*1.兎?いいえ、宇崎です ⑨
『確かに、君の言う通り学園に招いたのは僕だからね。君が少しでもいい学園生活を送れるように忠告しておくよ』
思い返して自嘲の笑みが浮かんだ。
「忠告、ね」
理事長である自分が彼をここに連れて来たくせに、深く立ち入るなとは我ながら馬鹿なことを言ったと思う。しかし言った内容は事実だ。
自分は彼らを導かなければならない。その結末がどんなものになろうとも、それを見届けるのもまた自分の義務だ。そして、彼を連れてこの役者のそろった学園という名の舞台に登らせるのも自分の役目だ。
だから連れて来た。でも、個人的な感情においては……
(あの子には、こんな事に関わらずにいて欲しい)
何も関わらずに、ただここで平和に、普通の高校生として学校生活を送って欲しい。
「ま、無理なんだろうけど」
軽く言って、部屋を片付けようと水盆に手を伸ばた。覗き込むと、自分の年齢にそぐわない程若い顔が映る。さすがにそんな歳でもないのだが、20代前半にしか見えない。
“童顔なのだから仕方ない”ということにしておこう。
それにしても。
「まさか古代魔術まで使えると思ってなかったなぁ」
古代魔術といえば、その文字通り古代人が使っていた魔術だ。あまりの力の強さに古代人はそれを危険視し、古代語で記し葬ったと言われている。もちろん古代語を解読する人も多くいたが、解読しても暗号化されていて何年か前にやっと解けたぐらいだ。しかも、その理論の難しさに今でも何人もの学者が頭をひねっている。
解る解らないは個人の感覚なので、理解できる者もいたのだが。結局はその力を使いこなせずに死んだ者も多い。
聞くところによると、それはまさに神の領域に踏み込んだもので、自然の法則を無視したものらしい。つまり1+1が50にも100にもなるのだ。もっと言うと創造、破壊が意のままだということである。
それをあの15歳の少年は使えるのだ。
御厨涼都。
その姿を思い浮かべ、楽しそうに笑んだ。
「さすがアイツの血を継いだ、あの家の子供なだけはあるな」
*―――――――――――――――――*
「なんだ。俺がゴールドカードなの知ってたんだ」
寮に帰る途中、東はそう言って涼都を見た。
「ああ……なんか今日すっげぇ疲れた」
夕日でオレンジ色になった廊下を歩きながら涼都は肩をほぐした。
それに東はくすりと笑う。
「確かに。不良に絡まれたり、校舎走り回ったりで学園長室に行くまでずいぶん体力使ったんじゃない?」
「そうだな。あれは体力っつーより気力が……」
涼都はそこでピタリと言葉を止めた。ついでに歩みも止める。そしてけげんな表情で東を見た。
「なんで、お前が今までの経緯を知ってるわけ?」
あまりにも自然に言うから普通に流しかけたが、涼都は東に何も話していないのだ。なのに何故、それを知っているのか。
東はにっこりとした笑顔を浮かべながら涼都の襟へ手を伸ばした。東が何か襟からとった、かと思うと手を開いてそれを涼都に見せる。
「何? それ」
東の手の中にあるのは、丸くて小さな黒いもの。それに何か嫌な予感がしてきた涼都に東はサラッと言った。
「うん。これ盗聴器」
「あ、そう。盗聴器かー……って盗聴器!?」
いやいやいや。ちょっと待って。
危うく納得しかけた涼都は、その黒い器械を二度見した。うん、確かに盗聴器だ。っていや、そうじゃなくて。
「おまっ……お前なに普通にサラッと言ってんだよ! 盗聴器って何かわかってる? つーかこんなもんどこから手に入れてきた!?」
「拾った」
「嘘つけぇぇぇ!」
恐ろしいことに東は笑顔を崩さず、わざとらしく視線を窓の外へやった。
「いや、学園長との話が気になったからさ。つい」
「ついで済む問題かボケェ! いつから? いつからつけてた?!」
「今日の朝、君が学園長室へ行く前。だから君が帰って来てすぐに回収するために待っててあげたじゃない
か」
用事ってそれか。
涼都はため息をついて髪をかき上げる。
「お前、プライバシーの侵害もいいところだぞ。警察つきだしてやろーか」
「無理だよ」
パキッと東は手の上の盗聴器を壊した。そしてそれを窓から投げ捨てる。いきなりの行動についていけなかった涼都は、ただ笑顔の東を見るしかなかった。
「ほら、証拠隠滅」
「……………」
あぁ、こんな穏やかな笑顔に殺意を持ったのは初めてだ。
よほど盗聴器と同じように窓から放り投げてやろうかと思ったが東が
「それにしても、君って本当によく何かに巻き込まれるよね。でも絡まれてる灰宮を助けた時とかカッコよかったよ」
と、言ってきたのでタイミングを逸した。
涼都は再度、ため息をつく。
「それ、途中で壊れただろ。儀式の部屋に入ってから」
「そうそう。いきなり何も聞こえなくなったからね。また君が何かに巻き込まれたのかと思ったよ」
「俺はトラブルメーカーか? 儀式の部屋が精密機械とか駄目になるようになっててさ。おかげで俺の携帯まで駄目になったぜ」
涼都はうんざりして言ったが、内心、儀式での会話が聞かれてなくてよかったとも思っている。
(危ねぇな。つーか朝から盗聴器がついてたってことは、儀式に行くまで全部聞かれてたってことだよな)
何かマズイことは口走ってなかっただろうか。そう考えつつ涼都は足を踏み出した。ようやく歩き始めた涼都に、東は思い出したように告げる。
「涼都、会ったんだよね」
「あ? 灰宮か」
肝心の名前が抜けていたので、東と共通の知り合いの名を挙げたのだが。違うらしい。東は緩く横に首を振った。
「ユヒトだよ」
「ゆひ……」
一瞬『誰だそれ』と言いかけて涼都は思い当たった。
『宇崎うざき 雪人ゆひとだ。いいか、雪の人で『ゆひと』だぞ。ゆきとじゃないからな』
「ああ! アイツか、あの半裸!」
思い出した涼都の言葉に、東は苦笑を浮かべる。涼都は、しみじみと軽い同情さえも覚えてつぶやいた。
「ほんっっっっと、何回聞いても違和感あるよな、その名前。似合わねー」
それに東は苦笑のまま軽く首を傾げる。
「そう? 俺は別に昔から違和感感じたことないけど」
その言葉に涼都は表情を引っ込めた。まるでだいぶ前から知っているみたいな東の言葉の方に、違和感を感じる。
「昔から?」
けげんな顔で聞いた涼都に東は頷いた。
「だって従兄弟だし。ほら言ったでしょ? 従兄弟がこの学園にいるって」
「いとこぉ!?」
コレとアレが!?
涼都は驚きのあまり真顔で東を見た。
いや、似てねぇにも程があるだろ。
*―――――――――――――――――*
学園長室に呼ばれた春日は、入るなり思いっきり顔をしかめた。
「なぁ、その書類臭くね? 何か鯉の池みたいな匂いがすんだけど」
事実、荻村と鳴海が鯉の池に落とした書類なのだが、あえて学園長の橘は話を進めた。
「今日も廊下で寝こけていたようですね」
「いや、まぁあれは宇崎の不意打ちが――」
慌てて今回自分が気絶した経緯を話そうとした春日を、橘は手で制止する。
本題はそこではないからだ。これでも春日は信頼性と経験、実力の多方面から選んだ人物。何か秘密裏に動かすなら彼しかいない。
橘が鋭い目で春日を見ると、彼はだるそうに蹴られた腹をさすっていた。いささか、いや、かなり緊張感に欠けているがまぁよしとして。
「もうホンットに2年の担任は疲れるぜ。すでにボロボロ……今からでも担任変えてもらえませんかね?」
本当にコイツでいいのだろうか。
かなり大きくなる不安を何とか頭を軽く振って追いやる。そして橘はゆっくりと重々しく口を開いた。
「春日先生、あなたに頼みたい事があります」