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悲観令嬢と癒しの小人とマイペースな猫のひととき  作者: 松原水仙


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6.選ばれたのは私じゃなかった

 別室に用意されている軽食でも食べようという話になり、その前に化粧室へと失礼した。手を洗いながら、ふぅとため息を吐く。

 あまりにも煌びやかな場で、少し疲れてしまったけれど、ビクターのおかげでとてもいい思い出になった。こんな場所に来られるなんて、夢のようだわ。今までの私なら考えられなかった。


 鏡に映るミモザのドレスと、アンの施したメイクが自信をくれた。まるでお姫様のよう、なんて言ったら図々しいかしら。


 よし!


 ビクターはすでに別室にいるはずだ。廊下を歩く歩幅が少し広くなる。会場の熱気あふれる声が廊下にも響いている。華やかなご令嬢たちに、金色のシャンデリア、ヴァイオリンの音色。心がときめいてくる。


 数組が廊下で話しているのが目に入った。


「おい、聞いたか?ビクターがエルザ様の姉と結婚したって」


 え?

 心臓がドクリ、と大きく鳴った。

 思わず、廊下に用意されたソファに、休んでいる風を装って座り込む。ぎりぎり声が聞こえる距離だ。令嬢とのやり取りに疲れたのか、男性だけのグループは廊下の隅で固まって話し込んでいる。


「エルザ様が好きだって、あんなにエルザ様に夢中だったのに。毎回、彼女のパーティーに参加してさ」

「夢中だったから、だろ。エルザ様が結婚するって聞いて、慌てて姉に結婚を申し込んだって」

「執念だな。結婚できないなら姉を使ってエルザ様と家族に、ってか」

「彼女の両親からは、毎月お金を渡すという約束で結婚の了承を得たらしいぞ」

「ビクターの両親も喜んでいるし、いいんじゃないか。エルザ様はトーマス様の婚約者だし、繋がりを持てれば支援を期待できる。誰も損しない。まあ、お相手は気の毒だが」

「ところでエルザ様の姉って誰だ?」「さあ?」「まあエルザ様の姉なら霞んでも仕方ないさ。案外、エルザ様のおかげで結婚できて喜んでいるかもな」



 彼らの笑い声が遠くなっていく。息をするのも忘れて、ただ茫然と俯いた。目の焦点がぼやける。心臓が壊れたように静かだ。


 選ばれたなんて、どうして思ってしまったんだろう。よく考えればあり得ないって分かるのに。一度も社交界に出たことがないし、使用人のような私を好きになる人なんていないわ。

 どうりでさっき様子がおかしかったはずね。あれは失礼なエルザに戸惑ったんじゃなくて、ただ照れていただけ。


 顔を右手で覆い隠して、フッと自虐を込めて笑った。あーあ、馬鹿ね、私。



 一生分の夢を見たわ。



『君がテキパキと家を仕切っているのを見て、こんな人が結婚相手だったらなって思ったんだ』

 あんな話、聞かなきゃ良かった。


 選ばれたのは、やっぱりエルザだった。





「クララ、どうしたの?気分が悪くなった?」


 いつまでソファに座り込んでいたのか、心配したビクターが探しに来てくれた。眉が下がっている。


「ううん。少し疲れてしまっただけ」

「そうか。なら、そろそろ帰ろう」

「ええ。ごめんなさい。とても楽しかったわ。連れて来てくれてありがとう」


 ビクターは嬉しそうに、「また来よう」と腕を差し伸べてくれた。手を取って立ち上がる。お気に入りのベージュの靴が歩くたびにコッコッと悲し気に鳴くけれど、無視をした。ビクターがパーティーの思い出話をして、それに相槌を打つ。楽しそうな会話がいつまでも続いた。



 ほらね。何とも思っていない風に、笑顔を作るのは得意でしょ?



 ベッドに倒れ込むように寝ころんで、天井を見上げる。部屋で一人になっても泣いたりしなかった。


 胸の中が、スゥーッと冷たくて、いつものように虚しいだけ。

 そうよ、元に戻っただけ。ううん、前とは比べられない程、良い暮らしをさせてもらっているわ。

 豪華な衣装に、満足な食事、お部屋だってこんなに素敵だもの!私は幸せよ!これ以上、何を望むって言うの。





「おはよう、クララ」

「おはよう、ビクター」


 何事もなかったかのように、朝食を一緒に食べた。クロワッサン、オムレツ、二種類のソーセージ、焼きトマト、クレソンのサラダ。相変わらず贅沢で、美味しかった。


 食後のお茶を飲んでいると、言いにくそうにビクターが切り出す。


「明日から、一カ月ほど王城で仕事があって戻って来られないんだ」

「そうなのですね」

「寂しい思いをさせてしまうけど、ごめんね」

「お仕事ですもの。気にしないで」


 申し訳なさそうなビクターに、笑顔を向ける。彼を見ているといつも温かい気持ちになれたのに、今は冷たいまま。


 仕事なのだから、そんな顔する必要ないのに。私にまで気を遣ってくれて…優しいのね。


 そう。好きでもない私なんかにもビクターはいつも優しい。

 私はこの人の妻として、やるべきことをやらなくちゃ。



 ビクターを見送った後、部屋で招待状の返事を書き始める。ご近所に住むマーサ伯爵夫人からお茶会に誘われたのだ。招待状に〇をつけ、「喜んで出席させていただきます」と横に付け加える。


 初めてのお茶会は分からないことだらけ。


 ドレスはビクターに貰った若草色のもの、手土産はどうしよう、何人来るかしら?

 自宅だから時間より遅れて行って、それから挨拶は?名前だけでいいのかしら?何か一言必要?

 話題にはついていけるかしら?

 テーブルマナーは?


 考え出すと止まらない。

 きっと近くに住む貴族たちが集まってくる。失敗はできない。


 皆は顔見知り同士よね?輪には入れるかしら?知り合いなんているもはずもないし。


 どんどんと気分が沈んで、不安だけが増していく。


 頑張らないと。

 何か一つでもお役に立たないと。私はエルザの代わりなのだから。


 きっとエルザなら、上手くこなせる。その美しさで、立っているだけで人が集まってくる。

 でも私は?

 何一つ誇れるものがない。

 顔も体もセンスも教養も、何もない。

 もしビクター様に恥をかかせてしまったら…。


 体の感覚がなくなって、頭だけがマイナスに働いた。


 ベッドに入っても眠れず、何かを食べたいという気持ちもなくなっていった。



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