CD
早朝の教室。まだ上がりきっていない太陽。その光が、人影を浮かび上げる。華かなブラウスに落ち着いた黒のロングスカート。肩までカーブを描く髪はオレンジブラウンに染めてある。
彼女が見る窓からの景色は、若干霧がかかっている。ぼんやりと眺めるとガラスの外は写生された絵の様だ。
絵は中庭を写し出し、まばらに植えられている五本の桜が印象的だ。数日後に卒業式を控えており、世間は春を受け入れる準備をしている。けれども目の前の桜は、花が咲くとは思えない程衰弱している。
この桜ヶ丘中学校は、五年前に地元の中学校を併合して建てられた。元々は名前の通り、それはもう沢山の桜が咲く丘だったのだが、現在その面影はない。低く何も無い丘は寂しさを感じさせる。そこに白…というよりは無彩色と言った方がしっくりくる建物が聳え立つのみである。
真っ白な廊下は病院を思わせ、教室は何処かの企業の会議室の様でもある。日中は若く元気な声が響き、活気があるが、下校時間が過ぎると静まり返り、何か出てきそうな雰囲気を醸し出す。
ふと、窓の絵の中に登場人物が現れた。国語の小牧先生だ。短い白髪に若干腰が曲がっている、見た目七十代のおじいちゃん先生だ。小牧先生は鞄を抱えてゆっくりと絵の中を横切り、桜の木の根に躓くといった小さなアクシデントを乗り越え、やがて窓の縁へ消えてった。
視線を教室の中へ向ければ、目の前のホワイトボードは所々消し残しがある。昨日の日直が大雑把に消したのだろう。
「中嶋!忘れものーッ!」
声がする方を見れば、中庭でジャージを着崩した男子学生がタオルを片手に振っている。そして、同じジャージを着たもう1人の男子学生が走ってきて、タオルを受け取った。春が近づいているとはいえ、こんなにも寒いのに半袖とは、部活動生を見かける度に感心する。
「ごめん、助かった」
「いいよ。……って事でついでに宿題の方を…」
「えー。烏谷…この前も見せてやった気がするんだけど」
「神様、仏様、中嶋様、どうかご慈悲を!」
着崩しジャージの方が手を合わせている。
「はぁ、しゃーないなー」
「お、ありがとうございます!」
結局二人はそのまま雑談をしながら、中庭を離れていった。
この校舎は中庭を囲う様に建設されている。上空から見れば『口』という字に見えるだろう。そのうち東の一辺は二階と四階にだけ、渡り廊下がある。私がいる教室は南の中央に位置しており、窓の右手には渡り廊下が映っている。朝はこの下から人が現れ、西の昇降口へと抜けていく生徒や教職員を眺める事ができる。
何度も何度も。毎日毎日。繰り返し繰り返し。でも、それはいつまでも続く訳ではない。
朝日が差し込みだして、段々と明瞭になっていく景色をこれとなしに眺める。
「…潤、それは食べるべきだよ!」
またしても絵の中に新たな登場人物が入り込む。次は三人の女子学生のようだ。身長が高くスラッとした子が後ろ向きに歩きつつ、赤いマフラーに顔を埋める子に話しかけている。
「いや、ダイエットするって昨日決めたばっかりだよ⁈」
赤いマフラーの子が叫ぶ。
「いやいやいや、家の横に新しくケーキ屋できて明日オープンとか、行かない選択肢ないでしょ!羨ましい!よし、明日行くよっ!」
「待って、とりあえず待って。璃子、璃子も紫織を止めて!」
「紫織はスタイルいいからねー。あーでも、3人で食べに行くの楽しそー」
言い合いを続けている2人の後ろから、冷静に見守るショートカットの子が相槌を打つ。
「いや、そうなんだけど⁉︎…欲しいのはそういう言葉じゃなくて!」
マフラーの子が一生懸命訴え始める。
そこでもう見えなくなってしまった。校舎が少しずつ人を飲み込んで騒がしくなる。
「………………誰にしようかなぁ」
呟いた声が教室に淋しく吸い込まれた。
中庭を見るのを止め、教室の入り口へと向かう。教室を出る瞬間、振り返ると視界の隅、ホワイトボードの日直の欄に、日比野と嵐山という文字が見えた。
右手に透明のケースに入った一枚のCDを握りしめ、今度は振り返ることなくその場を後にした。
「……決めた」
CDには黒の名前ペンで『サクラゲーム』と書かれていた。




