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 空気の匂いが変わった。

 そう思った瞬間、俺達の周囲に植えられていた数本の薔薇がレイと俺に向かって凄まじい速さで枝を伸ばしてきた。俺達はあっという間にがんじがらめに身体を縛られ、地面に叩きつけられた。痛い。その枝はまるで鉄の棒のように固く、無数の棘は金属の針のように鋭く全身に突き刺さる。突然、襲い掛かってきた苦痛に俺は悲鳴を上げた。

「く……畜生! いったい……」

 歯を食いしばり、力を込めても、薔薇の枝はびくともしない。レイの方を見ると、彼に絡み付いている薔薇の枝は頭と胸の部分の僅かな隙間を残して全身を覆い隠している。レイもまた、必死で枝を外そうとしていた。だが、突然、レイの方の薔薇の棘がぴくりと動き、一斉に3インチほどの長さに伸びた。全身に棘の攻撃を受けたレイは身体を仰け反らせて悲鳴を上げた。レイの身体から滴り落ちる血が地面を赤く染め始める。

 くそ! いったい誰の仕業だ!

「へへ、噂ほどでもねえな、ブラッドウッド」

 いつの間にか、見知らぬ男がレイのすぐ横に立っていた。

 黒いライダースジャケットの下には髑髏柄のTシャツ。濃いブラウンのちぢれ髪を肩まで伸ばしたその男は、マークが言っていたもうひとりのハンターに違いない。瞳に残忍な光を宿したハンターは、レイの横にナップザックを下ろすと、中から杭とハンマーを取り出した。

「まったく、まさかこんなところで賞金首に出会えるとは思わなかったぜ。俺は運がいい」

「貴様……。俺達が何もしなければ手を出さない契約じゃなかったのか?」

 レイが苦しそうにそう呟くと、男はにやっと歯を見せて笑った。

「そんなこたあ、知っちゃいねえ。契約料なんてお前の賞金に比べりゃ、屁みたいなもんだ」

 そう言いながら男は、レイの胸に杭の先端をぴたりと当てた。

 レイの目が青く鋭い光を放つ。長く伸びた牙が月の光を反射してぎらりと輝いた。

 こいつはレイを見くびっている。普通のヴァンパイアなら、たぶんこのまま杭を打たれてしまうのだろうが、レイは怒りが頂点に達すると信じられないような力を出すことがある。

 レイが両腕に渾身の力を込めているのが、俺には分かった。

「あばよ、ヴァンパイア」

 男がハンマーを振り上げるのと、レイが薔薇の枝を引きちぎって右手で杭を掴み、左手を奴の首に伸ばしたのはほとんど同時だった。俺は大声で叫んだような気がする。次の瞬間、男がぎゃっと声を上げてハンマーを落とした。その肩には小さな矢が突き刺さっている。レイは男の首を掴んだ手に力を込めた。男の顔が見る見るうちに赤くなり、苦しそうに歪む。が、突然、レイは動きを止めた。いつの間にかやってきていた老ハンターがレイの横に立ち、頭にニードルガンの銃口をピタリと押し当てている。

「止めときな。さもないと、俺はお前を殺さなくちゃならなくなる」

 レイが手を離すと、男は激しく咳き込みながら首を押さえた。

「いや、まあ……『ハンター・キラー』に手助けは不要だったかもな」

 老ハンターは苦笑し、呻き声を上げている男に向かって吐き捨てるように言葉を投げた。

「失せろ!」

「畜生! 覚えてやがれ!」

 捨て台詞を残して男が歩み去ると、俺を締め付けていた薔薇の力が急に緩んだ。痛みを堪えながら枝を外すと、俺の身体も血まみれになっていた。くそ、このセーター、けっこう高かったのに。

 老ハンターはニードルガンをレイから離した。

「あいつは『植物遣いのガルシア』とかいう奴だ。ああやって手近な植物を自由に操ることが出来るらしい。まあ、俺に言わせれば邪道だな。フェアじゃねえ」

 レイは黙って枝を引き剥がし、立ち上がった。俺よりも酷い攻撃を受けたレイの身体からはまだ血が滴り落ちている。怒りが治まらないのか、目の青い光は消えうせてはいない。

 老ハンターは踵を返して歩き出した。

「さあ、屋敷に戻るんだ。お前らの頼まれごとはまだ終わっちゃいないだろ?」


 屋敷に戻った俺達を見て、マークは腰を抜かさんばかりに驚いた。そりゃそうだろう。全身血まみれになってるんだから。レイが事情を話すと、マークは上等なカシミヤのセーターを二枚用意してくれた。シャワーを借りて血を洗い流し、着替えをすませた俺達と老ハンターは再びリネットの寝室に戻った。

 レイは窓枠に腰をかけ、腕を組んで考え込んでいる。

 沈黙を破ったのは老ハンターだった。

「なあ、ヴァンパイア、お前はあのお嬢さんの望みを叶えてやるつもりなのか?」

 レイは首を横に振った。

「……いや。彼女は本気でヴァンパイアになりたいとは思ってないんじゃないかな」

「どうしてそう思う?」

「寂しいんだよ、リネットは。母親に手術に立ち会って欲しいだけなんだ。おそらくヴァンパイアになるっていうのは彼女の母親に対する反発だよ」

「なるほど。確かにそうかもしれんな」

「デビィ、お前はどう思う?」

「俺もそう思うよ。たぶん、彼女は心の支えが欲しいんじゃねえかな」

 レイは少し俯いてこめかみに指を当て、しばらく黙って考え込んでいたが、やがて決心したように顔を上げた。

「まあ、どうなるかは分からないが、とにかくやってみよう。デビィ、マークを呼んできてくれ」


 マークを交えて打ち合わせをした俺は、リネットの傍についていることになった。もちろん、老ハンターも後ろについてきている。

 隣室に戻るとリネットは疲れたのかソファに横になっていた。俺は彼女の傍に座って話しかけた。

「寒くねえか? リネット」

「ええ、ありがとう。大丈夫よ。デビィ、マークから聞いたんだけど、ずいぶん酷い目にあったのね。ごめんなさいね」

「いや、マークが悪いわけじゃあねえし。気にすることねえよ」

「そうね……ねえ、もうその傷、ほとんど治ってきてるみたいね。デビィ、あなたもヴァンパイアなの?」

「いや。違うよ。ただ、詳しいことは言えねえが俺は人間じゃねえんだ」

「そう……レイとは仲がよさそうね。羨ましいわ。私には友達もいないもの」

「学校へは通っていたのか?」

 リネットはふっと寂しそうに微笑んだ。

「行かせてもらえなかった。誘拐とか犯罪に巻きこまれるのが心配だとかで。小さい頃から家庭教師が何人もついていたわ。何時から何時まではラテン語で、次は生物学っていう具合に。そのうえ庭以外では遊ばせてもらえなかったから、友達なんて出来るわけがないわ」

「なあ、リネット。注射は中止して思い切って手術を受けてみたらどうかな?」

「デビィ……私はもうヴァンパイアになるって決めたの。決心は変わらないわ」

 俺は壁に飾られている額を見た。大女優グレース・アンダーソンの主演映画のポスター。地中海を舞台にした人間ドラマ。リネットによく似た美しいグレース。確か彼女はこの映画でアカデミーの主演女優賞を取ったはずだ。

「でもな、リネット。あんたは会おうと思えばいつだってお母さんに会えるじゃねえか。ただ、自分から会いに行こうとしなかっただけじゃねえのかな」

「きっとママは会ってなんかくれないわ」

「聞いてくれ、リネット。俺には両親も妹もいる。でも、ごくたまに電話をするくらいで一度も会いに行っていねえんだ。両親は俺が旅行に行ったまま帰ってこないことを酷く悲しんでいる。でも、どうしても帰ることが出来ない。もう以前の俺じゃねえから……人間じゃねえから」

 リネットは黙って俺の顔をじっと見ていたが、やがて視線を壁のポスターへと向け、目を瞑った。

「お嬢さん、母親ってえのは、いつだって子供のことが頭から離れねえもんなんだよ。どんなに離れていても、忙しくってもな」

 これは老ハンターの声だ。思わず振り向いてみると、ハンターは腕を組み、壁際に寄りかかってそ知らぬ顔で壁の絵を眺めていた。

 

 その後、俺達は黙って時の経つのを待った。十分後、マークとレイが部屋に戻ってきた。壁の時計の針は午後十一時を差していた。

 マークは鮮やかな赤い血の入った注射器が乗ったアルミトレーをテーブルの上に置いた。

 レイは身体を起こしたリネットの手に何かをそっと握らせた。リネットはびっくりしたような顔でレイを見ている。携帯電話だ。

「リネット。お母さんに電話をして、今の自分の本当の気持ちをぶつけてごらん。君はもう間もなく人間ではなくなるんだ。人間としてお母さんと話せる最後のチャンスなんだよ」

 リネットの手が微かに震えている。彼女は俺の顔を見ると、少し笑みを浮かべて携帯のボタンを押した。

 電話が繋がると、リネットは少しの間黙っていたが、やがて吐き出す様に言葉を並べ始めた。

「ママ、私よ。リネットよ。お願い、明日会いに来て。手術なのよ。ママに傍にいてもらいたいの。お願い、お願いだから……」

 リネットは携帯を固く握り締めたまま、ぽろぽろと涙を零す。

「愛してるわ、ママ」

 携帯をテーブルの上に置いたリネットは寂しそうに微笑んでこう言った。

「……留守番電話だったわ。私、何言ってるんだろう。手術することなんてもうないのに……。さあ、マーク、もういいわ。注射してちょうだい」

「承知いたしました。ベッドにお戻りください、リネット様」

 マークはリネットを抱き上げて、隣室に連れて行った。マークが注射を打つと、リネットはレイに向かっていろいろなことを話し始めた。自分が好きな食べ物、映画、マーク達と出かけた旅行の話。レイはベッドの横に跪いて穏やかな笑みを浮かべながら、彼女が眠るまでその話にじっと耳を傾けていた。

 老ハンターは壁に寄りかかり、腕を組んでレイの方を見ていたが、その眼差しに先ほどまでの鋭さはなかった。ニードルガンは足元に置かれていた。

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