*3.不思議の国の兎さん ⑦
と、まぁ色々あったが、そんなこんなで魔界の扉の封印には成功した。したのだが。
いまだに凶悪な顔で睨む被害者の寅吉は、やさぐれている。その頭は茶色に焦げて、くりんくりんのパンチパーマになっていた。
(耳までパンチパーマだよ)
消火後に指をさして爆笑したら本気で殴りかかってきたので、なんとか笑いをこらえて涼都は寅吉をなだめる。
「ま、結果オーライ。無事に済んでよかったな」
「何が無事!? 人の頭燃やしてコケれば避けられて、水かけるより扉を優先されたんだぞ! そして挙げ句の果てに、頭見て大爆笑ってどーゆーことだよ!?」
それは、お前の頭が面白すぎるのが悪い。いや、俺が原因だけども。
藍田は、頭については怖くて突っ込めなかったらしく、不思議そうにパンチパーマの兎を見上げていた。
涼都は今にも殴りかかって来そうな寅吉に待ったをかける。
「あの場合は仕方ないだろ。よくわからんが扉が自主的に閉まってくれたんだ。いつまで閉まっているかもわかんねぇのに、悠長に消火活動なんて出来るか」
それもそうだ。
寅吉もそこら辺はわかっているらしく、舌打ちして向こうへ歩いて行く。どうやらすねたらしいが、そんなものはどうでもいい。
寅吉の行く先に、涼都は視線を向けた。そこには、意識を失ったままの灰宮が寝かされている。寅吉は灰宮を見下ろし、不機嫌そうな声で涼都に尋ねた。
「で? このお嬢ちゃんは大丈夫なのか?」
言いながら、しゃがみこんで灰宮の顔を覗く寅吉に、涼都は地面に視線を落とす。
「大丈夫、なはずだ。少なくとも命に別状はない」
「……そーか。顔、真っ青だぜ」
それは単に血の気がないのだろう。
(いくら俺でも、体内の血まで増やせないからな)
クーシーに腕を噛まれ、気を失いながらも結界を解かずに維持していたのだ。その間、もちろん止血をする人間もいない。更に、駆けつけた時には灰宮は、かなりの魔力をコウモリに吸われていた。涼都が治癒して魔力をある程度改善させなければ本気で危なかったのだ。
(全く、無茶しやがって)
嘆息して、涼都が軽くこめかみを押さえていると、灰宮が目を覚ましたらしい。
「おぅ、お嬢ちゃ――」
「……魔獣は!?」
上から覗き込む寅吉など、お構い無しに灰宮は上体を起こした。
「おぶっ」
結果、ゴツッと額同士をぶつけて両者、地に沈んだ。まぁ、お約束というやつだ。
「魔獣なら、東と杞憂あたりが上手くやったみたいだぜ。魔界の扉も封印だけはした」
額を押さえ、うずくまる灰宮に簡単な説明をする。灰宮は涙目でなんとか立ち上がった。
ホントに大丈夫か?
「そうなの……そう言えば私、杞憂のことで言わなきゃならないことが」
「あぁ、それなら説明はいいよ。だいたい予想はついてる」
「え?」
灰宮が、きょとんとして涼都を見た。それに涼都は笑って、まだ倒れている三人の男子生徒に歩み寄る。そして、一番手前の生徒のポケットに手を突っ込み、藍田に尋ねた。
「んで? 杞憂の財布はどんなんだ?」
その一言で、藍田も灰宮も本当に涼都が事情を察している事を確信したらしい。意味がわからない顔をしているのは、寅吉だけだ。
藍田は慌てて涼都の近くまで駆けて来た。
「っ! はい、あの……黒の長財布で『Age』の刺繍が隅っこに入ってるんですけど」
涼都は一瞬、遠い目になった。
Age、アージェ。魔術界において有名なブランドの一つだ。それの長財布なら、確実に十万以上はする。
(さすがお坊ちゃんだな)
貧富の差を実感した涼都は、ため息をついて現実に戻った。
「コイツは違うな。じゃコイツか?」
適当にポケットに突っ込んだら、明らかに質感が違うモノに行き当たった。確実にこれだ。案の定、引き抜くと藍田が声を上げた。
「それです、それ」
見るからに、なんか高そうな財布である。
(一体中身はいくら入ってるんだ?)
そこまで重くはないが、杞憂なら札束が入っていてもおかしくない。
涼都が思わずまじまじと財布を見ていると、灰宮がクイッと制服の端を引っ張ってきた。見ると、灰宮は何でもないただの草むらに目を向けている。一体あの草むらに何があると――
「だいたい、お前はいつもいつも会うたび気持ち悪い笑顔だな! 嫌気がする」
「そう言う杞憂は、いつもカリカリしているね。カルシウムとったら?」
嫌なヤツ×2が草むらから現れた。
(げ……)
思わず顔をしかめた涼都に、東は杞憂曰く『気持ち悪い笑顔』を浮かべた。
「やぁ、涼都。無事で何よりだよ」
確かに、気持ち悪い。
杞憂の意見に涼都も内心、大いに賛成しつつ、カルシウム不足の方へ目を向けた。
「杞憂、もうこの子分から目離すなよ。そして俺を巻き込むな、近づくな」
「あれ、俺は無視?」
東の言葉は完全シャットアウトした。コイツと話してると、何か長くなる。
一方で、杞憂は涼都の言葉にムッとしたらしく不機嫌そうに舌打ちした。
「別に、俺はお前を巻き込んだ覚えは無い」
「よく言うよ」
涼都は鼻で笑うと、杞憂に財布を投げ渡す。それは綺麗な弧を描いて、杞憂の手の中に収まった。
「俺をこの場に呼び出した挙句に、変なウサギ引き連れて来たくせに」
「変なウサギって、もしかしなくとも俺のことじゃないだろうな?」
寅吉の言葉もなんか面倒なのでシャットアウト。無かったことにして、一つ質問した。
「アレはどうなったんだ?」
もちろん、クーシーのことである。
杞憂共々、寅吉のパンチパーマに釘付けだった東は何か思い出したらしく、やや苦笑した。
「あぁ、詳しいことはまた後で話すけどね……鳴海先生は気をつけた方がいいと思った」
「はぁ?」
なぜ、そこで鳴海先生?
涼都は更に訳がわからなくなったが、まぁ今は流しておく。しかし、意外にもそこで反応したのは灰宮だった。
「東さんの担任の先生なの? 気をつけた方がいいって。そんな厳しそうな人なのかしら?」
東が紛らわしい言い方をしたせいで、早くも先生の株が暴落しそうだ。
東は笑って否定した。
「いいや。鳴海先生は俺と涼都のクラスの副担任の先生だよ。まだ若い先生でね、優しくて明るい人だよ。ね、涼都」
俺に振るなよ。
涼都は、どうでもよさそうに答えた。
「あーそーだな。むしろ元気と爽やかのかたまりみたいな。金髪とピアスの私服を見たら、鳴海先生だと思っていい」
「そう」
一瞬、本当に一瞬だけ、そう言って笑った灰宮の顔が曇った気がした。
涼都はそれに疑問を含んだ視線を向けたが、東は気にした様子もなく寅吉を見る。やはりパンチパーマが気になるらしい。しかし、そこで動いたのは東ではなく藍田だった。
「杞憂さん!」
泣きそうな声で杞憂に駆け寄る。杞憂はそれをただ冷めた目で見ているだけだ。それを見ると、本当に涼都が察した通りのことがあったのかと疑問になる。
「すいません。僕、来るなって言われてたのに! いてもたってもいられなくて……でも、結局杞憂さんに迷惑――」
途中で遮るように、杞憂が藍田の頭に手を置いた。杞憂を見上げる藍田に彼はポツリと言う。
「騒ぐな。謝るな。もっと堂々としていろ……俺の子分だろ」
その言葉に、藍田が目をいっぱいに見開いた。杞憂は息をつくと、ギリッとその手に力をこめる。
「悪いのは、全部藤沢だ」
何やら殺気立った様子の杞憂に、藍田は思わず「ひぃっ」と涙ぐんだ。涼都も灰宮も、その様子をコメントし難い微妙な気分で眺めていると、唯一状況がわからない東は寅吉に気がそれたらしい。
「ねぇ、君。どうして――」
『どうしてパンチパーマなの?』おそらく言おうとしたであろう言葉は、途中で終わる。被せるように第三者の声が聞こえたからだ。
「お前ら、いないと思ったら何やってんだ。放送聞いただろ? 面倒だからサッサと寮に帰れ」
「荻村先生」
東が『せめてもうちょっと後で来てよ』的な思いのこもった声で、残念そうに言った。そんなにパンチパーマが気になるか?
涼都が横目で東を見ると、荻村は林の奥にある魔界の扉に気付いたらしい。
「あれは――」
ハッとして扉を見入っている。その魔界の扉とクーシーの騒ぎが脳内で繋がったのだろう。荻村が涼都たちに目を向けると、全員が明後日の方向に目をそらした。
「「………………」」
「おい。寅吉」
指名されて、寅吉はビクッと体を揺らす。
荻村は特に怒った様子も動じた様子もなく、普段のだるそうな調子で頭をかいた。
「一応きくけど、お前なんでこんな所にいるんだ?」
「そ、そりゃ……いつになく林が不安定なのが気になってよ」
初耳だった。
一瞬、とっさの嘘かとも思ったが、それなら朝っぱらからこんな林にこの兎がいたのもわかる気がする。
(つーか、それで来て何で杞憂たちを追い回すハメになったのか、わかんねーけど)
そして、なぜ自分が追い回されたかも、いまだに全くわからない。
「まぁいいや。お前ら今日のところはもう帰れ。だが教師として居合わせた以上、明日、事情を聞かなきゃな。面倒極まりないが」
そう言う荻村は非常にかったるそうだった。先生、それでいいのか。
荻村は何を思ったか、寅吉とその隣にいる涼都の二人に目を向ける。
「で、一番この事態を把握していて説明出来そうなのは、どっちだ?」
なぜ俺と寅吉の二択なんだ?
涼都は激しく面倒そうな響きを察知して、瞬時に動いた。しかし寅吉もだてにこの学園にいたわけじゃない。
両者は、ほぼ同時に互いを指差した。
「………………」
「………………」
一瞬、妙な沈黙が降りた後に
「どっちだよ」
と呆れた様子で杞憂が言う。他人事だと思ってのんきなヤツめ。
涼都が思わず杞憂を睨むと、荻村はため息混じりに決定的な質問をした。
「じゃ、あの扉に札貼ったのどっちだ?」
事実は曲げようがない。代わりに、涼都は自分を指差す寅吉の手を、曲げてはならない方向に曲げてやる。
ボキッ
「ギャァアアァアアア!」
断末魔の絶叫の中、涼都は何事もなかったかのようにつぶやいた。
「はー…頭痛い」




