↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

白雪姫、いったん起きてください。

作者: 週休七日
掲載日:2026/10/09

「木の役です。立っているだけです。台詞はありません」


 俺がその三つの条件に同意した証拠として、保育園からのメールは今も保管してある。


 後日、争いになった場合に備えてだ。



     *



 娘の通う保育園には、秋のお楽しみ会で保護者が劇をするという伝統がある。


 今年の演目は『白雪姫』。

 俺の役は、木。


 適材適所だと思った。


 人前で話すのは苦手だ。緊張すると声が上ずるし、挨拶を頼まれると「簡単ではございますが」から話し始め、そのまま簡単に終わってしまう。


 木なら大丈夫だ。


 少なくとも、名乗る必要がない。


「お父さん、木なの?」


 五歳の娘、すずは、配役表を見て首をかしげた。


「そう。森の木」

「りんごなる?」

「ならない」

「うごく?」

「動かない」

「しゃべる?」

「しゃべらない」


 すずは少し考えた。


「お父さん、会社といっしょ?」


 家で仕事の話をするのは、今後控えようと思った。


 すずも、人前に出るのが得意ではない。

 家ではよくしゃべるのに、保育園で何か発表するときは、喉の奥に小さな栓ができてしまうらしい。


 去年の保護者劇は『大きなかぶ』だった。

 最後に出てくるねずみを気に入り、帰宅後は何度も「ちゅう」と言っていたが、客席では口を閉じて見ていた。


「木だったら、まちがえない?」


 すずが訊いた。


「まあ、立ってればいいからな」


 そう答えた俺を、一週間後の俺が殴りに来なかったのは、未来から移動する技術がなかったからにすぎない。



     *



 本番当日。


 舞台裏に運び込まれた木は、想像していたよりも、生活感があった。


 太い幹。緑の葉。左右に伸びた枝。

 枝の先には、茶色い紙で隠しきれていない金属製のフックがついていた。


「これ、ハンガーラックですよね」


 俺が言うと、女王役の高橋さんが胸を張った。


「うちの店の備品です。普段はエプロンを掛けています」


 高橋さんは駅前の園芸店を営んでいる。

 今回の衣装や小道具も、かなり貸してくれたそうだ。


「そのフックに衣装を引っかけないでくださいね。レースは特に。引っ張ると傷みますから」


「覚えておきます」


「衣装も借り物なので、絶対に切らないでください」


 覚えておくことが増えた。


 担任の佐伯先生が、幹にかかった茶色い布を少しめくった。


 その下から、つやつやした白い曲面が現れた。


「中は、去年のかぶです」


「俺、木じゃないんですか」


「外見は木です」


 職務内容の説明として、不安の残る回答だった。


 去年使った大きなかぶに茶色い布をかぶせ、左右へハンガーラックの枝を取りつけてある。

 頭の葉っぱも、去年のものを増量したそうだ。


 白い胴体の中は空洞になっていて、俺はそこへ入る。


 衣装の重さは、下のキャスターつきの台が支える。

 俺自身は床に立ち、内側の取っ手を押せば、台ごと移動できる仕組みだ。


 小さな黒いペダルを踏めば、車輪が止まる。


「木なので、基本は動かなくて大丈夫です」

「基本、というのは」

「場面転換のときだけ、少し」


 契約条件が、早くも揺らぎ始めていた。


 先生は茶色い布をめくったまま、枝の根元を指さした。


「何か絡まったら、ここで枝ごと外せます。留め具は外側にあるので、近くの人にお願いしてください」


「なるほど」


「それから、困ったら中の赤い紐を引いてください。正面の面ファスナーが外れて、左右に開きます。そのまま歩いて出られますから」


 非常口のある植物だった。


「本当に困ったら、遠慮なく劇を止めてくださいね」


 先生が言った。


 俺は頷き、黒いTシャツの上から木に入った。


 Tシャツは、去年の誕生日に妻からもらったものだ。

 胸には金色の大きな文字で、


〈本日の主役〉


 と書いてある。


 衣装の下は黒い服にしてください、と言われていた。

 洗濯済みの黒い服は、これしかなかった。


 俺は正面をしっかり閉じた。


 何があっても、木でいようと思った。


「お父さん、なまえ書いとくね」


 客席へ行く前のすずが、幹の裾に白いテープを貼った。


 たどたどしい字で、


〈おとうさん〉


 とある。


「なんで?」

「おかたづけで、まちがって捨てられないように」


 なるほど。

 非常口と所有者表示のある植物だった。



 舞台裏では、白雪姫が腕立て伏せをしていた。


 近藤さん。大工。肩幅が広く、胸板が厚い。

 役は抽選で決まった。


「寝ている時間が長い役で助かります」


 そう言いながら二十回目を終えた。


 この人が森へ逃げ込む必要性を、女王はきちんと説明できるのだろうか。


 王子役の田所さんは、宅配便の配達員だった。


 白雪姫と寝台を見比べ、台本をめくった。


「これ、姫ごと持ち上げるんですか」


 まず運搬方法を確認するあたり、信用できると思った。


「持ち上げなくて大丈夫です。寝台を少し揺らすふりをして、りんごを外してください」


 先生は赤いりんごを見せた。


 中に磁石が仕込んであり、白雪姫の襟元の金具にくっつく。

 かじるふりをしたあと、そこに留めれば、喉にりんごが詰まって倒れたことを表現できるらしい。


「口には入れないでくださいね。最後に王子さまがこれを外して、『姫、お目覚めください』と言ったら、白雪姫が起きます」


「その台詞が合図ですね」


 近藤さんが確認した。


「はい」


「わかりました。そこまでは、しっかり寝ています」


 起きる練習より、寝る決意のほうが強かった。


 田所さんがりんごを机に置いた。


 置いたつもりだった。


 横にあった王冠の留め金に、ぺたっとくっついた。


「王子、すでに毒をかぶっています」


 近藤さんが言った。


「頭は指定の置き場所じゃないですね」


 田所さんは剥がした。


 王子の剣は、子どもが触っても安全なスポンジ製だった。

 抜くと先端が少し垂れる。


 腰の低い剣だ。



 小人は、二人のお父さんと、五人分の等身大パネルだった。


「七人いますね」


 先生が言った。


 生身の小人の一人が頷いた。


「五人はずっと様子見ですけどね」


 もう一人が、五枚のパネルをまとめて抱えた。

 七人分の労働をする二人が、すでに完成していた。


 舞台脇では、演目の看板を裏返している。


 去年の〈おおきなかぶ〉の反対側に、今年の〈しらゆきひめ〉と書いたらしい。


 設備のほとんどが、まだ根菜を諦めていなかった。



 開演十分前。


 佐伯先生が、三枚のカードを持って俺のところへ来た。


「森田さん、お願いがありまして」


 俺は幹の中で身構えた。


 頼みごとをされる木。

 嫌な予感しかしない。


「鏡役のお父さんが、発熱でお休みになりました」


「お大事になさってください」


「それで、鏡の声をお願いできますか」


「お大事になさってください」


「同じお返事ですね」


 俺は枝を揺らした。

 風のせいということにしたかった。


 鏡のパネルを木の前に置くので、その後ろから声を出すだけだという。


「台詞は三つです。カードを見て読めば大丈夫ですから」


 先生は順番に見せた。


〈女王さま、あなたです〉


〈白雪姫です〉


〈ほんとうのことしか言えません〉


 最後の一枚は、職場に持っていきたいと思った。


 俺は引き受けた。


 鏡役のお父さんが欠席して、困っているのは先生だ。

 この状況で木の権利を主張するのは、さすがに難しかった。


「声は、少し低めにお願いします」


「女王さま、あなたです」


「いいですね。神秘的です」


 幹の中で声がこもっただけだった。


 開演の音楽が流れた。


 俺は三枚のカードを握りしめた。


 植物の労働条件は、思っていたより悪かった。



     *



 幕が開いた。


 遊戯室には、子どもたちとその家族が並んでいる。

 前のほうに、妻とすずがいた。


 すずは俺を探すように舞台を見回していたが、木を見つけると、小さく手を振った。


 俺も振り返しかけた。


 駄目だ。

 木だ。


 葉を少しだけ揺らした。



 女王が鏡の前に立った。


「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは、だあれ?」


 俺は一枚目を見た。


「女王さま、あなたです」


 声が少し震えた。

 でも、言えた。


 女王は優雅に笑った。


「そうでしょうとも。上品で、気高く、優しく、寛大で、誰からも愛される、このわたくし」


 台本より形容詞が四つ多い。


 女王がちらりとこちらを見た。

 何か返事を求められている。


 俺は焦り、三枚目を読んだ。


「ほんとうのことしか言えません」


 一拍、静かになった。


 保護者席から笑いが起きた。


 女王がゆっくり鏡に顔を近づけた。


「……今の、どこが嘘だというの?」


 台本にない。


 俺は二枚目を読んだ。


「白雪姫です」


「質問に答えなさい」


 俺は三枚のカードを見比べた。


 どれを出しても、女王の怒りが増す。


 じゃんけんで、手持ちが全部チョキだった。


 佐伯先生の語りが、間に入った。


「ところが、やがて白雪姫が成長すると、鏡はこう答えるようになりました」


 助かった。


「白雪姫です」


 今度は正しい場所に着地した。


 女王は両手を震わせ、嫉妬に燃えた。


 かなり本物に見えた。



 鏡が片づけられ、場面は森へ移った。


 白雪姫が、俺の後ろへ隠れた。


 肩が、左右から出ていた。


「みえてる!」


 客席の男の子が叫んだ。


 白雪姫が少し身を縮めた。


「まだみえてる!」


 主に三角筋が見えていた。


 舞台の端から、白雪姫を捜す女王が近づいてくる。

 このままだと発見される。


 俺は黒いペダルを上げ、木を横へずらした。


 白雪姫が隠れた。


 女王が逆へ歩いた。


 俺も逆へ動いた。


「木、うごいた!」


 子どもが叫んだ。


 佐伯先生が、すぐに言った。


「森には、つよーい風が吹いていました」


 女王が右へ。


 俺も右へ。


 女王が左へ。


 俺も左へ。


 白雪姫が幹の後ろで囁いた。


「もう少し左です」


「木に細かい注文をしないでください」


 つい、普通の声で返してしまった。


 客席から笑いが起きた。


 女王が足を止めた。


「この森、妙に守備が堅いわね」


 俺は葉を揺らした。


 風です。



 なんとか女王をやりすごし、白雪姫は七人の小人に迎えられた。


 二人が自己紹介をした。

 五人は、すでに笑顔だった。


 その五人は、仕事の話になっても笑顔だった。


 小人たちが出かけ、白雪姫が一人になる。


 そこへ、黒い頭巾をかぶった老婆が現れた。


「おいしいりんごは、いかがかねえ」


「じょおうだ!」


 子どもが即答した。


 老婆は一瞬止まり、にっこり笑った。


「よく似ていると言われるんだよ」


 木の中で、俺は三枚目のカードを伏せた。



 老婆が、俺の横を通る。


 りんごが枝に触れた。


 ぺたっ。


 りんごは、俺になった。


 正確には、枝先の金属フックにくっついた。


 老婆は二歩進んでから、空の手を見た。


 振り返る。


 木に、赤い実が一つなっていた。


「……返しておくれ」


 俺は手渡しのつもりで、台を少し動かした。


 老婆が手を伸ばした側とは、逆へ。


 りんごが遠ざかった。


 子どもたちが笑った。


 違う。

 そこまで意地悪な植物ではない。


 老婆は木の反対側へ回り込み、りんごを取り戻した。


「売り物を勝手に実らせるんじゃないよ」


 保護者席まで笑い始めた。


 俺は黒いペダルを踏み、じっとした。


 植物にできる最善の謝罪だった。



 ようやくりんごが白雪姫に渡った。


 白雪姫はひとかじりするふりをし、襟元の金具にりんごを留めた。


「ああ、なんだか、眠く……」


 そして、すぐそばの寝台へ横になろうとした。


 俺は、ここで重大なことに気づいた。


 白雪姫を隠すために動いたあと、元の位置へ戻っていない。


 俺は寝台に、近すぎた。


 白雪姫の袖の飾りが、枝先のフックに引っかかった。


 身体を横にしようとしたため、レースの網目へフックの先端が入り込む。


 白雪姫は寝台に腰を下ろした姿勢で止まった。


 上半身だけが、木に礼をしていた。


「白雪姫は、深い眠りにつきました」


 佐伯先生が言った。


 近藤さんは、その姿勢のまま目を閉じた。


 労働のあとに座って寝ている人としては、非常に完成度が高かった。


 そして、襟元のりんごが枝に触れた。


 ぺたっ。


 再び、実がなった。


「とれた!」


 前の子どもが指さした。


 だが、白雪姫は起きなかった。


 俺は小声で言った。


「近藤さん。りんご、取れました」


「合図が、まだです」


 目を閉じたまま、小声で返ってきた。


「『姫、お目覚めください』までは寝ています」


 なるほど。

 勤務時間を守るタイプの死体だった。



     *



 王子が現れた。


 白雪姫を見た。


 木を見た。


 もう一度、白雪姫を見た。


 状況の確認が丁寧だ。

 配達先の表札が二つあるときも、こうするのだろう。


「なんと美しい姫だ……」


 王子は膝をつき、白雪姫の袖をそっと持ち上げた。


 フックから外そうとしている。


 だが、レースの網目に入り込んだ先端が、張りぼての枝に隠れて見えない。


 王子は首を傾けた。

 王冠が滑った。


 邪魔になった王冠を外し、空いている上のフックへ掛ける。


 それから、さらに身を乗り出した。


 背中のマントが、反対側の枝に掛かった。


 王子が立ち上がろうとした。


 立ち上がれなかった。


 木を挟んで、王子と白雪姫が並んだ。


 収納が完了した。


「……森田さん」


 王子が小声で言った。


「はい」


「これ、枝ごと外れませんか」


「外れます。幹の布をめくると、根元に留め具が」


「なるほど」


 王子は無理に引っ張らず、首元の留め具を外した。

 マントだけを枝に残し、自分は自由になる。


「姫、少し袖を緩めていただけますか」


 白雪姫は目を閉じたまま答えた。


「私は今、眠っています」


「そこは存じ上げております」


 王子の敬語が、仕事中のものになった。



 女王が戻ってきた。


 出番ではない。

 完全に、助けに来た高橋さんだった。


 ただし、顔は女王のままである。


「あらあら。こんなところで、どうなさったの?」


 嘲笑しながら近づき、俺たちの間へ顔を寄せる。


「一回、幕を閉めましょう。布を引っ張る前に」


 最後の一文だけ、貸出品の管理者だった。


 舞台袖で、佐伯先生が幕へ手を掛けた。


 俺と目が合うと、小さく頷いてくれる。


 止めていい。

 閉めれば、全部外せる。

 それから、やり直せばいい。


 俺は赤い紐に触れた。


 胸の金文字を思い出した。


〈本日の主役〉


 白雪姫の劇で、木の中からあの服を着た父親が出てくる。


 すずは、どう思うだろう。


 客席では、子どもたちが笑っている。

 俺の失敗で、劇が止まりかけている。


 汗が、首から背中へ流れた。


 いいから、まず出よう。

 そう思って、息を吸った。


 そのとき、王子が剣を抜いた。


「この木には、きっと呪いがかかっている!」


 柔軟な切っ先が、床を指した。


 即興で、幕を閉めるまでの間をつなごうとしているのだ。


「ならば、この剣で木を切り倒し、姫をお救いしよう!」


 王子は俺に目配せした。

 倒されたふりをすれば、劇の流れで退場できる。


 ありがたかった。


 これなら、失敗を失敗に見せずに済む。


 王子が、スポンジの剣を持ち上げた。


「だめ!」


 客席から声がした。


 すずだった。


 椅子から少しだけ身を乗り出し、俺を見ていた。


「その木、ずっとおひめさま、たすけてた!」


 王子の手が止まった。


「かくしてた!」


 別の子が言った。


「りんごもとった!」


「わるい木じゃないよ!」


 俺は幹の穴から、客席を見た。


 すずは怒っていた。

 俺が間違えたことにではなく、俺が切られることに。


 俺が必死に位置を直している間、この子たちには、木が白雪姫をかばっているように見えていたのだ。


 りんごを取り上げたことも。

 眠った姫から、もう一度りんごを取ったことも。


 どれも、俺の失敗だったのに。


 俺は、握っていた赤い紐を見た。


 それから、王子を見た。


「……そうですね」


 王子は剣を下ろした。


「この木は、姫を守っていたのですね」


 女王が俺を見た。


 目が合った。


 高橋さんは、にやっと笑った。


「では、この騒ぎを起こした悪者は、いったい誰だというの!」


 俺は、今度はカードを見なかった。


「女王さま、あなたです」


 遊戯室がどっと沸いた。


「そこは黙っておいで!」


「ほんとうのことしか言えません」


「あんた、鏡だったの!?」


「兼務です」


 保護者席で、誰かが手を叩いた。


 女王は額に手を当てた。


「この森、人手が足りてないわね!」


 二人の小人が、舞台袖で深く頷いた。

 五人は変わらず笑っていた。



 俺は幹の内側の白い曲面を見た。


 それから、舞台脇の看板を見た。


「高橋さん」


 小声で呼ぶ。


「俺を、かぶに変える呪いって使えませんか」


 女王の目が輝いた。


 まずいことを思いついた人の目だった。

 言い出したのは、俺だが。


「いいわね。ちょうど、布をめくらないといけないし」


 女王は先生のほうへ顔を寄せ、「かぶ、やります」と短く伝えた。


 先生は一度だけ瞬きをした。


 そして、幕から手を離した。



 女王が舞台の中央へ向き直り、両腕を高く掲げた。


「わたくしの邪魔をする生意気な木よ!」


 溜める。


「お前など、大きなかぶになってしまえ!」


 呪いの方向性が、ずいぶん台所に近かった。


 女王が茶色い布を外した。


 白く丸い胴体が現れる。


 子どもたちが歓声を上げた。


「かぶだ!」


「おおきなかぶ!」


 佐伯先生は舞台脇の看板を裏返した。


〈おおきなかぶ〉


 演目が変更された。


 経費を節約しておいて、本当によかった。



「このかぶを引き抜くことができたなら、呪いは解ける!」


 女王が宣言した。


 王子が訊いた。


「なぜ、解き方まで教えてくれるのですか?」


「対象年齢を考えなさい!」


 王子は納得した。



 ただし、引き抜く前に、片づけるべきことがある。


 俺は寝台を見た。


 一人、非常に戦力になりそうな人が寝ていた。


「白雪姫、いったん起きてください」


 近藤さんは目を閉じたまま答えた。


「合図が、まだです」


 俺は王子を見た。

 王子も、俺を見た。


 二人の間で、ようやく正しい業務が引き継がれた。


「姫、お目覚めください!」


 白雪姫が、ぱちりと目を開けた。


 空になった自分の襟元を触り、枝のりんごを見た。


 佐伯先生が、力強く語る。


「魔法の木が、りんごを取ってくれたので、白雪姫は目を覚ましました!」


 白雪姫は俺を見上げた。


「今度は、わたしがあなたを助けます」


 そして、まだ袖をつかんでいるフックを見た。


「まずは、ここからですね」


 頼もしかった。



 白雪姫が、自由なほうの手で枝を支える。


 女王は、カバーの下から現れた根元の留め具を外した。


 枝が動かせるようになると、布を突っ張らせずにフックを抜けた。

 王子のマントが掛かった反対側の枝も外し、取り外したものはまとめて寝台へ置く。


「破れていません」


 女王が小声で報告した。


「よかった」


 白雪姫が立ち上がった。


 大きく肩を回す。


 戦力が復帰した。



 枝を外された俺は、短い葉っぱだけが頭に残った、立派なかぶになっていた。


 王子が近づき、縁へそっと手を添える。


 俺は小声で言った。


「二回失敗して、三回目で出ます。去年と同じで」


「了解です。動くのは半歩。本当に引っ張らないようにしましょう」


 配送の打ち合わせとしても、非常に適切だった。


 王子が後ろへ伝える。


 女王が王子につかまった。


「あなたまで、手伝うのですか?」


 王子が訊いた。


「抜けたかぶは、城へ持って帰ってスープにするのよ!」


 俺は、第三の職種が食材になる可能性を知った。


 二人の小人が続く。

 最後に、白雪姫が加わった。


 佐伯先生が語り始めた。


「王子が、かぶを引っぱって」


 王子が腰を落とす。


「女王が、王子を引っぱって」


 女王が腰を落とす。


「小人が、女王を引っぱって」


 二人が腰を落とす。


「白雪姫が、小人を引っぱって」


 舞台全体の重心が、ぐっと低くなった。


「うんとこしょ、どっこいしょ!」


 俺は動かなかった。


 まだだ。


 佐伯先生が続けた。


「それでも、かぶは抜けません」


 白雪姫が、俺にだけ聞こえる声で言った。


「本気なら抜けます」


「本気は出さないでください」


 もう一度。


「うんとこしょ、どっこいしょ!」


 かぶは抜けない。


 二人の小人が、舞台の端に並ぶ五枚のパネルを見た。


「七人いるのに!」


「五人が動かないからだ!」


 保護者席から、疲れた人に特有の深い笑いが起きた。



 佐伯先生が客席へ向き直った。


「最後に、小さなねずみさんが来てくれたら、抜けるかもしれませんね」


 俺は、前の列を見た。


 すずが、膝の上で手を握っていた。


 幹のカバーがなくなったので、俺の顔は葉の間から見えている。


 すずと目が合った。


 俺は頷いた。


 すずが口を開いた。


「……ちゅう」


 小さな声だった。


 けれど、先生はちゃんと聞いた。


「あっ。ねずみさんが来てくれました!」


 隣の子が言った。


「ちゅう!」


 後ろからも聞こえた。


「ちゅう!」


「ちゅう、ちゅう!」


 遊戯室が、ねずみの大所帯になった。


 衛生管理の話ではない。

 劇の話だ。


「みんなで、声を合わせましょう!」


 俺は黒いペダルを上げた。


 赤い紐を握り直した。


 白雪姫が振り返り、客席へ笑いかけた。


「せーの!」


「うんとこしょ、どっこいしょ!」


 列が半歩だけ下がるのに合わせて、俺も台を押した。


 かぶが、するりと前へ動く。


 台を止め、俺は紐を引いた。


 べりべりべりっ。


 正面が開く。


 王子が横へよける。


 俺は、その中から一歩出た。


 黒いTシャツ。

 汗で額に張りついた前髪。

 胸に輝く、金色の文字。


〈本日の主役〉


 一瞬、静かになった。


 それから、保護者席が爆発した。


 拍手と笑い声が重なった。


 女王が俺の胸を指さした。


「最初から、そのつもりだったのね!」


「違います!」


 今日いちばん大きな声が出た。


 王子が胸に手を当てた。


「なるほど。あなたこそが、この森を守る――」


「木です!」


 白雪姫が俺の肩に手を置いた。


「ただの木が、そんな服を着ていますか」


「妻が!」


 客席で、妻が両手を叩いて笑っていた。


 説明責任を、完全に放棄していた。



 佐伯先生が、朗々と語った。


「かぶの中から現れたのは、森の木の精でした。木の精は、ずっと白雪姫を守っていたのです」


 俺の知らない正体が、俺抜きで決まっていた。


 子どもたちは、驚いていなかった。


 そうだろう。

 あれだけ動いて、しゃべって、果実を取り上げる木が、普通の木であるはずがない。


 女王が残ったかぶを見た。


「……スープは?」


「作りません」


 そこだけは、木の精として明確にしておいた。



 最後の場面に戻るため、王子が寝台のほうへ行った。


 外した枝からマントを取り戻し、王冠も外す。


 ついでに、枝についていたりんごを剥がした。


 両手の荷物をまとめようとした、そのときだった。


 ぺたっ。


 りんごが王冠の留め金にくっついた。


 王子がそれに気づかず、王冠を持ち上げる。


「おうじもねちゃう!」


 客席から声が飛んだ。


 田所さんは手を止めた。


 りんごを外し、真面目に言った。


「こちらは、お受け取りを辞退いたします」


 白雪姫が深く頷いた。


「受け取らないのが一番です」


 経験者の言葉だった。



 王子と白雪姫は、木の精と森の仲間を城へ招いた。


 女王は反省した。


「今後、りんごは普通に売ります」


 と約束した。


 七人の小人が、客席へお辞儀をした。


 二人が屈み、五人のパネルがまとめて傾いた。


 最後まで、二人が働いていた。



     *



 幕が閉じた途端、王子がその場に座り込んだ。


「この二十分で、一日分の配達をした気がします」


 白雪姫が隣に座った。


「私は、寝ている間に演目が変わりました」


 女王は衣装のレースを点検していた。


「本当に破れてない。よかった」


 悪の敗北より、貸出品の無事を喜んでいた。


 俺は空になった木を見た。


 いや、かぶを。


 どちらにしても、これほど多くの職種を経験した農作物は珍しいと思った。



 舞台裏へ、すずが来た。


 俺はしゃがんだ。


「ごめんな。お父さん、木なのにいっぱい動いちゃって」


「うん」


「しゃべったし」


「うん」


「最後は、かぶになったし」


「うん」


 すずは俺の胸の金文字を指でなぞった。


「お父さん、へんだった」


「そうだな」


「でも、かっこよかった」


 俺は返事をしそこねた。


 すずは、外された茶色い布のところへ行った。

 自分で貼ったテープを、慎重に剥がす。


〈おとうさん〉


 そして戻ってくると、俺の胸に貼りつけた。


〈本日の主役〉の真ん中が隠れた。


 妻がそれを見て、少しだけ笑った。


「そっちの役は、似合ってるね」


 俺はテープの端を押さえた。


 すずが、そっと耳元に顔を寄せた。


「お父さん」


「うん?」


「王子さま、剣いらなかったね」


「本人に聞こえないように言おうな」


 背後で田所さんが、静かに咳払いをした。



 帰宅後、保育園からメールが届いた。


 今日のお礼と、保護者劇が子どもたちに大好評だったこと。

 写真を後日共有すること。


 そして、最後に一文。


〈来年は『桃太郎』を予定しています。森田さんには、桃の役をお願いできればと思っております〉


 俺は続きを読んだ。


〈川を流れるだけです。台詞はありません〉


 俺は返信欄を開いた。


 去年より慎重になった社会人として、確認しておかなければならないことが、一つだけあった。



〈割れたあと、何になる役ですか〉

「木の役なら、何もしなくていい」


そんな安心感から始めて、木にできるだけ働いてもらいました。

結果として、鏡の仕事まで兼ね、白雪姫を守り、最後には演目の変更にも対応することになりました。


本人にとっては失敗の連続でも、見ている子どもには、頼もしい活躍に見えている。

その食い違いも楽しんでいただけたらうれしいです。


読み返したとき、序盤の何気ない注意事項が少し怖く見えたら幸いです。


なお、五人の小人からは、最後まで特に申し出はありませんでした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。