*2.愛と美の神、降臨 ③
結局、自己紹介と魔術の基本的な教えがあった。そんな1限目だったからだろうか。
涼都は授業が終わるチャイムを聞くと同時に机に突っ伏した。とにかく眠い。特別、夜更かしをしているわけでもないのだが、これは退屈からくる眠気なのだろうか。2限からは起きていられる自信がなかった。
そんな涼都に歩みよってきたのは荻村だ。
「御厨。すごく嫌な予感がするんだが、もしかしなくともお前はそうやって授業を受けていく気なのか?」
「寝不足なんで。起きる努力はするから」
机に突っ伏したままの涼都に荻村は舌打ちした。
「別に次の俺の授業くらいは寝ててもいいがな……今日の6限目は起きて、目立つようなことはするんじゃねぇぞ」
なんで6限目?と涼都はわずかに顔を上げ、疑問に満ちた目を向けたが
(まぁ本日最後の授業くらいはマジメにやれってことかな)
と勝手に解釈する。
一年生の一学期は魔術教科が6教科しかないので授業も6限しかないというのが、せめてもの救いだ。
涼都は机に突っ伏したまま、羊を数える代わりに残りの授業時間をカウントしていった。
――――で。
気がついたら見事に2限目、荻村の錬金術の授業が終わっていたわけで。
「…………あーぁ」
本当に寝ちゃったよ。
全く記憶のなかった涼都は、授業がどこまで進んだのか前の黒板を見た。すると、意外にもキレイな角張った字で黒板が埋められている。授業中だろうとお構い無しにタバコは吸う面倒くさがりだが、授業はマジメにやるみたいだ。
(いや、教師だから授業を真面目にするのは当たり前か)
前でそれを日直の2人(たぶん出席番号の1と2の人)がせっせと消していた。まぁ内容は涼都にとって基礎もいいところなものだったので、寝てても心配はいらないが。この調子で1日過ごしたら、いくらなんでもヤバそうだ。
ふと、隣を見ると東が意味深に微笑んで涼都を見ている。
『授業中に事故に見せかけて先生に殺されちゃった人いたから』
居眠りしていては確かに殺意を持たれても文句は言えないかもしれない。
次は寝ないようにしよう。
そう自分に言い聞かせて涼都は次の授業にのぞんだ。
3限目、魔学。それに涼都はため息が出た。
魔学は魔術の基本概念や仕組みをとことん追求し、数学的な要素も入ってくる教科である。明らかに眠くなりそうな内容だ。果たして涼都は起きていられるのか。
始まりのチャイムを聞きながら、涼都が眠気覚ましに頬を引っ張っていると、担当教師が入ってきた。まだ若い青年である。
先ほどの賭けは中止になったものの願望は消えないらしく、男子は一様に肩を落としていた。反対に、女子は嬉しそうにざわめいている。
その男性教師は、驚くほど端正な顔立ちをした美形だった。男らしい精悍なイケメンというよりも、美しい系の顔立ちの美形だ。東とは趣が異なるが、王子顔に分類されるだろう。
荻村や鳴海よりかは年上だろうが、27前後といったところだろう。その整った顔に浮かぶ表情は全くの無表情で、茶色がかった髪が、さらりと揺れる。
しかし、美形は美形でも男だ。女子ほど、たいした興味も持てない涼都は、ぼんやりと眺めていた。私服の鳴海とは逆に、しっかりスーツを着ている彼は無表情のまま、無感動に告げた。
「これから魔学を担当する京極だ。特に自己紹介することもないので、早速だが授業に移らせてもらう」
と告げて、本当にサッサと授業に入ってしまった。
「教科書の3ページを開いて下さい。5行目の──」
淡々と進めていく京極に、女子は熱い視線を送っている。それにた対し、涼都は教科書を開きながら、感心した視線を送った。
(なんか新鮮だな)
今まで見てきた教師と言えば、いつもボサボサ頭で授業中でもお構いなしにタバコを吸い、面倒くさいかどうかで世界が構成されている教師か、若者ファッションにチェーンで金髪ピアス、兄貴な性格の教師くらいだ。2人ともマトモとはいいがたい。
そんな中、若いにしても落ち着いていて教師らしい教師の京極は、新鮮としか言いようがなかった。
あぁちゃんとしたマトモな人いたんだ。
涼都はどこか安心した気分で京極の授業を聞いていた。
*─────────────────*
あぁ、泣いている。
横たわる体に迫る、ちりちりと焼かれるような熱さに、炎に包まれていると知る。紅蓮の炎が見慣れた木の天井を嘗めるように這っていた。屋敷は炎に包まれているらしく、遠くの赤い欄干が崩れたのが見える。
それでも、血が抜けていくばかりの体は寒かった。
ぼやける視界の中、誰かが自分を抱き起こして、何か叫んでいる。かろうじて見える輪郭に、少女だとわかる。
でも、誰だろう。
もっとよく見ようとして手を伸ばすけれど、それは僅かに震えて下に落ちただけだった。
少女がその手を握り、何かを訴えるように言っている。こぼれた涙が頬に落ちて、その少女が誰かもわからないのに、酷く悪いことをしたような気がして。どうしてか、願うように祈りにも似た気持ちを抱いた。
泣かないでくれ。どうか、自分を責めないで欲しい。誰も、悪くないのだから。だから、君は──
視界が闇に染まって、目を閉じたのだと知る。
あぁ、まだ自分は何も伝えていないのに。
消えゆく思考の中、最後に思い出したのは、辺り一面に舞い散る桜の花だった。
*─────────────────*
「おい。御厨起きろ」
京極の声で、涼都は目が覚めた。どうやら、授業中にまたもや夢の世界に旅立ってしまったらしい。
(あぁ、寝ちまったか……にしても、何か妙な夢だったな)
内容はさっぱり覚えていないが、この奇妙な感覚に覚えがあったような気がした。
懐かしいようで、胸が締め付けられるように切なくて──ひどく、哀しい。
「御厨?」
「あー……すいません」
京極の不審そうな呼びかけに、涼都は髪をかき上げた。考えるのは後にしよう。
どうも、基礎的事実が書き並べてあると自分は眠くなるようだ。というか体が睡眠を要求しているんであって悪いのは俺じゃない。
どれだけ寝ていたのか時計を見た涼都に、京極は苦い表情を浮かべた。
「授業中に寝るのは感心しないな」
感心されても困るけどな。
京極は涼都に軽く息をつくと、ふっと前の黒板を見た。涼都もつられて前を見ると、いつの間にか涼都の列の生徒達が問題の解答を書いている。
京極は涼都を横目で見ながら言った。
「御厨は問5を頼む」
もしかして列で当たらなかったら、涼都が起こされることはなかったのだろうか。
そんなことを考えつつ、涼都は席を立つと歩きながら教科書の問5を探す。それは幸いなことに黒板に着く前に発見することが出来た。
(えーと……あぁ、そういう問題か)
涼都はチョークを持って滑るように書き始めた。応用的な問題で少々難解だが、解けなくはない。そこらへんをとっくの昔に学習済みの涼都には、なんのことはなかった。
一回も手を止めることなく解答を書き終えると、サッサと席についた。
男子の落胆した様子はまだ続いていて、女子は京極をチラチラと見ている。これは授業の始まりから全く変わらない。違うことといえば……
(なんだ、この紙)
涼都が席に戻ると、机の上にメモ用紙がたたんで置いてあった。涼都はとりあえず手に取ってメモを広げる。
『さすがみんなのヒーロー御厨君! 尊敬しちゃう By東』
「………………」
涼都は無言で隣の東に目を向けた。――見なきゃよかった。
輝かんばかりの笑顔でこっちを見ている。しかも手まで振ってるし。
(コイツ100%おちょくってやがるな)
涼都は舌打ちして紙を握りつぶすと、浮かんでくる青筋を懸命に抑えた。そしてひっそりと心に決める。
(この授業が終わったら東を殴り飛ばそう)
そう、決めたのだが。
結局それは失敗に終わった。
「なんで避けんだよ、お前」
休み時間、涼都は苦い表情で東を睨んだ。東のヤツ、喧嘩慣れしているのか武道の教えでもあるのかなかなか当たらない。おかげでこっちはどんどんストレスがたまっていく。
「あぁ、早く席替えになんねぇかな」
言いながら丸めたメモ用紙を東に投げつけた。
「まだ入学して一週間も経ってないのにそれはないよ」
ひょいっと避けながら言った東の後ろで、何の罪もないクラスメイトの頭にメモが直撃している。すまん。
そうひそかに涼都が(クラスメイトに心の中で)合掌していると次の予鈴が鳴り響いた。
*──────────────────*
薬草学の授業が始まった。
クラス中が真剣な顔で担当の教師を待っている。特に男子からは『次こそは女教師』という無言の期待が、ひしひしと感じられた。一方、涼都は東を視界からも脳内からも追い出して、教科書をパラパラとめくっている。
(薬草か。たぶん寝るだろうな)
2限は丸々睡眠に使ったから、まだ3限はうたた寝で済んだが、4限は最後まで爆睡しそうな気がする。しかし、そんな心配なんか全くいらなかったのだ。
ドアを開けて入ってきたのは一人の男教師。
涼都はその姿を視界に入れた瞬間、衝撃で眠気なぞ飛んでいってしまった。
「っ!」
流れるブロンドの髪に碧眼、そして真っ白なフリフリブラウスに映える胸に差した一輪の紅いバラ。
(あれ、コイツどっかで会ったような)
涼都はまじまじとそいつを見て、確信する。
「………………ポスターの」
間違いない、アレだ。入学式の時から校舎中に貼ってあるポスターの人。あの最悪な、薔薇をバックに薔薇を一輪持った白スーツの等身大ポスター。それにはクラス中が思い当たったらしく、みんな目が点に、東に至っては笑顔が消えていた。すごい破壊力だ。
(なるほど。それは会ったような気にもなるな)
涼都が一人納得していると、彼は微笑みながら軽いステップで教卓までやってくる。ハッキリ言って気味の悪い光景だった。いまだに唖然としている生徒達へウインクする青年に、涼都は言い知れない不安を感じる。
………この先生大丈夫なんだろうか。いろんな分野で心配なんだけども。しかも思い存分にアピールし終えたらしい彼は、薔薇片手にふふふと不気味に笑い出した。
(おいおい。何かスゴいのきたぞ)
なんだか今までで1番ヤバい香りがする。さすがにノリのいいA組も(もちろん、涼都を含めて)ドン引きだった。なにせ、あの東でさえ顔が引きつっているのだ。そんなクラスの反応を知ってか知らずか、彼は声高らかに言った。
「あぁ、やはり私は美しい!」
一瞬、涼都は自分の聴覚を疑った。
え? 誰が何だって?




