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 浜村と俺は新人として同じ部署に配属されたその日に初めて出会った。

 生まれも育ちもまったく違う俺たち、ただ同じ部署に配属されたばかりの同期というだけでしかなかったが、なぜか不思議と気が合った。その年の梅雨がくるころまでには、3日とあけずに、会社帰りに飲みにいくような仲になっていた。そういう酒の席では、その日の仕事でのミスを慰めあい、上司の悪口を言い合い、同僚たちの仕事ぶりを批評しあった。

 それから、そんな二人の親密で良好な関係は、仕事にもいい影響を及ぼしたものだ。

 お互いをフォローしあい、協力し合ってプレゼンを成功させ、率直でつっこんだ話し合いを事前におこなっておいて、会議でお互いの提案の援護射撃をしあう。

 あるときには、俺たちは共同で会社に新商品のアイディアを提案し、それが認められて、実際に商品となったときには、二人でうまい酒を酌み交わしあったりしたものだ。

 そういう良好な関係は、俺たちが異動になって、それぞれ別の部署に移ったあとも続いた。

 会社が引けると、行きつけの居酒屋に集まり、仕事の愚痴を肴に酒をチビチビと飲む。

 ときには、激論を戦わせ、お互いの考え方の違いを怒鳴りあいながら批判することもあったが、そういう感情的なしこりは、一晩寝るとすっかり忘れ果てていて、翌日には、また居酒屋で酌をしあった。

 結局、そんな関係は、二十年以上経った今でも続いている。

 二人が出会ってから、数年後には、それぞれに後輩の女性と結婚し、家庭をもち、さすがに飲みにでかける頻度は減ってしまったが、それでも毎月一度は必ず顔を合わせている。

 そして、お互いに関わっているプロジェクトの内容を話し合い、アドバイスしあい、時には、喧嘩もあったが、それでも、二人の付き合いは気持ちよく、両者にとって、実りの多いものでありつづけたのだった。


 ただ、現在の二人の立場は微妙に異なっている。

 あいつは、同期の中で常に一番に出世し、いまや取締役会にその名を連ねている。かたや俺の方は、ようやっと部長にまで昇進したところ。

 もちろん、まだ40代。二人とも十分に早い出世ではあるのだが。それでも、正直、あいつに負けているようで悔しい。

 なにが、二人の出世スピーその違いをもたらしたのだろうか?

 これまでに浜村が提案し、実現させてきた案件の少なくない部分には俺のアイディアが取り入れられており、そのことは、あいつ自身隠そうともしないし、ことあるごとに俺への感謝を公言する。

 俺の方も同じだ。俺の手柄ということになっている案件の半分以上は、実際には浜村の意見を取り入れたもので、そのことで俺自身は、あいつにはとても感謝しているし、まわりにもしっかりあいつの貢献を明言している。

 あいつが判断に迷い、決断を迫られたとき、俺がアドバイスしたおかげで、何度も絶体絶命のピンチを切り抜けられてきたし、もちろん、俺が逆の立場のときも、あいつのフォローのおかげで事なきを得たことも多い。

 俺や周囲の人間たちの見るところ、お互いの業績への貢献は、ほぼフィフティフィフティだし、二人ともほとんど同じような実績を積んでここまできた。おそらく、周囲の俺たちへの期待も、ほぼ同じぐらいだろう。

 なのに、俺たちの今占めている地位には差がある。なぜだろうか? どうしてだろうか?

 俺には理解できない。なんで、あいつの方が出世スピードが早く、俺の方は遅れをとっているのだろうか?

 決して、俺があいつよりも劣っているようには思えないし、周囲の人間も二人の間に優劣があるなんて考えてもいないだろう。なのに、なぜ?

 本当に、なぜなのだろうか?


 この春、長年会長職にあった創業時のメンバーが、高齢ですべての役職から完全に引退することになった。

 それにともない、創業者の息子で現社長がその後を襲って会長に就任し、新しい社長が取締役会のメンバーから指名されることになった。

 そのため、取締役会に一名の欠員が発生するわけだが、それを補充するために、近々開かれることになっている株主総会の承認を経て、俺が取締役会に選出されることが内定している。

 ふふふ、ついに、俺も重役だ!

 本当なら、小躍りし、うまい酒をたらふく飲みたいところなのだが・・・・・・

 そんな気分には到底なれない。

 なぜなら、引退する元会長と新しく就任する新会長が二人ともに指名した新しい社長とは、浜村だったのだから。

 そのニュースは、いろいろなところで華々しく取り上げられた。まだ、40代の若手重役が、何名もの先輩役員たちを追い越して、社長に就任するのだ。世間の注目があつまり、浜村のこれまで上げた業績が報道される。

 実際には、その業績の半分は俺の手柄でもあり、それを浜村自身の業績として誉めそやされるたびに、俺の名前こそ挙げないが『これまでの仲間のおかげだ』とどことなく申し訳なさそうに口にするのも、謙虚な人物と世間から好意的に捉えられた。

 そう、浜村の評判はスタートから上々だった。だれもが浜村のこれからの活躍を期待し、浜村のもとで会社がさらに発展することを疑いもしなかった。


 その浜村新社長が主催する取締役会に新メンバーとしてやっと加わることになったのが、俺。

 俺は、俺は・・・・・・

 もちろん、長年勤め上げた会社の重役に選ばれるのだ。うれしくないはずはない。

 けれど、その取締役会を率いるのは、同期の浜村。

 今でも毎月一回の飲み会を欠かさない間柄。もうさすがに会社の近くの安居酒屋でというわけではないが、それでも、お互いの近況を報告しあい、アイディアを披露しあって、自分たちの仕事に役立てている。

 だが、いまや、あいつは社長。そして、俺は重役だとはいえ、その下で働く身。どうして、あいつが社長で、俺はただのヒラの取締役なんだ。

 念願の重役になれてうれしい半面、どこか鬱々とした気分でいたのも事実だった。毎日、会社へ顔を出すのが、正直、苦痛にも感じられてきた。

 もし、あのとき、あいつを助けるために、あんな提案をしなければ。あるいは、あいつが苦境を切り抜けるような助け舟を出さないでいたら。あいつのミスをあのときフォローしなければ・・・・・・

 もし、あのとき・・・・・・ 俺は・・・・・・ 俺たちは・・・・・・

 立場が逆になっていたに違いない!

 どうして、あのときに、あんな・・・・・・


 その日、出社すると、俺の使いはじめた重役室のデスクの上に、秘書が書類の束を置いて立ち去った。早速、その書類に眼を通していく。

 処理が必要な書類の束の厚さが次第に薄くなり、その隣の処理済の書類の束が積みあがっていく。

 その作業の途中で、俺の手が止まった。

 なんだこれは?

 それが、そのチラシを見た最初の反応だった。

 どう見ても、俺が処理するべき書類ではない。

 もしかして、いつも完璧な仕事をしてくれる俺専属の秘書が、何かの手違いでこんなチラシをこの書類の束に紛れ込ませてしまったのだろうか?

 これでも、それなりに名の通った会社の重役である俺。俺宛に様々な会社から売り込みのチラシやらメールやらが毎日届くのだが、俺の有能な秘書は、それらを仕分けて、必要なものだけを俺の眼に触れるようにする。

 なら、これは本来、仕分けて廃棄にまわす予定だったものが、何かの手違いで、こっちの要処理の方へ紛れ込んでしまっただけだろう。

 いつも完璧な仕事をしてくれる秘書。さっきはそんな風にも見えなかったが、もしかすると今日は体調が悪いのだろうか? だから、こんなミスをしたのだろう。

 一瞬、秘書を呼んで、叱責しようかとも思ったが、こんなことで目くじらを立てるまでもないと思い直して、俺の方でゴミ箱に突っ込んでおくことにした。

 すこし離れたところにゴミ箱がある。丸めて、投球モーションをつけて、投げ捨てるのもいいが、今までそれで狙い通りにゴミ箱へ収まる確率は10%以下だった。

 もし、投げて外したら、日ごろの運動不足を痛感する瞬間になるだろう。そして、そのあと、いくらかブルーな気分で過ごすことになる。

 それを避けるためには、歩いていって、捨てるのが一番。だから、俺はそうすることにした。

 ずっとデスクワークで、あちこちの筋肉が張っている。この機会に、すこし伸びをして、一度、部屋から窓の外へ視線を向ける。

 自社の高層ビルの最上階から5階分下のこの場所からは、見晴らしがきき、ビル前の路上からは決して眼にすることがない遠くの山々がかすんでのぞむことができる。

 この街の中をゆったりと流れる大川の川面が、キラキラと太陽の光を反射し、その上に架かった橋の上をミニチュアのような電車がのんびりと渡っていく。

 20年以上の時間をかけて、上り詰めた世界。20年以上をかけて手に入れた風景。

 けれど、同じ時間をかけて、あいつはもっと上まで上り詰め、同じ年月で、もっと遠くまで見晴らせる景色を手に入れたのだ。

 なぜか急にむなしさを感じた。

 俺が手に入れたもの以上のものをあいつは手に入れ、それがまるで当然であるかのように、振舞っている。

 俺自身は、この状況に納得しているかのように周囲に装いながら、内心では面白くない気分でいる。それをあからさまにすることもせず、まるで何事もなかったかのようにあいつと付き合い、このあとも、あいつと酒を飲む。

 俺は・・・・・・

 俺は、手の中にあったチラシを力を込めて握りつぶそうとした。握りつぶして、ゴミ箱に力いっぱいたたみこんでやりたかった。

 まるで、そのチラシが、だれだかの顔か何かのように、ぐしゃっと思いっきり丸めて、つぶして・・・・・・

 ふっと肩の力を抜く。そんなことをしても、何かが変わるわけではない。

 そんな子供じみた真似をしたところで、俺の今の立場がどうなるわけでも・・・・・・

 力ない笑みを浮かべて、視線を下ろす。どこか脱力した気分で。

 眼が今握りつぶすのを止めたチラシの文面を追った。

『その悪夢おわらせませんか? あなたの人生リセットしましょう!』

 今、手にしているチラシには、そうデカデカと書かれていた。


 数日、そのチラシを手元に置いたまま、俺は迷い続けた。

 このチラシに書かれている場所を訪ねたところで、なにがどうなるってものでもない。

 ただ、俺は苦しかった。だれか知らない人間に、今の苦しみを話して、ラクになりたかった。

 だから、ある日、ついにその場所を訪ねた。

 雑居ビル裏のゴミゴミとした路地奥。ビニール製の黒い幕一つで外界と区切られた区画。そこはそんなところだった。

 俺は、戸惑いながら、その幕の端に空けられた入り口に架かる布をめくった。

 中は、光に溢れていた。

 路地の奥とは思えない、立派な家具がいくつかおかれており、床はフカフカの絨毯で覆われ、温かい空気が俺を迎える。

「いらっしゃいませ。夢オチ師・保佐津事務所へようこそ」

 中から、やたらと爽やかな声で10代後半ぐらいの少年が俺に声をかける。しつこいぐらいに爽やかな満面の笑みを浮かべながら。

「このチラシを見てきたのだけど?」

「ああ、はい。ここであってますよ」

 少年は、俺が掲げたチラシに一瞥もくれることなく、大きくうなずく。

「そんなところに立っているのもなんですから、どうぞ中へお入りになってください」

 少年の勧めるままに中に入り、高価な輸入家具の椅子に腰を下ろした。

「お飲み物など、いかがですか?」

 そういいながら、少年はどこからかヨーロッパの各王室御用達で有名なブランドの茶器で紅茶を入れる。

 少年は、その後、テーブルを挟んだ向かいに座り、手をあごの下に組んで、微笑みかけてきた。

「では、ご依頼をお伺いいたしましょう」

 脳裏に、なぜこんな子供に俺の話をしなければいけないのかという疑問が浮かんだが、そのときの俺は、それ以上にいっぱいいっぱいの気分だった。

 誰かに今の俺の気持ちを吐き出さなければ、どうにかなってしまいそうだった。

 だから、気がついたときには、俺はすべてをその少年に語っていたのだった。

 その少年は心からの同情のようなものを浮かべて、一言も口を挟まず俺の話に耳を傾けていた。

「そうですか、それは、大変でしたね」

 やがて、そう一言だけもらして黙り込んだ。

 ため息を一つつく。こんな少年に話したところでせんないことだと最初から分かっていたのに。なのに、なぜこんな話をしたのだろうか?

 考えてみると不思議なことだ。

 しゃべりつづけだったので、ノドが渇いている。俺はとっくにぬるくなった紅茶をノドに流し込んだ。

 さて、少年に話したことで少しはラクな気分になった。こういうものの相場には正直詳しくないが、財布の中身の半分ぐらいを置いていけば足りるだろうか。

 俺はそんなことを考えながら、腰を上げようとした。

「ごちそうさま。紅茶美味しかったよ」

「ぐはっ! きゃぁああああ!」

 突然、奥の装飾過剰な長いすの陰から悲鳴が上がる。次の瞬間、長いすの陰から誰かが飛び跳ねるようにして体を起こした。

 小学生にも見えるような小柄な女。少女。ただ、胸の大きさだけは、大人のそれであり、決して小学生のものではない。少女の顔はフランス人形のように整い、その身につけているたしかゴシックロリータドレスとかいうものとあいまって、幻想的な美しさをかもし出している。だが、上半身を起こした少女は、悲鳴を上げ続けるばかりで一向にその悲鳴を納める気配もない。

「きゃぁああああ!」

 俺はその脳天を突き抜けるような悲鳴に耳をふさぐ。頭がガンガンする。

 一方、目の前の少年は、その悲鳴に慣れているのか、顔をしかめることもせず、最初に見たような爽やかな笑みをいまだに維持し続けている。

 やがて、少女は悲鳴を上げるのを止め、長いすの上で深呼吸した。そして、

「あ、こ、ここは・・・・・・ ハッ、今の夢? なんて苦しい・・・・・・ お、お兄ぃ? お兄ぃ?」

 その美しい顔に翳をかざしながら、なにかを呟いていたが、ハッと顔をあげ、長いすの背越しに、俺たちの方を見る。

「ああ、文殊、起きたね」

「弥勒兄ぃ。・・・・・・お、お客さん?」

「ああ、そうだ、今、依頼の内容を聞いていたところだ」

「そ、そう・・・・・・」

 少女は、目の前の少年に話をしながら、ずぶずぶと沈みこむようにして、座っている長いすの背の向こうへ隠れていく。

「あ、妹は、人見知りなもので、すみませんね」

 少年はそういって、ほんのすこしだけ笑みに苦笑を交えた。

 そんなことより、依頼? なにを言っているんだ、この少年は? 俺がなにを依頼したっていうんだ?

 怪訝に思っていると、突然、頭がしびれるような感覚に襲われる。まぶたが重くなる。頭にかかる重力が倍加する。思考にもやがかかる・・・・・・

 こ、これは!

 一瞬、会社の重役を狙った誘拐事件がテーマのテレビドラマの場面を思い出す。

 さ、さては、さっき口にした紅茶に、眠りぐ・・・・・・

 ・・・・・・


「グハッ!」

 俺は目を覚ました。隣で寝ているのは、今年早々に結婚したばかりの妻。そのお腹には、子供が既に授かっており、秋の終わりには、眼に入れても痛くないほど愛らしく可愛らしく成長するはずの女の子が生まれるはずだ。

 えっ? なんで、この子が女の子だと俺は知っているんだ?

 妻の意向もあって、出生前に性別を確認する超音波診断の結果を教えてもらっていないはずなのに・・・・・・

 どうして・・・・・・?

 一瞬、ぬるくなった紅茶の味を思い出す。

 あ、誘拐!

 けど、となりには妻が寝ている。まだまだ新婚の妻。ういういしく、可愛らしい。とても、20年近く連れ添った・・・・・・ な、わけがない。さっきも話したとおり、まだ結婚したばかりだ。夫婦生活は始まったばかりなのだ。

 ど、どういうことだ? さっきのは・・・・・・夢?

 けど、なぜ、こんな・・・・・・

 俺は、布団から抜け出して、台所へ向かった。

 外は明るくなってきており、テレビをつけると、朝の時間のニュースが流れてくる。

 あれ? たしか、このキャスターはずい分前にフリーになって、別の局のお昼のワイドショーに・・・・・・

 いや、そんなはずは、このキャスターはこの局の朝の顔として、今一部の奥様たちにブレイク中だと、妻がこないだ言っていた。

 どうやら、記憶が混乱しているようだ。さっき見ていた夢が、まだ記憶に残っているのだろうか?

 俺は、コーヒーメーカーをセットして、二人分のマグカップを並べる。

 いつもの朝のいつもの習慣。

 しばらくして、妻が起きてきて、コーヒーを注ぎ、俺が朝刊を読んでいる間に朝食を準備する。

 その傍らで、俺は、食卓につきながら、朝刊を広げ、その記事に視線を這わせていた。けれども、その実、その眼は、なんの情報も捉えていない。ただ、さっき寝床の中で見た夢を反芻しているだけ。

 浜村が社長になって、俺は重役になる。

 あいつが社長で、俺はただの取締役。

 なんで、あいつが・・・・・・ 俺はどうして、あいつよりも・・・・・・

 気がついたときには、俺の前には、妻が用意してくれていた朝食の皿がならんでいた。


 いつものように通勤ラッシュにもまれながら、会社に向かう。

 今日は帰りが遅くなると妻に言い置いてあったので、玄関をでるときには、妻が『浜村さんによろしく』なんて声をかけてきた。

 もちろん、俺は『ああ』と返事を返しておいたのだが。どうしたものか、今日は約束どおり、浜村と酒を飲みに行きたいとは思えない。

 今日は浜村と顔を合わせたくない。

 そんな気分のままで仕事を終え、会社を後にする。

 通勤の地下街の交差点。いつの時間帯も人通りが多く、ゴミゴミしている。この交差点を曲がれば、浜村の待つ居酒屋があり、まっすぐ行けば駅の改札にでる。

 俺は通行人たちに迷惑そうな顔をされながら、その交差点の真ん中で立ち止まり、どちらに向かおうか迷った。そして、最終的に決めた。まっすぐ行くことに。

 帰りの電車に乗り、浜村のケータイに欠席の連絡を入れておく。

 家に帰りつくと、妻は驚いた顔をしたが、すこしうれしそうにも見える。やっぱり、妻も、俺が浜村とばかり付き合って、家に帰り着くのが遅くなりがちなのが、気に入らなかったのだろう。

 俺は、すこし反省し、そして、これからは寄り道をすくなくして、なるべく早く家に帰ることを約束するのだった。


 もちろん、それからも、浜村との関係は良好なままだった。

 さすがに毎週のように一緒に飲み明かすなんてことはなくなったが、月に一度や二度、お互いの家族を連れて、お互いの家へ訪問するようになった。

 なんのことはない。同期二人きりの飲み会から、家族ぐるみへの付き合いに発展したのだった。

 妻は、浜村の妻と親密になり、毎日たのしそうに過ごしていた。お互いの子供たちも気の合う仲のようで、いつも一緒に遊んでいた。

 ただ、俺たちは・・・・・・

 もちろん、今までどおり、お互いにアイディアを出し合い、フォローしあい、ときには喧嘩をしあったりもした。その甲斐もあり、二人とも実績を重ね、順調に出世し、キャリアを積み上げた。

 だが、俺の方には、あのときの夢の記憶が残っている。浜村が社長で俺がヒラの取締役になったあの夢の。

 あの夢の中で、出世の階段を駆け上がる浜村がどのようなことを悩み、どういう手をうってピンチを切り抜けたか、周囲の環境はどのようなものに変化するのか、全部頭の中にある。そして、それらのことは、現実でもすべて記憶どおりになった。

 あれは、夢ではないのでは?

 俺は、ときにそんなことを思っては慄然とする。

 だが、ともあれ、そういうこれからどういうことが起こるのかというのが予め分かっているなら、大胆に行動して、多大な業績をモノにするなんて簡単なことだ。

 先になにが起こるか分からず、なにごとも慎重に行動する浜村を尻目に、俺は大胆にそして、華麗に布石をうち、大いなる利益を会社にもたらし続けた。

 当然、俺は同期の中で真っ先に重役に抜擢された。俺の上げた業績にはほとんど、浜村の意見は反映されなかったし、全部、俺一人の業績だった。

 一方、浜村の方は、俺と盛んに情報交換しあいながら、ハズレのすくない慎重な手を打ち、それなりの実績を積んでいた。けれど、それは、どちらかというと地味で、俺の華々しい成果とは、比較にならないものだった。

 それでも、浜村の出世は早く、俺が取締役に名を連ねた2年後には、浜村も取締役に抜擢されていた。


 そして、とうとう創業時のメンバーにして、長年会長として、会社を引っ張っていた人物が、高齢を理由にすべての役職から引退することになった。

 創業者の息子の現社長が会長になり、その後を襲う新社長が指名されることになる。

 俺自身も含め、だれもがその新社長には俺が指名されるものと思っていた。これまでにそれだけの業績を上げ続けていたし、だれもが新社長としてふさわしいと納得するのは、俺しかいない。

 だが、新社長として選ばれたのは・・・・・・浜村だった。

 どうしてだ? なぜだ? なぜ、俺じゃないんだ?

 俺は、理由がどうしても知りたかった。だから、引退する会長に面談を申し出、現社長にも直接問いただした。

 二人とも、異口同音に同じ理由を上げた。俺のやり方があまりにも大胆すぎると。

 会社を経営するということは、そこで働く何千人何万人の従業員やその家族の生活を大事にするということ。なのに、これまではことごとく成功し続けてきたとはいえ、一か八かのようなリスクの大きな手法をとる俺では、万一不運が重なるようなことになると、たちまち会社の存続が危うくなり、従業員や家族を守ることができなくなるだろう。

 その点、慎重の上にも慎重な浜村の方が、社長としてうってつけだと判断できると。

 そんなばかな!

 あいつの業績の半分は俺のアドバイスのおかげだし、俺の自身の会社への貢献は、あいつの何倍も大きいはずだ。

 だが、会長と社長の判断は変わらなかった。だから、俺は二人に退職届けを叩きつけたのだった。

 もう、こんな俺の価値を正当に評価してくれない会社に居続ける気にはならなかった。


 浜村が俺の元を訪ねてきたのは、長年使っていた最上階から5階下の重役室から私物を引き上げようと、荷物をまとめている最中のことだった。

「おい、辞職するんだって?」

「ああ、そうだ」

「そっか・・・・・・元気でな」

「・・・・・・」

 俺はてっきり浜村が思いとどまるよう説得するためにやってきたのだとばかり思っていた。だが、浜村は、悲しそうな顔をして、戸口のところから俺の様子を眺めているばかりで、まったく引き止めるための説得をしようとはしない。

 とうとう耐え切れなくなって、俺の方から口を開いた。

「おい、浜村、お前、俺を引き止めにきたんじゃないのか?」

 浜村は力なく笑った。

「ああ、ここに来るまでは、そのつもりだった」

「そっか」

「けど、お前が辞めたくなる気分もわからなくはないからな」

 苦笑してしまう。

「だろうな」

「ああ、実際、お前の方が俺より実績は上だし、能力も上だ。けど、社長に選ばれたのは、後から取締役になった俺なんだから。おもしろくないのは当然だ。俺がもし、お前の立場だったら、同じように会社を辞めてる」

「まあな。そうなるだろうな」

 俺たちは、しばらくお互いの眼の中をのぞきあい、だまったままその場に立ち尽くしていた。

「なあ、浜村。あとのこと、よろしく頼むな。しっかりこの会社を経営して、倒産しないようにしてくれよ」

「ああ、当然だ」

「「・・・・・・」」

 俺たちは、お互いに一歩進み出て固く握手を交わした。そして、

「じゃ、そろそろ俺、行くわ」

 俺は、浜村の肩を叩き、その脇を抜けていこうとする。が、

「なあ、俺、お前がずっと目標だったんだ」

 浜村が、そうポツリと呟いた。

「お前がすごいのは分かっているし、お前には、到底、及ばないのも分かっていた。けど、それでも、そんなお前に追いつきたい、肩を並べたいと思いつづけていたから、俺は、ここまで頑張ることができたんだ」

「・・・・・・」

 なぜか、胸にグサッと突き刺さるものが。なんだ、なんで俺は、今の浜村の言葉に衝撃を受けているのだ?

「俺が今こうしていられるのは、お前のおかげなんだ。今まで、本当に、ありがとうな。俺の目標で居続けてくれて、本当にありがとうな」

 肩越しに涙声が聞こえている。浜村の本音の言葉。真実の気持ち。

 浜村は、俺に正々堂々と立ち向かいつづけて、そして、とうとう俺を追い抜いていった。

 また、胸が痛む。

 俺を追い抜いていった?

 俺が追い抜いていかれたのか? 浜村が追い抜いていったのは、本当に俺なのか? 浜村が真摯に立ち向かい続けたのは、本当に俺自身なのか?

 ・・・・・・

 冗談じゃない!

 俺は、あの夢の記憶を頼りに、夢の中で浜村がどう行動したのかを分析して、その分析にしたがって、これまで決断をし続け、そして、多大な実績を上げることに成功した。

 けれど、それは、本当に俺の実績だといえるのだろうか?

 俺は、ただ単に、夢の中の浜村の行動をなぞり、浜村に成り代わって、行動していただけなんじゃないのか?

 浜村が目標とし、追い抜いたのは、俺自身ではなく、浜村自身なんじゃないのか?

 俺は、俺は・・・・・・ そんな俺は、真摯に立ち向かおうとしていた浜村に真面目に向き合ってきたと胸を張って言えるだろうか? そんな自分自身の肉体を今、浜村の視線にさらすのは、耐えられることなのか? 恥ずかしくないのか?

 慄然とした。腕に鳥肌が立つ。寒い。

 俺は、専属の運転手が運転する帰りの車の中で、両腕を抱いて震えながらシートに収まりつづけていた。


 そのチラシを見つけたのは、自宅に帰りつき、トランクの中の私物を自宅の中に運びこんでいる途中だった。

 私物を詰め込んだ段ボール箱を抱えて廊下を進んでいると、蓋をしていなかったダンボール箱から、なにかの書類が風に吹かれたかのように舞い上がった。

 それは古ぼけたチラシだった。もう紙はボロボロで、印刷されていた文字はかすれて読みづらくなっている。

 だが、驚いたことに書いてある内容には見覚えがある。どこでだ? どこでこのチラシに・・・・・・

 一瞬、静かな微笑を浮かべている少年の姿が脳裏を掠める。だれだ?

『その悪夢おわらせませんか? あなたの人生リセットしましょう!』

 思い出した。

 あ、あれは、夢なんかじゃなくて、本当のことだったのか?

 そして、このチラシに書いてあるように、人生をリセットできるなら。俺は、俺は・・・・・・

 もう一度、昔にもどったら、俺は真っ先に会社を辞めるだろう。会社を辞めて、夢の中で浜村がなにをしたかに関係ない場所で、俺自身の力だけで生きるのだ。

 浜村に成り代わった俺ではなく、正々堂々、俺自身として。

 そして、そうすることでのみ、俺は、俺自身の実力でのしあがったと宣言することができるだろう。浜村に向き合えるだろう。

 そうしなければ・・・・・・ そうしなければ・・・・・・

 気がついたら、俺はまたあの路地の奥の事務所の前に立っていた。


 入り口の布をめくって中をのぞく。

 いたっ!

 あの少年が、俺の方を見ながら、前に覚えのある爽やかな笑顔を浮かべて立っていた。

「やあ、いらっしゃい。また、来ましたね」

「お、俺を知っているのか?」

「はい、もちろん」

 少年は、大きくうなずき、俺の名前を呼ぶ。

「どうぞ、中へお入りになられてください」

「あ、ああ・・・・・・」

 俺は、中に入って、既視感を感じながら、椅子に腰掛ける。それを待っていたように、少年が芳しい香りの立つ紅茶のカップを目の前に置く。

「さて、ご依頼を承りましょうか?」

 その少年に促されて、社長になり損ねた顛末を話した。そして、浜村に対して、どんなに自分自身を恥じているかをも包み隠さず話した。

 少年は、俺の話に適度な相づちを打ちながら黙って耳を傾けていた。そして、

「そうですか。それはお困りでしょう」

「ああ・・・・・・」

 俺は、期待を込めて、その少年を見つめ返す。

 少年は、爽やかな笑顔を浮かべたまま、俺の視線を柔らかく受け止めていた。

 と、

「ぐはっ! きゃぁあああああ!」

 突然、少女が長いすの向こうで弾かれたように起き上がる。

「きゃぁああああああ!」

 盛大に悲鳴を上げ続ける。俺は、耳をふさぎながら、その様子を冷静に観察し続けた。

 やがて、少女の悲鳴が途切れ、こちらへ視線を向けてくる。

「弥勒兄ぃ、お客さん?」

「ああ、そうだよ」

「私、また、ひどい夢を見ていたみたい。恥ずかしかったよぉ」

「ああ、大丈夫だよ。それは全部夢だから。恥ずかしい夢を見ていただけなんだから」

「お兄ぃ・・・・・・」

 眼を潤ませる少女を励ますように少年は何度もうなづいていた。

 それは、とてもほほえましい光景だった。ゴスロリ美少女と爽やかスマイルの少年兄妹の掛け合い。まるで、一幅の絵のような光景。俺は、その光景をとても美しいと思いながら眺めていた。神々しさすら感じていた。

 そして、うっとりと見とれている間に、俺の意識が暗転した。


「ハッ! ここは・・・・・・」

 俺は、壊れかけの古ぼけた椅子に腰掛け、薄汚れたテーブルにもたれるようにして、眠っていたようだ。

 周囲はなにもないゴミゴミした場所。左右両側には打ちっぱなしのコンクリートの壁が迫り、細長い通路となってコンクリートで固めた地面が続いている。上を見上げると、細長く切り取られた空が見える。つまり、ここは路地だ。

 なぜ、俺は、こんなところで寝入っていたのだ?

 いまひとつ思考がはっきりしない。頭を一つふる。

 あ、そうだ、あの少年は? あの少女は?

 周囲を見回すが、どこにもその姿はない。路地を風が吹き抜けるばかり。

 なにかのチラシが風に吹き飛ばされて、俺の足元に滑り込んできた。ここに放置されてずい分時間が経っているのか、すでにボロボロで書いてある文字もかすれてほとんど判別できない。

 拾い上げ、なんとか、読み取ろうとして、俺はそこに書いてある文字に見覚えがあることに気がついた。

『その悪夢おわらせませんか? あなたの人生リセットしましょう!』

 こ、これは・・・・・・!


 気がついた俺は元の世界にいた。

 浜村が新社長で、俺が新入りの取締役。

 正直、親友だとは言え、同期のヤツの下で働くなんて、いい気分だとはいえないが、それでも俺は腐ることなく精一杯働くつもりでいた。できることはなんでも一生懸命にするつもりだ。

 それが、俺をライバルだと認めてくれているあいつへの誠実さなのだから。あいつに真摯に向き合うってことなのだから。

 そして、俺自身を恥じなくてもすむように。

 いつか俺自身の実力で社長の椅子を手に入れるのだ。そう誓いを新たにして、今日もしっかり仕事をしよう。

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