第16話 芝居はとっても難しい
俊が「旅芸人一座になる」と宣言した翌日から、王城の麓にある屋敷の書斎は、その様相を一変させた。
日中は、アルフォンス率いる『チーム・アヴァロン』が、南の穀倉地帯に関する膨大な文献を読み解き、数字と格闘する『作戦司令室』。しかし、夜になると、その場所は国で最も(そして、唯一の)エリートたちによる、世にも奇妙な『稽古場』へと姿を変えた。
「違う、アルフォンス!そこは絶望だ! 恋人に裏切られ、村を追われた男の、魂の叫びなんだ! なのに君の演技は、税収が思ったより五分の一少なかった時くらいの落胆しか伝わってこない!」
書斎の中央で、俊が(彼がいた世界で言うところの)演出家として、身振り手振りを交えて熱弁を振るっている。
彼がこの数日で書き上げた脚本は、ティアが侍女たちから聞き取った、南の穀倉地帯に古くから伝わる『豊穣の女神と、裏切られた若者の恋物語』をベースに、現地の風俗や不満を巧みに織り交ぜた、高度なプロパガンダ作品だった。しかし、その素晴らしい脚本も、演じる役者たちがあまりにも、あまりにも大根すぎた。
「し、しかしシュン殿……」
座長に任命されたアルフォンスは、エリート文官の生真面目な顔で、必死に食い下がる。
「文献によれば、この地方の男性は寡黙で、感情をあまり表に出さないと……。このセリフの感情の起伏は、論理的に矛盾しているのでは?」
「論理じゃない、感情だ! いいか、芝居とは、観客という『ターゲット』の、感情移入を勝ち取る作業だ。そのためには、まず君たちが感情を解放し、彼らの共感を誘う必要がある! 君のその『魂の叫び』のままでは、誰の心にもリーチしない!」
「たーげっと……?」
「えんげーじめんと……?」
俊が、思わず口にした異世界の言葉に、他の文官たちも、ただただ首を傾げるばかりだ。彼らは、アヴァロンで最も優秀な頭脳を持つエリートだったが、こと「演技」という分野においては、赤子同然だった。
「……何だか、随分と楽しそうなことをしているじゃないか」
書斎の入り口に、いつの間にか、お忍び姿のライオネルが、セバスチャンと共に立っていた。その顔は、好奇心に満ちている。
「陛下!」
アルフォンスたちが、慌てて膝をつこうとするのを、ライオネルは手で制した。
「いい、いい。続けろ。俺も、その『芝居』とやらを、見させてもらおうじゃないか」
王の突然の観劇。書斎の空気は、一気に緊張に包まれた。
「……では、最初から参ります」
アルフォンスは、咳払いを一つすると、先ほどとは比べ物にならないほどの大声で、セリフを叫んだ。
「ああ! なんと、いうことだ! この、むらには、もう、なにも、ない!」
それは、緊張でガチガチになった、あまりにも悲痛な、棒読みだった。続く文官たちも、王に見られているというプレッシャーから、手は震え、足はもつれ、セリフは飛び、もはや学芸会以下の惨状を呈していた。
「…………」
ライオネルは、何も言わなかった。いや、言えなかったのだ。
自分が、国の未来を託そうとしているエリートたちが、この世のものとは思えないほど壊滅的な演技を繰り広げている。その現実を、どう受け止めればいいのか分からなかった。
数分後。地獄のような時間が過ぎ、書斎に重い沈黙が落ちる。
「……シュン」
ライオネルは、ゆっくりと立ち上がると、俊の肩に、ぽん、と手を置いた。その目は、深い、深い哀れみに満ちていた。
「……お前の、やろうとしていることは、分かった。だがな」
ライオネルは、耐えきれないというように、一度天を仰いだ。
「……これでは、ダメだ。これでは、南の穀倉地帯に着く前に、あまりの大根役者ぶりに、関所で捕まるのがオチだ」
「……ぐっ」
俊も、さすがに反論できなかった。
「セバスチャン」
ライオネルが、後ろに控える執事に命じた。
「すぐに、王立劇団『暁』の座長、オリヴィエを呼んでこい。……どうやら、俺の軍師殿と、エリート諸君には、本物のプロによる、地獄の特訓が必要らしい」
その言葉に、アルフォンスたちは、これから始まるであろう、そろばん教室とは比べ物にならない、本当の地獄を予感し、真っ青になるのだった。
翌日の夜。屋敷の書斎は、昨日とは比べ物にならない、ピリリとした緊張感に包まれていた。
ライオネルの呼び出しを受け、王立劇団『暁』の座長、オリヴィエが、数人の劇団員を伴って姿を現したのだ。
波打つような金髪を夜会巻きにし、まるで舞台衣装のような、しかしどこか機能的なドレスを身につけた、絶世の美女。彼女が、オリヴィエだった。その立ち姿は、ただそこにいるだけで、周囲の空気を支配するほどの、圧倒的な存在感を放っていた。
「陛下。このような裏寂れた屋敷に、王立劇団の座長である、このわたくしを呼び出すとは、一体どのような『演目』をご所望ですの?」
彼女の言葉は、まるで劇場で響き渡るかのように美しく、しかしその瞳は、ライオネルをまっすぐに見据え、一切の揺らぎもなかった。
「オリヴィエ、急な呼び出し、すまない」
ライオネルは、まず彼女をなだめると、俊とアルフォンスたちに向き直った。
「皆、驚いたか。彼女が、王立劇団『暁』の座長、オリヴィエだ。……見ての通り、王である俺に対してもこの態度だが、それも無理はない。彼女の劇団は、先代である父上が、その才能に惚れ込んで、平民であった彼女に全てを任せて作り上げた、王家直属の劇団なんだ。アヴァロンの文化の象徴であり、ある意味、俺よりも力を持っているかもしれん」
ライオネルは、改めてオリヴィエに視線を戻すと、俊たちを指さした。
「紹介しよう。彼らは、俺が極秘に進めている、国家再生のためのプロジェクトチームだ」
オリヴィエは、初めて文官たちに視線を向けた。
他の文官たちがその値踏みするような鋭い目に背筋が凍る中、アルフォンスだけは、別の理由で息を呑んでいた。
(な、なんだ……この女性は……)
その圧倒的なまでの美貌。そして、王の前ですら一切揺らがず、自らの仕事に絶対の誇りを持つ、氷のような威厳。
アルフォンスは、この生真面目なエリート文官が、生まれて初めて経験する不可解な感情に、心臓が大きく鳴るのを感じていた。
「……それで、この者たちが、わたくしに何を?」
「シュン、説明してやれ。……いや、見せた方が早いか」
ライオネルは、昨日のお返しとばかりに、少し意地の悪い笑みを浮かべた。俊は、覚悟を決めると、アルフォンスに目配せした。
「……では、参ります。……ああ! なんと、いうことだ! この、むらには、もう、なにも、ない!」
アルフォンスの、昨日よりもさらに魂の抜けた、悲痛な棒読みが響き渡る。
オリヴィエは、最初こそ興味深そうに見ていたが、芝居が進むにつれて、その完璧な眉がみるみる吊り上がっていく。そして、五分後。
「ストップ!!!」
彼女の、劇場中に響き渡るような、鈴の音のごとき、しかし氷のように冷たい声が、全てを中断させた。
「……陛下。本気で、この者たちに芝居をさせるとおっしゃるのですか?」
「ああ。南の穀倉地帯に、旅芸人として潜入してもらう。どうだ、見込みは?」
オリヴィエは、心底うんざりしたというように、深いため息をついた。
「見込み? ゼロですわ。いえ、マイナスです。こんなものを見せられたら、観客は怒り出し、石を投げてくるでしょう。潜入どころか、関所で捕まるのがオチですわ」
「……だろうな」
ライオネルも、さすがに苦笑いするしかない。
「オリヴィエ殿」
それまで黙っていた俊が、一歩前に出た。
「あなたの仰る通り、彼らに完璧な役者になってもらうつもりはありません。我々が彼らに求めるのは、感動的な芝居ではない。あくまで、現地の人々を欺き、彼らの懐に潜り込むための、完璧な『カモフラージュ』です」
俊は、自らが書き上げた脚本を、オリヴィエに差し出した。
「そして、これがそのための脚本です。一見、ただの恋物語ですが、その実、我々が現地で調査したい項目や、民衆の不満を巧みに刺激する『仕掛け』が、随所に施してあります」
オリヴィエは、その脚本に、今度はプロの演出家としての目で、目を通し始めた。彼女は、数ページをめくっただけだというのに、その顔に初めて、感心したような笑みを浮かべた。
「ふうん……なるほど。『豊穣の女神』を王家の象徴に、『裏切る恋人』を宰相派の暗喩にしているのね。……面白い。実に、悪趣味で、そして効果的だわ」
その言葉に、今度は俊が目を見開く番だった。
(……すごいな。たったこれだけの時間で、脚本に込められた本当の狙いを……その政治的な意図まで見抜いたのか……?)
俊は、目の前の絶世の美女が、ただの役者バカなどではなく、鋭い知性と言葉の裏を読む力を持った、本物の『プロ』であることを瞬時に悟った。そして、彼女の目が、初めて興味の光を宿した。
「……いいでしょう。陛下」
オリヴィエは、ライオネルに向き直った。
「この素晴らしい脚本を、こんな大根役者たちに汚させるのは、わたくしのプライドが許しません。この者たち、一か月、わたくしに預からせていただきます。王都一のエリートが、王都一の役者になるか、それともただの木偶の坊のままか……存分に、仕込んで差し上げますわ」
その笑みは、マナー講師のエレオノーラ以上に、悪魔的で、美しかった。
エリートたちは、自分たちがまたしてもとんでもないプロフェッショナルの手に落ちたことを悟り、真っ青を通り越し、真っ白になるのだった。アルフォンスを除いて。
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