*1.兎?いいえ、宇崎です ③
同じく、儀式までの時間が限られている身だ。涼都の提案に、灰宮は首を振った。
「そんな……涼都さんに全てを丸投げしてしまうのは、とても悪いわ」
「俺は訳ありで、儀式までの時間は気にしなくていいからな。灰宮は違うだろ。遅刻したらヤバいんじゃねぇの」
「でも、前も助けてもらったし、私、助けられてばかりで――あ、そういえば、まだお礼を言っていなかったわ! この前は、ありがとう涼都さん」
「お、おう」
「だーーーーっもう! いちゃいちゃしてんじゃねぇよ! 一年!」
にっこりと笑いかけられ、一瞬灰宮と何の話をしていたのか忘れかけたが、割って入ってきた不良たちのおかげで思い出せた。そうだよ、こいつらだよ、こいつら。
涼都は元凶に目を向けた。その男子生徒たちは一様に制服を着崩していて、襟にはⅡのバッチがついている。制服やネクタイの色で学年が分かる高校もあるが、桜華学園は制服の襟に学年のローマ数字のバッチをつけることが義務付けられているのだ。
(こんな不良でも律儀につけるんだな。確か、つけないとペナルティがどうとか、東が言ってたっけ。つーか、宇崎って何年生なんだろうな。脱いでるから全くわからん)
そう、宇崎にまで考えが逸れに逸れている間に、ぐっと胸倉をつかまれる。見れば、男子生徒のうちの一人が漫画のように、こめかみに血管を浮かべ、いつでも殴れるように拳を上げていた。
「てめぇ! さっきからナメやがって! 一回痛い目みないと、わからねぇみたいだな!」
「あーいやいや、落ち着いて、どうどう。暴力はよくないぞ。最後に痛い目みるのは、そっち――」
「涼都さん!」
灰宮の声と同時に、気配を感じて涼都は上を見上げた。すると上から、何か丸い物が降ってくるのが見える。逆光で見えづらいが、あれは。
(りんご――って、このままじゃ俺が直撃するんじゃね)
りんご(推定)とはいえ、頭にでも当たったら痛いでは済まないだろう。涼都は素早く、ついでに不良も連れて後ろに下がった。それと入れ替わるように灰宮が前に出る。
止める間もなく、灰宮はそれをキャッチした。しかし、その時だ。掴んだ瞬間、りんごから魔方陣のようなものが浮き出てきたのだ。
「っ灰宮!」
叫んだのと、ぐしゃっと音を立ててりんごが潰されたのは、ほぼ同時だった。魔方陣が展開される前に媒体ごと潰したのだろう。
灰宮の手からは、無残なりんごの残骸と、100%果汁がポタポタと落ちている。
「…………」
普通に、二度見した。
男子生徒一同、宇崎含め絶句しているが、その心中は『りんごって、そんな簡単に握って潰れるもんだっけ?』である。俺も、そう思う。
声も出ない男子をよそに、灰宮はハンカチで手を拭きながら上を見上げ、眉を寄せる。
「いま、人影が見えたわ。涼都さんを狙ったのかしら……? 少し、見てくるわね」
そう言って涼都を見る灰宮は、真剣な、凛とした表情をしていた。笑っていても、真剣な顔をしても怒っていても、美人というのは、いつでも美しいらしい。涼都は肩をすくめた。
もし落下地点にいた涼都を狙ったものだとしたら、その本人が追いかけていくのはマズい。追いかけてきた涼都が狙いかもしれないのだ。それなら、涼都を一人にするより、まだここに先輩といた方が安全である――と、灰宮は考えたのだろう。
(それで自分が危険にさらされる可能性は、考えないのが灰宮っぽいというかなんというか)
涼都は苦笑して、ひらひらと手を振った。
「わかったよ。ただし、儀式に間に合わない程には深追いすんなよ。怪我治ったばっかりなんだから。こっちは、俺に任せとけ」
「ありがとう。儀式はちゃんと受けるし、怪我もしないようにするわ――涼都さんも。約束ね」
そう微笑み、灰宮は風のように走っていった。
黙って、事の成り行きを眺めていた宇崎は舌打ちする。
「何、この展開。転載前と違いますけど。あれ、一人で行かせて大丈夫なのかよ。彼女だろ」
「メタ発言はやめろ。というか、彼女じゃないけど……ま、灰宮なら大丈夫だろ」
上を見上げた時に、ちらっと涼都も見えたが、あれはおそらく――
黙った涼都に、宇崎は深いため息をついた。
「つーか、りんごが降ってくるって普通ねぇよな。トラブルメーカーか何かか、お前は」
「存在そのものが、トラブルもいいところのてめぇに言われたくねぇよ」
第一、上半身裸の露出狂に言われたくない。
りんごの一件で意識がそれた男子生徒たちも、このまま解散するのはプライドが許さなかったらしい。睨みながらこちらへ来ていた……が、ピタリとその足が止まった。先ほどまで怒りの表情を浮かべていたその顔には、明らかな恐怖が浮かんでいる。
涼都は、怪訝な表情で首を傾げた。まだ何もしてないんだけど。
確かに頭の中では、躾のなっていないヤツらに地獄を見せるような構想が浮かんではいたが。しかも男子生徒たちは涼都ではなく宇崎を凝視していた。
「う、宇崎」
「嘘だろ? なんでお前が1年校舎の裏にいるんだよ」
(そうか、ここってまだ1年校舎裏なのか)
散々、あちこち歩きまわったが、どうやらまだまだ自分の校舎の領域止まりらしい。というか、問題はそこじゃなく。
「何? 宇崎、お前の方の知り合い?」
涼都は、改めて宇崎に視線を戻した。上半身を脱いでいるので確認しようがなかったが、同じ学年らしい。しかし、宇崎の反応は知り合いに対するものではなかった。
「へぇ? 俺を知ってんのか」
宇崎は挑戦的な笑みを浮かべて同級生たちを見る。彼らは先ほどまでの威勢はどこへいったのか、すっかり怯えてしまっていた。
「そんなに怖いか? この半裸男が」
涼都は怪訝な顔のまま、宇崎を指差した。確かに気がついたら裸になってるなんて、人間的には怖いものがあるが、たいして害はなさそうだ。しかし、その言葉に彼らは慌てたように涼都に言った。
「お前、宇崎知らねぇの? 宇崎といやレッドカード! 今までケンカ売って無事だったヤツはいないんだぞ!」
「レッド?」
涼都は隣の宇崎を見た。
カードとは、これから涼都が受ける『儀式』で貰う魔術師、魔術師見習いの身分証のことだ。階級ごとに色の変わるカードで、レッドといえば、それはもう魔術師見習いではなく魔術師の位である。
魔術師になるまで魔術師見習いとして中級レベルの白、定められた上級魔術を扱い、筆記試験と実技で合格すれば、魔術師となり緑のカードになる。その後は自分で試験を受ければ緑から青、赤と色を変えることが出来る。
ちなみに赤から上では銅、銀、金の順に位が上がっていくわけだ。色のレベルを上げればその分、就職に有利だとかで青レベルならたくさんいる。しかしその上の赤となれば、なかなか難しいはずだ。宇崎はその赤のカードを持っている。
(こいつ、まだ高2だよな)
それはタメの同級生でも怯えるかもしれない。しかし涼都はそこでニッと口の端を上げた。
「レッド、ね。魔術師としてはまぁまぁだけど、あんたらみたいに腰抜かして逃げる程のもんでもねーな」
「……ふーん?」
宇崎は先ほどの挑戦的な笑みを浮かべたまま、涼都に視線を向けた。
「うわぁ! あいつ宇崎にケンカ売りやがった!」
「逃げろ! 巻き込まれるぞ!」
口々にわめいて一目散に駆けていく。その瞬間、宇崎の目がキラーンと光った。
「逃がすか!」
彼はそう言って魔術を放とうと腕を上げる。それと同時に涼都の手も上がった。
「あ」
涼都は短く声をあげる。
そう言えば、まだ手首つながったままだった。が、宇崎は全く気にも止めないで魔術を放つ。
「炎照!」
ゴォっと勢いよく炎が生徒たちを追っていく。それを、叫びながら男子生徒たちは逃げのびていった。しかし『何でこんなところで炎を放つのか』『別に火じゃなくてもいいじゃん』など、そんなことを突っ込む余裕は涼都になかった。
「ぅあっちちち!」
「あっつ!」
手首の捕縛ヒモに勢いよく炎が引火したのだ。宇崎もそれには慌てた表情を浮かべたが、すぐに紐だけが燃え切れたので、それ以上の引火はなかった。
(燃えるかと思った)
涼都はホッとしたと同時に、さっきの宇崎の言葉をそっくりそのままお返しする。
「てめぇは俺を殺す気か!?」
「俺だって、自分の魔術で死ぬかと思ったよ!」
「自業自得だろーが! だいたいてめぇが……って聞いてる? お前」
宇崎はあっちぃとか何とかいいながら、ズボンに手をかけていた。明らかに人の話を聞いてない。
というか
「何ズボン脱ごうとしてんの? 危ないから! 犯罪だから! それ!」
「いいじゃねぇかよ。暑いしさ」
「暑いで済むか! とりあえず着ろ! 今すぐ着ろ!」
「着るか着ないかは俺の勝手だろ」
「じゃ何? お前は人に自分の裸見て欲しいワケ?」
「んなもん見なきゃいい話だろ?」
「見たくなくても視界に強引に入ってくんだよ! てめぇは!」
「いいじゃねぇか! 別に人に迷惑かけてねぇしさ」
「だぁから現在進行形で俺に力いっぱいかけてんだろ! お前!」
そうだ。 おかげでこっちは校舎を走り回った挙げ句、火だるまになるとこだったのだ。しかし宇崎は平然と言ってのけた。
「そういやそうだな」
一瞬クラッときた。
なんだか脱力してしまった涼都は、ため息をつく。
「急にどうしたの? お前」
「疲れた」
ため息まじりに涼都が言うと、宇崎は上機嫌で脱いだズボンをたたんだ―…ってあれ? ちょっと待て!
「お前何してんの!? もうパンツしかはいてねえじゃねぇか!」
「だから言ったろ? これが俺の自然体だって」
「アホか! そんな格好で歩いたら100%警察まで連れて行かれるわ! っていうか、その前に俺がお前を始末してやるよ」
拳を静かに握った涼都に、ただならない気配を感じたのだろう。宇崎は待てと切羽詰まった声を出した。
「お前本気で言ってるだろ!」
「当たり前だろ! てめぇのせいで4階からダイブするわ、灰になりかけるわ、学園長室にはたどり着かねぇわで、こっちは大迷惑なんだよ!」
灰になりかけた以外は、宇崎のせいではないのだが。しかし宇崎はそこを突っ込まずにキョトンとする。
「なに、お前、学園長室行きたいの?」
「そうだけど」
そこで宇崎はニッと笑った。
「俺が学園長室まで連れてってやろうか」




