第14話 影の軍師
歴史的な密約が交わされた、その翌日。俊とティアは、セバスチャンに導かれ、王城のすぐ麓に位置する、ひっそりとした一軒の屋敷に移り住んでいた。
表向きは、王宮に仕える書記官が使うための官舎。しかし、その内部は、二人が静かに、そして安全に暮らすための、あらゆる配慮がなされていた。
「ここが、今日から君たちの新しい『職場』だ」
案内された書斎には、この国の歴史や地理に関する膨大な文献が、すでに運び込まれている。レオ……いや、国王ライオネルの、俊に対する本気度がうかがえた。
その日の夜、再びライオネルが、今度はセバスチャンだけを伴い、お忍びで屋敷を訪れた。昼間の威厳ある王の姿ではなく、酒場で出会った時と同じ、親しみやすい青年の顔をしている。
「堅苦しいのは抜きだ、シュン。ここには、俺と、お前と、ティア、そしてセバスチャンしかいない。いつものように話してくれ」
そう言ってソファに深く腰を下ろしたライオネルの顔には、しかし、隠しきれない憂いの色が浮かんでいた。
「さて、と」
俊は、早速本題に入った。
「まずは、現状を正確に把握したい。陛下、あなたがこの国を変えたいと願う、その理由と、それを阻む『壁』について、あなた自身の言葉で、詳しく聞かせてくれないか」
それは、コンサルタントとしての、最初のヒアリングだった。ライオネルは、待っていましたとばかりに、せきを切ったように語り始めた。
「シュンが言う通り、この国には宝が眠っている。世界で唯一無二の魔石、そして、他国にはない独自の文化と技術。だが、その宝は、鎖国という名の分厚い殻に閉じ込められ、輝きを失いつつあるんだ」
ライオネルによれば、問題は大きく二つ。
一つは、国内経済の完全な飽和。品質の高い工芸品も、革新的な生活魔道具も、もはや国内に行き渡り、新たな買い手がいない。職人たちは安値で品物を売るしかなく、その技術を継ごうとする若者も、年々減り続けている。
もう一つが、その状況を良しとする、重臣たちの存在だ。先代である父王の時代から国政を牛耳る彼らは、「鎖国こそが、アヴァロンの平和と独自の文化を守ってきたのだ」と信じて疑わない。
ライオネルがどれだけ国の未来を憂いても、「若き王の、理想論に過ぎぬ」と、聞く耳を持たないのだという。
「……彼らを、どうすれば説得できる? 俺には、その言葉が見つからないんだ」
ライオネルは、悔しそうに唇を噛んだ。
俊は、黙ってその全てを聞き終えると、静かに、しかし核心を突く質問を投げかけた。
「……彼らは、本当に国の未来を案じているのか?」
「どういう意味だ?」
「いや、ただの疑問だ。彼らが守りたいのは、本当にこの国の『文化』なのか、それとも、鎖国によって守られている、自分たちの『既得権益』なのか。……どちらだと思う?」
その、あまりに鋭い問い。ライオネルは、はっと息を呑んだ。純粋すぎる若き王は考えたこともなかった視点だった。
「……シュン。お前は、どう思う?」
「まだ、分からない。だが、どちらにせよ、俺たちがやるべきことは一つだ」
俊は、一枚の羊皮紙を取り出すと、その中央に一本の線を引いた。
「一つは、『開国した場合のメリット』。もう一つは、『鎖国を続けた場合のデメリット』。この二つを、感情論ではなく、誰の目にも明らかな『数字』と『事実』として、彼らの目の前に叩きつける。マーケティングとは、詰まるところ、人を動かすための『論理』を組み立てる作業だ」
俊は、まず『デメリット』の側から書き始めた。
「例えば、『技術の衰退』。このままでは、十年後、二十年後に、どれだけの伝統技術が失われるか。その損失額を、具体的な数字で示す」
「次に、『人材の流出』。腕のある職人や、野心のある若者が、この国に見切りをつけて、国外へ流出するリスク。これも、数字にできるはずだ」
「そして、最大のデメリットは、『交渉力の喪失』だ。いつか、この国が否応なく世界と向き合わなければならない時が来た時、何の準備もしていなければ、俺たちはただ、買い叩かれるだけのカモになる。国の宝を、安値で売り渡すことになるんだ。……それこそが、重臣たちが最も恐れている、本当の『国辱』じゃないのか?」
次々と紡ぎ出される、冷徹な、しかし的を射た論理。ライオネルは、自分がこれまでいかに感情的に、そして漠然としか物事を考えていなかったかを、痛感させられていた。
ライオネルは、呆然と呟いた。
「俺が抜け出せなかった霧が、ほんの数分で晴れていくようだ」
「まだだ」
俊は、今度は『メリット』の側を指さした。
「デメリットを突きつけるだけでは、人は動かない。恐怖と同じくらい、あるいはそれ以上の『希望』を、同時に示さなければならない」
彼は、酒場で話した『醤』の例を挙げた。
「この国で銀貨一枚の醤が、海の向こうでは金貨一枚で売れる。その差額が、どれほどの富をこの国にもたらすか。魔石も同じだ。この国では当たり前の生活魔道具が、他国では『魔法の道具』として、とんでもない価値を持つ。その利益を、具体的な『数字』として、彼らに見せつけるんだ」
それは、ライオネルがこれまで考えたこともなかった、壮大な国家再生のシナリオだった。
「……できるのか? そんなことが」
「できる。だが、そのためには、圧倒的な『情報』が必要だ」
俊は、そこで初めて、ライオネルに具体的な要求を突きつけた。
「まず、この国の『骨格』を知るための、定量的な情報が欲しい。王宮の書庫に眠る、全ての歴史書、地理書、そして、過去の交易記録。それから、国内のあらゆる産業の、正確な生産量と、職人たちの数。それらの情報は、王宮にもあるはずだ」
俊はそこまで言い切ると、一呼吸を置いて続けた。
「だが、それだけでは足りない。数字だけでは、人の心は動かせないからな。俺は、この国の『血肉』とも言える、定性的な情報が聞きたいんだ。首都の貴族から、地方の農民まで。彼らが何に喜び、何に怒り、そして、この国に何を望んでいるのか。それを把握するために、俺の『目』と『耳』となって、国内を自由に旅し、人々の生の声を集めてくる、信頼できる人間が必要になる」
「……定量と、定性?」
ライオネルが、不思議そうに眉をひそめる。
俊は、ライオネルにも分かるように、言葉を選びながら説明を始めた。
「定量調査っていうのは、『どれくらい』とか『何人』といった、数字で測れる調査のことだ。国の人口、税収、商品の生産量……それらは、いわば国の状態を示す『骨格』だ。これを見れば『何が起きているか』や『今後どうなりそうか』が予測できる」
俊は、そこで一度言葉を切ると、静かに続けた。
「だが、骨だけでは、生き物は動かないだろう? そこに必要なのが、定性調査だ。これは、数字では測れない、人々の感情や行動の理由を探る調査のことだ。つまり、国の『血肉』だな。これを知ることで、初めて『なぜ、それが起きているのか』が分かるし、人々が『望むこと』もわかるんだ」
俊は、より具体的な例を挙げた。
「例えば、書庫の記録を調べて、『北の街の陶器の売上が、この十年で三割落ち込んでいる』という事実は分かったとする。これが、定量調査だ。だが、その数字だけを見て、『安売りしろ』だの『生産量を減らせ』だの言っても、根本的な解決にはならない」
「……ああ」
「なぜ、売上が落ちたのか? 陶器の質が落ちたのか? それとも、人々の生活が変わり、陶器を必要としなくなったのか? あるいは、職人の後継者がいなくて、技術が途絶えかけているのかもしれない。その『なぜ』を解き明かすには、実際にその街へ行き、職人や、客の生の声を聞くしかない。それが、定性調査だ。骨格と血肉、その両方を手に入れて初めて、俺たちはこの国の本当の姿を知り、正しい戦略を描けるんだ」
その二段構えの、あまりに緻密な要求と、その裏にある明確な論理。
ライオネルは、驚きを通り越して、感嘆のため息を漏らした。彼はしばらくの間、俊のそのあまりに的確な分析を頭の中で反芻していた。そして、覚悟を決めたように、力強く頷いた。
「……分かった、シュン。お前が求める『情報』、この国の全てを、お前に見せてやる」
その夜、王宮の書庫の鍵が、俊の元へと届けられた。
執筆の励みになりますので、続きを読みたいと思っていただけたら、ぜひブックマークよろしくお願いします!感想や評価もいただけると嬉しいです。




