*2.愛と美の神、降臨 ④
(何言ってんだ、こいつ)
正直、涼都は我が耳を疑った。しかし、聞き間違いではないらしい。
我が薬草学担当教師は、うっとりして言った。
「私のあまりの美しさに驚いて声も出ないようだね。みんなの『なんて美しい人なんだ』という尊敬の視線が痛いくらいだよ」
違う! 絶対に違うから!『何言いだすんだ』っていう怯えた視線だから!
涼都はあまりの言いように顔を引きつらせた。
(こいつ俗に言うナルシストってやつか?)
それも重度の。
涼都は改めてその先生を見た。確かに顔立ちはすごく整っているし、綺麗な造りで美しいのは美しい。しかし、その言動にはうすら寒いものを感じる。
彼は上機嫌で何か言い出した。
「ん? なに? 一体どうしたら私のように美しくなれるか教えて欲しいのかい?」
誰もそんなこと訊いてねぇよ。
「あぁ、私の名前を言っていなかったね。私はこのクラスの薬草学担当のミッシェルだ。愛と美の神と呼びなさい」
学園長おぉぉぉ! この先生今すぐ変えてください! いや社会的に抹消したほうがいい!
なにが愛と美の神だ! 頭でも打ったんじゃないのか、こいつ。
涼都は思わず額を押さえた。なんか頭痛くなってきたかもしれない。
(印象濃すぎて一生忘れられなさそうだ)
東は、ようやくいつもの笑顔を取り戻したようだが、所々引きつっている。A組の面々はどう対応していいかわからないらしい。俺もわからない。そんな戸惑う生徒達を、ミッシェルは鼻歌混じりに笑って見回していた。
(なんか不気味だな)
涼都はチラッとミッシェルに視線を投げる、その瞬間。
(げ、目合っちまった)
ふと、ほんの一瞬目が合った、それだけだ。それだけなのにミッシェルはひどく驚いたように涼都を凝視した。先ほどまでうっとりして自画自賛していた時とは真逆に、心底驚愕した表情に変わる、が。それも一瞬のことで、すぐに元に戻る。
そうしてミッシェルは涼都をしばらく見つめると、突然カッと目を見開いたのだ。素直に怖い。しかも何を思い立ったのか、涼都の席までカッカッと勢いよく歩いてきた。
涼都の中で本能的に力の限り逃げろと警鐘が鳴るが、なんとか思いとどまる。
(ここで逃げて追ってきたらホラーだしな)
まぁ笑顔でミッシェルが自分に向かって歩いて来る今の状況も十分怖いんだが。とりあえず二度と目が合わないように窓に視線をそらした涼都に、ミッシェルはいきなり涼都の肩をつかんできた。
「君!」
「はい!」
あ、『はい』なんて言っちゃった。
ミッシェルの迫力に圧されていい返事をしてしまったではないか。
(つーか、やっぱり逃げた方がよくないか?)
さすがに逃亡を考え始めた涼都に、ミッシェルはずいっと顔を近づけた。
「……あの、顔近いんだけど」
後ずさろうとしたが残念にも後ろは机だ、下がれない。とにかく視線だけはミッシェルに合わせない涼都に彼はポツリとつぶやいた。
「美しい」
ぞわっ
全身に鳥肌がたつと同時、涼都は思わずガタッと席から飛び退いた。席に座っている場合じゃない。何かスゴい危険な発言を聞いた気がする。
「――――……は?」
ミッシェルから距離を取って、涼都は何とかそれだけ絞り出した。対して、ミッシェルは感動したらしく、涼都を見ながら何か叫び出している。
「美しい! 私以外にこんな美しい容姿の人間がいたなんて!」
あーヤバい。もうついていけない。
距離はそのまま、心はだんだん遠い所へ引いていく涼都に、ミッシェルは満面の笑みを向けた。
「君は美しい! 稀に見るオーラの持ち主だ」
オーラ?
「よって君は私が恋愛と美の女神と名付けよう!」
(恋愛と美のめが……)
「今なんて?」
涼都は聞き間違いを心の底から全身全霊で祈った。しかしそれは一瞬で崩される。
「恋愛と美の女神だよ。君にぴった――」
「りじゃねぇよ! 何勝手に名付けてるわけ? 誰が女神? 俺は男だ!」
涼都は猛然と抗議した。
冗談じゃない。何が悲しくて、こんなわけのわからないヤツにそんな意味不明な名前をつけられなきゃならないのか。
涼都の至って正当な言葉にミッシェルはなぜか青ざめてふらついた。
「この私からの命名を断るなんて……信じられない。君、頭は大丈夫か!?」
「お前が大丈夫かぁあぁああぁ!」
ショックだ。まさかミッシェルから頭の正気を疑われるとは。
涼都が思いっきり顔をしかめると、ミッシェルはこの世の終わりみたいに嘆いている。嘆きたいのは俺だ。
「私からの命名は名誉なことだよ。みんなから尊敬の眼差しを向けられること間違いなしだ」
「どこが名誉? 明らかにイジメのきっかけになるっつーの!」
「だいたいなぁ、あんた本当にそんなんで教師つとまるワケ!?」
「あ、蝶々が飛んでる」
「人の話聞けや!」
涼都は盛大に突っ込んだが、ミッシェルはまるで聞いてない。つい先ほどまで涼都と(一応)会話していたのに、今では窓から入ってきた蝶々をうっとり眺めている。
本当に何なんだ、コイツ。
「蝶々か。華麗でいて荘厳で……まるで私のようだ」
内容は大いに問題だが、触れない方がいいだろう。
(とりあえず俺から注意がそれたからいいや)
涼都は静かに席に戻ると、ぐったりとうなだれた。なんかめちゃくちゃ疲れた。クラスメイトから『よく頑張った』という同情のこもった視線を受けながら、涼都はため息をつく、と。
「一つ提案なんだけどさ」
わりと真剣な東の声に涼都は視線だけ隣に向けた。すると東は見たこともない程の真顔で涼都に言うのだ。
「俺達じゃ話通じないからさ。君がミッシェルの話し相手(通訳)になるというのはどうだろう?」
「てめぇ本気で殴りとばすぞ」
まともに東の話を聞いた俺が馬鹿だった。
*―――――――――――――――――*
初授業の半分を終え、やっと訪れた昼休み。
桜華の高等部には売店やカフェテリアが二ヶ所、大きな食堂が一ヶ所存在する。特に食堂は講堂並みに広い上に、ぎっしりテーブルとイスがあるが、天井が高いせいか圧迫感はない。
天井から下がる照明、テーブル、イスはどれも凝った造りでおそらくどこかのブランドであろうと思われる。
そんな食堂の壁際のテーブルへ、灰宮はトレーを持って戻って来た。
「あ、おかえり。千里ちゃん、ここのご飯おいしいよ!」
そう言って顔を上げたのは、灰宮の向かいに座る少女である。
亜山 希緒。身長143cmという小柄さと、大きくパッチリした目の童顔。あまり長くない髪をツインテールにしているためか、小学生にしか見えないのだが灰宮と同い年、同じクラスである。そんな希緒は、灰宮に不思議そうな表情を向けた。
「あれ、遠子ちゃんは?」
「ランチが出来るまで待ってるみたい」
灰宮は苦笑混じりに答えた。
遠子というのは希緒と同じく、四大一門である『灰宮』をあまり意識せず付き合ってくれている、もう一人の友達である。
「でもランチって何ランチだろ。遠子ちゃんってベジタリアンっぽくない?」
その希緒の言葉に灰宮は思わず遠子の姿を思い浮かべる、と。
「何してんのよ! あんたら先輩のくせに後輩いじめるわけ!?」
その当の本人、山溝 遠子の声が聞こえてきて、灰宮と希緒は思わず顔を見合わせた。
「どうしたのかしら」
灰宮はそう言いながら声の聞こえてきた方を見るが、人だかりでよく見えない。しかし何かよくない雰囲気はヒシヒシと感じた。
希緒もその空気を感じ取ったのだろう。素早く席を立つと、灰宮の手をひっつかんで歩き出した。
「行こう!」
真剣な顔の希緒に灰宮も頷いて人だかりに向かう。だが、あまりにも野次馬は多かった。
(希緒は無理ね)
灰宮ならまだしも、この満員電車内みたいな中を、小柄な希緒が進むのはさすがに辛いだろう。希緒も無理だと思ったのか、唖然として自分の前に広がる人(もはや壁)を凝視している。
「希緒はここで待っていて」
「え、でも」
反論される前に、灰宮は柔らかく微笑んで人だかりの中へ滑り込んで行った。
*―――――――――――――――――*
場所は食堂。
ランチタイムで大勢の人がそれはそれは楽しそうに過ごす中、ため息がひとつ。
涼都は心底、迷惑そうに隣を睨みつけた。
「なんで俺がお前と一緒に昼飯食わなきゃなんないの? 俺、一人で考えたいことあるって言ったよな?」
実際、迷惑している。だというのに、東は何が面白いのか楽しいのか、笑顔全開で涼都を見た。
「言ってたね。でも考え事といっても、昼ご飯は食べるわけだし、一緒に食べたっていいじゃないか。俺、邪魔しないからさ」
よくない。
(こいつがいると気が散るんだよな)
それならそうと、ここで東を置いて行けばいいのだが。残念ながら東のトレーにまとめて涼都の分も乗っているので、それも無理なのである。
(ま、手ぶらだからいいか)
やれることはやってもらう、貰えるものはもらっておく。楽が出来るなら、まぁどうでもいいわ。
案外、ざっくりとした性分の涼都は、早めに割り切ったのだった。




