第13話 アヴァロンへの逃亡
酒場での、嵐のような出会いから数日が過ぎた。俊とティアは、港町の裏路地にある安宿で、息を潜めるように日々を過ごしていた。
「……仕事、見つからないね」
ティアは、古びたベッドに腰掛け、窓の外の喧騒を眺めながら、ぽつりと呟いた。
あれから、二人は日雇いの仕事を探して港を歩き回ったが、よそ者である彼らを雇ってくれる場所は、どこにもなかった。ラッドから渡された資金は、日々の宿代と食費で、着実に減っていく。
「目立たずに、俺たちが静かに暮らせる場所を探そう」
その言葉とは裏腹に、彼の心の中にも、わずかな焦りが生まれ始めていた。自分たちがこの国で生き抜くための、地盤を固めなければ。
彼は日中、港の様子を注意深く観察していた。この国は鎖国していると聞いていたが、どうやら話はそう単純ではないらしい。公には交流を閉ざしながらも、港の奥にある厳重に警備された区画からは、ごく限られた船が、王家や一部の大貴族が使う贅沢品などを秘密裏に運んでいるようだった。
(……完全な鎖国じゃない。抜け道がある。そして、その抜け道を管理している連中がいるはずだ)
その事実は、この国に潜む複雑な力関係を、俊に予感させていた。
その時だった。コンコン、と宿の扉が、控えめにノックされた。
「!」
二人の間に、緊張が走る。追っ手か? それとも、宿の主人か?
俊は、ティアに目配せして下がらせると、いつでも逃げられるよう身構えながら、静かに扉を開けた。
そこに立っていたのは、一人の、上質な執事服を身につけた、初老の男だった。その物腰は柔らかいが、瞳の奥には、ただ者ではない鋭い光が宿っている。
「……シュン・ベルク様で、いらっしゃいますかな?」
男は、完璧な作法で、深々と一礼した。
「……人違いだ」
俊は、即座に扉を閉めようとした。しかし、男はそれを制するように、静かに、しかし有無を言わせぬ口調で続けた。
「『宝は、ただ箱にしまっておくだけでは、ただの石ころと同じ』。……我が主が、ぜひ、この言葉の続きを聞きたいと、申しております」
その言葉に、俊の動きが止まった。あの夜、レオに語った言葉。それを知っているのは、この国では、あの男しかいない。
「……あんたの主人は、誰だ」
「自己紹介が遅れました。私は、セバスチャンと申します。我が主の名は、レオ。……この国の、しがない雑用係でございます」
男は、そう言って、意味ありげに微笑んだ。
セバスチャンと名乗った男に導かれ、俊とティアが連れてこられたのは、港を見下かす丘の上に立つ、一軒の瀟洒な屋敷だった。通された一室で待っていたのは、あの夜とは全く違う、王族のそれに近い、威厳のある礼服を身にまとった、レオその人だった。
その隣には、屈強な近衛兵が、微動だにせず控えている。
俊とティアは、息を呑んだ。目の前にいるのは、確かにあの酒場で出会ったレオだ。
しかし、その雰囲気は全く違う。高価な礼服に身を包み、その佇まいは、そこらの貴族とは比べ物にならないほどの威厳を放っていた。
「……驚いた顔をしているな、シュン、ティア」
レオは、悪戯っぽく笑った。
「言っただろう? 俺は、しがない雑用係さ。……この国全体の、な」
その言葉と、目の前の男が放つ圧倒的な威厳。俊の頭の中で、点と点が線で繋がった。この国の王の名は、ライオネル・アヴァロン。
「……まさか」
俊が、かすれた声で呟く。
「失礼ながら、ライオネル・アヴァロン……国王陛下とお呼びすべきでしょうか?」
その言葉に、隣にいたティアが「ええっ!? こ、国王陛下!?」と、素っ頓狂な声を上げた。彼女は、信じられないという顔で、レオと俊を交互に見つめている。
レオは、その反応に満足げに頷くと、王としての、静かで、しかし揺るぎない威厳を湛えた顔で、改めて二人に向き直った。
レオの顔から、笑みが消える。彼は、窓の外に広がる、活気ある、しかしどこか停滞した自国の港町を、憂いを帯びた目で見つめた。
「シュン。俺は、この国を変えたい」
レオは、静かに語り始めた。
彼がこの立場になって以来、ずっと抱えてきた葛藤。国内の需要は飽和し、素晴らしい技術を持つ職人たちが、正当な評価を得られずにいること。国の宝である『魔石』と、世界に誇るべき文化が、鎖国という名の箱の中で、静かに輝きを失いつつあること。
「俺は、父の代からの伝統を破り、この国を開きたいと思っている。だが、重臣たちの反対は、あまりに根強い。『国の宝を外国に売り渡すなど、国を滅ぼす気か』とな。……俺には、彼らを説得するための『論理』がなかった。お前に出会うまでは」
レオは、俊の目を、まっすぐに見つめた。その瞳には、一国の王としての、孤独と、そして切実な願いが宿っていた。
「シュン。お前の力を、俺に貸してくれ。俺の、軍師になってほしい」
それは、あまりに突拍子もない、しかし最高の提案だった。だが、俊は恭しく頭を下げると、静かに首を横に振った。
「滅相もございません、陛下。俺はしがない辺境の村の出身です。国の未来を左右するような大役など、到底務まる器ではございません」
「謙遜はいい」
レオは、苛立ったように手を振った。
「あの夜、お前の言葉が俺の心に火をつけたんだ。……どうしても、ダメか? 金か? 地位か? 望むものは何でも与えるぞ」
その必死な言葉に、俊は静かに顔を上げた。
「……金や地位には、興味はありません。今はまだ詳しいことをお話しできませんが、我々は追われている身なのです。ですので、一つだけ。俺たち兄妹が、この国で何者にも脅かされず、平穏に暮らせるという絶対的な保証を、陛下ご自身の名においてお約束いただけますか。それが、俺が動くための唯一の条件です」
それは、マーケターとしての、冷徹な交渉だった。レオは、一瞬言葉に詰まったが、やがて、覚悟を決めたように、深く頷いた。
「……約束しよう。お前たちの身の安全は、このライオネル・アヴァロンの名において、俺が絶対に保証する。追っ手からも、この国の誰も、お前たちの存在に気づくことすらないようにしてみせる。だから……!」
レオの、王としての、魂からの約束。 俊は、その言葉を静かに受け止め、目を閉じた。
(……選択肢は、ない。この国で最も力を持つ男の懐に飛び込むのが、最も安全な道である可能性が高い。だが、対等な取引でなければ意味がない)
しばしの沈黙。それは、俊が自らの、そしてティアの未来を天秤にかける、重い時間だった。 やがて、彼はゆっくりと目を開けると、決意を固めた目でレオを見据えた。
「……そのお言葉、信じましょう。でしたら、お受けいたします。ただし、条件があります」
「条件、だと?」
「陛下に協力するのは、あくまで『影』としてです。俺の存在を知るのは、陛下と、セバスチャン殿だけ。俺は、決して表舞台には立たない。陛下に知恵を貸すだけの、名もなき軍師。……それでよろしければ、この話、お受けいたします」
それは、俊にとっても、ギリギリの選択だった。目立たずに生きるためには、この国で最も力を持つ男の懐に飛び込むのが、最も安全な道だと、彼は判断したのだ。
レオは、そのあまりに大胆な条件に、一瞬だけ呆気にとられたが、やがて、満面の笑みを浮かべた。
「…… よかろう、シュン! その条件、飲んだ! それと、そんな堅苦しい言葉遣いはやめてくれ。酒場で会った時みたいに、話してくれないか」
こうして、誰にも知られることなく、歴史的な密約が交わされた。
追われる者となった異世界のマーケターと、国を憂う若き王。 二人の出会いは、アヴァロンの、そして彼ら自身の運命の歯車を、大きく、そして確かな熱を持って、回し始めたのだった。
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