*2.愛と美の神、降臨 ⑥
えいやーと、トレーごと他人の昼飯を投げた東の『大丈夫、大丈夫』といった余裕のある態度に、涼都は深いため息をついた。
「だいたい『大丈夫』って絶対大丈夫じゃないだろ」
涼都は額を押さえて思わず天を仰いだ。
「完全に、昼飯が大丈夫じゃないだろーが。これで食いっぱぐれたらどう責任とんだ」
「…………ん?」
「…………あぁ?」
「え、いや。え? 涼都はそっちなの? さっきから投げた昼食の中身を心配してたの?」
「それだけじゃねーよ」
涼都はムッとして答えた。
「昼飯かかったヤツらからクリーニング代とか慰謝料とか治療費請求されたらどう話つけるかも一応、心配してるぜ? あ、もちろん俺は払う気ねぇけど」
「要するに、うどんとビビンバかかった人自体は心配してないんだね」
涼都は鼻で笑った。
「当たり前だ。何でこの俺様が、見ず知らずの馬鹿を心配しなきゃいけねぇんだよ」
「うん、いいよ。そういうところ涼都らしい」
東は心の底から納得したみたいな顔で何度も頷いている。
(投げられるようなことしたヤツらが悪い)
涼都が騒ぎの中心へ視線を戻すと、やはりスゴい騒ぎになっている。
「あっち!」
「んだこれ!?」
「あっつ! なんか熱い汁かぶったあぁぁっ!」
などなどの叫び声が絶えず上がっている。いや、悲鳴に近いか。
トレー、いや、むしろ中身に命中したであろう人々は、とにかく熱い熱いと叫びまわっていた。涼都はそれを東と同様無言で見つめる。
「………………」
この、なんとも言えない哀れな感じ。さすがにちょっとだけ同情した涼都だった。
悲鳴に近い叫びが今では怒鳴り声に変わりつつあるが、涼都はほとんど流している。
「誰だ!? こんな熱いやつトレーごとぶん投げたのは!」
「投げたやつ出てこいっ!」
「クリーニング代支払わせてやる!」
驚くほど予想通りの反応だった。
(さて、逃げるか、行くのか)
涼都は、悠然と微笑む東をチラリと盗み見た。
投げた張本人の東がどう出るつもりかは知らないが、行くなら付き合いたくない。しかし、東は涼都へにっこりと笑いかけてくる。
瞬時に、涼都は悟った。
涼都が逃亡を図るのと、東が手首をつかむのは同時だった。そして涼都が抵抗する前に東は手首をつかんだまま、上に掲げた。まるでボクシングの勝者のように。
そして、高らかに言うのだ。
「はーい。僕達がやりました」
「――――――――――」
っておおぉぉい!!
涼都は慌てて手を降ろした。
「待て待てっ! お前がやったんだろが! なんで俺も?!」
「いいじゃない。その場のノリで」
「よくない! 全然よくない!」
というか、ノリでこんなことに巻き込まれたくない。
涼都はそのまま教室までUターンしかけたが、残念ながら手首を東がつかんだままである。
「ちょっ――おい!?」
東は嫌がる涼都を引っ張りつつ、人ごみを掻き分けながら歩いて行った。もちろん、騒ぎの中心へと。
(うわぁぁー)
着いた瞬間、涼都は僅かに眉を寄せて辺りを見回した。散らばった昼食だったモノが、事態の悲惨さを物語っている。騒いでいた上級生達はうどんの汁まみれ、ビビンバのシミがついた制服で威厳の欠片もなかった。
涼都はため息をつく。
(なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけねぇんだよ――あれ?)
上級生達とは反対側の生徒の中に見知った姿を見つけて涼都は目をみはった。
(灰宮じゃねぇか)
それは紛れもなく昨日会ったばかりのお嬢様で、静かなたたずまいはこんな状況でも相変わらず凛としている。その灰宮は、いきなり乱入してきた涼都と東を見て驚いた表情を浮かべていた。
「りょ――」
思わず呼びかけようとした灰宮に、涼都はさりげなく人差し指を唇に当てて笑いかけた。『黙ってろ』の合図に、灰宮はさっと口をつぐんで不思議そうな表情を浮かべる。
涼都は灰宮から視線を外して嘆息した。
入学式から今日まで毎日灰宮には会っている気がするが、どうしてこういつもいつも騒ぎの中心にいるのだろうか。
(入学式では電車内で杞憂騒ぎだろ、次の日は杞憂の喧嘩の仲裁に昨日は先輩に絡まれてて、今日はコレだ)
災難に好かれる質なのか。
東も昨日灰宮が先輩から絡まれていたのを知っているからか、苦笑を浮かべている。その顔にはありありと『本当によく絡まれるよね』と心の声がもれていた。
その苦笑にムッときたのか、命中されたかなり哀れな上級生達は怒鳴り散らす。
「何だ、お前ら!」
「いきなり現れやがって正義の味方気取りか、あぁ?」
まだノリのきいた新しい制服にIの学年章。乱入して来た、どう見ても新入生の二人に上級生達は口の端を上げて嫌な笑みを浮かべる。
(新しいカモ発見って感じだな)
涼都が冷たい目で嘆息する間にも、相手は勝手にヒートアップしていった。
「どーすんだ、この制服!」
「ヤケド負ったじゃねぇか! 医療費出せよ」
「昼飯投げつけておいてタダで済むと思うなよ? 全員のクリーニング代払ってもらうからな!」
(あーグダグダうるせぇ)
涼都は不快感丸出しで眉をひそめた。というか、この典型的な要求に、デジャブを感じる。入学式あたりに。
散々な要求の数々を聞き終えた東は、心底、不思議そうに首を傾げた。
「投げつけた……? 昼食を?」
なぜ疑問形? なんで倒置法?
涼都は思わず上級生とそろってけげんな表情を浮かべた。
「いや、お前が投げたんだろ!」
「今さら知らないふりしたって無駄だぜ!」
確かに、今になって『え、別にやってないけど?』発言はキツイ。しかしながら、ヤツはその発想の斜め上にいっていた。
平然として笑う。
「嫌だなぁ、投げつけたなんて人聞きの悪い。あれはですね、そう、手が滑っただけです。ただ落下地点にあなた方が出くわしただけで」
「………………」
なんてことだ。
あんなに思いっきりやっておいて手が滑ったで済まそうというのか。
(恐ろしいヤツだな。まぁ、考え方は悪くはねぇけどよ)
「はぁ?」
「そんなワケねぇーだろうが」
「思いっきりぶつける気満々だったぜ」
俺も、そう思う。
しかし口々に文句を言って顔をしかめた上級生に、東は堂々とのたまった。
「だから言ってるじゃないですか。手が滑ったって」
すっとぼけた笑顔で、軽く首を傾げる。
「それとも――理解出来なかったなら、もう一度繰り返しましょうか?」
「っ! てめぇ」
とうとう、沸点を越えた上級生の一人が、東につかみかかった。振り上げられた拳に、今まで成り行きを見守っていた周りは騒然となる。
俺としては、そのまま一発ぶん殴ってくれりゃいいんだが。
涼都は舌打ちして、踏み込んだ。東が動くよりも早く二人の間に滑り込むと、手のひらで拳を受け止める。受けた拳の鈍い音に顔をしかめたのは上級生の方だった。
涼都は意地の悪い笑みで拳をつかんだまま、放さない。
「やめとけ。どー見てもアンタらが悪い」
「な、何を根拠に」
涼都に握られミシミシと不吉な音を立て始めた拳に恐怖を感じたのか、アッサリと上級生は身を引いた。
涼都は腕を組んで、東を見やる。
「コイツが投げたのがわざとだろうが故意だろうが関係ねぇ」
「ねぇ、ソレどっちも結局わざとじゃない? かばう気ないでしょ」
当たり前だ。
突っ込む東を綺麗に流して、涼都はニヤリと笑む。雰囲気に圧されてたじろぐ周りに、涼都はさも当然のように言い放った。
「要するに飛んできたものをキャッチ出来なかったお前らが悪いんだろ?」
「「………………」」
一瞬にして周りが静まりかえる。
呆然とする上級生に、涼都は軽く肩をすくめてたたみかけた。
「だってそうだろ。例え殺気満々で叩きつけられようが、こぼれないようにお前らが、上手くキャッチすりゃそこで済む話だ。それが出来ないからって文句言うなよな」
そこで言葉を切って、俺はビシッと言ってやる。
「自分の実力不足を人のせいにすんじゃねーよ」
なかなかに有り難いオレ様の言葉だ。というのに、周囲の反応は薄い。肩を叩かれて振り向けば、何故か笑顔が消えた東がいる。
「君ね、それは暴論だよ」
手が滑ったなどと笑顔で主張するヤツに言われたくない。
「俺様の御言葉にケチ付けるつもりか。見ろ、ヤツら感動のあまり震えてるだろ」
「違う、違うよ。怒りで震えてるだけだって」
改めて視線を上級生に戻すと、確かに雰囲気がヤバい気がする。
まぁ、俺とて本気で感動しているとは思っていないが、予想以上に挑発してしまったらしい。
「一年が調子乗ってんじゃねぇよ!」
今度こそマジ切れで殴りかかって来た。何故だ?
迫り来る上級生に東は涼都に逃げるよう制服の袖を引っ張って合図する。しかし、涼都は逃げるどころか面白くなさそうに嘆息するだけだ。そして。
次の瞬間には、自分のカードを相手の鼻先に突きつけていた。
「ブ、ブラックカード?!」
驚愕して固まる相手に、涼都は不敵に笑う。
「悪いけど俺、格下は相手にしないから」




