オレンジとプロポーズ
アレン=オル=ラカント。
王兄殿下の長男であり、この国の王位継承権第三位を有している方であり、私の婚約者である。そして、今日は第一王子、アルライド様の婚約を祝うパーティーであるにも関わらず、主役を押しのける勢いで人々の視線を集めている人物でもある。
……あ、自己紹介が遅れました。私はマリア=マルテル。父がこの国の宰相を務めているの。
「そのドレスも、ネックレスも、よく似合っている。」
「まあ、本当? 貴方に言われると自信を持てるわ。」
「……別に、マリアは着飾っていなくても綺麗だけどな。」
「お世辞でも嬉しいわ、ありがとうアレン。」
そんなおしゃべりをしながら、いつものように一曲だけダンスを一緒に踊った後。今日も今日とて我が婚約者殿は美しい令嬢方に囲まれていた。本当は、アレンと二人でアルライド様に挨拶に行きたかったのだけれど、難しいかしら。私はこっそりため息をついた。
私には、四人の妹がいる。つまり、宰相には娘が五人。お父様とお母様は子宝に恵まれたけれど、跡継ぎとなる男子は授からなかった。四人目も女の子が生まれた時に、この先も男の子を授からなかった場合どうするかという話し合いがなされた。
次期宰相にと見込んだ方を婿養子に迎える。
それが、代々宰相を輩出するマルテル家の出した結論だった。……と言うより、第二夫人は絶対に持ちません、と宣ったお父様のおかげで、こうなったわけなのですけれど。
そういう事情があって、私とアレンは十二年前に引き合わされた。誰がどう見ても政略的に結ばれた婚約者同士というわけ。
アレンに憧れる若い令嬢方は、可もなく不可もなくという顔で、しかも彼より年上の私が婚約者の位置におさまっているのがお気に召さないようで。いつも、ダンスが終わってしまえば、いつの間にか私はアレンと引き離されている。それに対して、文句を言ったこともなければ、嫌な顔を見せたこともない。そんなことをしてアレンを困らせたくなかったし、心の狭い女と思われるのが怖かった。けれど、そんな私の対応も相俟って、令嬢方の間では"好きでもない人と婚約しなければならなかったアレン様がかわいそう"という認識が広まっているらしい。彼女たちの間では、私はさぞ悪い女なのでしょうね。
* * *
初めてアレンと会ったのは、私が八歳、アレンが六歳の時だった。
王宮には、王女様の遊び相手として何度か連れられていたけれど、王子様たちとはあまり会わなかったから、王子様の遊び相手であるアレンと会ったことはなかった。
「殿下、奥方様、こちらが娘のマリアです。」
お父様が、アレンのご両親、王兄であるグレン殿下ご夫婦に私を紹介して下さったから、私は教えられた通りの礼をした。
「こんにちは。マリア=マルテルでございます。」
わたしは記憶にないのだけれど、赤ん坊の時にお二人にはお会いしたと聞かされていたので、はじめましてはおかしいと思い、こんにちはと挨拶をした。お二人とも微笑んで下さったので、間違っていなかったと胸をなで下ろす。
「まあ、マリアはこんなに可愛くなったのね。アレンの二つ上だから、もう八歳になったのかしら?」
グレン殿下の奥方、アイリス様は私に視線を合わせて下さって、温かい笑顔で話しかけて下さった。
「は、はい。」
「アレン、こちらにいらっしゃい。……マリアとアレンは、はじめましてかしら?」
「はい。遠くからお姿を拝見したことはありますけれど、お話するのは初めてです。」
「そうなのね。……ほらアレン、貴方から挨拶するのでしょう?」
年上だから、私が先に挨拶をするものかと思っていたけれど、アイリス様がそうおっしゃるので、私はアレンが話すのを待っていた。……けれど、アレンは私をじっと見つめたまま、なにも言わない。
「アレン? どうしたの?」
アイリス様の声にピクリと肩を揺らし、アレンはアイリス様の方を見た。
「母上、この人が、マリアですか? 僕と結婚する人?」
「ええ、そうよ。大きくなったら結婚しましょうって、お約束をするのよ。」
まだ声変わりのしていないアレンの声はとても可愛らし……失礼、アレンはその後もしばらく、私をじっと見つめていた。
やっぱり、私から挨拶をした方がいいのかしら。そんなことを思って、口を開こうとした時だった。
「!?」
私は、アレンに口付けられていた。
「アレン!?」
「アレン、お前なにを…!?」
聞こえてきたのは、アイリス様とグレン殿下の慌てた声。お父様は、驚きすぎて口がポカンとあいていた。
「え? 僕とマリアは、結婚するのでしょう? 父上と母上の真似をしましたが、いけませんでしたか?」
愛らしい声と表情で、何てことを言うのか…!
「あ、アレン? 父上と母上の真似は、二人がもっと大きくなってからしましょう? ね? マリアが驚いてしまうわ。」
「どうしてですか? マリア、嫌でしたか?」
「えっ?!」
まさかこちらに話を振られると思っていなくて、私は固まった。
「……すまないユリウス。教育の仕方を間違えたらしい。」
「……いえ、まあ、そうですね。マリアを大切にしてくださるのであれば問題ありませんが。」
こうして、初めての顔合わせは終了した。
* * *
昔のことを思い出している間も、相変わらずアレンの周りには美しい令嬢方がいた。多分、これ以上待っていても仕方がないわね。アルライド様への挨拶は、一人で行くことにしようと思って、私が歩き出した時だった。
「!?」
後ろから誰かに引っ張られ、バランスを崩してしまった私は、尻餅をつくような形で転んでしまった。
後ろを振り返ったけれど、怪しい人はいなかった。誰かに引っ張られたと思ったのだけれど、気のせいだったかしら。
「ちょっと貴女、邪魔でしてよ。」
上から声が降ってきて、私はハッとして顔を上げた。そこに居たのは、流行りのドレスに綺麗に巻かれた髪の毛、ばっちりメイクが施された三人の令嬢だった。……確か、アレンのところに居たように思ったのだけれど……
「早く退いてくださらない?」
「も、申し訳……っ!?」
確かに、こんなところに転んでいたら、他の方々の邪魔でしかない。慌てて立ち上がろうとしたのに、右手に激痛が走った。見ると、令嬢によって私の右手は踏みつけられていた。……わざとかしら。わざとよね。
「あの……」
「聞こえなかったの? 早く退きなさいと言っているの!!」
その言葉の直後に、令嬢が持っていたと思われる飲み物をかけられた。ああ、ベタついて気持ち悪い。それに、オレンジの匂いがすごい。
「あら、ごめんなさい。手が滑ってしまったわ。」
「元はと言えば、話を聞かなかったこの方が悪いのよ、気にすることではないわ。」
「まあ。それもそうね。」
クスクスと、笑い声が上から降ってくる。
ここで泣いては余計に惨めになるだけよ、マリア。泣いてはダメ。そうやって自分に言い聞かせながら、令嬢方の気が済むのをおとなしく待っている、と。
「マリア!!」
聞こえてきた声と、髪に触れる大きな手。
「アレン…?」
「大丈夫か? どこか痛むところは? ああ、顔が濡れてしまってベトベトだ。」
アレンは私の前髪をかきあげた。そして、ポケットからハンカチを取り出すと、私の顔を拭いてくれる。顔は拭きたいと思っていたから、されるがままにしていたら、そのまま、頬を両手で包まれた。
「ありがとうアレン。顔はもう拭いてくれたから大丈夫よ、心配しないで。」
私はアレンの手を頬から離そうと、彼の手を握った。……けれど、それがまずかった。
「マリア…? その手の甲はどうしたんだ、真っ赤じゃないか!!」
「いえ、何でもないの。本当よ、冷やせば大丈夫だから。」
私が言うと、アレンは泣きそうな表情になった。……そんな顔を、して欲しいのではないのに。何て言えばいいのかしら。わたしが必死にふさわしい言葉を探していると、それより先にアレンが口を開いた。
「……マリア。結婚しよう。」
「…………はい?」
え? 今、アレンは何と言ったの? 私の聞き間違いかしら、随分と場違いな言葉が聞こえてきた気がするのだけれど?
「結婚したら、マリアは家に居たら良い。こんな危ない場所には、もう来なくて良いから。」
「あの、アレン?」
アレンは私の両肩をがっしりつかんだ。
「本当は、マリアに相応しい男になれるまで我慢するつもりだった。マリアが俺のことを好きになってくれるのを待つつもりだった。……でも、君が、こんな目にあったんだ。もうそんなことを言っていられない。」
「え?」
「俺に君を、守らせて。」
ああ、ちょっと待って、アレンはなにを言っているの。思考が追いついていない。
「君がまだ俺のことを好きでなくてもいい。いつか、振り向かせてみせるから。だからお願いだ、結婚してくれ、マリア。」
「……あの、アレン、落ち着いて。ちょっと待って。」
アレンの腕に手を添えて、短く息を吐いた。
「私がいつ、貴方のことを好きでないと言ったの?」
「……え?」
「貴方のこと、嫌いなわけがないじゃない。こんな私を、婚約者として扱ってくれたのだもの。むしろ、私は貴方を縛ってしまって申し訳ないと思っているのよ。貴方にはきっと、もっと美しくて若い御令嬢がお似合いだもの。それを私が、宰相の娘だったばっかりに……。私が何度、男だったら良かったと思ったことか。」
「まさか! 俺は初めて君を見た時、神に感謝したくらいなのに!」
「ええ?」
「君がユリウスの娘だったことも、俺がユリウスに次期宰相と見込まれたことも。」
「そ、そうだったの……」
まさか、あの、じっと私を見つめていた時間、神に感謝の気持ちでも述べていたのかしら? 六歳の子どもが?
「ああ、じゃあ、こんなに遠回りする必要もなかったのか。」
アレンは私を抱き寄せると、ほうっと息を吐いた。
「好きだ、マリア。きっと俺は、君がユリウスの娘でなくても、俺が次期宰相でなくても、君と結婚したいと願うだろう。」
「あ、ありがとうアレン。でもね、その、私今汚れているから、貴方の服まで汚してしまうわ。話は聞くから、いったん離れて。」
私の言うことを聞いてくれたと思ったのに、至近距離で見つめられた後、アレンは私に口付けた。
「オレンジの匂いがするマリアも綺麗だ。」
「そ、それは意味が分からない……。」
もう一度、アレンの顔が近付いてきた時だった。
「やあ、アレンにマリア。盛り上がっているところ悪いんだけど、ここがどこだか、忘れていないかい? 一応、僕の婚約を祝うパーティーなんだけどね?」
上から、アルライド様の声が降ってきた。さっきまでアレンに気を取られていて忘れていたけれど、ここがどこだか思い出した私は、背筋が凍りそうだった。
「アルライド、空気を読め。俺はまだマリアからプロポーズの返事を貰っていないんだ。」
……アレンは、そうでもないみたいだけれど。肝が据わっているというか、何と言うか……。
「そういうことは二人きりの時にやってくれないかな?」
「…………チッ」
……アレン? 今舌打ちをしたのかしら? アルライド様に向かって? わたしは頭を抱えたくなるのを我慢して、アレンの腕を振り解くと立ち上がった。
「申し訳ありません、アルライド様。わたしがこけてしまったばっかりに、このようなお見苦しいところを……」
「マリアはなにをしても綺麗だ。見苦しくなんてないよ。」
アレンに反省の色が見られないからわたしが頭を下げているというのに、なんてことを言うのか…!
「ちょっとアレンは黙っていて!」
「どうして? 俺なにか間違ったことを言ったか?」
アレンは立ち上がるそぶりすら見せず、わたしを見上げながら首を傾げた。
「そういうことではなくて…!」
ああもう!! 心の中だけで悪態をつくと、アルライド様に頭を下げ、アレンと視線を合わせるためにしゃがんだ。
「アレンも一緒に謝って。わたしたちとんでも無いことをしたのよ?」
「マリアがプロポーズの返事をくれたら、考える。」
「はい!?」
どうして話が通じないのかしら!? しかも考えるって!
「怒っているマリアも可愛いよ。」
反論しようとして口を開いたのに、アレンに引き寄せられて、口付けられて。ここがどこだか分かっているのかしら!? ああ、恥ずかしくて死ねる。
「これ以上は、人前でするものではないな。マリアが可愛いのは、俺だけが知っていれば良い。」
長い長いキスが終わり、私が必死に息を整えているというのに、アレンは何故か満足そうだった。それに、色気がすごい。
「マリアも面倒な婚約者を持ったものだねぇ。同情するよ。」
「……え?」
「アルライド、マリアと話すな。マリアは俺の婚約者だ。」
「ちょっとアレン!?」
「別に話すくらいいいだろう? 減るものでもないし。」
「うるさい。」
その後もアルライド様とアレンはなにやら会話をしていたけれど、精神的に疲れた私は全て聞き流した。
* * *
結局、ドレスが汚れているからということで陛下の許可を得て、広間をあとにした。……ええ、まあ、当然のようにアレンもついて来ました。流石に、着替えている間は部屋から出しましたけれど。
それからは、公の場に出る機会が減ったり、毎日のようにアレンが会いに来るようになったりしているうちに、なんだかんだで、三ヶ月後に、アレンと私は結婚式を挙げた。
私のことは一目惚れだったとか、いつも令嬢方に囲まれていたのは、そうしている方が私に危害が加わらないと思ってそのままにしていたとか、あまり触れ合わなかったのは、一度触れてしまうと理性がもちそうになかったからだとか、なんだか知りたくないことまで知ることにはなったけれど、それだけ大事に思ってくれているということで、納得させた。
「マリア! 一週間休みをもらえることになったから、新婚旅行に行こう!」
「ええ? 本当に? 大丈夫なの?」
「ああ、マリアと二人きりの時間は誰にも邪魔させないさ。心配ない。」
「そうじゃなくてお仕事の話よ!!」
これで仕事は早くて正確で、陛下やお父様からは信頼されているのだから不思議だわ。宰相の右腕、なんて言われているくらい、仕事に関しては真面目なのよね。
「それも心配ない。無責任なことをして、マリアに失望されたくはないから。俺がいない一週間も、仕事が滞りなく進められるよう考えてあるよ。」
にこにこと、当然のことのように言うアレン。そんな風に言われてしまえば、私の答えは一つしかないわけで。
「……それなら、大丈夫ね。」
アレンは、周りからは、嫁の尻に敷かれているのだろうと言われるそう。……実際は、全然そんなことはないのだけれど。
「楽しみだなあ。どこに行こうか。北の離宮に涼みに行くのも良いなあ。マリアはどこに行きたい?」
「うーん……アレンと一緒なら、どこも楽しいと思うわ。」
「! マリア、愛してる!!」
「!?」
勢いよく抱きつかれ、愛の言葉を贈られて。……なんにせよ、幸せだから良いかと思う、今日この頃です。
おまけ:ユリウスとアレン
「義父上。」
「どうしました? アレン。」
「昨日のパーティーでマリアに嫌がらせをしていたのは、伯爵家の娘とその取り巻きでした。証拠、証言を集めたので適当に処罰しておきますが良いですよね?」
「おやおや。さすが、うちの婿殿は仕事が早いですね。……陛下には私から言っておきますから、好きになさい。」
「はい、ありがとうございます。」
二人は終始、にこにこしていた。
部屋にいた宰相の補佐官たちは、話の内容と表情の乖離に、背筋が凍りそうだった。マルテル家の者だけは怒らせてはいけないと、のちに語ったと言う。