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翌朝。

 朝の光が部屋を満たし始めた頃、部屋のドアをノックして中年のメイドが慌てたように入ってきた。

「あの、すみません、マークさん。グレース様がお見えになりました」

「本当か、アンナ!」

 マークは急いで出て行った。俺は窓のカーテンを開けて下を見た。赤いフェラーリが玄関の前に停まっている。

「ママが……ママが来てくれたわ。でも……」

 いつの間にかリネットが目を覚ましていた。

「でも、もう私は……」

「君はまだ人間だよ、リネット」

 リネットは大きく目を見開いた。

「それはどういうこと?」

「マークが夕べ君に注射した血は俺のじゃない。彼が万一の時のために保存していた輸血用の血液パックの血だよ」

「それじゃ……」

「君は堂々とお母さんに会えるってことだよ、リネット。手術はきっと上手くいく。大丈夫だよ」

 その時、ドアを勢いよく開けてグレースが現れた。

「リネット!」

 上品な茶色のスーツからすらりと伸びた足。年を重ねてはいるが、息を呑むような美しさは昔とさほど変わっていない。俺は思わず見とれてしまった。

 彼女は俺達には目もくれず、ベッドから降りたリネットに近付くと固く抱きしめた。

「ごめんなさいね、リネット。夕べ留守録を聞いて驚いたわ。すぐにクリスを問い詰めたの。今日が手術の日だなんて全然知らなかったのよ。それも難しい手術だっていうじゃないの。仕事に差し支えるから知らせなかっただなんて、本当に酷い話……」

「ママ、来てくれてありがとう」

「リネット……」

 リネットは声を上げて泣き始めた。俺達はふたりを残してそっと部屋を出た。

 

「今回は本当にありがとうございました。後ほど、必ずお礼はさせていただきますので」

 俺達はマークの運転するリンカーンで街まで戻った。車を降りると、雲ひとつない青空が広がっていて、俺は身体の隅々まで洗われるような済んだ空気を思い切り吸い込んだ。

「手術が成功することを祈ってるよ。お別れは言えなかったけれどリネットによろしく」

「承知致しました。レイ様、デビィ様。ハンターさんもありがとうございました」

 走り去るリンカーンを見送ると、大きなバッグパックを背負った老ハンターがレイにすっと右手を差し出した。レイは一瞬、戸惑ったようだったが、やがてその手を軽く握り返した。

「またどこかで会うことになるんだろうな、ハンターさん」

「ああ……いや、もう会うことはないかもな。レイ、それに……デビィだったな」

 ハンターはそう言いながら、俺にも手を差し出してくる。握り返したその手は大きくてごつごつしていた。

「ああ、それから俺の名はレックス。レックス・ランカスターだ。じゃあな、おふたりさん」

 レックスはそう言いながら少しだけ笑って見せた。彼がヴァンパイアにあんな笑顔を見せたのは恐らく初めてだったに違いない。


「と、これで俺の話は終わりだ。リネットは手術が成功し、順調に回復している。で、この間、連絡があって俺達はこれから彼女に会いに行くってわけだ」

 あれから、リネットは俺達のことを母親に話したらしい。グレースは俺達に特別の匿名口座を作ってくれて、お礼を振り込んでくれた。まあ、金額は内緒だが、この口座のお陰で俺達はカードが使えるようになったし、携帯も持てるようになったわけだ。

 エドは真剣な顔で何か考え込んでいるようで、何も答えようとしなかった。


 屋敷についた俺達は今度はリネットの部屋ではなく、一階の客間に通された。

 リネットは以前とは見違えるほどに顔色がよくなり、鮮やかな水色のワンピースとお揃いのリボンで髪を結んでいた。

「レイ! お久しぶり! 会いたかったわ」

 リネットは嬉しそうにレイに抱きついた。レイはリネットの頬に軽くキスをして薔薇の花束を差し出した。

「久しぶりだね、リネット。とっても元気そうだ」

「ありがとう、レイ。素敵なお花ね。デビィ、レイとは仲良くやってる?」

 リネットは俺にも抱きついてきた。柔らかい胸のふくらみを直接、肌で感じた俺は下半身が反応しそうになって、ちょっとやばいなと思ってしまった。

「ああ、俺達は相変らずだよ。手術が成功して本当によかったな」

「ありがとう。あのね、私、もう月一回、検査を受ければ問題ないって。来週からハイスクールにも通えるようになったのよ。セキュリティの厳しい学校だからママが許してくれたの。当分、通えるのは週に二回くらいなんだけどね。あ、ええと……」

 リネットはようやくエドの存在に気付いたようだ。エドは顔を真っ赤にして小さな声で呟いた。

「は、初めまして。俺、エドっていいます」

「初めまして、エド。あなたもヴァンパイアなの?」

「い、いえ……」

 無邪気に見つめるリネットの前で、ゆでだこみたいに赤くなって口ごもってしまったエドを見かねたのか、レイが口を挟んだ。

「いや、彼は俺達の友人だよ。ゲームセンターで知り合ったんだ」

「え、あ、あの……そう、そうなんです」

「へえ、ゲームって一度もやったことないのよ。どんなのがあるのか教えてよ」

「いいよ。じゃあ、最新のゲームのこと話してあげるよ」

 リネットとエドは夢中になって話をし始めた。やっぱり同世代は話が弾むらしい。

 マークが持ってきたコーヒーと軽食を平らげ、話も一段落ついたところで、俺達は屋敷を後にした。リネットは玄関まで出てきて車を見送ってくれた。

 リンカーンの車内でエドは何やらメモを見てニヤニヤしている。俺はすばやくその紙を奪い取った。

「なになに?『また、遊びに来てね。私の携帯の番号は……』って、お前、なかなか手が早いじゃねえかよ」

「返せよ、デビィ!」

 エドは紙を奪い返すとまた赤くなった。

「ああ、いいねえ。青春真っ盛りで。うまくやれよ、エド」

 

 真夜中の街でマークと別れると、レイはエドに話しかけた。

「これからどうするんだ? エド」

「家に帰るよ。親父には怒鳴られそうだけどね。それから、明日は久しぶりに学校に行ってみる。それから俺……」

「ん? なんだい?」

「俺、少しだけ本当のヴァンパイアのことが分かったような気がするよ」

「それはよかった。嬉しいよ。……じゃあ、元気で」

 エドは石畳の歩道を歩き出したが、すぐに立ち止まって振り向いた。

「レイ、デビィ、いいこと教えてやろうか。俺の爺ちゃんはハンターだったけど今は引退してるんだ。そうそう、俺のフルネーム、エドモンド・ランカスターっていうんだよ。それじゃ」

 そう言って、嬉しそうに笑うとエドは走っていってしまった。

「……驚いたな。あいつ、レックスの孫だぜ。ちっとも気がつかなかった」

「知ってたよ」

「……はあ?」

「あいつが持ってた銃を見てみろよ」

 俺はエドから奪い取ったナップザックの中の銃を取り出してみた。銃身に『R・ランカスター』と刻印が打たれている。なるほど。

「物事はよく観察しなくちゃダメだ。女の胸だけ見てちゃ頭が腐るぞ」

「余計なお世話だ」

「……まあ、本当はそうじゃないけどね」

「なんだよ、それ」

「いいか、絶対怒るなよ」

「怒るようなことなのかよ!」

「まあな。……実は今日、ゲームセンターに行く少し前に、俺の携帯に電話があった。レックスからだ」

「なんだって? なんであいつがお前の電話番号を知ってるんだ?」

「俺も驚いたよ。奴は緊急事態なんでマークに頼み込んで番号を聞いたと言っていたよ」

 そうか。そういえばレックスが引退したことを教えてくれたのはマークだったな。

「レックスは初めはものすごく気まずそうだった。 まあ、ハンターがヴァンパイアに頼みごとをするなんて普通じゃないしね。何かもごもご呟いてるから、俺が用件を聞いたら、ようやくエドが黙って銃を持ち出したことを話し出したんだ」

 レイはそう言いながら、ジーンズのポケットから携帯を取り出して見せた。その画面には恥ずかしそうな顔で笑っているエドの写真があった。

「こいつをメールで送って寄越したよ。エドがゲームセンターに寄るのは分かっているから、俺達が待ち伏せして脅かしてやってくれって。でも、行くところが分かっていたなら、自分で追ってくればいいじゃないか。俺がそう言うと、レックスはこう返した。……ヴァンパイアの恐ろしさを身を持って教えてやって欲しい。エドのハンターになりたいという思いを打ち砕いてやってくれってね。……だから、俺も奴の頼みを聞き入れた。ちょうどリネットにも招待されていたし、一緒に連れて行くと言ったんだよ」

「そうだったのか。おい、なんで俺には言わなかったんだよ!」

「いや……その、お前に言ったらうっかりバラしちゃいそうだったからその……」

「うう~……ま、まあいいや。チーズバーガー20個で勘弁してやる。それに、いくら頼まれたからって、奴はハンターだったんだぞ。罠かもしれないと思わなかったのかよ?」

 レイは携帯をしまうと、ゆっくりと歩き出した。

「いや、奴は嘘をつくような卑怯な真似はしない。少なくとも自らの誇りを汚すような男じゃないよ」

 

 

 人通りの途絶えた街をときおり車が通り過ぎる。ひときわ蒼く、幻想的な月の魔術がビルのシルエットを竜の住む城に変えてしまう。さしずめ俺は無敵の勇者、レイは高貴な身分を隠した吟遊詩人か。悪くないな。

 街の中心を貫く水路に掛かる橋に差し掛かった時、レイは急に立ち止まり俺から銃を受け取った。

「おい、その銃、どうしたらいいと思う? やっぱりレックスに返さなきゃいけねえかな」

 橋の欄干に寄りかかり、黒光りする銃をじっと眺めていたレイは、突然、銃を川に投げ落とした。空中をくるくる回りながら落ちていく銃。暗い水面に響く水音。

「何するんだよ、レイ!」

「いいんだよ。これはレックスも望んだことだから」

「それ、どういう意味だよ?」

「この銃は大勢のヴァンパイアの血を吸ってるんだ。……さあ、これで借りは返した。もうレックスと関わることは二度とないだろう。帰ろうぜ、デビィ。また別のハンターと出くわさないうちに」

 レイはそう言ってゆっくりと歩き出した。蒼い光に照らされた水面には、もうひとつの月が揺れ、ただきらきらと輝き続けていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 三日後、エドは祖父の家を訪ね、レイ達に出会ったことを話した。

 赤いチェックの綿シャツを着て、祖母の手作りのパッチワークのカバーが掛かったソファに腰掛け、コーヒーを美味そうに啜るレックスの面影には、かつての切れるような鋭さはない。

「そうか。レイは上手くやってくれたようだな」

「え? それどういうこと?」

 レックスはレイが全てを知っていたことをエドに話して聞かせた。

「そうだったのか……」

 エドはしばらく黙って考えていたが、やがてはにかんだ様な笑顔を見せた。

「ったく、余計なことするなよな。爺ちゃん、心配しすぎだよ」

 穏やかだったレックスの表情が急に硬くなり、鋭い目付きでエドの顔を見据えた。

「馬鹿野郎! お前が銃を持ち出したことに俺が気がついてなかったら、どうなってたと思う? よく考えてみろ! レイじゃなくて別のヴァンパイアに出会っていたら、お前は今頃、棺桶の中だぞ!」

 確かにその通りだ。レイにあっさりと捕まった時のことを思い出したエドは、背中に冷水を浴びせられたような気がして、ぞくっと身体を震わせた。

「爺ちゃん、ひとつ聞きたいことがあるんだ。爺ちゃんがハンターを辞めたのはあのことがきっかけなの?」

 レックスはコーヒーをまた一口啜る。

「いや、直接のきっかけではないんだが、実はあれから数週間後、俺は若い男のヴァンパイアを見つけたんだ。袋小路に追い込んで近付いていくと、突然十歳くらいの女の子が走ってきてそいつの前に立ちふさがった。ふたりは銃を向ける俺の前でしっかりと抱き合った。そいつは、娘だけでも助けて欲しいと涙を流し、娘は俺を睨みつけていた。……前の俺だったら、子供を引き剥がして男だけを撃っていたかもしれない。でも、俺はどうしてもそうすることが出来なかった」

 コーヒーカップをテーブルに置いたレックスはふっと軽く溜息をついた。

「アンダーソン親子の姿やレイの話を突然思い出しちまってな。結局、その親子は見逃してやったよ。その時、俺はきっぱりとハンターから足を洗おうと思ったのさ。……そうだ、エド。今度一緒に釣りにいかないか? 昔は釣り名人って言われたんだぞ」

「もちろんだよ。爺ちゃんには絶対負けねえからな!」

「よし、その意気だ!」

 レックスは目を細め、嬉しそうにエドの顔を見ている。ハンターではなくなったレックスの笑顔は、以前よりもずっと優しく、そして暖かかった。

 


<END>

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