第一話・ホテルジャック編1
「ご注文は」
「茶でいい」
酒の匂いが充満しているこのバーで、なんとも場違いな注文が飛ぶ。しかし、バーに来るのは人々が多種多様なのかその注文に「かしこまりました」と、表情一つ変えず、悪態もかかず、なんとも律儀にお茶を出す。
プロのなせる業だろう。
「ブロンド茶でよろしいでしょうか?」
「一服できればそれでいいよ」
正直疲れたからさ、と銀色の髪の上から頭を掻きながら茶を一気で飲みほす。
たははーと笑う男は大体二十歳前後で、俗に言う美青年ということがその顔から判別できる。
ただ、今日意外だと明らかに違和感丸出しなのは、彼が身に包んでいる戦闘服だ。
男は大きくあくびを掻いて、バーテンダーに茶のおかわりを要求する。バーテンダーは苦笑しつつ、グラスに茶を注いだ。
「ずいぶんお疲れのようですね。もしかして民間軍事用兵派遣会社の方ですか?」
「あ、判る?実は早朝から此処の番をやっててさ、今が休憩中〜」
「それはご苦労様です」
男はカウンターに頬杖をついて、瞼は閉じかけ、今にも眠ってしまいそうだ。緊張感も何もない仕草だが、民間軍事用兵派遣会社とはこの国、エグニアにおいて最も死亡率が高い、スリルに満ちた職だ。厄介ごとが多いこの国の警察政府は慢性的な人手不足に悩まされており、彼らはいわばなんでも屋として、多数の民間軍事用兵派遣会社と契約している。しかし、なんでも屋なので依頼は国からだけではない。民間企業や個人的依頼なども引き受けている。
今回もそれだ。
なんでもこの高級ホテルに、多数の有権者たちが参堂しているらしい。ここをテロ組織などに狙われたらひとたまりもない。よって彼らは民間軍事用兵派遣会社を雇い、ここの護衛を任せているのだ。
「では疲れが取れ、さらに眠気も覚ます、このバーの名物を出しましょうか?」
バーテンダーは笑みを絶やさないまま問いかける。
プロの業だなー。
「そんないいモンがあるならもっと早く出してくれよ」
男は楽しそうに満面の笑が広がり、うなずいたバーテンダーが手馴れたように手早く、背後の棚からジョッキを取り出す。すばやく栓をあけ、グラスに紫の液体を注ぐ。
「お待たせしました。当カクテルバー名物、檸檬酒でございます」
「俺、酒はちょっと...」
男は不満そうにほほを引きつつ、その液体を訝しげに見つめる。
「大丈夫です。少々アルコールは入っておりますがお酒と言えるほどではありません。ジュース感覚で飲んでいただければ結構ですよ」
温かみを帯びた口調で答えるバーテンダー。男は暫くグラスの中の液体を見つめていたが、意を決して、ちょこっとだけ飲む。
「お、うまいじゃん」
予想以上の飲みやすさに男は満足して、バーテンダーに笑いかける。
「さ、どうぞどうぞ。これは一気飲みするのが作法です」
手拍子を始めるバーテンダー。男はバーテンダーのノリのよさに嬉しそうに苦笑いする。
男がグラスを斜めに傾けようとした時だった。
ドアが荒々しく蹴り破られ、問答無用で短・機関銃を乱射してきた男どもが約五人。咆哮を上げながら飛び交う弾丸。煙と部屋の破片を撒き散らせながら連射は続く。
「あぶねっ!!」
銀髪の男はバーテンダーを庇いながら、カウンターの下に身を隠す。
唐突に銃声が止む。男はそれから数秒待った後、静かにカウンターから目の高さまで頭を出す。
硝煙と火薬のにおいが部屋に充満している。
少々煙っているが、どうにか見える範囲だろう。
「こりゃ、ひでーな」
中にはただの民間人もいたのだろう。だが、多数は自分と同じ休憩を取っていたタクティクター(民間軍事用兵派遣会社から派遣される用兵のこと)だったはずだ。そのタクティクターが、不意打ちとはいえ、ほとんどが鮮血で床を染めながらうっつぶしている戦闘不能状態だ。おそらく反撃も許してはくれなかったのだろう。
「全員動くな!」
ドスが利かせ怒鳴っている男に、もう殆ど動けるやつなんていねーよ、と舌打ち混じりの毒を吐きながら立ち上がろうとして、先ほどのバーテンダーに服を引っ張られる。
「あなた一人でどうするつもりですか?」
そのようなことを聞くバーテンダーの顔には、動揺の二文字は欠片もない。
「先ほど、政府に応援を依頼しました。援護が来るまで待機するのが得策だと思います」
あくまで冷静なバーテンダー。もしかしたら、今はバーテンダーをやっているが昔は相当な修羅場をくぐってきたのかもしれない。普通はバーテンダーの言う通り、待機するのがベストだろう。だが
「大丈夫だ、五人程度なら俺一人で十分」
言い終えると同時にカウンターを飛び越え、男達に弾ける様に疾駆する。その動きは瞬きを許さないほどに早い。両太股に下げたホルスターに納まっている自動大型拳銃を抜き、放つ。
「!?」
男達は咄嗟のことに驚きながらもそれに照準を合わせる。だが銀髪の男がそれを許さない。男どものサブ・マシンガンをすばやく打ち落とし、その間に間合いを詰める。
男の一人に顔面を銃身でたたきつる。ゴキッ、という生々しい音と共に、他の男がこちらに銃を発砲。それを先ほど鼻を折ってやった男の体を盾にして防ぎ、弾が飛んできた方に蹴り飛ばす。そして間を空けず右側に転げるように飛び込む。シュンッ、と先程まで自分が立っていた空間に刃が駆け抜ける。サブ・マシンガンを弾かれた男が所持していたのだろう超振動刃で、体勢が崩れている自分にそれを振り下ろそうとする。銀髪の男は床に手を付き、その体勢のまま超振動刃を振り下ろしてきた男の手首を蹴り飛ばす。一瞬何が起こったか解らない様な顔をして超振動刃を取りこぼした男に、容赦なく躊躇いなくその胸板に弾丸をお見舞いする。そして後転。銃声と共に床に残る弾痕。銀髪の男は咄嗟に避けたが、まだ銃撃は終わっていない。全自動連射で男の命を奪いにかかろうとする。チッ。舌打ちをしながら素早く転がりながら、男に発砲する。銃声が止んだ。
はぁ、と息を整えながら、まだ息があるそいつに歩み寄る。
鼻を折られ、仰向けに倒れている男は覚醒したのかまぶたをゆっくりと開ける。
鼻から血が流れ、無様な男は仰向けになったまま銀髪の男の痩せ細った長身を見上げる。
「お前、...何者だ」
「それはこっちの台詞だよ。お前ら何がしたいんだ?」
さらに相手の意図を問い詰めようと近寄ろうとしたら、突然に蹴りが入ってくる。それを後方にステップをして回避しながら、少しお灸を据える目的で、一発、二発、三発、四発と射撃し、急所をはずして相手の胴体を捕らえたはずだった。相手が常人であったならば。
すさまじく床を転がって距離をとった戦闘員の男は、こちらを睨み付けたまま不敵な笑みを浮かべている。
「人間のくせに......つけあがるなよ」
戦闘員の男は戦闘用短剣を引き抜き、こちらに突進してきた。まるで閃光のような突進を銀髪の男は、その顔にブローを食らわし無慈悲にノックアウトする。戦闘員の男が持っていたダガーが、むなしい音を響かせながら床に落ちる。ついでに男の歯が何本も。
「てめぇ一人で俺が倒せるかっての」
格好つけたような発言をする。その割りに、恐る恐る相手に近づいた男は、油断なく銃を構えたまま足先でちょんちょんと相手の体をつつく。どうやら完全に逝ってしまっているようだが、男の表情は引き締まったままだ。
絶え間ない銃声は店外からも響き渡っている。
「ちょっと騒がしすぎるだろ、これ」
男は、倒れた戦闘員の男がヘッドホン型のイヤホンとマイクを身に着けているのを目に留めて、無線機ごと剥ぎ取って耳に当てる。
「第十一分隊、フロアー16大食堂を確保!」
「第十五分隊、フロアー屋上展望台制圧完了!」
「第八分隊、フロアー2大広間苦戦中であります。応援を!」
「第七分隊、了解!」
「第三分隊、了解!」
「第十八分隊、本部、応答願います!」
怒涛のような通信の嵐を聞いて、男の顔がいちだんと引きつる。
「おいおい、どれだけいんだよ。こいつらマジでホテルジャックする気か?」
思わず呻いてしまったとき、無線から怒鳴り声が漏れた。
「おい! カフェ・バーはどうなっている。応答しろ!」
「はっ!制圧完了しました!」
「貴様だれだ!」
「やばっ!」
咄嗟に先程の男の真似をしてみたが、どうやら通じなかったようだ。似てるとも思えなかったが。無線を投げ捨て、バーテンダーのほうに向く。
「もうすぐ敵さんが来ると思うから、あんたは死んだ振りでもしていてくれ。間違っても抵抗するなよ!」
「わかりました。熊も騙されるほどの私の演技力を期待していてください」
ほんとにノリがいいな、このバーテンダー。
「期待してるぜじゃあな」
男が店を出ようとしたとき「お持ちください」と、バーテンダーに呼び止められた。
「あなたの名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
笑みを絶やさないまま、バーテンダーが問いかける。名前ぐらいは教えても減るものではない。
「アルフだ。アルフ・ミリリーク」
「それではアルフ殿、御武運を」
バーテンダーが神妙に答えたとき、アルフはすでに音もなく店外に消えていた。