*1.兎?いいえ、宇崎です ①
「……はぁ?」
朝のHRが終わった直後の教卓前で、涼都と(呼ばれてもない)東は、思いっきり怪訝な表情を浮かべた。たった今、担任に告げられた言葉の意味がわからなかったのだ。
「学園長室?」
繰り返した涼都に、荻村は何故か渋い顔をして頷いた。
「そう、学園長室だ。昨日の騒ぎについて直接聞きたいらしい。儀式は理事長が立ち会うから、お前はそこで儀式もやってこい」
理事長、というとアイツか。
あの、何か一物抱えていそう、ゆったりとした笑顔が浮かんだ涼都の隣で、東は首を傾げる。
「へぇー理事長が直々に生徒の儀式に立ち会うなんて、なかなかないよ?」
なかなか、というより全くない事態なんだろう。東の言葉に荻村は答えず、さも面倒そうに頭をかくだけだ。その姿を、涼都はじっと凝視していた。
「あ?」
視線に気付いた荻村が涼都を見るが、彼が口を開くより早く視線を窓の外へと移す。いわゆるシカトをした涼都は、少し考えるように目を細めた。
(学園長室、か)
桜華学園には高等部と大学がある。高等部、大学のトップどちらも学園長の役職についていて、更にその上が理事長という形だ。
つまり、桜華学園のトップが理事長である。そう、あの、道端で干からびかけていたあの男が。
(呼ばれたのがあくまで学園長室ということは、理事長だけでなく学園長もいるわけだよな)
高等部の学園長といえば、あの厳格そうなお姉さんである。
(どう考えても、内容からして提案したのは理事長だな)
その理由は
「御厨、学園長室ってわかるか? 連れていければいいんだけどさ、俺ちょっと2年の授業の代理しないといけなくなって」
突然、目の前にひょこっと現れた鳴海に、涼都は内心ギョッとした。涼都の横に立った鳴海が、顔だけ覗き込むように眼前に顔を傾けた形である。
(鳴海、いつの間に来たんだよ)
ちょっと、考えに没頭しすぎてビックリした。
涼都は、鳴海の顔から半歩下がりつつ頷く。
「あ、あぁ。わかったよ、学園長室に行けばいいんだろ」
言ってから『しまった』と思った。
(鳴海って先生じゃねぇか)
あまりにも親戚のお兄さんみたいなものだから、ついタメ口で話してしまったではないか。しかし、そこは鳴海も荻村も全く気にかけた様子はなく、普通に会話している。
「2年の代理の授業というと……春日か」
「いや、あの人はついさっき生徒追い回してるの見たぜ。元気だよ。俺はただ単に儀式に行く京極の代わり」
儀式など一人たった数分で終わる行事だが、全員が一気にやるわけではない。一人ずつやるものなので、儀式の場はいくつか設けられているはずだ。儀式には普通、生徒の担任は出るものだし、他にも何人か人手があった方が早く終わる。そういうわけで、儀式の日は教師の割り振りが平常時と変わるのだろう。
(そして鳴海みたいな副担任は、その抜けた教師の代理に走る、と)
「学園長室か。俺はすぐ儀式に行かなきゃいけねーが、鳴海は授業に少しくらい遅れても大丈夫だろ」
『だから、授業に行くついでに学園長室まで連れてってやれ』
タバコをくわえ、暗にそう言った荻村に鳴海は顔を曇らせる。
「そうするつもりだったんだけどな。ちょっと用事が出来ちゃってさ。実は、もうダッシュで行かなきゃ間に合わない」
じゃ早く行けよ!
よほど、そうツッコミたかったが、鳴海も荻村も慌てていないので涼都は違う言葉をかけた。
「じゃ俺が一人で行くよ」
学園長室がどこかは知らないが、言葉で説明されれば一人でも行けるだろう。
しかし、涼都の至極現実的な提案に、荻村は眉を寄せて気になることを言った。
「途中で何があっても首突っ込むなよ。何があってもだ」
2回言ったよ。
*―――――――――――――――――*
誰もいない1階の廊下で、灰宮は携帯片手に近くの柱に背を預ける。
「えぇ……そう。怪我は、もう治ったわ」
淡々と報告をしながら、灰宮は息をついた。
怪我は『治った』というより、『治してもらった』が正しい。魔獣がいつ出てくるかも知れない混乱の最中で、簡単に治癒をやってのけた少年の姿が、脳裏に浮かぶ。
御厨涼都。些細なことも見逃さない慧眼に、確かな手腕。教師さえ青くなるような事件さえ動じることなく、むしろ楽しんで介入しにいく彼は、誰にも屈することはないのだろう。
けれど、斜に構えて面白がるその瞳の奥が、たまに酷く哀しげに揺らぐように見える時がある。だからだろうか──彼が気になるのは。
(不思議な人……)
ふと、窓の外を見ると、一年校舎裏の林がある。昨日の騒ぎを思い出し、灰宮はそっと眉を寄せた。
「わかっているわ……役目は、きちんと果たす」
電源を切り、教室に戻ろうとした灰宮は、窓の外に見えた人影に思わず足を止めた。
金髪にラフな恰好、ピアス。東から聞いた1―Aの副担任の特徴だ。
目を見開いて、灰宮はその姿を追うように、近くの非常口から外へ飛び出した。その、瞬間だ。
「っ!?」
何かに当たって、灰宮は昨日から連続2回目のしりもちをつく。
ハッとして何に当たったのか見れば
「あぁ? てめぇ何ぶつかってんだよ」
「お、よく見たらかわいーじゃん。新入生?」
見た目からして不良っぽい方々に、囲まれていた。
*―――――――――――――――――*
「やっぱ、荻村に教えてもらえばよかった」
涼都は今さらながら、道をきいた人物を間違ったと痛感した。
『学園長室はな、ここから4階に上って左右右左右左左右の左奥だから』
何だその説明。
(ホンッとに、ゲームの技の説明じゃねぇんだからよ)
もう自分が今、何番目の右を曲がったのか、そもそも右でいいのか、右左の順番すら忘れてしまった。
「なんで、ここには校内地図すらねぇんだ?」
涼都はそう言いながら髪をかきあげる。
校内地図さえあったら、まだしもたどり着けるものを。
「この学園広すぎなんだよ」
ほんとに、マジで俺どうするんだろう。
涼都は立ち止まって、壁に背を預けた。そしてちょっとした休憩も兼ねて、理事長に呼ばれた理由に考えをめぐらせてみる。涼都にはいくつか心当たりがあった。
まず一つ、涼都は本物の魔術師だ。
高校で習う魔術は1年で入門&初級、2年で中級の下~中クラス、3年で中級の上&上級の下あたりだ。そして、大学で上級の魔術を習い、卒業して初めて魔術師の身分証がもらえる。つまり、免許証をもらえるようなものだ。それまでは魔術師見習いという形になり初級、中級、上級を修めて試験に合格すれば、晴れて魔術師になれる。
しかし、涼都の場合はその免許こそないものの、上級魔術を扱える上に知識もそこら辺の魔術師より引けをとらない。そんなもの、適当に手を抜くなりしてごまかしていけばいい話なのだが。どうしてもごまかせないのが、この儀式だ。
儀式では魔術師協会に登録すると共に、魔術師見習いの身分証を与えられる。その身分証はやっかいなことに、持ち主の力に見合った色に変化するのだ。もちろん、色が変わっても筆記試験をパスしなければ認定はされないが。
涼都の場合、それが魔術師見習いではなく、魔術師の色に変わる可能性が高い。
(さすがに新入生がいきなり魔術師の色になるのはヤバいだろーな)
入学したての高校生が、すでに大学卒業の資格を与えられたようなものだ。
しかし幸い、ここは桜華学園で、全国の名家のエリート達が集まっている。もし、そうなっても、他にも何人か魔術師の色になる新入生はいるだろう。そこまでは目立たないはずだ――色にもよるが。
涼都は眉を寄せた。
(俺、確か偽名で入学しちまってるよな)
たまに自分でも忘れる時があるけど、一応偽名である。人間界だろうと魔術界だろうと、御厨涼都は存在しない。そこが心当たりその2である。
まぁ魔術師協会に登録するのは偽名でもOKなので、いいのかもしれないが。
(問題は理事長がどこまで――)
涼都が思わず、深い思考の世界に沈みかけた、その時だ。
「ウザキってめッ! 待てやぁぁああぁ!」
先生らしき人の叫び声に、涼都は一瞬にして現実に引き戻された。
何だ? ウサギ、いやウザキか?
脳裏にあのピンク色の兎がよぎって、涼都は思わずその声の方向に目を向ける。その瞬間。
走る2mの巨大兎を見た時と同じ種類の衝撃が、涼都の中を駆け抜けた。
まず目に入ったのは、男の上半身。
下のズボンは履いているものの、ベルトの金具はしまっていない。その上半身は、貧弱なものでもボディビルのようなつきすぎた筋肉でもない、ほどよくついた筋肉だった。
わぁ、美しい上半身―…って違う!
涼都は唖然として、その場に凍りついた。昨日の寅吉の出現で、もうあれ以上驚くこともないと思ったが。
(兎の次はこれかよ)
桜華学園って、マトモなやつはいないわけ?
とんでもない者の出現に、涼都はその男子生徒を凝視するしかない。
黒い髪は疾走になびき、目は少し切れ長で全てのパーツが整っている。顔の造りこそ美形だが、そのいたずらっ子のような表情や高い身長からしてややワイルド系イケメンと言ったところだ。どうやらこの状況を見るに、彼が宇崎クンらしい。
後方から茶髪に何故か包帯を巻いた青年――たぶん教師――が、ものすごい形相で追って来ている。
もちろん追われる理由は彼の格好だろう。
(そりゃ、あんな格好してるヤツいたら追いかけてでもつかまえるよな、普通)
心中、ドン引きの涼都は更に壁に寄ってやり過ごそうとして、ふと宇崎に目をやった。なんとなく引っかかりを覚えたのだ。
(そういえば、どこかで見た顔だな)
じっと宇崎を見つめていると、目が合った。その瞬間にピンとくる。
涼都の脳裏に、ある光景が浮かび上がった。




