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異世界コンサルはじめました。~元ワーホリマーケター、商売知識で成り上がる~  作者: いたちのこてつ


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第11話 ノクチルカ

新店舗【ノクチルカ】の開店から、三か月が過ぎた。王都の熱狂は、もはや単なる流行ではなかった。それは、一つの文化として、人々の生活に深く根付き始めていた。


『星空のショール』は、そのあまりの希少性と、王侯貴族だからといって決して優先されることのない販売方法から、誰もが手に入れたいと願う「伝説」となっていた。ひと月にたった十枚しか生み出されないその魔法を求め、店の前には毎月、抽選券を求める貴族たちの馬車が長い列を作っている。


そして、その伝説への憧れは、より身近な魔法、『星屑のハンカチ』と『星詠みのリボン』へと人々を駆り立てた。店の売り上げは安定し、『再建への道標』に描かれた若葉は、日ごとにその緑を濃くしていた。


しかし、俊は決して満足していなかった。彼は毎日、店の片隅から、お客様の様子を静かに観察し続けていた。


(……足りない。まだ、何かが足りない)


年間売上四億リルという目標達成に向けて、最高のスタートダッシュが切れた。だが、俊は決して満足していなかった。


この勢いを一過性のものにせず、商会の、揺るぎない実力へと変える必要がある。そのためには、顧客を飽きさせない、次なる一手が必要だった。


そのヒントは、ある日の午後に、思いがけない形で彼の目の前に現れた。店を訪れたのは、夜会用のドレスを仕立てに来たという、二人の若い貴族の令嬢だった。


一人が、友人への贈り物を探していると、ショーケースに並べられた『星詠みのリボン』を指さした。


「ねえ、このリボンをあの子に贈るのはどうかしら。今度、初めて夜会に出席するから、お守り代わりに」

「素敵ね! でも、何かもう一つ、あの子だけの特別な印を添えられたら、もっと喜ぶのではないかしら……」


その、何気ない一言。しかし、その言葉は、俊の頭の中で、まるで雷鳴のように響き渡った。


(……特別な、印)


その日の夜、俊は再び、工房【ノクチルカ】に『チーム・月長石』の四人を集めた。


「皆に、新しい挑戦をしてもらう」


俊は、一枚の羊皮紙の上に、美しい書体で描かれたアルファベットを並べてみせた。


「『星詠みのリボン』に、お客様のイニシャル……頭文字を、刺繍するサービスを始める」


「イニシャル、ですか?」


リリアが、不思議そうに問い返す。


俊は、リリアがデザインした『A』という文字を指さした。


「これは、ただの飾りじゃない。持ち主そのものを表す、世界でたった一つの『紋章』になる。自分の名前の頭文字、あるいは、想いを寄せる相手の頭文字。それをこのリボンに刻むことで、ただの美しいリボンが、持ち主にとっての、特別な『お守り』に変わるんだ」


そのあまりに斬新な発想に、四人は息を呑んだ。


「まあ、素敵ですわね! フルネームを刺繍するよりも、ずっと洗練されていて、スタイリッシュです!」


リリアが、デザイナーとしての目で、その可能性に興奮する。


「……面白い。お客様一人一人のために、特別な一本を作る。僕たちがやろうとしていること、そのものですね」


ルーカスも、深く頷いた。


「よし、決まりだ。リリア、君には最高の書体をデザインしてもらう。フィン、その繊細な刺繍を可能にするための、新しい道具は作れるか? エラは、この新しいサービスを、お客様にどう伝えれば一番魅力的に聞こえるか、最高の接客を考えてくれ」


「「「はい!」」」


若き才能たちの瞳が、再び燃え上がった。


数日後。【ノクチルカ】の店頭で、『イニシャル・リボン』のオーダー受付が、ひっそりと始まった。最初にその魔法に気づいたのは、以前店を訪れた、あの若い貴族の令嬢だった。


「まあ、素敵! では、わたくしの『S』と……それから、あの方の『E』の文字を、一つずつお願いできるかしら」


彼女は、頬を染めながら、小さな声で注文した。


その夜の夜会で、令嬢ソフィアは、手首に『E』のイニシャルが刺繍されたリボンを結んで出席していた。多くの若者たちが彼女をダンスに誘うが、彼女はただ、ホールのある一点を、熱い視線で見つめるだけだった。


その視線の先にいたのは、近衛騎士団の中でも特に将来を嘱望されながらも、奥手な性格で知られる若き騎士、エドガー。彼の頭文字は、『E』。


エドガーは、遠くからソフィアの視線を感じていた。そして、彼女の手首に結ばれたリボンに、自分の頭文字が輝いていることに気づいた時、彼の心臓は大きく跳ね上がった。


(……まさか。あれは、私のために……?)


彼は、仲間たちに背中を押され、震える足で彼女の元へと歩み寄った。


「……ソフィア嬢。もし、よろしければ……一曲、踊っていただけませんか」


その夜、二人が恋に落ちるのに、時間はかからなかった。


その物語は、一夜にして、王都中の恋する乙女たちの間に、熱病のように広まっていった。


ただの噂ではない。ソフィアとエドガーという、誰もが知る奥手な二人が結ばれたという、あまりに劇的な「事実」が、その熱を加速させたのだ。


『ねえ、聞いた? ノクチルカのイニシャル・リボンに願いをかけると、恋が叶うんですって!』


俊が仕掛けた「物語」は、作り手の意図を超え、お客様自身の手で、新しい「ジンクス」へと育っていったのだ。


店には、『イニシャル・リボン』を求める人々が殺到し、そのオーダーは半年待ちとなるほどの人気ぶりとなり、工房は嬉しい悲鳴に包まれた。


しかし、その熱狂の裏側で、新たな問題が静かに、しかし確実に生まれ始めていた。


その夜の報告会。商会長室は、久しぶりに明るい祝杯の雰囲気で満たされていた。『イニシャル・リボン』のオーダーが半年待ちという、信じられないほどの成功に、ラッドたちは熱狂していた。


しかし、工房の責任者であるリリアから「このままでは、お客様の期待に応えられない」という、現場の悲鳴が上がる。その重い空気を断ち切ったのは、俊が放った、あまりに冷徹で、しかし確信に満たた一言だった。


「だから、俺たちは生産を急がない。むしろ、オーダーを一時的にストップするくらいでいい」


その真意を、俊は静かに語り始めた。 他の店が、見様見真似で雑なイニシャル刺繍を始めれば始めるほど、『ノクチルカ』の『本物』としての価値は、相対的に上がっていく。半年待ってでも手に入れたいという顧客の熱狂を、さらに煽り、ブランドの価値を不動のものにする、と。


「そして、その間に、俺たちはもう一つの『物語』を仕掛ける」


俊は、にやりと笑った。


「恋が叶うジンクスが生まれたのは幸運だった。だが、今の顧客は若い女性に偏りすぎている。商会が本当の意味で王都の頂点に立つには、この街の経済を動かしている、もう半分の……つまり、男性の富裕層を、俺たちの熱狂的なファンに変える必要がある」


俊は、一枚の新しい羊皮紙をテーブルに広げた。


「これまで、俺たちの店のコンセプトは『星』だった。女性たちの、夜会や恋を彩る、きらびやかな星々の輝きだ。だが、これからは違う。星が女性を輝かせるなら、男たちには、その星々を静かに、そして力強く照らし出す、『月』を与える」


「それ、素敵だわ!」その、あまりに詩的で、完璧なコンセプトに、リリアが思わずはしゃぐように声を上げた。


「これが、俺たちの次なる一手、『月夜のタイ』だ」


俊が指さしたデザイン画には、『星詠みの布』の技術を応用した、より落ち着いた、しかし確かな存在感を放つ、紳士のための最高級のアスコットタイが描かれていた。そして、その結び目を飾るのは、フィンが作るであろう、月長石を埋め込んだ美しいタイリング。


「オーダーを止めている間に、俺たちはこの『月夜のタイ』の試作品を完成させる。そして、オーダーを再開するその日に、満を持して発表するんだ。最高のキャッチコピーと共にな」


俊は、まるで未来を見ているかのように、その言葉を紡いだ。


「お待たせいたしました。『恋が叶うイニシャルリボン』のオーダー、本日より再開です。そして、そのリボンと同じ星々の輝きと願いを込めて作られた、紳士たちのための『月夜のタイ』、新登場」


「……すげえな」ラッドが、呆然と呟いた。「リボンを待ちわびていた女たちが、恋人や旦那のために、こぞってこのタイを買い求めるってわけか……!」


「ええ。そして、このタイにも、新しい『ジンクス』を用意します」


俊は、自信に満ちた笑みを浮かべた。


「『月の加護は、持ち主に冷静な判断力と、幸運をもたらす』。工房の職人たちの間では、古くからそう信じられている、とな。……このタイを締めて大事な商談に臨めば、必ず成功する。そんな新しい物語を、今度は俺たちの手で、王都中に広めるんです」


リリアも、フィンも、ルーカスも、エラも、自分たちに与えられた新たな挑戦に、その瞳を燃え上がらせた。


その日から、フォルクナー商会は、水面下で再び大きく動き出した。『イニシャル・リボン』のオーダーを一時的にストップするという知らせは、王都の乙女たちの間に衝撃と、そしてさらなる飢餓感を生み出した。


その裏側で、工房【ノクチルカ】では、三つの極秘プロジェクトが同時進行していた。


一つは、『チーム・月長石』による、全く新しい商品、『月夜のタイ』の開発。

二つ目は、リリアが中心となった、既存の職人たちのさらなる技術向上。

そして三つ目は、俊が最も重要だと位置付けた、人材の増員と育成だ。


俊は、職長のマーサを商会長室に呼び出した。


「マーサさんにお願いしたい。工房の新しい仲間を、あなたのその目で、見つけ出してほしい」


その言葉に、マーサは驚きの顔を見せる。


「ですが、ただスカウトしてほしいわけじゃない。今度は、あなたに貧民街へ行ってもらう。もちろん、一人じゃありません」


俊は、工房で一番の成長株となったレオたちの姿を思い浮かべながら言った。


「俺やラッドさんが『機会をやる』と叫ぶより、あなたが育てた若者が、自らの言葉で『ここで人生が変わった』と語りかける方が、何倍も人の心を動かす。あなたには、その『生きた証』である彼らを連れて、誰よりも厳しい、しかし愛情深い指導者として、誇りを持って新しい仲間を迎え入れてほしいんです」


マーサは、自らがスカウトされた時のことを思い出し、今度は自分が、誰かの人生を変える側になるのだと、静かな決意に燃えていた。


壁に掛けられた『再建への道標』。俊は、その木の頂点にある「四億リル」の果実に、あと一歩のところまで届く、ひときわ大きな葉を貼り付けた。


その葉は、まだ芽吹いたばかりだったが、月のように静かな、しかし何よりも力強い輝きを放っていた。

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