前編
僕の住む町には小さな森がある。夏はカブトムシやセミにカナブンなどいろいろな昆虫を捕まえる事ができるため、大人から子どもまでが朝から晩まで出入りする。
しかし、それは夏のことであって今現在、冬であるこの町の森には人が出入りすることはない。
だから冬の澄みきった空を森の中心にある丘から見上げると月がとても綺麗に見える事は誰も知らない。――僕以外は。
三ノ宮時雨は成績優秀、容姿端麗の完璧女子高生である。低身長で幼さが残っているものの、凛とした顔つきが大人らしさも出している。期末テストでは常に一位をキープ。教師からの信頼もあり、先輩後輩からも慕われている。告白する男子は多く、噂では生徒だけではなく教師の一部も告白したというのだ。というより、教師が生徒に手を出したらいけないでしょ……
三ノ宮時雨は頭がよく可愛いだけでなく、性格もかなりおしとやかでこんな人間存在していいのかと思ってしまうほどの完璧美少女。僕みたいに学校では静かに過ごしているような奴とは関わることがないような存在である彼女が一度だけ僕と喋ったことがある。それは冬のある日、僕がいつものごとく授業が終わり、素早くカバンを持ち家に帰ろうとした時のこと。
「こんにちは。秋月君」
“秋月君”と呼ぶ声は透き通るような声であまりに可愛いもんだから反応が遅れた。その声で名前を呼んでくれただけで幸せな気分になるほどだ。蛇足だが僕は声フェチだ。
「えっ! あ、こんにちは……」
「今日も早く帰るのね」
「はあ。まあ僕は部活に入っていないので」
なぜ三ノ宮時雨が話しかけてきたのかはわからないが教室を出たところを学校一の美少女に声をかけられている瞬間を周りの男子が見過ごすはずもなく、視線が痛い。静かに過ごしたい僕にとってこの状況はかなり辛い。
「秋月君。放課後、ヒマ?」
今まで喋ったことがない学校一の美少女に今日の予定を聞かれるとはいったい何が起きているのだろうか。周りの視線はさらに鋭くなり、人が増えてきた。このままだと、明日からの生活が(すでに手遅れな気もするが)大変なことになる。
「いや、えっと、そのヒマじゃないんで。それじゃ……」
僕はその場から、三ノ宮時雨から、逃げるように学校を出た。
今夜は満月。空には雲一つなく、星が家の窓辺から見ても綺麗にみえる。こんな日は外の出てじっくりと月を眺めたくなる。僕は夜空を見上げることが好きで月を見るには絶好の場所があるのを知っている。去年も一昨年もその前の年も、欠かさず毎年月を見るため、ある場所に僕は足を運んでいる。
僕の家からそう離れていないところに小さな森がある。正直、森なのか林なのか分からない。木の数なんて数えたことないし、森と林の定義なんてよく分からないがとりあえず、森の入り口に『翠の森』なんてかいてあるから森と判断している。
自転車で森の入り口まで行き、そこからは歩いて森の奥まで歩いていく。森に入ると月の光以外は射しこまないため、かなり薄暗い。懐中電灯を持っていなければ小さな森といえど迷ってしまうだろう。まあ、毎年来ている僕は道をすでに覚えているから迷うことなんて今ではあり得ない話だが。
森の中を二十分ほど歩くと森の中心につく。森の中心は樹木が生えておらず、丘のように地面が少し盛り上がっているため、寝転がることができる。
「今日は月が大きく見えるなぁ」
独り言が多いのは僕の悪い癖だ。でも実際、月が大きく見えるのだ。しかも、空気が澄んでいて空がとても気分がいい。眠気も吹っ飛ぶ寒さではあるが、月を静かにみるにはかなり条件があり、冬で晴れて、雲がなく月がよく見えなければいけないから今日みたいにかなりの好条件の日は寒さなど気にしない。
しかし、今日は不思議なことがあった。あの完璧女子高生、三ノ宮時雨に声をかけられたのだ。正直、声をかけられたときは緊張のあまり顔をしっかり見ることができなかったが、チラッとしか見ていないのにその辺のアイドルなんかじゃ相手にならないほど可愛いのは分かった。
僕の今日の予定を聞いてきたのは一体全体どういうことなのだろうか。高校に入ってから一度も話したことはないし、接点と言っても同じ学年ということだけ。クラスも全然違うし、廊下ですれ違うことはあっても、僕が三ノ宮時雨を見ることがあっても、彼女が僕を気にして見ることはなかったはずだ。
僕はあの場から逃げるように去ってしまった。突然だったとはいえ、女の子の話を適当に終えて、帰ってしまったのは今さらになって悪かったと思う。母親と妹以外の女の人と喋ることなんてないからどうしたらいいかも分からなかった。さらに、周りの視線。アイツ誰? みたいな視線は死にたくなる。
せっかくの綺麗な夜空を前に嫌なことばかり考えるなんてもったいないと思い、僕は月を眺めることにしたが、すこし寒いので僕は家から持ってきた魔法瓶に入れた温かいお茶を飲んだ。
やっぱり、今日の月はなんだか近いな。それにさっきからなんだかキラキラと光っているのが見えた。じっくりと月を眺めていると月の前を何かが飛んだような気がした。
「あれ? なんだ?」
僕はゆっくりと腰を上げ、空を見上げた。すると、突然頭の上に何か大きなものが落ちてきた。
「うわぁ! な、なんだ!」
「いったーい!」
落ちてきた謎の物体はとても可愛いな声で泣き出したが僕の顔を見るとすぐに泣き止み、
「や、やっぱり今年も来てる!」
謎の物体は僕の影で顔がよく見えない。
「だ、だれ?」
僕が恐る恐る聞くと、いきなり手を握ってきた。相手の手は人間のようでとても小さな手だった。
「私だよ。秋月八代君」
月の光が彼女の姿を照らす。
手を握るその謎の物体は色白でとても細く、とても綺麗な翠色の瞳をしていた。耳は少し、普通の人間より尖っていて、さらに背中あたりから生えているように見える薄い緑色をした羽のようなものが四枚ついている。まるで妖精のような姿をしているのだが、僕の名前を呼んだ声は今日初めて僕を学校で呼んだ学校一の美少女にして完璧女子高生の三ノ宮時雨の声そのものだった。
短編ですが、二話に分けて上げることにしました。今度はファンタジーに挑戦しました。