第11話 ノクチルカ
『冬の薔薇』セラフィーナがまとった魔法のショールの噂が、王都の社交界を駆け巡ってから、一週間。ついに、フォルクナー商会の未来を賭けた新店舗、【ノクチルカ】が開店の日を迎えた。
その日の朝、王都の新興地区は、異様なほどの熱気に包まれていた。
まだ開店まで時間があるというのに、店の前には噂の魔法のショールを一目見ようと、着飾った貴族や裕福な商人たちが、黒山の人だかりを作っている。
やがて、開店を告げる鐘の音が鳴り響くと、店の入り口にかけられていた純白の布が、静かに取り払われた。現れたのは、誰もが見たことのない、光と木々が調和した、幻想的な空間だった。
家具職人の息子、フィンが設計したその店内は、もはやただの店舗ではなかった。壁一面にめぐらされたガラス窓からは柔らかな陽光が差し込み、異国の珍しい木材で作られた曲線的な陳列棚を、優しく照らし出している。
そして、天井から吊り下げられた無数の小さな鏡が、その光を乱反射させ、店内はまるで、木漏れ日の中にいるかのような、穏やかな輝きに満ちていた。
「……これが、フォルクナー商会の、新しい店……」
誰もが、そのあまりの美しさに、言葉を失っていた。
店の入り口では、フロアマネージャーに任命されたエラが、マナー講習で身につけた完璧な作法と、彼女の武器である太陽のような笑顔で、客一人一人を出迎えていた。
「ようこそ、ノクチルカへ。本日は、お越しいただき、誠にありがとうございます」
その堂々とした姿は、もはや元酒場の看板娘のそれではなかった。
店の中央には、この日の主役である四人の若き才能たちが、少し緊張した面持ちで立っていた。チーフデザイナーのリリア、技術指導者のフィン、プロジェクトリーダーのルーカス、そして、彼らを支えるエラ。
リリアは、集まった客たちの前で、この店と、これから発表する商品のコンセプトを、静かに、しかし情熱を込めて語り始めた。
「私たちが皆様にお届けしたいのは、ただ美しいだけの品物ではありません。皆様一人一人との、特別な一日を、一生忘れられない物語へと変える、小さな『魔法』です」
続いてルーカスが、商品の心臓部である『月長石』の神秘的な特性について、文献から得た知識を元に、分かりやすく解説する。そしてフィンは、言葉少なながらも、自らが開発した特殊な道具と、『鎧蜘蛛の糸』を手に、その魔法がいかに繊細な職人技によって生み出されているのかを、実演してみせた。
その完璧に連携の取れたプレゼンテーションに、客たちは完全に魅了されていた。そして、ついにその時が訪れる。
リリアが、店の奥から、ベルベットの布に包まれた一枚のショールを、恭しく運んできた。
『星空のショール』。その最初の十枚のうちの一枚だ。
「皆様、長らくお待たせいたしました。こちらが、私たちが作り上げた、最初の魔法、『星空のショール』でございます」
リリアは、そのショールを広げると、店の中央に設えられた一体の人形に、そっとまとわせた。フィンの設計した店内の柔らかな光の中では、それはただの上質で美しい、藍色のショールにしか見えない。
「……なんだ。噂ほどでは、ないではないか」
誰かが、そう呟いた、その時だった。
俊の合図で、店の分厚いカーテンが、一斉に閉められた。店内が、月明かりのような、ごくわずかな光だけが灯る、幻想的な闇に包まれる。
そして、魔法は、起きた。
それまでただの布だったショールの上に、まるで本物の星々が、一つ、また一つと、静かに瞬き始めたのだ。月長石の粒子が、わずかな光を捉え、幻想的な輝きを放っている。
「おお……!」
ホール全体から、感嘆のため息が漏れた。
「こちらの『星空のショール』は、生産が容易ではないことから、今後、ひと月に十枚しか作ることができません」
俊が、静かに告げる。
「つきましては、本日ご用意した最初の十枚は、一枚、金貨百五十枚、百五十万リルにてお譲り申し上げます」
金貨、百五十枚。その高額な値段に、ホールには再びどよめきが走った。いくら美しくとも、たった一枚のショールに、それほどの金額を払う者がいるというのか。
ホールが、気まずい沈黙に包まれた、その時だった。入り口の扉が開き、一人の少女が、凛とした足取りで入ってきた。
『冬の薔薇』、セラフィーナ嬢だった。
「……わたくしが、最初の一枚、頂戴いたしますわ」
その声は、静かだったが、ホール全体に響き渡った。彼女は、まっすぐにショールの元へ歩み寄ると、その幻想的な輝きを、満足げな笑みで見つめている。
「この輝きは、わたくしが保証いたします。この王都の、いえ、この世界のどんな宝石よりも、人の心を捉えて離さない、本物の魔法ですわ」
王都一の気難し屋として知られる公爵令嬢からの、最高の賛辞。
それが、号砲となった。
「で、では、私も一枚!」
「いや、私が先だ!」
それまで様子を窺っていた貴族や商人たちが、我先にと残りの九枚に殺到した。
『星空のショール』は、開店からわずか数分で、完売した。
しかし、俊の仕掛けは、それだけでは終わらない。ショールが手に入らなかった客たちが、落胆のため息をつく中、今度はエラが、満面の笑みで声を上げた。
「皆様、どうぞご落胆なさらないでください。 『ノクチルカ』の魔法は、これだけではないのです」
彼女が指し示した先には、『星屑のハンカチ』と『星詠みのリボン』が、綺麗に並べられていた。
「こちらのハンカチとリボンも、あの『星空のショール』と同じ、月長石の魔法がかけられております。 お値段も、皆様がお気軽に手に取れるようになっておりますので、どうぞお手に取ってご覧ください」
その言葉に、人々の目は再び輝きを取り戻した。伝説は手に入らなくとも、そのかけらなら、自分たちも手にすることができる。
人々は、今度はハンカチとリボンに殺到し、それらもまた、飛ぶように売れていった。
その日の夜。閉店後の静まり返った店内で、九人の仲間たちは、疲れ果てながらも、満ち足りた表情で祝杯をあげていた。
「……信じられん。たった一日で、先月の商会全体の売上を、超えちまった……」
カスパールが、震える声で報告する。
ラッドは、その報告を聞きながら、壁に掛けられた『再建への道標』を、感慨深げに見上げていた。俊は、その木の幹に、これまでで最も大きく、そして力強い、一枚の若葉の印を貼り付けた。
年間売上四億リルという、途方もない目標。その頂きが、確かに、少しだけ近づいていた。
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