*2.愛と美の神、降臨 ①
特にすがすがしくもない朝、曇った空の元、鳴海はふらふらと廊下を歩いていた。
(やっぱ金曜日はダルいなぁ)
ただでさえ金曜は月曜からの疲れが出るというのに、今週はいつも以上に慌ただしいせいで仕事も問題もてんこ盛りだ。しかも今日は朝から理事長の職員会議である。眠くてしょうがない。
鳴海はあくびをしながら今朝の会議を思い出していた。
まず、話題になったのは設楽東のゴールドカードと御厨涼都のブラックカードだ。入学時のゴールドカード所持は魔術界において十数年ぶりであり、言うまでもなく御厨のブラックは魔術界史上類を見ないことだった。
しかし、理事長が口をはさんだのは御厨についてだけだった。まぁ設楽東はあの四大一門、本家の御曹司である。しかも設楽本家の人間から『天才』と言われた少年だ。むしろ十数年ぶりの入学時ゴールド所持という快挙があってもおかしくない。
対して予想以上というか、こちらを大混乱の渦に叩き落としたのが御厨涼都だ。何せブラックカードといえば、学園どころか日本中探して数10人いるかどうかだ。間違いなくトップクラスに位置する実力だと証明されたも同然なのである。
これで話題にならない方がおかしい。
桜華学園の電話はそのことで朝から鳴りっぱなしだ。早くも、御厨が実は四大一門もしくは名家の隠し子や血を継いだ者ではないのかと疑惑が浮かんでいる。それを察知して、理事長は釘をさすために職員会議を開いたのだろう。
『皆さんは生徒を育て見守る側の人間です。私情や好奇心で生徒を脅かすことはしないように。もししたら……わかってますよね?』
あの時ほど、普段騒がしい一癖も二癖もある教師陣が黙りこんだ時はない。
(理事長、目が笑ってなかったな)
鳴海は乾いた笑みを浮かべ、ふと視界に入って来たものを凝視した。それは金髪の青年と薔薇の『ようこそ桜華学園ポスター』だ。勝手に校舎中に貼られたこのポスターは、いずれ撤去されるだろう。
思わず、鳴海が見慣れた顔の青年をなんとも言えない気持ちで眺めていると、廊下の奥が騒がしいことに気がつく。
鳴海はポスターから目を離すと怪訝な表情で、そこへ歩き出した。
我が教室、1―Aへ。
*―――――――――――――――――*
涼都は無言で目の前の状況を眺めていた。
「ねぇっ御厨君! ブラックカードって本当?」
「マジなのか? みんなその噂で持ちきりだぞ!」
「見せて見せて~!」
そう口々に言って立ちふさがるクラスメートに涼都はけげんな顔をした。カードを貰ったのは昨日だ。確かに若者の情報伝達速度は光並みのスピードだが、これはさすがに早すぎないだろうか。
涼都は自分の隣をすり抜けようとした東の上着をひっつかんだ。
「……なぁ東、なんでみんなが知ってるんだろうな」
やつは平然とさも普通に言った。
「それは仕方ないよ。俺が昨日の内に言って歩いたから」
やっぱりお前か。
涼都は東を睨んで舌打ちする。
「お前ヒマなの? とゆーか、何が目的だよ」
「いや。おもしろそうだったから」
よし、ヒマ人決定。
涼都は東との会話を諦めてクラスメイトの壁を進んだ。東はもう無視だ、無視。
対してクラスメイトは、本人ほったらかしで盛り上がっている。
「ブラックカードなんて普通ないよね。ニュースになったりするかな?」
「新聞記者とかテレビの人来るんじゃない?」
「え、じゃあ俺らも映るかもしんないじゃん」
「やだ、私メイク頑張らなきゃ」
「それより誰がインタビュー答えるかあみだしようぜ、あみだ」
いやいやいや、待て待て! なんかおかしな方向になってるぞ。
涼都はどこから突っ込めばいいのか考えて、止めた。
(わかった。このクラスの人間はもとから皆こういうお祭り騒ぎみたいなテンションなんだな)
元気というか、人見知りしないクラスだなとは思っていたが。
ポンと東が涼都の肩に手を置いた。
「人気者だね。みんなのヒーローみたいだよ」
「元凶は黙ってろ」
涼都が東の手を払いのけると、ため息が聞こえる。前のクラスメイト達ではない、背後からだ。涼都と東が振り返ると、そこには荻村と鳴海が立っていた。
「鳴海。俺より先に教室着いたのに何で黙って見てるんだよ」
そう言う荻村は今、この場に着いたばかりらしい。自分のクラスの生徒へなにか可哀想なモノでも見るみたいな目を向けている。気持ちはわからないでもない。
どうやらしばらく様子を見ていたらしい鳴海は、笑顔を浮かべていた。
「だって楽しそうだったからさ。水差しちまうのも可哀想だろ」
そこはぜひとも水を差して欲しかった。誰も止めないから皆、黒板にあみだを作り始めたじゃないか。
荻村は再度、重いため息をつくと黒板に集まる生徒に向かっていく。
「新聞記者もテレビ局も来ないから。早く席につけ、S・H始めるぞ」
「「「えー」」」
ブーイングが上がったが、荻村はそれも無視してプリントの束を鳴海に手渡した。自分で配る気はないらしい。鳴海はそれが当たり前なのか、特に気にした様子もなくプリントを配った。
そしてプリントが全員に行き渡るのを確認すると、荻村は面倒くさそうに一言。
「大事なことはそれに書いてあるから各自読んでおくように」
そう言い終えるや否や『もうこれでS・Hは終わった』と言わんばかりにサッサと教室から出ていってしまう。無駄に残ってこのクラスメイト達の相手をするのが嫌だったのだろう。
「荻村、待てって―…あ、一限は魔術だからな」
置いてかれた鳴海は慌てて荻村の後を追っていく。
(鳴海も大変だなぁ)
なんとなく同情した涼都だった。
*─────────────────*
「荻村!」
鳴海は教室を出るなり、歩いている荻村の背に呼びかけた。どうも、荻村の様子がおかしい。気のせいかとも思ったが当たりみたいだ。その証拠に荻村は名前を呼ばれたというのに全く反応しない。
鳴海は荻村にもう1度呼びかける。
「おーぎーむーらぁー」
「……………………」
はい、反応なし。
鳴海は不審に思いながら小走りに荻村に追いかけた、が。
「ちょっ――京!」
目の前でスッと荻村の姿が消える。移動魔術だ。
鳴海は慌てた。鳴海は2時間目から武術でしばらく授業に入らなければならないし、鳴海が空いているときは荻村が授業に入っていて会えない。つまり、ここで見失っては今日中にまともに話せない可能性大である。
鳴海はすばやく周りを見渡した。すると意外と近く、すぐそこの中庭にボサ頭の青年が見える。間違いなくそれは荻村だった。鳴海はなんの迷いもなく窓枠に足をかける。
(3階くらい大丈夫だろ)
万一、怪我をしたらそれはその時に考えよう。そう自分に言い聞かせて鳴海は、飛んだ。とても勢いよく軽やかに踏みきる。しかしながら、問題は着地の場所だ。荻村の近くに降りようとして目測を誤ったらしい。着地場所にちょうど荻村が来てしまった。
「あ、ヤベ」
気がついても、もう遅い。
ドサッと盛大な音と共に鳴海は荻村の背中に着地した。
「いっ!」
同時に何か聞こえてきたのは鈍い音である。どうも着地の拍子に額を地面にぶつけたようだ。かなり痛かったらしい。低い声でうめいている。
まぁ、とにかくだ。
「わりぃ!」
「『わりぃ』で済むか? 済んじまうのか?!」
爽やかな笑顔で謝った鳴海に、立ち上がりながら荻村は舌打ちした。なんだかほんのり額が赤いのは気のせいではないだろう。まぁそれは後で冷やしたタオルでも持って行くとして。
(本題に入るか)
「荻村、なにかあったのか? 朝から様子がおかしいぞ」
いきなり真剣に言った鳴海の言葉に、荻村は一瞬何のことか理解できなかったらしく首を傾げた。しかしすぐにあぁと納得した声を上げる。
「朝にちょっとな……なぁ鳴海」
「何?」
荻村も真剣な顔をしたので、鳴海も話に乗った。荻村はポツリと問いかける。
「お前、御厨をどう思う?」
鳴海は荻村の言っていることが理解できなかった。
「……は?」
思わず聞き返すと、荻村は疲れた様子で頭をかいた。
しばらくしても返事も補足もないので、どうやら自分で答えなければならないらしい。
鳴海は御厨を思い浮かべた。
背もそれなりに高くて手足も長い。全体的にスラッとしている。頭も小さいし、モデルでも十分御厨ならいけそうだ。顔だってものすごく整っていると思う。カッコイいとかかわいいとかじゃなくて美しい……要するに美形なのだ。
恐らく、御厨なら人が行き交う雑踏の中でも見つけることが出来るだろう。人を惹き付ける、ハッとするような何かを持っている。今日だって女子生徒達が御厨のことをきゃあきゃあ言っていた。しかし、あの強気な性格や自信過剰にも思える言動がついてまわり、笑顔といっても悪魔のような意地の悪いものしか浮かべないのだからもったいない。
鳴海は御厨のニヤッと笑った顔を思い出した。
「あいつ、黙ってりゃ美少年なのにな」
「なんの話だ、なんの」
思わずつぶやいた鳴海に、荻村はため息混じりに言った。どうやら話を脱線させたらしい。荻村は呆れた表情で鳴海を見た。
「あいつの顔立ちの話なんかしてねぇだろ。俺が言いたいのはあいつの性格だ」
「性格?」
鳴海は首を傾げた。別に何も問題ないと思うのだが。まぁ、ちょっと負けん気が強いのは置いといて。
荻村は苦い表情を浮かべた。
「今朝、里見に会った」




