12.エルザのブラックドレス
「クララ様にお手紙が届いています」
「手紙?」
執事のジェイムズから受け取ったそれには、実家の封蝋がしてあった。誰からかしら、何て考える必要もない程に、むせかえる香水の香りがする。
自室でナイフを取り出し、ソファに座って慎重に封蝋を剥がす。伸びやかで力強く秩序のないその字は、案の定、エルザのものだ。嫌な予感がした。
『お姉様へ。私のドレスを美しく仕立て直して欲しいの。送ったからよろしくね。ああ、それと、ビクターのこと思い出したわ。彼、私の信者だった方よ。道理でおかしいと思ったのよ。お姉様が私より先に結婚するなんて。私のおかげで結婚できたのだから感謝してよね。ドレスの件、お願いね!』
短い手紙にはそう書いてあった。
そっか。やっぱり噂は本当だったのね。ビクターはやっぱりエルザのこと…。
心のどこかで、ほんの少しだけ誤解じゃないかって期待していた。微かな光は消えてしまった。
まさか結婚後もエルザのドレスを直すことになるなんて。
感謝して、か。そうね、感謝するべきなのよね。私なんかがあんな素敵な方と結婚できたのだから。本来なら私なんて相手にするはずのない人。
クララの瞳がまた曇るのを、ニアの頭の上にいるロロ、ミミ、ススがしょんぼりと見上げる。
「クララ」「悲しい」「泣いている」
「泣いていないわよ。本当のことだし、全部知っていたわ」
口角を上げてクララが手紙を畳む。引き出しにすぐに仕舞いこんだ。
「ねえ、今日は何を食べたい?厨房から貰ってくるわ」
ピクリと耳を動かしニアだけが、にーあ、にーあと注文する。明るく振る舞うクララに、三人は寂し気に眉を下げた。
一カ月の王城勤務を終え、ビクターが屋敷に戻ってくる。
玄関でメイドたちとともに待っていると、馬車が門をくぐるのが見えた。全員が背筋を伸ばす。
日差しが射し込む中、馬車からオレンジの髪が覗き、すらりとした肢体が優雅に地面に降り立った。
至近距離で目が合い、ドキッとする。相変わらずの美貌だ。
ビクターの凛々しい瞳が弧を描いた。クララも自然に笑ってみせる。
「クララ。ただいま」
「お帰りなさい。ビクター」
「これ、お土産。王都で人気の紅茶やお菓子」
ビクターが両手いっぱいに持ったプレゼントをアンに渡す。その中にはモリード社の紅茶もあった。さすがに流行にも敏感で感心する。
「ドレスや宝石は屋敷に届くから」
「ありがとうございます」
横を歩くビクターに礼を述べ、ファミリールームに向かった。クララの気まずさなど知る由もないビクターは王都での話を面白おかしく話してくれる。
湯気の立つ紅茶は、お茶会の時と同じ香りだ。アンがさっそくモリード社の紅茶を淹れてくれたのだ。レモンを絞った。
「珍しいね。クララがレモンなんて」
「レモンの方がすっきりと飲めるので」
マーサ夫人のお茶会以降、レモンで飲むようにしているが、飲み慣れない。
お茶会に一人しか来てもらえなかったことは、彼の耳にも入っているだろうか。
「そうだ、バステア子爵家のご令嬢と仲良くなったのだって?よく遊びに行っていると手紙で教えてくれたでしょう」
「ええ、そうなの。二人でお茶を飲んだり、読書をしたりしているのよ」
「そうか。友人ができたようで良かった」
嘘を吐いた。
もし刺繍をしている事をビクターが知ったら、どう思うだろう。王都で暮らし、非の打ちどころのない貴婦人たちを見てきた彼からすると、目も当てられないくらい野暮ったく映るんだろうな。
「僕がいない間、屋敷は何の問題もなかったと聞いているよ。君のおかげだね」
「まさか。使用人の能力が高いのよ」
「使用人をまとめているのが君じゃないか。彼らの成果は君の成果だよ」
さも当然のように言うビクターに、引きつった短い笑いで曖昧に返した。そんなわけがない。私は何一つしていない。何もしなくても完璧に全てが整う。
今や私の価値はエルザの姉というだけなのだ。
ああ、駄目だな。ビクターといると卑屈な自分が顔を出す。
誤魔化すように紅茶を飲んだ。
ミュリーの屋敷にお邪魔して、二人で並んでソファに腰かけている。エルザから袖付きのブラックドレスが届いたが、「袖を無くして、胸元をもっと派手に!」との注文があり、クララは胸元に金糸の刺繍を施しているところだ。
ミュリーは呆れながらも黒レースのグローブを作ってくれている。
「ごめんね、ミュリー」
「いいわ。さっさと仕上げましょう」
本当はお揃いのニードルレースのリボンの髪飾りを作る予定だった。布を使わず針と糸だけで仕上げるそれは繊細で芸術的。そのリボンをつけて街へ出かけるのを楽しみにしていたのに、思わぬ邪魔が入ってしまった。
「まさか、クララがエルザ様の姉とはね。びっくりだわ」
「似ていないでしょ?」
「全然似ていない。けど、クララの方が良いわ。私とエルザ様では異文化コミュニケーションになってしまうもの」
「何よ、それ」
クララが糸を通しながら、笑う。
「だってそうでしょ。私たち今、針仕事をしているのよ。しかも趣味で。って、まあ、このドレスは不本意だけど」
使用人の真似事などをして楽しむなんて、バレれば品性が疑われる。
もっと優雅に、もっと上品に、もっと気高く。周りの令嬢はハイヒールを履きこなし、洗練されたドレスに、個性的な帽子を被って、香水を振りまきながら、ダンスをしたり詩を作ったり社交に明け暮れている。
そして、その筆頭がエルザだ。
「確かにそうね」
私とミュリーときたら、派手なことには目もくれず、ひたすら針を刺している。
でも私は、針が布をスッと通り抜けていく感覚が好きだ。出来上がった作品を見るのも胸が躍る。
ミュリーは器用に手先を動かしながら、ハキハキと話す。
「こんなことをしていていいのかって、よく考えるの。淑女のすることじゃないものね。だからあなたが同じ趣味を持っていて嬉しかった。一人じゃないって思えたの」
クララが手元を止めて、顔を上げる。ミュリーも不安だったのだ。見えない常識の壁が私たちの前に立ちふさがっている。
ミュリーの目に映るその壁も、とんでもなく大きいのだろう。
「でも仕方ないじゃない。それが楽しいんだもの。私、クララと会って気づいたの。気の合わない人たちに混じって作り笑顔をするより、こうやって部屋の片隅でちまちまと刺繍している方が好き。落ち着くのよ。クララは?」
「私も!こうやってミュリーと二人で過ごす静かな時間が好き。家で一人で刺繍をやらされていた時は嫌々だったのに、二人で編む時間はともて心が穏やかになるの。不思議だわ」
「自分の為の時間だからかしらね」
「そうなのかも。実家にいた時はエルザの為にやっているって気持ちが強かったから」
こうして、ああして、とあれこれ注文して「ありがとう」の一言もない。綺麗に着飾ったエルザの後ろ姿をただ眺めては、沈んだ気分になった。
「でもまさか、エルザ様のドレスを全てあなたが手直していたなんてね。私、エルザ様のドレスのファンだったのよ。つまり、あなたのファンね」
「ファンだなんて。じゃあ私はミュリーのファンだわ。そのグローブ、とても素敵だもの」
「ありがとう。自信作よ!」
形を見せ始めた黒いグローブは、素肌が隠れる部分と、レースで露出する部分のコントラスが良い。妖艶なエルザに似合うだろう。
悔しいかな、一番着こなせるのがエルザなのだ。
私はどこまでいっても裏方だ。
黒地に金糸という派手なドレスを作りながら、彼女ならビクターと並んでもお似合いなのだろうなと、少し落ち込んだ。
そして、こんな時にはエルザがいつも心で私を嗤うのだ。
『彼が好きなのは、お姉様じゃなくて私なのですって』
心から湧き出た声をかき消すように、刺繍に没頭した。




