第15話 北の鉱山都市の改善計画
アイゼンブルクの夜明けは、槌音と共に訪れるようになった。
国王陛下との新たな契約が結まれてから数日、街はまるで死の淵から蘇ったかのように、熱狂的な活気に満ち溢れていた。鉱夫たちの顔には誇りが戻り、鍛冶工房の炉には再び火が灯る。
その熱狂の中心から少し離れた、宿屋の一室。書記官の俊は、ギルド長ゲルハルトとの打ち合わせを終え、一枚の広大な地図を広げていた。彼の前には、視察団のリーダーであるアルフォンスが、緊張した面持ちで座っている。
「……シュン殿の予測通り、リヒター男爵は必ず動くでしょう。しかし、問題はいつ、どこで、どれだけの兵を差し向けてくるか……」
アルフォンスが、唸るように言った。
「この街道のどこで襲われてもおかしくはない。騎士団の護衛がいたとしても、敵の数を考えれば……」
「だからこそ、策を弄するんです」
俊は、まるでチェスの盤面を眺めるように、地図の上に二つの駒を置いた。
「敵が狙うのは、国王陛下への『献上品』という、分かりやすい獲物だ。ならば、その獲物を二つ用意する」
俊がその策の全貌をアルフォンスに語り終えた、ちょうどその時。部屋の扉がノックされ、数日前に王都から到着した近衛騎士団の隊長が入室した。
「アルフォンス殿、お呼びでしょうか」
「ああ、隊長。来てくれたか」
アルフォンスは、リーダーとしての威厳を取り戻し、地図を指し示した。
「国王陛下より、輸送に関する新たな指令が下った。我々は二つの輸送隊を組織する。陽動部隊と、本隊だ…」
輸送当日。アイゼンブルクの街の門から、アルフォンスが率いる【おとり部隊】が、物々しい警備に固められて、ゆっくりと出発した。
街の人々は、その光景を、祈るような思いで見送っていた。
しかし、その一時間も前に、別の門から一台の、何の変哲もない干し-草を積んだ荷馬車が、静かに出発していたことには、誰も気づいていなかった。荷台の奥で、俊とティアは息を潜めていた。
「……俊さん。本当に、これで大丈夫なのかな」
ティアが、不安げに呟く。
「ああ。あとは、アルフォンスたちを信じるだけだ」
俊は、静かに答えた。
そして、【おとり部隊】が出発してから、三日目。一行が、鬱蒼とした森に囲まれた一本道に差し掛かった、その時だった。
道の両側の茂みから、数十人の、黒い覆面で顔を隠した男たちが、一斉に姿を現した。その手には、抜身の剣が、鈍い光を放っている。リヒター男爵が放った、私兵たちだった。
「……来たか」
近衛騎士団の隊長が、静かに呟くと同時に、騎士たちが一斉に剣を抜き、馬車を守るように円陣を組んだ。
一触即発。数の上では、圧倒的に不利だった。
黒覆面の男たちを率いるリーダーが、下卑た笑みを浮かべた。
「ご苦労なこったな、王の犬ども。……その荷を置いて、さっさと失せろ。そうすれば、命だけは助けてや……」
しかし、近衛騎士団の隊長は、驚くほどあっさりと剣を地面に置いた。
「……降参だ。荷は、好きにするがいい」
その予想外の反応に、リーダーは一瞬戸惑ったが、すぐに勝利を確信した笑みを浮かべた。
「ふん、賢明な判断だ。おい、お前ら! さっさと荷を検めろ!」
リーダーの指示で、二人の私兵が馬車の荷台に駆け寄り、乱暴に覆いを剥ぎ取った。
しかし、次の瞬間、彼らは動きを止めた。荷台に積まれていたのは、輝く魔石などではない。ただの、道端に転がっている石ころの山だったからだ。
「なっ……ただの石だと……?」
リーダーの顔から、笑みが消える。
「……まさか……おとりか! くそっ!!」
彼が全てを悟った、その時だった。突如、背後の森の奥深くから、角笛の音が鳴り響いた。
次の瞬間、森の木々の間から、まるで獣の群れのように、さらに数十人の近衛騎士たちが、鬨の声を上げながら姿を現し、あっという間に私兵たちを包囲してしまった。
隊長は、地面の剣を拾い上げながら、冷ややかに言い放った。
「国王陛下への反逆者として、全員、捕縛させてもらう」
数の上で完全に逆転され、そして何より、自分たちが罠に嵌められたことを悟った私兵たちは、なすすべもなく武器を捨て、投降していった。
その日の夕方。王都の商業ギルドの掲示板に、一枚の新しい羊皮紙が貼り出された。
『アイゼンブルク鉱山ギルドより、国王陛下への最初の献上品、無事到着。取引価格、従来の三倍。ギルドと鉱夫たちへの利益還元も、正式に開始さる。なお、輸送の道中、献上品を狙った賊軍が現れたが、同行していた近衛騎士団により全員捕縛。首謀者は、リヒター男爵の私兵と判明』
その報は、王都中の商人たちを、そして何より、宰相派の貴族たちを、震撼させた。
若き王の、最初の『勝利』。それは、あまりに鮮やかで、そしてあまりに力強い、革命の音だった。
アルフォンスが貼り出した羊皮紙の前には、黒山の人だかりができていた。商人たちは食い入るようにその文字を見つめている。
若き王の、あまりに鮮やかで、そして力強い一手。それは、これまで宰相派の顔色を窺い、日和見を決め込んでいた中立派の貴族たちの心をも、大きく揺さぶり始めていた。
その報告を受けた宰相の執務室は、氷のような沈黙に包まれていた。リヒター男爵は、怒りと屈辱に顔を歪ませ、ただ黙って拳を握りしめている。
「……申し訳、ございません。全ては、私の失態…」
「失態、だと?」
宰相は、静かに茶をすすりながら、冷たく言い放った。
「お主の失態は、賊を捕らえられたことではない。国王に、『正義』という名の大義名分を与えてしまったことよ。お主の私兵が『賊軍』として捕らえられたことで、国王は今や、腐敗した領主から民を救う『英雄』となった。……我々は、最も厄介な敵を、我々自身の手で作り上げてしまったのだ」
宰相の目は、もはやリヒター男爵ではなく、その背後にいるであろう、まだ見ぬ敵を見据えていた。
(……あの小僧、これほどの策を一人で考えたとは思えん。一体、何者が裏で糸を引いている……?)
その頃、王都の麓にある屋敷では、俊とティアが、無事に帰還したアルフォンスたちと、ささやかな祝杯をあげていた。そこへ、お忍びでライオネルが、興奮を隠しきれない様子で駆け込んできた。
「シュン! やったな! お前の策通りだ! 完璧な、勝利だ!」
ライオネルは、子供のようにはしゃぎ、俊の肩を力強く叩いた。
「ははは! これであの石頭の宰相も、少しは俺のことを見直すだろうよ!」
その無邪気な喜びに、文官たちもつられて笑みをこぼす。しかし、俊だけは、冷静な表情を崩さなかった。
「いや、戦いはまだ始まったばかりだ」
その言葉に、部屋の空気が再び引き締まる。
「今回の勝利で、敵は我々の力を正確に測ったはずです。そして、必ず、次の一手を打ってくる。宰相という男は、これしきのことで諦めるような、甘い相手ではありません」
俊は、壁に貼られた『国家の解剖図』…アイゼンブルクの街に、赤い印を一つ付け加えた。
「我々は、一つの拠点を手に入れたに過ぎない。宰相派の力を本当に削ぐには、我々の『参考事例』を、国中に広める必要がある。……次の戦場は、ここにしよう」
俊が指さしたのは、宰相派のもう一つの資金源となっている、南の穀倉地帯だった。
「敵が混乱している、今だからこそ、畳み掛けるチャンスだ。陛下、次の視察団を編成する準備を」
その瞳は、もはや一つの街の再生ではない。この国全体の未来を賭けた、壮大なチェスの盤面を、すでに見据えていた。
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