*3.不思議の国の兎さん ⑤
「おい! 待て待て待て! どこに向かってんだよ、お前は!」
林を駆け抜ける涼都に寅吉がわめいた。うるさいことこの上ない。寅吉を連れて来たことを半ば本気で後悔しつつ、涼都は簡単に答えた。
「林の奥。クーシーが出現した地点、もしくはその付近に向かってんだよ」
「はぁ? 何でまたそんな場所に今向かうんだ! まずはクーシーを片付けるべきだろ!?」
確かに、寅吉の言うことが正しいかもしれない。入学したての新入生二人を魔獣と共に置いてきたのだ。いくら東と杞憂が四大一門だからといって、いきなりクーシーを押し付けたのでは、無茶ぶりどころか無謀である。そんなことは涼都もわかっていた、それでも。
「アイツらにはやってもらうしかねぇんだよ! 天下の設楽家と杞憂家だ。身を守る術は心得てるだろ」
あの二人なら、最悪の事態だけは避ける力があるはずだ。
寅吉はその家名に、驚いて目をみはった。
「設楽と杞憂だと!? ならアイツらは四大一門か……いや、でも危険なことには変わりない。俺だけでも戻――」
「あんたが言ったんだろ」
「あ?」
強引に遮った涼都の言葉に、寅吉はけげんな表情を浮かべる。涼都はなるべく早く簡潔に伝わるよう、言葉を選んだ。
「魔獣が出たのは、魔術の衝撃に林の不安定な空間が耐えられなかったからだ。そう言ったよな?」
「言ったが、それがどうかしたか?」
イライラと焦れったそうに叫んだ寅吉に涼都も叫び返した。
「それなら! 魔術の衝撃を与えたのは誰だよ? 俺らの中で唯一魔術を使った杞憂が原因なら、その時その場で空間が裂けるはずだろ!」
「!!」
寅吉がハッとして息をのむのがわかった。
そうなのだ。
空間が割れるのは一番魔術の衝撃が強い所、すなわち魔術の行われた場所であるはず。涼都の知る範囲、林で魔術を使ったのは杞憂だけだ。しかし、杞憂の魔術を止めたのは涼都だし、その時の空間は正常だった。その後は三人とも魔術を使ってないのだから、そもそもクーシーに関して涼都達は原因ではない。
ならば、他に魔術を使って空間を割ってしまった人間がいるはずだ。
寅吉は舌打ちして言った。
「そういや、追いかけたヤツら以外にまだ何人かいたな。そいつらの魔術が原因でクーシーが出たのか」
ならばならおさら状況は悪い。
涼都は顔をしかめた。
「杞憂の魔術で空間は割れなかった。それが割れたって事は杞憂以上に魔力を使ったってことだ」
魔術のレベルが高ければ高いほど、使う魔力も大きくなる。単純に考えれば、そいつは杞憂より難易度の高い魔術を使ったと思うところだ。だが、杞憂以上の魔術を使う者ならクーシーを野放しにはしない。
寅吉はやっと涼都の言いたいことがわかったらしい。舌打ちして言った。
「魔術を使うのが下手な素人ってことか」
レベルの低い魔術でも、慣れない内は力が入って必要以上に魔カを消費してしまう。おそらく、ちょっと強い魔術を使おうとした初心者が、運悪くクーシーを出すハメになったのだろう。
「十中八九、クーシーに襲われたと見ていいだろ。それに空間も割れたままじゃ、また何か出てくるよ」
「そうだ。空間をうめなきゃいけねーんだった」
そこまで考えが至らなかったのか、寅吉は顔を覆ってため息をついた。クーシー以上に強い魔獣や魔物が出て来られては、もっと被害が大きくなる。
「これで、何で俺が二人にクーシー任して、あんたと来たのかわかったろ?」
「あぁ。それで林のことをよく知っている俺も連れて来たわけか」
ただ単に人手が欲しかっただけなのだが、まぁいいや。
涼都は寅吉を置いて特にひらけた、空間が割れた場所に踏み出した。
「っ!?」
その瞬間、飛んできた黒いモノに腕で顔と頭をかばう。
「何だこれ。コウモリ?」
よく見なくとも、この場所全体にコウモリの大群が飛び交っていた。さすが空間が割れて魔界と繋がっただけはある。
遅れてやってきた寅吉が、コウモリをなぎ払いながら答える。
「だな。しかも魔界のコウモリだ。魔力を吸われるぞ」
わかってる、と答えかけて涼都は口を閉ざした。そこでは、飛び交うコウモリから身を守るように四人の男子生徒が結界で守られている。そしてその端で倒れているのは。
「灰宮!」
涼都は駆け出した。
そこには、先ほど会ったばかりの少女が腕から血を流して倒れていた。
*―――――――――――――――――*
一方、1―A教室。
副担任の鳴海は出席簿片手に困り果てていた。
「えーと、誰か御厨君と設楽君見てないかな?」
そう尋ねても、クラスの生徒は誰一人として答える者はいない。入学二日目なのだからいきなり名前を出して聞いても、友達でない限りそもそも誰だかもわからないだろう。まぁ御厨と設楽に限っては同性、異性関係無しに注目の的であったようだが、誰も行方を知らないようだ。
「二人とも一応カバンはあるんだけどな」
教室の時計を見ると、すでに時刻は8時57分。あと3分で儀式が始まってしまう。
「まぁ出席順にやる予定だから、多少遅れて来ても大丈夫ではあるがな」
そう言って煙を吐いたのは担任の荻村だ。立ち上がってうろうろしている鳴海とは真逆で、荻村はどっかりと腰を下ろしてタバコをふかしている。そして、鳴海に視線を向けるなり、立ち上がって近づいて来た。
「鳴海」
呼びかけ、荻村はわずかに眉を寄せた。
「なんか外、騒がしくないか?」
*―――――――――――――――――*
「あー……どうする? 杞憂」
「俺にきくな」
東の問いに杞憂は思いっきり顔をしかめた。先ほどまでさんざん東と一緒に行動するのを突っぱねていた杞憂である。嫌そうな顔をしていようが、ブツブツ文句を言おうが、まだこうして共にこの場に立っているだけマシだった。
まぁこうして嫌がる杞憂が渋々東と来たのも、クーシーが入りこんだ場所に問題があったからだ。
「どうして校舎の、しかも中庭に入っちゃうかな」
東は思わずため息をついた。
そう、現在二人がいるのは高等部の中庭のうちの一つである。しかもよりにもよって1年校舎と2年校舎の間にある中庭だ。
「1年校舎側に入ったら大変なことになるな」
まるで他人事のように杞憂が言う。東としても、それは避けたいところだが、今の中庭もなかなかに大変なことになっている。
朝の1限目中といっても、サボりから遅刻の近道からと人がけっこういるのだ。その全員がクーシーの出現に驚き叫び、パニックになっている。
「早くクーシーを止めないと。杞憂、あちらの門を開けて強制送還できるかい?」
「いや、今は無理だ」
当然、出来ると言うものだとばかり思っていた東は、驚いて杞憂を見た。杞憂は嫌そうな顔を崩さずに嘆息する。
「さっき攻撃魔術に魔力を使い過ぎた。今は門を開けるほどの余力は無いだろう」
なんて使えないヤツなんだ。
この時ばかりは、東も涼都ばりに杞憂を罵りたくなったが、状況が状況だ。即座に東は切り替えた。
「じゃ杞憂は中庭にいる生徒全員に結界を張って。俺はその間に強制送還するから」
「全員にだと!? どんだけの数がいると思って――」
余力が無いと知っていての無茶ぶりに、杞憂は抗議する、が。
「君は、さ」
東は遮って、にぃっこりと杞憂に笑いかけた。しかし、その穏やかな笑顔から出た声は凍りつくほどに低い。
「杞憂家の人間だもの。出来るよね? 当然」
「………………」
さすがの杞憂も絶句した。
唖然として東を見ると、しばらくして徐々に苦々しい表情を浮かべる。杞憂は舌打ちして構えた。
「今回だけだぞ」
言って杞憂が指を鳴らすと、瞬時に中庭で逃げ回っていた生徒全員に結界が張られる。さすが杞憂だ。
(無駄もない上に速くて正確。強度もそれなりのものだね)
東が感心していると、杞憂は眉間にしわを寄せて声を絞り出す。
「早く済ませろ」
やはり無理をしているのだろう。そんなに長くは持たないと杞憂の緊迫した表情からうかがえた。
東は頷いてスッと右手を伸ばし、人差し指と中指以外を握る。
「『開け、魔界の門よ』」
言いながら、二本だけ伸ばした指をクーシーへ向けた瞬間だった。人を見て興奮したクーシーが咆哮をあげたのだ。
「!」
すぐ近くで雷でも落ちたみたいだった。あまりにもの音量に東は耳をふさぐ。しかし、手でふさぐ程度では到底無理だった。耳が痛い上に頭がくらくらして東はよろける。
クーシーの声に1、2年生は何事かと中庭が見える窓へ集まってきた。
「~~~~~~ッ」
東と同様に直撃した杞憂は、膝をついて奥歯を噛み締めている。しかし結界は何とか維持出来たらしく、不安定ながらも、しっかり生徒を包み込んでいた。東はふらり、と近くの木に片手をつく。
(しまった)
もろにくらったせいで平衡感覚がおかしくなっている。そんな東を見て、杞憂が人の悪い笑みを向けた。
「お前、設楽家だろう。出来るな? 当然」
先ほどの東の言葉をそのまま返されて、東はふっと口をつりあげる。
「もちろんさ」
今度こそ、東は魔術でクーシーを送還しようと手を動かした。
その時だ。
「ちょ、ちょっと?! 先生っ! 何やってんだよ、危ないってば!」
そんな叫び声が聞こえたのと同時に、
ダンッ
とクーシーと東の間に降って来たモノがあった。
膝を曲げて綺麗に着地したそれは否、人だ。何階からかはわからないが、とにかく飛び降りて来たその人は立ち上がると、パキパキと指を鳴らしている。
東はギョッとして口を開いた。
「鳴海先生」




