*1.夕闇の思惑 ②
日が落ちたばかりの空は夕闇に包まれていた。
夕日の名残のように赤みがかった宵の空を、黒い物が横切る。それは滑るように空を渡り、徐々に高度を下げていった。
高等部の校舎は白く、窓ガラスは夕日を反射している。その校舎のガラスの中で、一つだけ開けられた窓の教室があった。空を飛んでいた黒い物が、吸い込まれるようにその教室へと入り込む。音もなく教室にたどり着いた黒い物は否、コウモリだった。
普段なら、コウモリでも入ってこようものなら教室中が大騒ぎになるが、今は違う。放課後、だいぶ時間の経ったこの教室は、生徒どころか電気さえもついていなかった。そんな教室で、コウモリが飛び回っていると、ふと、そこに誰かが現れた。
移動魔術で現れたその人に、コウモリは自然な動きで、手のひらに着地する。しばらく両者とも微動だにしなかった。
しかし、数秒後に舌打ちが響く。
「これじゃ、わからない」
つぶやいた後、音を立ててコウモリが焼失した。その灰だけが、はらはらと窓から外へと流れていく。
*―――――――――――――――――*
「じゃ7時30分ね。わかってる?」
念を押す東に、涼都はぞんざいに答えた。
「はいはい、わかってるっつの! いいから、お前はサッサと部屋に帰れ」
心底、どうでもよさそうに涼都は東の背中を押す。その勢いで涼都の部屋の玄関から廊下へ出た東は、いささか不満そうだ。
「涼都ったら、そんな追い出すみたいにしなくたって……友達に対して優しさが感じられないね」
「誰が友達だ! 一緒に夕飯食べるだけでも譲歩してるんだから感謝しろ」
東の『寮の夕飯、一緒に食べよう』プランは、散々突っぱねたのだが、どうしても押しきられてしまい
涼都は不機嫌に眉を寄せる。
(面倒くせぇな)
まるで犬でも追い払うかのようにシッシッと手を振った。それに相変わらずの笑顔で東は、自分の部屋のドアを開けながら肩をすくめた。器用なやつめ。
手を振りながら部屋に入っていく東を、涼都は腕を組んで見届けた。そして完全にその姿と気配が消えるのを確認すると、涼都は歩き出す。自分の部屋ではなく、近くの共同スペースへ、だ。
共同スペースは各階にいくつかある場所で、多種多様の自販機が壁際に並び、ソファやテーブルが置かれている。そのスペースに出ると、涼都は誰もいないことを確認してから、近くの窓を開けた。
まだ春といっても、夕方になれば少し肌寒い。ひんやりとした風が涼都の頬をなでていった。
ちょうど涼都の胸ぐらいの窓枠に腕を乗せ、その上に顎を乗せる。さらさらと風が髪を揺らす中、見えるのは夕闇の空と林、校舎や施設だ。一見すると、ただ窓から外を眺めているだけのようにも取れる、が。
涼都は真剣な表情で遠くを見つめていた。そして風に流れてきたものを、ごく自然な動作ですくい取る。片腕に頭を乗せたまま横を向いて、涼都はつかんだ手のひらを目の前で開いた。
はらはらと床に落ちるソレは真っ黒の、灰のカケラ。落ちて数秒で消えたその灰に、涼都は視線を外さずにつぶやく。
「……燃やされちまったか」
(あのコウモリには結構、複雑な術をかけたのにな)
ため息混じりに涼都は身を起こし、窓を閉めた。
「ま、いっか」
腕を回してほぐしつつ、ポケットの小銭で缶コーヒーを買う。自販機から取った缶を開け、涼都は近くのソファに腰を下ろした。
「これで一応足掛かりにはなる」
突き詰めるのがめんどいけど、と心の中で付け足して涼都はコーヒーを飲む。
『亜神』
そう名乗る者からのメモで、涼都はたまたまあの林に足を運んだ。そして、たまたまその林が今までにないくらい不安定で、たまたま居合わせた生徒の喧嘩でたまたま魔界の扉が開いた。
(そしてたまたま魔獣が出たわけか)
偶然のように見えるが本当に。
本当にそれが全て偶然だったのか?
「偶然で終わればいいんだけど」
涼都は缶を見つめて、つぶやく。大量のコウモリに囲まれた時、魔界のコウモリに紛れて使い魔のコウモリが混じっていた。
(誰かが使い魔のコウモリを媒介にして、あの場を見ていたんだ)
それはおそらく『亜神』。偶然を装ってその使い魔を捕まえ、探査系の魔術をかけて、あえて術者の元に飛ばしたのだけれど。
(証拠隠滅に燃やすなんて、よほど用心深いな)
まぁ涼都は涼都で、使い魔が処分された場合にも処分した人に目印がつくようにしてある。だから見つけようと思えば、この学園中の人間をしらみ潰しに当たればいい話だ。処分したのが『亜神』でなくとも繋がりはあるだろうし。
(だが、あの場で使い魔をコウモリにして、紛れさせるなんて……)
あらかじめ分かっていないと出来ない芸当である。というか、
(そもそも、全部仕組まれていた?)
確かに、あれだけ空間が不安定なら、ちょっとした拍子で簡単に魔界の扉が開いてしまう。開くと分かっているなら、短期間でも魔獣を扉にセットすることが出来ないわけじゃない。そうすれば、扉が開いた瞬間に魔獣が飛び出してくる仕掛けが出来上がる。
(実際に、灰宮は空間が歪んだ直後に魔獣が出てきたって言ってたし)
第一、もともとの原因である異常に不安定な空間だって出来すぎている。
涼都はコーヒーを飲んで軽くうなった。『亜神』なる人物は、わざわざメモで涼都を不安定な空間に誘い出し、魔獣をセットしていた可能性がある。ならば、ターゲットは涼都だ。
しかし、もしそれが本当なら、なぜ涼都を狙ったのか、その目的は? そこまで準備していたのなら、涼都以外の生徒は林に入れないようにすれば良かったんじゃないか? 実際に涼都は無傷でいるわけだし。計画的な割には、どうしても雑な部分がちらつくのだ。
涼都はコーヒー片手に、ため息をついた。
明日に儀式をして、明後日は授業初日。その次からは土日になる。戻って来た使い魔でさえ処分するのに、それまで何かをあの林に残しているとは思えないが。
(調べてみる価値はあるか)
コーヒーを飲み干すと、ゴミ箱も見ずに投げ捨てた。背後でカランッと缶がゴミ箱に入る音を聞きながら、涼都は立ち上がって歩き出す。
何気なく時計を見ると、時間は6時43分をさしていた。まだ、夕飯の約束には時間がある。
涼都は外を眺めた。
思い出すのは、あの日のアイツの言葉。
『僕に賭けてみない―…?』
涼都は軽く下を向くと、がしがしと頭をかいた。そして、誰にともなくつぶやく。
「やっかいなもんに手出しちまったかな」
その言葉は心からの声なのもあり、思わずしみじみとした響きになった。
*―――――――――――――――――*
「辞めますか、教師。あなた達まだ若いし、今からでもやり直せますよ」
そう言った学園長の顔は真剣だった。目が据わっている。
これには、さすがの荻村も視線を泳がせた。しかし、報告に来た学園長室には限られた人間しかいないわけで、当然、助けもない。荻村は口元を引きつらせた。
「いや、あの……一応、去年の2学期から研修して、やっと今年本採用なのに、それはちょっと」
今更、職探しをするのも嫌である。しかし、言いよどむ荻村にも学園長は容赦ない。
「よくわからないけど魔界の扉が開いて、それに居合わせたのが新入生数名、状況、経緯は不明で被害は無し。そんな報告がありますか。結局何も分からないんじゃないですか」
やはりもっと考えて報告した方がよかったらしい。
「まぁ荻村はこういう人だし。明日になったら、その生徒から詳しい話が聞けるんでしょ」
そう荻村の隣で発言したのは、頭に包帯を巻いた春日だ。全然フォローになっていない。
しかも、当然のように流される。
「えぇ、そうですね。わかっているなら、言われる前に働いて下さい」
「はぁ? 勘弁して下さいよ。こっちは石が頭に直撃したってのにまた仕事? 過労死したらどうすんですか」
「頭に石が当たってピンピンしてるくせに、何が過労死ですか。だいたい」
学園長のギッと刺すような鋭い視線を春日に向けた。
「魔獣はあなたの専門でしょう。しかも、一番早い段階で一番現場の近くにいながら、気絶してたって何です?!」
「いや、気絶してたもんは仕方ねぇじゃんか」
平然と言った春日に、学園長はこめかみを押さえた。頭が痛いのは石が当たった春日より、この学園長かもしれない。
春日が頭に巻いた包帯を直しながら、どうフォローしようかと考えをめぐらせていると
「死人が出なくてよかったじゃない」
思いもよらぬ声に、全員がドアの方向を見た。
「理事長」
学園長が呼びかけると、彼はにっこりと笑う。
線が細く、柔らかい雰囲気を持つ彼は、見ようによっては荻村より年下にも見えなくはない。中性的な容姿の彼はゆったりとした動作で学園長の隣に来ると、いきなりとんでもないことを口走った。
「いいじゃない。連れて来なよ」
「は?」
突然の言葉に、全員がけげんな表情を浮かべる。対して理事長は笑うだけだ。
「どうせ君から報告が上がるなら、ここで僕らにその生徒が説明すればいいよ。大丈夫、儀式なら僕が立ち会うから」
何かを楽しんでいるように目を細め、理事長は告げた。
「御厨涼都くんを、明日ここに呼ぶように」




