第16話 芝居はとっても難しい
俊の『論理』と、オリヴィエの『感情』。二つの相反する指導法が融合した『チーム・アヴァロン』の稽古は、そこから驚異的な速度で進化していった。
文官たちは、オリヴィエが求める「感情の爆発」には、最後まで苦戦し続けた。だが、俊が提示した『ペルソナ分析』によって、彼らは自分たちの武器である「論理」で、役柄を完璧に構築していった。
「ここのアルフォンス殿の動きは、ペルソナの行動原理を考えると不自然だ。修正すべきだ」
「ヒロインのセリフは、もう少し間を置いた方が、観客の感情曲線に対して、より高いピークを生み出せる」
彼らの稽古は、もはや芝居ではなく、精密な国家予算の策定作業のようだった。その、あまりに異様で、しかし恐ろしいほどに完成度が高まっていく芝居を、オリヴィエは、腕を組み、複雑な表情で見つめていた。
(……何なの、この者たちは。魂はどこにもない。それなのに、完璧に『感動しているように見える』芝居を、完璧に『再現』してのける。……シュン・ヒナタ。あの男、一体どんな魔法を使ったというの……)
彼女は、自らの芸術が、無機質な論理によって組み上げられていくことに、わずかな嫌悪と、それ以上の、抗いがたい興奮を覚えていた。
そして、ついに一か月にわたる地獄の特訓が、最終日を迎えようとしていた。稽古が終わりに近づくにつれ、アルフォンスの心は、焦りで満されていた。
(……明日には、俺たちは南の穀倉地帯へ旅立ってしまう。……そうなれば、もう、オリヴィエ殿と会うことも……)
あの夜、劇場で見た、彼女の魂の叫び。その姿が、彼の脳裏から片時も離れない。
彼は、この生真面目なエリート文官が、生まれて初めて経験する不可解な感情に、どうしようもなく溺れていた。
その日の稽古が終わり、文官たちが帰っていく中、オリヴィエが、一人だけ残ったアルフォンスを呼び止めた。
「……座長。これ、あなたのものですわよね?」
そう言って彼女が差し出したのは、あの日、彼が劇場で彼女の肩にかけた、彼の上着だった。完璧に畳まれ、ほのかに、彼女のものと同じ花の香りがする。
「あ……! わ、わざわざ、ありがとうございます!」
アルフォンスは、慌ててそれを受け取った。今だ。今しかない。
彼は、震える手で、懐から一枚の、分厚い羊皮紙の束を取り出した。
「お、オリヴィエ座長! こ、これは……!」
「……何ですの、それは。わたくしへの、反省文?」
「ち、違います! これは、『オリヴィエ座長の芸術的知見が、国家の産業振興に与える影響についての考察、及び、更なる意見交換のための会食の提案書』……で、あります!」
「…………は?」
アルフォンスが突き出したのは、彼がこの数日間、それこそ国家の解剖図を作るのと同じ情熱で書き上げた、完璧な「デート企画書」だった。
そこには、オリヴィエと議論したい演劇論、会食にふさわしいレストランのリストと、その選定理由、そして、当日の会話のシミュレーションに至るまでが、彼のエリート文官としての全てのスキルを駆使して、びっしりと書き込まれていた。
「…………」
オリヴィエは、その常軌を逸した「企画書」を、一文字、一文字、食い入るように読んだ。その完璧なまでの無表情が、数秒間、続いた。
そして、次の瞬間。
「……ぷっ。……あはは、あはははは!」
氷の女王が、初めて、腹を抱えて崩れ落ちた。
「な、なんなのですの、あなたは! わたくし、こんなに馬鹿げた恋文、生まれて初めて受け取りましたわ!」
「こ、恋文では、ありません! これは、あくまで、その、戦略的な……!」
真っ赤になって狼狽するアルフォンスに、オリヴィエは、涙を拭いながら、悪魔のように、しかしどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
「……いいわ。面白い。」
彼女は、企画書を懐にしまうと、アルフォンスの目の前に、すっと顔を近づけた。
「……このわたくしが、あなたたちの明日の『総仕上げ』に、完璧な合格点を出せたなら、その時は。……あなた個人の、その馬鹿げた『演目』にも、付き合って差し上げても、よろしくてよ」
その、あまりに甘美な「ご褒美」。アルフォンスは、その場で、全身の血が沸騰するのを感じていた。
翌日。『チーム・アヴァロン』による、『豊穣の女神と、裏切られた若者の恋物語』の総仕上げ公演が、ライオネルと俊、そしてオリヴィエの前で披露された。
アルフォンスの演技は、神がかっていた。いや、もはや、演技ではなかった。
彼の『ペルソナ』は、オリヴィエに認められたいという、あまりに純粋な『情熱』と完全に融合し、論理と感情が完璧に両立した、奇跡の『カイト』を生み出していたのだ。その気迫はチーム全体に伝播し、文官たちは、昨日までとは比べ物にならない、迫真の演技を繰り広げた。
「…………」
芝居が終わり、静まり返った書斎で、オリヴィエはしばらくの間、黙り込んでいた。やがて、彼女はゆっくりと立ち上がると、短く、一言だけ、告げた。
「……合格よ。これなら、関所の役人どころか、本物の旅芸人一座ですら、騙せるわ」
「「「おおおおおっ!」」」
文官たちから、歓喜の声が上がる。
オリヴィエは、その熱狂を背に、一人、書斎を出て行こうとした。その彼女を、アルフォンスが慌てて追いかける。
「あ、あの! 座長! 先日のお約束は……!」
「……ふん」
オリヴィエは、振り返ると、意地の悪い笑みを浮かべた。
「残念でしたわね、アルフォンス。わたくしが言ったのは、『完璧な』合格点ですわ。あなた方の芝居は、確かに合格点。でも、完璧には、ほど遠い」
「そ、そんな……!」
「だから」
オリヴィエは、アルフォンスの耳元で、そっと囁いた。
「……あなたには、まだ『補習』が必要みたいね。……今夜、月が一番高くなった頃、わたくしの劇場にいらっしゃい。二人きりで、みっちりと、ね」
その言葉の真意を、アルフォンスが理解するのに、数秒を要した。そして、彼が喜びで顔を真っ赤に染め上げた時には、もう、オリヴィエの姿は、闇の中へと消えていた。
こうして、国家再生の第二幕。そのあまりにも奇妙な準備は、一人のエリート文官の、不器用な恋の始まりと共に、終わりを告げたのだった。
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