第15話 北の鉱山都市の改善計画
王城の麓に佇む屋敷の書斎は、アヴァロンの未来を左右する、極秘の『作戦司令室』と化していた。
俊が率いる『チーム・アヴァロン』の若き文官たちは、壁一面に貼られた『国家の解剖図』を前に、息を飲んでいた。自分たちが生まれ育った国の、残酷なまでの真実。そして、これから自分たちが挑もうとしている戦いの、あまりの壮大さに。
作戦の第一段階は、準備から始まった。表向き、彼らは「国王陛下の特命を受け、国内の産業振興策を調査するための特別視察団」として、北の鉱山都市『アイゼンブルク』へと向かうことになった。
「……シュン殿」
出発の前夜、チームのリーダーであるアルフォンスが、俊に一つの疑問を投げかけた。
「我々の目的は、宰相派以外の貴族を味方につけることのはず。ならば、なぜ敵の懐である、宰相派の重鎮リヒター男爵が治めるこの街から? まずは中立派の領地で成功事例を作るべきではないのですか?」
その、あまりに的確な問いに、俊は静かに頷いた。
「いい質問だ、アルフォンス。だが、考えてもみてくれ。もし、最初から中立派の領地で改革を始めたら、宰相派はどう動く?」
「……『国王派による、不当な懐柔策だ』と非難し、あらゆる手で潰しにかかってくるでしょう。中立派の領主も、板挟みになり、結局は宰相派の圧力に屈してしまうかもしれません」
「その通りだ。だが、アイゼンブルクは違う。この街は、誰もが知る『宰相派の支配によって、最も搾取され、最も絶望的な状況にある街』だ。もし、そんな街を、国王陛下の力だけで、以前とは比べ物にならないほど豊かにすることができたなら……?」
俊の瞳が、鋭く光る。
「それは、最高の『参考事例』になる。『宰相派の支配下にあるよりも、国王陛下と手を組んだ方が、我々の領地は遥かに豊かになる』という、誰にも否定できない、動かぬ証拠を、全ての中立貴族たちの目の前に叩きつけることができるんだ」
その、あまりに狡猾で、しかし確実な戦略に、アルフォンスは息を呑んだ。
「……我々の最初の仕事は、街を救うことだけではない。宰相派以外の全ての貴族を、我々の陣営に引き込むための、最強の『説得材料』を作り上げることだったのですね」
「そういうことだ」
俊は、アルフォンスの肩を叩いた。
「だからこそ、この戦いは、絶対に負けられない」
そして、その視察団の中に、俊とティアも、身分を偽って紛れ込んでいた。俊は、アルフォンスの「書記官」、ティアは、団の雑用係として。
報告書や数字だけでは、街の本当の病巣は見抜けない。自らの目で最初の戦場を確かめるため、影の軍師は、あえて最前線へと赴くことを選んだのだ。
数週間に及ぶ、長い旅の果て、一行は目的地のアイゼンブルクに到着した。かつては、この国で産出される魔石の七割を採掘し、王国一の豊かさを誇った鉱山都市。
しかし、彼らの目の前に広がっていたのは、その見る影もない、寂れた街の姿だった。
この街は、鉱山から採掘される豊富な金属を加工し、鉱夫たちの使う道具を作るための、多くの鍛冶工房によって支えられてきた。しかし、その工房の多くは固く扉を閉ざし、街に響き渡るはずの、活気ある槌音は聞こえない。すれ違う人々の顔は一様に暗く、その目には、長年の重税と、変わらない日常に対する、深い諦めの色が浮かんでいた。
その日の夜、視察団が宿とする、街で一番大きな宿屋の一室。アルフォンスが、街の鉱山ギルド長との面会報告を、悔しそうに顔を歪めながら行っていた。
「……ダメでした。ギルド長は、『王都の方々が、今更何の御用ですかな』と、我々を全く信用していない様子で……。税率の引き下げを交渉しようにも、具体的な話に入る前に、追い返されてしまいました」
「無理もない」
俊は、窓の外の、灯りも少ない寂しい夜景を見下ろしながら言った。
「彼らにとって、王都から来た役人は、自分たちの富を搾取しに来る、敵でしかないんだ。信頼関係がゼロの相手に、何を言ったところで、心には響かない」
「では、どうすれば……」
「まずは、現場を知ることだ」
俊は、ティアに向き直った。
「ティア。明日から、君には雑用係として、この街の市場や酒場を回ってもらう。視察団の食料の買い出しや、必要な品の調達という名目でな。仕事の話はしなくていい。ただ、この街の女たちが、何に笑い、何に怒り、そして、何に涙しているのか。君のその耳で、聞いてきてほしい」
「はい、俊さん」
「そして、アルフォンス。君たちには、明日、鉱山の視察に行ってもらう。だが、見るべきは鉱石の産出量じゃない。鉱夫たちの『目』と、『手』だ。彼らがどんな顔で働き、どんな道具を使っているのか。その全てを、この目に焼き付けてきてくれ」
翌日から、二つの全く違う調査が始まった。ティアは、持ち前の人当たりの良さで、すぐに市場の女たちの輪に溶け込んだ。彼女たちの井戸端会議の中から、ティアは、この街を覆う、二重の闇に気づき始めていた。
「……うちの亭主、また鉱山で怪我をしてね。つるはしが、また折れたんだとさ」
「ああ、うちもだよ。新しい道具を作ろうにも、ギルドが良い鉄を独占しちまって、鍛冶屋たちには修理用の粗悪な鉄しか回してくれないんだ。結局、ギルドから高い値段で、古いお下がりの道具を買わされるだけさ。全く、やってられないよ」
「そのうえ、採掘した魔石は、全てギルドを通して、リヒター男爵様が指定した商会にしか売れない決まりだからね。いくら働いても、買い叩かれるだけさ」
一方、鉱山を訪れたアルフォンスたちは、そのあまりに劣悪な労働環境に、言葉を失っていた。鉱夫たちが使う道具は、ティアが聞いた通り、手入れもされていない粗末なものばかり。照明も薄暗く、いつ崩落してもおかしくないような危険な場所で、彼らはただ、死んだような目で、黙々と岩を掘り続けている。
その目には、かつてこの国の豊かさを支えたという、鉱夫としての誇りは、微塵も感じられなかった。
その夜、全ての報告を聞き終えた俊は、一枚の羊皮紙の上に、静かにペンを走らせた。描かれていたのは、アヴァロンの国全体の、広大な地図だった。
「……シュン殿、これは?」
「この街の問題は、道具じゃない。金の流れ、つまり『販路』だ」
俊は、地図の上で、アイゼンブルクと、王都を、一本の線で結んだ。
「彼らは、リヒター男爵が指定した商会に、不当な安値で魔石を売ることを強いられている。だから、いくら働いても豊かになれない。……ならば、俺たちが、新しい『買い手』になる」
「しかし、シュン殿」アルフォンスは、慎重に口を挟んだ。「それをすれば、領主であるリヒター男爵は、間違いなく激怒します。彼の領地の産物を、我々が横から買い取るなどと……」
「ああ。だが、それに対する『大義名分』も、すでに用意してある」
俊は、アルフォンスに、一枚の羊皮紙を手渡した。
「これを、明日の朝、ギルド長の元へ持っていってください。これは、国王陛下からの、ささやかな『取引の提案』だと」
「取引……ですか?」
「ああ。だが、ただ渡すだけでは意味がない。ギルド長に、こう伝えるんだ」
俊は、声のトーンを一つ落とし、軍師の顔になった。
「まず、『我々は、国王陛下の権限において、王宮で消費する最高品質の魔石を、貴ギルドから直接買い付けたい。価格は、現在の買い取り価格の、三倍を提示する』と。これは、国王が自らの城で使う品を調達する、正当な王権の行使だ。いかにリヒター男爵といえど、これに表立って反対することは、国王への反逆とみなされる」
「……!」
「そして、ギルド長が男爵からの追及を恐れたら、こう付け加えろ。『我々の調査の結果、この街の魔石が不当な値段で買い叩かれているという事実が判明した。国王陛下は、リヒター男爵が領地の経営に苦心されていることを、深く憂慮されている。故に、王家が直接、正当な価格で買い取ることで、男爵の領地経営を支援したいとのお考えだ』と。……これで、男爵は断るに断れなくなる。国王の『慈悲』を無にするどころか、自らが裏でやっている悪どい搾取を、事実上認めることになるからな」
その言葉に、アルフォンスは息を呑んだ。
「……それはつまり、ギルド長に、領主であるリヒター男爵を裏切れと、そう……?」
「いや、違う」
俊は、静かに首を横に振った。
「俺たちがやっているのは、彼に『選択肢』を与えることだ。これまで通り、リヒター男爵の犬として、仲間である鉱夫や鍛冶屋たちを搾取し続ける道か。それとも、国王陛下と直接手を組み、仲間たちを豊かにし、この街の英雄となる道か。……俺は、彼がどちらを選ぶかに、賭けている」
言葉ではなく、『利益』と『大義名分』、そして『選択の自由』という、商人にとって最も分かりやすい武器で、その信頼を勝ち取る。影の軍師が仕掛けた、国家再生のための、最初の小さな一手だった。
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