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ええと、俺はデビィ、こいつはレイ。まあ、詳しいことは言えないが俺達は一緒に暮らしてる。勘違いするなよ。ゲイのカップルじゃないぜ。まあ、何と言うか家族みたいなものかな、今となっては。
ことの起こりは去年の十二月。クリスマスまであと数週間ということで、街は何処もかしこも賑やかで華やいでいた。俺は久々に休みを取れたレイとジャパニーズ・レストランに行ったんだ。二人ともカジュアルなセーターにジーンズ。コートをさらりと羽織ってなかなか決まってたよな、なあ、レイ? って眠ってんのかよ!
何だか知らねえが生の魚の切り身を持ちなれない箸で食べなきゃならねえんで、ほとほと疲れちまったよ。いい加減頭に来て魚を手づかみして齧りついたら、レイの奴、苦虫噛み潰したみたいな顔で睨んでいたっけか。まあ、それはそれとして、食後のコーヒーを終えて席を立とうとした時、一人の男が近付いてきたんだ。ぴしっとスーツを着たそいつを俺は最初、レストランの支配人かと思ったよ。
奴は俺達のテーブルの脇に立って、レイに向かって丁寧にお辞儀をするといきなりこう囁いたんだ。
「失礼ですが、あなたはヴァンパイアでいらっしゃいますね?」
レイは一瞬、ぴくりと眉を動かしたが、男から視線を逸らして立ち上がった。
「どなたかは知りませんが、変ないいがかりは止めてください。さあ、帰ろう。デビィ」
「失礼致しました。私はアンダーソン家の執事でマークと申します。あなたを捕らえようとしているわけではありません。私はヴァンパイアの気配を感じることが出来ますが、一度だって彼らの存在をハンターに知らせたりしたことはありません。訳あってヴァンパイアを探していたんです。お願いです。一緒に屋敷に来てください。お嬢様の命が掛かっているんです」
マークは真剣な顔でこう言ったが、レイは彼を鋭い目で睨みつけた。
「そんなこと信用できるもんか。お嬢様じゃなくてハンターの集団が待ち構えているんじゃないのか?」
レイの疑いは当然のことだ。警戒を怠れば命取りになる。
「そうですか。だったら、ここであなたがヴァンパイアだと大声で叫びますよ?」
マークはそう言うなり大きく息を吸い込んだ。とんでもねえ脅し方をする奴だ。
「おい、てめえ! 妙な真似しやがると」
「待てよ、デビィ。マークさん、いったい俺に何の用があるのか、はっきり聞かせてもらえないかな」
「マークとお呼びください。残念ですが、ここでは申し上げられません。とにかく屋敷に来て直接お嬢様と会っていただきたいのです。来ていただけるなら私の血をすべて差し上げても構いません」
レイはマークの顔をじっと見ていたが、少し肩を竦めて困ったように笑みを浮かべた。
「やれやれ。仕方ない。一緒に行くよ」
「え? いいのかよ、レイ」
「ああ。それとマーク。デビィも行くけれど構わないよね。それから俺はあんたみたいな年寄りの血には興味がないんだ。安心していいよ」
俺達はマークの運転するリンカーンに乗せられてアンダーソン家の屋敷についた。広い庭園を抜けて白く優雅な佇まいの大きな屋敷に入ると、玄関ホールには色鮮やかなオーナメントで飾られた大きなクリスマスツリーが置かれていた。ホールの左右から伸びる階段の右側を上がっていくと長い廊下沿いにいくつものドアが見える。マークは先立って歩いていき、一番奥の正面にあるドアをノックした。
「リネット様、ご希望通り、ヴァンパイアの方を連れてまいりました」
「待ってたわ。入って」
薄暗い室内は、開け放たれた両開きの窓から差し込む蒼い月の光に満たされていた。
部屋の奥にはレースの天蓋がついた大きなベッド。そのベッドの端に腰掛けていた少女がゆっくりと身体を起こした。淡い月光に照らされたウエーブの掛かった長いプラチナ・ブロンドの髪。大きな菫色の瞳。人形みたいに綺麗な子だが生気が感じられない。青白く痩せた身体を白いレース襟がついたネグリジェに包んだ彼女は、羽根をなくしてしまった妖精みたいだった。酸素吸入装置がベッドの横で無機質な音を響かせている。
レイが彼女に歩み寄ると、リネットと呼ばれた少女はそっと片手を差し出した。
「初めまして。リネット・アンダーソンです。お会いできて光栄だわ」
レイはその手を軽く握り返して、手の甲にキスをしたんだ。まったく気障ったらしいことする奴だよな。レイって奴は。見ているこっちが恥ずかしくなっちゃ……。
いてっ! 何で蹴るんだよ、レイ! っていうか、眠ってたんじゃねえのかよ!
……ま、まあいいや。とにかく話を続けよう。
「初めまして。俺はレイ。彼はデビィです。早速ですが、どうして俺達が呼ばれたのか聞かせていただけませんか?」
「リネット様、お話はあちらの部屋でなさったほうがよろしいかと」
「そうね。それからコーヒーを」
「かしこまりました」
マークはベッドの横にあった車椅子にリネットを座らせ、隣の部屋へ続くドアを開けた。俺達はマークに続いて部屋に入った。そこは小さな居間で、深い緑色のカーペットの上にはマホガニーの家具や座り心地のよさそうな椅子がバランスよく配置され、壁際のサイドボードには可愛いぬいぐるみがいくつも並べられていた。壁には風景画に混じって映画のポスターの額が数枚飾られている。
俺の前にいたレイが急に立ち止まったかと思うと、身体を強張らせて身構えた。部屋の奥には迷彩服を着て腕を組み、壁に寄りかかってこちらを射抜くような眼差しで見つめている白髪の角刈りの男が一人。その手にはニードルガンが握られている。G.I.ジョー? いや、こいつは間違いなくハンターだ。
「マーク! 貴様、俺達を騙したのか!」
俺が叫ぶと、マークは至極落ち着きはらった声で、こう返した。
「いえ……違います。この家には私とリネット様を除けば夜は数人の使用人しかおりません。私としてはいくらリネット様の頼みとはいってもヴァンパイアの方を家に招くことには不安があります。そういうわけで、二人のハンターの方に頼んで来ていただいたのです。もう一人の方は庭に待機していただいてます。お気に触ったらお許しください」
「どうして余計なことをするの、マーク! この方達に失礼じゃないの!」
リネットは車椅子に座ったままマークを怒鳴りつけた。
「申し訳ありません、リネット様」
「出て行ってもらって。目障りだわ」
「それは出来ません。彼はヴァンパイアの方が何もしなければ乱暴なことはしません。このままお話をなさってください」
「構いませんよ、リネットさん」
マークがリネットの身体を支えながらソファに移すと、レイはリネットの向かい側にあるソファに腰を下ろした。
「俺は身体の弱い女性にいきなり襲い掛かるような真似はしませんから。安心していいよ、マーク。デビィ、お前も座れよ」
リネットはふっと軽く溜息をつくと話し始めた。
「ヴァンパイアになりたいんです」
「……え?」
これにはさすがのレイも驚いたのか、リネットの顔を真剣な顔で見つめていた。
「……私は肺癌なんです。医者にはもう他の臓器に転移している可能性が高いと言われました。明日、手術をします。でも、治る確率は三十パーセントくらいだって……」
リネットはそれでも気丈な表情を崩そうとはしない。
「死にたくないんです。だから、ヴァンパイアにしてください」
「……リネットさん」
「リネットでいいわ。レイ、あなたの血をほんの少しもらうだけでいいのよ。そうすれば、手術なんか受けなくてもよくなる。一生、病気なんかにおびえなくてもよくなるのよ」
「……リネット。人間がヴァンパイアになるということが、どういうことかお分かりになっていますか?」
リネットは菫色の瞳でレイの目をまっすぐ見つめながら答えた。
「分かってる。人の血を吸わなければいられなくなることも。ああ、それから、そんなに丁寧な言葉遣い、しなくていいわ。」
「その点なら心配はいりません。血液パックならいくらでも手に入りますし、リネット様の面倒は一生私が……」
マークが口を挟む。
レイはぎゅっと唇を引き結び、拳を握り締めた。その拳が微かに震えているのに気がついて俺は慌てて囁いた。
「おい、レイ、落ち着け!」
「大丈夫だよ、デビィ。……リネット、今この世界でヴァンパイアがどういう暮らしをしているか知ってるかな?」
「さあ、よく知らないわ」
「第一次大戦当時、軍の発明したウィルスによるフォレスター達の全滅によって、森に暮らしていたほとんどのヴァンパイアは人間社会で生きることを余儀なくされた。それ以来、俺達ヴァンパイアは自分の正体を隠して人間達の中で暮らしているんだ。もちろん、見境なく人を殺してしまう奴らもいるさ。でも、大半のヴァンパイアは血を吸うときに人間を殺したりしない。中にはまったく人の血を吸えない奴だっているんだ。自分の正体がばれないように常に神経を張り詰め、ハンターの影に怯えながらひっそりと暮らしている。それが今のヴァンパイアなんだよ」
「でも、あなた達は怪我をしてもすぐに治ってしまうし、杭を打たれない限り死ぬこともない。年だって取りたくないと思えばいつまでも若くいられる。素晴らしいことだと思うけど」
突然、レイがテーブルを拳で叩いた。リネットはびくりと身体を震わせる。
「……ったく、お前ら人間ってのは! ヴァンパイアになるってことは単に不老長寿になることじゃないんだ! お前らの忌み嫌う存在になるってことなんだ! 戻りたくなっても、もう二度と人間に戻ることは出来ないんだぞ!」
「ねえ、レイ。私がどんな気持ちで毎日を過ごしているか分かる? 堪えられないくらいの痛みを薬で抑えながら、いつも死の恐怖に怯えているの。他の女の子達みたいに映画やショッピングに行ったり、デートしたりしてみたい。でも、私はただ寝ていることしか出来ないのよ。まだたったの十五なのに!」
「そうか……それは本当に辛いね。俺にはそういう経験がないんで、君の気持ちがよく理解できなかったんだ。怒鳴ったりして申し訳ない」
「いいのよ。私だってヴァンパイアの暮らしのことなんて考えたことなかったもの」
「で、この件は君のご両親も承知してることなのか?」
「パパはずいぶん前に亡くなったわ。ママは女優なの。それに今は化粧品会社の社長でもあるの。グレース・アンダーソン。聞いたことあるでしょ?」
「ああ、もちろん。素晴らしい女優さんだ。そういえば、君は彼女によく似ているね」
リネットはマークが持ってきたコーヒーを少しだけ啜った。
「子供の頃から、ママは忙しくってほとんどこの家には戻ってこなかったの。乳母に預けっぱなしで自分は仕事ばっかり。年に数回帰ってくればいいほうだった。クリスマスにだって誕生日にだってママはただプレゼントとカードを贈って寄越すだけ。私は何をもらったってちっとも嬉しくなんかなかったわ」
「リネット様。グレース様はいつもあなたのことを大事に思われていますよ」
「そんなの嘘よ! 明日だって生きるか死ぬかっていう大手術なのに、大事な商談と抜けられないパーティがあるから立ち会えないって、秘書のクリスが……」
リネットはうっすらと涙を浮かべてレイから目を逸らした。
「今回の件はお母様には内緒なのです。全てはリネット様を生きながらえさせる為。私は医師免許も持っておりますし、注射器もすでに用意してあります。責任は全て私が持ちますから」
「マーク。ヴァンパイアの血を身体に入れても全ての人間がヴァンパイアになるわけじゃないんだ。そのままショック死してしまうこともあるし、まったくV化しない場合もある。完全なヴァンパイアになる人間はほんの僅かなんだ」
そう言いながら、レイは俺のほうをちらっと見た。
「構いません。危険は承知のうえです」
リネットは再びレイをまっすぐに見つめ、きっぱりと言い放った。
「……しばらく考えさせてくれ、リネット」
レイは立ち上がり、ベッドのある部屋のドアを開けた。俺は慌てて後を追った。部屋に入り、気がつくといつの間にかハンターがついて来ていて、閉めたドアに寄りかかっていた。
「何だよ、てめえ!」
「お前らが何か企んでいないとは限らないからな。念のためだ」
レイは黙ったまま、窓から月を眺めていた。
と、ハンターがドアから離れて、ゆっくりとレイに向かって歩み寄った。六十代くらいだろうか。さすがに顔の皺は隠せないが、その物腰のしなやかさ、灰色の目の鋭さはまったく年を感じさせない。並みのハンターではない凄みがあった。
振りむいたレイは身構えた俺を片手で制し、老ハンターと正面から向き合った。彼の目が僅かながら青い光を放ち始めた。
「レイ・ブラッドウッド。ハンター・キラーか。俺が知り合ったハンターのいったい何人がお前の餌食になったかな」
やや枯れたその声は低く、落ち着き払ったものだった。
「俺は売られた喧嘩を買ってるだけだ。何もしないハンターを自分から殺したことなんて一度もないぜ。あんたこそ、どれだけのヴァンパイアに杭を打ち込んだんだ?」
「さあな。いちいち数えちゃいねえからな」
「身体に染み付いた血の匂いがこっちまで漂ってきてるぜ、ハンターさん」
老ハンターはふっと鼻を鳴らした。二人の間の空気が凍りついたような殺気を帯び、俺はちょっとたじろいだ。
「いつかは俺がお前を仕留めてやろうと思っていたが、今日は止めておこう。お前らが変な気を起こさない限り、手を出さないと言う契約だからな」
「いつでもお相手するよ。ただ残念ながら今日はあんたのニードルガンが活躍することはなさそうだ。錆がつかないうちにさっさとしまうことだな」
「言うじゃねえか」
張り詰めていた部屋の空気が少しだけ緩んだように感じられ、俺は身体の力を抜いた。
レイは老ハンターからふっと目を逸らし、次の瞬間、素早く窓に向き直ると、ひらりと窓枠に飛び乗った。
「ちょっと頭を冷やしてくるよ」
そう言ってレイは窓枠を蹴って庭に飛び降りてしまった。
慌てて窓から覗いてみると、レイは広い庭をゆっくりと門に向かって歩き始めている。俺は急いで窓から飛び降り、後を追った。後方で老ハンターが何やら叫んでいるようだったが、何を言っているのかよく分からない。俺が追いつくと、レイは無言で庭に広がる広い薔薇園の中に入っていった。
「おい、いきなりどうしたんだよ」
レイは歩きながら少し眉を寄せる。既に目の光は消えていたが、その眼差しは相変らず厳しい。
「ハンターと同じ部屋にいるのが嫌になっただけだ。気分が悪くなってくる」
「そうか。いや、まあ、そうかもしれないが、少しは我慢しろよ」
レイはそれには答えず、しばらく黙って歩いていたが、やがて立ち止まって月を見上げた。
「なあ、デビィ。確かマークはもう一人のハンターが庭にいるとか言ってたよな。なんでそいつは顔を見せないのかな」
「さあな。俺達に気が付いてないのかもしれねえ。じゃなきゃ、さぼって何処かでメシでも食ってるんだろう」
「まあ、そんなところだろうな」
風が出てきたのか、背の高い薔薇の木々がざわざわと枝を揺らし始める。ゆっくりと忍び寄ってきていた危険に、その時俺達はまったく気付いてはいなかった。