*3.午後の暗雲 ①
前章の話:午前中授業、お昼モメゴト。『このブラックカードが目に入らぬかぁー』
昼食時に活気づく食堂の喧騒に紛れ、灰宮はため息をついてカップを置いた。
(結局、また助けられたわね)
あの後、周りがフリーズしている間に
『あっ! そうだ。コレ、ちゃんと片付けとけよ――お前らがひっくり返したんだからな』
ニヤリと、どちらが悪役なのか分からない笑みを浮かべ、颯爽と去っていった彼に、上級生達は呆気に取られて何も反論しなかった。
その後、涼都と入れ替わるように騒ぎに駆けつけた美化委員が、逃げ遅れた上級生をひっつかんで、強制的に掃除をさせて今に至る。逃亡のタイミングを図る先輩と、それを圧力たっぷりに監視する美化委員の構図を横目に、灰宮は涼都の姿を思い浮かべた。
彼はまた、下手すれば大事になり得た事態をアッサリと収拾させてしまった。しかも、杞憂の時と同様に全く血を流さずに。
「カッコよかったよね、さっきの人。まさに正義のヒーローって感じ」
その場面でも思い起こしているのか、箸を持ったまま希緒はあらぬ方向を見てうっとりとしている。あの涼都の悪人めいた笑みと暴論で正義のヒーローとは、なかなかに厳しいものがある気がするが。
希緒をまじまじと見る灰宮の向かいで、遠子はチャーハンをレンゲですくいながら希緒に視線を投げる。
「正義の味方かどうかはおいといて、ブラックカードとか何かの冗談かと思ったわ。今年度の最高ランクは設楽家って聞いてたけど違うようね……古代魔術使えるなんて、あいつマジで何者?」
遠子の言葉に、灰宮は内心で頷いた。今期はすごいのがいるらしいと朝から噂されていたが、まさかそれが涼都でしかもブラックカードとは。
最初見た時は、灰宮とて信じられずに凝視してしまった。
(でも、納得も出来るのよね。涼都さんなら、なんだって使いこなしそうだもの。ただ)
彼が何者か。普通の一般的なものではないことが確かになった気がして、灰宮は気が重くなった。
しかし、遠子の指摘に希緒は同意を得たと感じたらしい。
「でしょ?! 遠子ちゃんもカッコいいと思ったよね!」
「いや私はカードの色が気になr」
「1年だったよねぇー何組の誰かな? 一緒にいた人は設楽家の人だよね! あの人もカッコよかったぁ!」
かなりのミーハーらしい希緒は、目を輝かせている。そんな興奮冷めやらぬ様子の希緒に、灰宮は口を開いた。
「あの黒髪美人が御厨涼都さん、一緒にいた明るい茶髪の人は希緒の言った通り、設楽東さんよ。2人ともA組だわ」
「千里、あんた知ってんの?」
驚いた表情で灰宮を見た遠子に頷くと、希緒は隣で首を傾げている。
「みくりや……ってどんな漢字?」
確かにあれは難読漢字といっていい。灰宮は持っていた手帳に漢字を書いて希緒に見せながら、遠子の質問に答えた。
「設楽家とは四大一門同士いろいろ交流があるから、昔から知り合いなのよ。涼都さんには、入学式の日に助けてもらった事があって」
「へぇー……そんな知り合って間もないのに『涼都さん』呼びなんだ?」
にやっとからかうように笑った遠子に、灰宮は思わず固まった。
何か、あらぬ誤解をされた気がする。慌てて灰宮は訂正をいれた。
「違うわよ? そういうのではなくて……ただ」
「ただ?」
ただ、名字で呼ぶことに抵抗があったのだ。初めて会った、そのはずなのに。
何故か『御厨』は彼の名前じゃない気がして――
「どうしてかな」
「いや、私がアンタに訊いてんだけど」
*─────────────────*
「これでブラックカードをもった1年生がいるって一気に知れ渡っちゃうね」
そう言う東の目は細められていて内心笑っているのがよくわかる。完全に面白がってるよ、コイツ。
「誰のせいだよ、誰の」
「バラしたのは涼都なんだから、君のせいなんじゃない?」
「ふーん? じゃあ、こんな誰もいない屋上で昼飯食べる原因つくったのは誰だよ」
そうなのだ。
あの後、『美化委員』の腕章を付けた先輩達が乗り込んでくるのが見えたので、どさくさに紛れて食堂を抜け出した――のはいいが。今更食堂に戻る訳にいかなくなった2人は結局、購買で昼食を買って誰もいない屋上に来たのだ。だというのに、元凶の東はというと、涼しい顔でさも平然とのたまった。
「誰のせいって、それはトレーごと昼食投げた俺のせいだけど」
「あのな、おま――」
『お前はもっと申し訳なさそうな顔したほうがいいと思うぞ(俺に対して)』
そう言おうとした涼都の言葉は、半分も言えないうちに遮られた。
否、ガンッという鈍い音に遮らざるをえなくなった。
「いったぁ!」
いきなり頭に激痛が走ったかと思えば、涼都は勢いよく前に押し出された。どうやら屋上のドアが開いたらしい。
そりゃドアにもたれかかっていた俺は、ドアに頭をぶつけて前に飛ぶしかないな。
「~~~っっ!」
もんどりうつような激痛に、人が来ないと見越してドアにもたれかかったことを涼都は本気で後悔した。
「あー……」
東が何とも言えない表情を浮かべている。
素直に面白がっていいものか悩んでいるらしいが……つーか、コイツ少しは人のこと心配しろよ!
「誰だ、いきなり開けたのは!」
「ごめん!」
即座に謝ったのはもちろんドアを開けた少年で、左頬にガーゼを貼った彼は、まさしく先ほどの騒ぎの被害者であった。その姿に見覚えのあった涼都は、驚きから声をあげる。
「速水!」
速水 勇揮。彼はA組のクラスメートで、涼都の前の席である。
(そうか。あの騒ぎで絡まれてたヤツって速水だったのか。後ろの灰宮達は全然見てなかったから気づかなかったぜ)
「やぁ速水じゃない。さっきは大丈夫だった?」
そう言った東は、さっきの騒ぎから速水だと知っていたのだろう。東の行動に気を取られて気づくに気づけなかったのは涼都だけか。
速水は改めて涼都と東に笑いかけた。
「いや、なんか助けてもらっちゃったし。お礼言おうかなと思ってさ」
そう言った速水は、少し照れているようにも見えた。
涼都も速水とは話したことがあるが、人なつっこい笑顔がだいぶ印象的で、普通の高校生と言える少年だった。
少なくとも、先輩に昼食を投げつけて笑顔な図太い神経の東や、自分の家柄を自慢して偉そうにしている貴族少年でもない。
いたって常識のある少年だ。
そんな常識人の速水は持っていた袋を差し出し、提案した。
「という訳で、飲み物とお菓子買ってきたんだけど。一緒に食べない?」
この少年はよく世渡りというのをわかっているな。涼都は思わず拍手したくなった。あまりにも東と違い過ぎて。
「ナイス、速水」
「ありがとう」
それに、速水はやはり人なつっこい笑みを浮かべたのだった。
*─────────────────*
「俺いまいち状況わかんなかったんだけど、あれは一体どういう事態だったわけ?」
涼都は中央に広げられた菓子をつまみながら尋ねた。
事態を収めた割に涼都がわかっていることといえば、東が昼食ごとトレーを投げつけた事と、速水と灰宮がいた事くらいだ。
「あの先輩たちに絡まれちゃって」
そう言った速水の苦笑は、どこか悲しげだった。速水は続ける。まるで独白でもするかのように。
「俺の家柄はさ。昔は結構よかったみたいなんだけど今は没落しちゃってて。いわゆる没落貴族ってもんかな?」
それは涼都も知っていた。教育係兼世話係が、社交界に出た時に恥をかかないようにと、名家や周辺の知識は常に頭に叩きこませたからだ。あの名前が呪文に思える長い苦痛の時を、俺は忘れない。
「速水と言ったら没落の代名詞。オマケに速水の人間は魔術の才能ある人材が不作でさ。それで先輩たちにも『魔術で貢献できないならせめて先輩くらいには貢献しろよ』ってたかられちゃったんだ」
悔しそうに唇を噛んだ速水に、東は穏やかな笑顔で慰めるように言う。
「家柄で人を決めつけちゃう人間ってたいてい後でろくな死に方しないから安心しなよ」
「「……………」」
どこをどう安心しろと?
正直、激しく同意しかねるが涼都は一応頷いた。
「そうだ、安心しとけ。それにお前は幸運だぞ」
「え?」
「人の力量もわからないような無能のバカ共を実力で叩き潰すことが出来る」
「は?」
「身の程知らずのアホを蹴落とす瞬間は最高だぞ。かなり笑える上にスッキリする。それを味わえる立場にいるんだ、良いことだろ? 文句言うヤツはひねり潰せ」
「ひねりつぶ……」
思わずか、沈黙した速水に東が笑顔を引っ込める。
「君ってたまに発言怖いよね」
お前に言われたくない。
俺様の有り難い言葉に速水はちょっと笑って頷いた。
「ハハハ、そうだな。安心しとくよ」
とりあえず突っ込まずに流すことにしたらしい。しきりに頷きながら、自分に言い聞かせるように言う。
「うん。だからさ、俺が立派な魔術師になれば少しは家の復興にもつながるかもしれないし、こんな事でヘコんでられないよね。たくさん努力して立派な魔術師になるぞ、俺は」
そこで現実に返って速水はハッとした。
「って何語ってんだろ、俺。今のは軽く流してくれよ」
照れたのか、速水はやっぱり人懐っこい笑顔を、涼都達に向けたのだった。




