*1.Let's Go 桜華 ①
何だか嬉しいような、悲しいような、切ないような、それでいて――ひどく懐かしい。
そんな既視感に引かれるように、涼都は自然と振り向いていた。
けれど
(誰もいない)
そこにはただ、自分が歩いてきたアスファルトの地面が広がるばかりだ。
「疲れてんのかな、俺」
確かに、誰かとすれ違ったような気がしたんだが……ま、いいや。
誰もいない背後を振り返るなんて恥ずかしい事は、スッパリ忘れる事にしよう。昔の夢なんて見たから、調子でも狂っているんだろう。そう涼都は気を取り直して再び歩き出した。
しかしそれも2、3歩。
突然、ふっと薄い膜をくぐり抜けたような不思議な感覚がする。それと同時に、春にしては閑散としていた道がいっきに喧騒に包まれた。
道いっぱいに人。アスファルトの地面はレンガ造りの道に代わって、その両側にはまるで祭りのように屋台がちらほらと見受けられる。すれ違った子供の持つ風船を避けながら、辺りを目にしなくともまず思うことは皆一つだろう。
うるさい。
「相変わらず騒がしい場所だな」
涼都はため息混じりに辺りを見回した。
(結界を越えるだけで、こうも違うもんかな)
うるさすぎる場所はなるべく避けたいが、いかんせん向かう場所がここを通らないと行けないため仕方ない。
「とりあえず、サッサと通り抜けるか」
ここで変に誰かに捕まっても面倒だ。そう涼都は足を踏み出した、が。
「ほらほらお兄さん! コレ安いよ~」
捕まった。
コンマ数瞬で捕まった。
「これこれ! このケーキ美味しいから! あんた買ってきな!」
「いや、今オレ糖分必要としてないから」
「とにかく美味しいんだよ! ここのはさ!」
キレイに無視。
あれか? あれですか? お前の言い分なんて一切聞かないよ、みたいな。
無理やりオバサンに首根っこをつかまれ、ズルズルと引きずられながら涼都は真剣に思った。
(やっぱりこんな場所来なきゃよかった)
4月1日
今日この日、俺がその場所に向かう事になった発端は4ヶ月程前まで遡る。
それは中3で後期も半ばのやたら寒い日のことだった。
いつも通り学校を抜け出し、ほっつき歩いていた涼都はこの時、珍しい事に激しく困っていた。普段『俺の辞書に不可能の文字はない』が信条の涼都だが、これは不可能うんぬん以前の問題である。
「あー…俺何かしたっけ?」
涼都はとりあえずソレにそうつぶやいた。しかし返答はない。当たり前だ。
なんたって今涼都の目の前にいるのは。
「死体、じゃないよな」
目の前で倒れている男、約1名。とりあえず国籍は日本だろう。いや別に国籍関係ないけど。
適当にフラフラしていたらたまたまコレに遭遇した。この雪でも降りそうな寒い日に、温度なんてまったくなさそうな地面で転がっているのである。
本当に迷惑な話だ。
これでは端から見たら、涼都がこの男をノックアウトしたみたいじゃないか。しかも、すぐ曲がった所で大の字と言っていいくらいに気持ちよく倒れていたので、思わず力いっぱい踏んでしまった。
その時に男がうめいたので死体じゃないと分かった、けど。
「これ、マジでどうしよ」
涼都は面倒そうに頭をかく。
実際、面倒には違いなかった。別に涼都としては今すぐ見捨てたって構わないが……
チラッと男を見て涼都は即決した。
「ま、いっか」
面倒ごとはゴメンである。涼都はくるりと方向転換した。
(実はアレは幻で存在すらしてなかったってことで)
そう誰にともなくつぶやいて涼都は歩き出――せなかった。
「待ってえぇぇぇぇ~!」
そう聞こえるのと制服のズボンの端をつかまれたのは、ほぼ同時だったと思う。
「ちょ……っ!」
気づいたら前につんのめっていた涼都は、必死にその場に踏み留まった。グッジョブ、 俺!
危うくアスファルトで顔を摩り下ろしかけ、反射的に男の胸ぐらをつかんだ。
「てめぇ、俺を地面にダイブさせる気か!? 顔面血だらけになんぞ、コラァ!」
「何言ってんの!? 普通、誰か倒れてたら助けるでしょ! キミ何帰ろうとしてんの!」
「今のこの世の中、道で倒れているようなヤツはたいてい何か訳アリなんだよ! そんな怪しいやつに差しのべる手はねぇ!」
ホラー映画しかり、推理小説しかり、訳ありなモノに首を突っ込むから、幽霊屋敷やら面倒くさい事件やらに巻き込まれるのだ。おかげで死にかけたり殺人犯に殺されそうになったり、なんか変態に追いかけまわされたり、そんな展開はごめんである。
「だからって、何も放置することないじゃないか! せめて救急車ぐらい呼んでよ! それに僕は訳アリなんかじゃないから」
「わかった。じゃ呼んでやるよ――あ、もしもし? 警察ですか? 今ここに不審者が」
「わぁあぁぁぁっ! 何で警察!?」
慌てて携帯を引ったくった男に、涼都は憮然とした表情を向けた。
「うるっせぇな。救急車もパトカーも変わんねぇだろ、同じ車なんだから」
「変わる! 天国から地獄ぐらい変わるから! むしろ、そこしか共通点ないし。キミ一体どういう認識してんの!?」
「不審者は、しかるべき場所に行くべきだろ」
言いながら男から携帯を取り返すと、涼都は再びダイヤルをプッシュした。
イチ、イチ、ゼ……
「ま、待って! とりあえず不審者じゃない! 怪しい者じゃないから!」
「怪しいヤツは、みんなそう言うんだよ。最終的に俺の鉄拳で撃退するぞ」
拳を軽く握った涼都に、男は取り繕うような笑顔を浮かべた。
「ま、まぁ落ち着いて。あっそうだ。こんなとこでも何だし、ちょっとならおごったげるから一緒にお茶でも」
今度こそ、何のためらいもなく涼都は男を殴り飛ばした。
鈍い音を立てて再び地面に転がる男に、涼都は容赦なく軽蔑の視線を投げる。
「どこのナンパだ、それ! それとも誘拐か? そうやって人連れ込むにしても年考えろ。今どき、そんなんじゃ幼稚園児もついて来ねぇぞ。俺はもう帰るからな」
あほらし。
正直、これ以上関わっていられない。脱力して踵を返した涼都の背に、男がうめくように叫んだ。
「待って! 最後に、ちょっと、行かないでってば! ねぇ、御厨 涼都!」
突然叫ばれた自分の名に、涼都は思わず足を止めた。ほとんど無意識に振り返った涼都に、男は笑って続ける。
「そういう名前の人知らない? 探してるんだ」