ。アンラッキーにも程がある。
校舎の廊下に戻って、荻村は唸るようにつぶやく。
「まったく、一体誰が……」
「気になるな。次は空き時間だし、少しぐらい様子でも」
奥から鳴海が歩いてくるのが見えた。
そこで荻村はふと気づく。あの黒板消しの粉が降ってきた窓はどのクラスか、そのクラスに先ほど授業に入っていた教師は誰か。
荻村は鳴海に駆け寄ってその胸ぐらをひっつかんだ。
「うわっ?! あれ、荻む……」
「全部てめぇの仕業か、鳴海」
「え? え、ちょ……なんのこと?」
混乱する鳴海に荻村は冷たい目で睨み付ける。
「覚悟しろ」
「―――――え?」
この後、某教師Nの断末魔が聞こえたとか、聞こえなかったとか。




