5.結婚の理由
クララは自室でソファに座り、ビクターに貰った靴を眺める。結婚指輪を仕舞うリングピローを大きくしたようなシューケースの上に、宝石のように乗せられている。何度眺めても飽きることがない。見る度に胸が躍った。
正真正銘、私の為だけの靴。
「どうして私なんかの為にここまでしてくれるのかしら?」
あれからピクニックに釣りに観劇、オペラ鑑賞などビクターは時間を作っては連れて行ってくれた。あまりにも楽しいことばかりで肝心なことを聞く機会を逃してしまっている。
よし、今日こそ勇気を出して聞いてみよう。
寝室で繋がったビクターの部屋の扉を小さく叩くと、すぐに「はい」と扉が開いた。
「どうしたの?」と驚いた顔でクララを見ている。ネクタイをしていないビクターは新鮮で、気恥ずかしくて目を逸らしてしまう。
「あ、あの、少しだけお話してもいいかしら?」
「勿論!ちょうど休憩しようと思っていたんだ。お茶を用意させるよ」
アンがハーブティーを用意してすぐに退室する。
カップを口元に近づけるとミントのスッとする香りが広がった。そのまま口に運び、喉を潤す。
色々話してきたけれど、こういう話をする時ってどうして言葉が出ないのかしら?
ビクターは急かすこともなく、昨日行ったオペラの話をしてくれている。優しくて、気遣いができて、こんなに素敵な人がどうして…。
すうぅと息を鼻から吸って、思い切って聞いてみた。
「あの!」
「ん?」
「その…、ビクターはどうして私を結婚相手に選んでくれたの?」
顔を見るのが何となく怖くて、カップの中を凝視する。不安から声が小さくなった。
接点もない自分を選ぶ理由が思い当たらない。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いていないわ」
「以前に、妹君の主催するパーティーに参加したことがあるんだ」
「え?」
「そこで君を見かけて」
家での私を見たの?
『そこのメイドの君』
家での自分は、ビクターにだけは知られたくなかったのに。
無意識に冷たくなった手先を白くなるまで握っていた。
「君がテキパキと家を仕切っているのを見て、こんな人が結婚相手だったらなって思ったんだ」
「…え」
本当に?あんな私を見て、それでも私が良いって思ってくれたの?
泣きそうになって思わず顔を上げると、いつもの温かい笑みがあった。
「不安にさせてたかな?もっと早く伝えれば良かったね。ごめんね」
「ううん、ううん。いいの。ありがとう!」
嬉しくて泣きそうになったのは初めてだ。
それからゆったりとお茶の時間を楽しんだ。
胸がほっこりとして嘘みたいに幸せだった。
クララはミモザを思わせるような愛らしいドレスを着て、ビクターと腕を組んで王城にある大ホールへと足を踏み入れた。
天井が高い!それに壁一面が金色に光っているわ!
息を呑んで、その壮麗さを見渡す。今回がクララにとって初めての公式な社交となる。体が固まって手足が思うように動かない。笑顔も引きつりそうだ。
これが王城?すごい人!それに皆、何だかお洒落で洗練されている。明らかに場違いだわ…。
色とりどりの華麗な衣装に身を包んだ令嬢たちに、完全に気後れしていた。
「…ラ。クララ!」
「は、はい!」
「大丈夫?」
「え、ええ。大丈夫!きっと。多分」
「大丈夫じゃないね」
苦笑いのビクターに、クララは眉を下げる。
「こんな天国みたいな場所に私がいていいのかしら?」
「何言っているの。いいに決まっているじゃない。ほら、顔を上げて。ダンスも練習したでしょう?」
「うっ」
…そう、ダンス。ダンスもあるの。一人、変な動きをしてしまったらどうしよう。
何度も練習したけれど所詮は付け焼刃。ガッチガチに固まった体と、止まった思考でどこまで踊れるか…。
「大丈夫!ほら、リラックス」
「リラックス…」
ビクターが体をほんの少し左右に揺すったのを見て、真似してみる。ちょびっとだけ力が抜けた、気がする。
「楽しめばいいだけだよ」
ビクターが手を出した。バイオリンの音色が会場中に響き渡り、会場の興奮が一気に高まったのが分かる。
そうね、楽しめばいいのよね!
ビクターの手に、自分の手を重ね、ホール中央へと歩み出た。何組ものカップルが同じようにポーズを取って待っている。皆がサマになっている分、余計に緊張感が増す。
音楽が変わった瞬間、一斉に踊り始めた。令嬢たちのドレスがひらりと舞い、その華やかさに会場中の視線が集まる。
クララも何とかついていっていた。
「心配しなくても僕に身を預けたらいいよ」
耳元で囁かれ、ボッと顔が熱くなった。目があったまま、離せない。周囲のことなど気にならなくなった。ただ目の前にビクターがいるだけだ。
気づいた時には終わっていた。
「もう一曲踊る?」
「いえ。ちょっと休憩を」
息が上がってしまったが、何とかやりきった。次に踊る人たちの為に壁際に移動し、息を整える。
「ビクター」
「やあ、アダムじゃないか。ジェニファー嬢も」
一組のカップルがビクターに声をかけてきた。男性は燕尾服、女性は紺色のドレスに身を包み、手にはシャンパンを持っている。
「初めまして。ビクターの友人のアダムと言います。こちら婚約者のジェニファーです。お見知りおきを」
「妻のクララです。初めまして」
「クララ様。お目にかかるのは初めてですね。会えて嬉しいです」
「私もです」
ジェニファーはモカ色の髪を一つに纏め大人っぽくて、才色兼備という雰囲気が滲み出ている。
アダムも聡明そうで、二人は雰囲気がとても似ている。
「クララ様は今までどちらに?私たち、王都のパーティーにはたくさん出席しているのだけれど、お会いしたことがないわよね?」
「私は…」
答えようとしたその時、横から声が掛かった。
「あら、お姉様じゃない。驚いた!まさか王城の夜会にお姉様がいるなんて」
「エルザ…」
エルザが目の前に立った。ルビーの髪飾りが眩しい、ふわふわしたピンクベージュの髪に釘付けになる。並ぶといつも自分のベージュの髪がくすんで見えたものだ。勿論、髪だけじゃないけれど…。
「あら、ご友人?初めまして。妹のエルザです」
エルザは二人と淀むことなく話を続ける。さすがの社交力で完全に輪の中心になっていた。彼女がジェスチャーを交えながら話すたびに和やかな笑いが零れる。
真っ赤なドレスが彼女のゴージャスな魅力をさらに引き立てていた。
会話を終えたエルザが、今度はビクターに話しかけた。今にも触れあいそうな位置に立って、上目遣いで彼を見ている。彼女はすぐに人と距離を詰める。
大きく胸元の開いたドレスになぜか不快になった。距離が近すぎると感じるのは心が狭いだろうか。
「ビクター様も結婚式以来ね」
「そうですね」
「まさか本当にお姉様と結婚なさるなんて思わなかったわ」
くすくす、と笑うエルザにビクターが少し戸惑っているように見えてハラハラした。
ビクターは苦笑しながら、エルザと半歩距離を取る。彼女の豊満な胸と触れそうになったからだ。
「どういう意味でしょう?」
「そのままよ。ねえ、お姉様?お姉様もどうして自分なんかとって不思議がっていたじゃない。ずっと家に籠ってパーティーにだって参加したことないのにって。ふふ。詐欺じゃないかって大騒ぎして」
「それは…」
エルザの弓型の目に射抜かれ、どもってしまう。そんな話しないで欲しい。
ビクターが、俯くクララの前に立ち、微笑む。
「さすが妹君。クララのことが心配なのですね。でもクララにはちゃんと伝えていますので、ご安心を」
「へえ?どんな話か聞きたいけど、もう行かないと。あ、あと敬語はやめて。エルザって呼んで。私もビクターって呼ぶわ」
「エルザ!失礼よ」
「あら、どうして?私は義妹なのよ?駄目かしら?」
じいっとエルザのエメラルドの瞳に見つめられ、ビクターはすぐさま顔を逸らした。
「いや、構わないよ。じゃあ僕もエルザと」
「ええ、そうして。そろそろ行くわね。じゃあね、ビクター。お姉様も」
エルザは満足そうに微笑み、スパイシーな香水の香りを残して人ごみに紛れていった。男たちが視線でその様子を追っている。
「まさかエルザ様のお姉様だったなんて」
エルザが立ち去った後、ジェニファーとアダムが驚きの表情でクララを見た。エルザは華やか令嬢が集まるこの中にいても、一目置かれる存在なのだろう。
「姉妹でもタイプが違うのですね」
「よく言われます。昔から、ちっとも似ていなくて」
「エルザ様は社交界の華と呼ばれているんですよ。さぞかしご自慢の妹君なのでしょうね」
「ええ!そうなんです。家でも彼女がいると場が明るくなるんです」
何とも思っていない風に、笑顔を作るのは得意だ。
領地のどこへ行っても子どもたちは真っ先にエルザに向かって行った。子どもたちの親が「エルザ様は本当にお綺麗ねえ」と褒めるのを「そうですね」と聞くのがクララの役目だった。
胸の辺りに靄がかかりそうになるのを、慌てて振り払う。
ああ、ほらまた!しっかりするのよ、クララ!ビクターもいるんだから、もうあの頃とは違うの。
二人だって他意がある訳ではないのは明らかでしょう?
「また是非お話ししましょう!」
短い談笑をした後、ジェニファーとアダムは腕を組んで別のカップルに話しかけにいった。
「ビクター。先程は妹がごめんなさい」
「とんでもないよ。君の妹なんだから問題ない」
「ありがとう」
良かった。エルザが来てから少し表情が硬くなったのは気のせいね。
いつもの柔和な微笑みに、クララにも穏やかな気持ちが戻った。




