咳行き吐息
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
く~、土日に仕事があると、どうにもしんどいよねあ。
これが若いうちならまだマシなんだけど、歳をとってくるとどうも。ちょっと前に歩きの速さをはかってみたらさ、10年前よりも少しゆったりしているんだ。加減しているわけでもないのにだよ?
体重その他のコンディションが変わってきたとはいえ、衰えを感じる一幕だよ。こうして少しずつ、少しずつ体の力を削られて、気づいた時にはよぼよぼのお年寄りになっていく。
階段式にいきなりがくっと来るんじゃないぶん、すげえ厄介だろうなあ。ゆでガエル理論みたいな感じで。いきなり熱湯にぶち込まれたらすぐに異変に気付けるが、じょじょにあっためられると察知が遅れてしまう……とね。
ゆえに、いつもとちょっぴりでも違うことで、妙に気にかかることがあったら注意してみてもいいかもね。
僕がだいぶ前に体験したことなんだけど、聞いてみないかい?
ため息をつくと、幸せが逃げる。よく聞くフレーズじゃないかと思う。
科学的には息をつくこと自体、そう悪いことじゃない。全身の循環を考えたら空気の取り入れと排出は重要事項のひとつ。むしろ健康につながりそうなものだ。
じゃあどうして幸せが逃げるかというと、他の人から見た印象が大きいという。悪い態度を見ると、腹が立ったり距離を置きたくなったり、ネガティブな気持ちが生まれてくるもの。
それが機嫌の悪さにつながり、対応の悪さにつながり、普段ならすんなり行ったであろうことが停滞して、悪い結果を呼び込んでしまう。この連鎖的な恐ろしさを昔の人は知っていて、あたかも幸せに逃げられたようにたとえたんじゃあないかな?
まあ、対人だったらわかりやすくていいけれど、これが人じゃなかったら、どうかな。
当時の僕は、肺活量が少ないせいなのか、よくため息が出てしまう体質だった。
ちょっと激しい動きが続いたり、言葉をまくしたてたりすると、どうにも苦しくなってしまって「ふう」と息をついてしまうんだ。
そうでなくとも、日常的にため息がしばしば出るものだから、「なんか辛いことであった?」などと心配までされる始末。当人の僕としては、まばたきとほぼ同じで、ついている意識なんてほとんどない。いわれて、気にして、ようやく認識といったところだ。
幸せが逃げる、と言及されたのもこのころだったなあ。当時は幸せという概念を考えるにはまだまだ幼くて、「こんな小さな動作ひとつで、大げさにひっくりかえってたまるか」なんて思ってたよ。
でも、変化は確実に忍び寄ってきていた。
それはため息のあとに、せき込むようになったこと。
みんなに指摘されてからため息について気にするようにし始めた僕だけど、なるほど確かにワンセットの勢いだ。
ふう~……けほ、けほって具合にね。はじめのうちは、まあそのようなこともあるだろうかと軽く見ていて、気に掛けるのはそのいっときだけだった。
けれども、皆に注意されてから数日後。僕は登校中の通学路で、自覚ができるほどに息をつき、またせき込んでしまう。出した先から、次から次へと肺が酸素を求め、また大量に吐き出していくことを求めてきたんだ。
これははっきりと違和感を覚えるレベルで、僕自身、強く口をつぐんで開くまいと思ったさ。それを身体は無理にせき込むものだから、開いている鼻腔が大打撃を受ける。鼻をかむためのポケットティッシュが手放せない通学路となったよ。
そうして学校へようやくつくと、今度は不思議とため息も咳も止まってしまう。
これまでは学校にいても、普通に息も咳も付きまとっていたから、僕自身のみならず周りも不思議がるほどだったよ。それだけ名物だったんだと、あらためて思ったね。
しかし、問題は帰り際にやってきた。
朝の予報では午後も晴れのはずだったのが、昼を過ぎてからにわかに雲が湧いてきて、薄暗くなってくる。
傘なんて持ってきてないよ~なんて声もちらほら聞こえてくるも、けっきょく帰りのホームルームが終わるまで雨は一滴も降らずに済む。面倒なことになる前に、と普段よりも人がはけるタイミングは早く、僕もまたみんなの後を追うようにして校舎を出た。
僕も雨具を持っておらず、さっさと帰ろうと通学路を歩いていくのだけど……。
――霧?
そう、道に霧がかかっているように思えた。
最初はどこかで風呂でも沸かして、その湯気が漏れてきているのかな~などと考えていたけれど、やがてそれが家を離れた歩道の途中であっても、遠慮なくとどまっているものだから、そいつが湯気でなさそうなことはだいたい検討がついた。
しかも、歩みを進めるほどの霧は濃くなっていく。それは今朝に僕が歩いた道の巻き戻りにもあたる。
そのうえ、解き放たれたようにため息と咳が巻き起こって、歩みを進めるほどに激しさを増していく。このまま進んだら、息を吸えなくて死ぬ……とさえ思ってしまうほどだったよ。
僕は最終的に、霧のかからない道へ回り込んで帰ったが、後日に尋ねてみてもあの道に霧がかかっていたと、感じ取れた人はさっぱり現れなかった。
ただ、その道を通った人で、少なくとも知り合いの範囲では10年以内に肺の病を患ってしまった。軽いか重いかの差はあるけれどね。
あれが僕のため息にあったのでは……なんて、考えすぎだと思いたいけれど。




