第10話 フィンと父と鎧蜘蛛の糸
『チーム・月長石』の、誇りを賭けた戦いが始まった。
工房に持ち帰られた一本の古びた椅子の脚。それはもはや、単なる修復対象ではない。二十年前に砕かれた職人の誇りと、それを見殺しにしてしまった仲間たちの後悔、その全てが刻み込まれた、あまりにも重い歴史の証人だった。
翌日から、工房の空気は一変した。四人の若者たちは、それぞれの持ち場で、自らの武器を手に取り、この困難な課題に挑み始めた。
「……まず、現状を正確に把握する必要がある」
リーダーであるルーカスが、震える手で椅子の脚をそっと持ち上げた。
「この木材、陽光樹の特性、二十年という歳月がもたらした変化、そして、この彫刻に込められた意味。その全てを、僕たちが理解しなければ、本当の意味での修復はできない」
その言葉を皮切りに、四人はまるで一つの生き物のように動き出した。
ルーカスは、商会の資料室に籠り、再び古い文献との格闘を始めた。彼が探すのは、二十年前に、陽光樹を加工するために使われていたであろう、道具、技術、そして仕上げ油の配合といった、地道で、しかし確かな歴史の事実だった。
リリアは、仕立て屋の娘として培った知識と人脈を頼りに、ギルドの資料室で、元の持ち主であったグランビル伯爵家の歴史を徹底的に調べ上げた。紋章に込められた意味、当時の当主の人柄、そして、なぜその家が事件後に没落の噂が絶えないのか。彼女は、この椅子が作られた背景にある、一つの家族の物語を、丹念に紐解こうとしていた。
エラは、持ち前の行動力で、再び職人街を駆けずり回っていた。頑固な職人たちの工房に、彼女は物怖じすることなく飛び込んでいく。時には笑顔で世間話を仕掛け、時には工房の掃除を手伝う。元酒場の看板娘として培った、人の懐に飛び込む術を駆使し、最初は煙たがっていた職人たちも、次第に心を許し、ぽつりぽつりと昔の話をしてくれるようになっていった。
そして、フィンは工房で、ひたすらに木と向き合っていた。
彼は、父が若い頃に使っていたという、古い道具箱を自宅から持ち出してきた。その中の、父が書き写したであろう膨大な量のスケッチやメモをなぞりながら、二十年前、若き日の父が、どんな想いでこの彫刻を彫ったのかを、自らの魂に刻み込もうとしていた。
数日が過ぎた。工房のテーブルの上には、仲間たちがそれぞれの戦場で手に入れた、断片的な情報が集まり始めていた。
「……ありがとう、皆。おかげで、道が見えた」
その日の夜、フィンは初めて、自らの葛藤を、仲間たちに打ち明けた。
「……親父の仕事と、全く同じものを作ろうとしていた。だが、無理だ。二十年という時間は、どんな技術でも再現できるものじゃない。俺には、親父は超えられない……」
「フィンさん」と、ルーカスが口を開いた。
「そもそも、僕たちは『全く同じもの』を作る必要なんて、あるんでしょうか?」
「どういうことだ?」
「この椅子は、二十年前に壊れた。その事実は、変えられません。だったら、その『壊れた歴史』ごと、受け入れてあげることはできないんでしょうか。傷を隠すのではなく、その傷があったからこそ、もっと美しくなる。そんな修復の方法だって、あるんじゃないかって……」
その言葉に、リリアがはっとしたように顔を上げた。
「……東の国には、『金継ぎ』っていう、割れた器を漆と金で繋ぎ合わせる修復技法があるそうよ。傷を景色として楽しむ、その考え方……この椅子にも、応用できないかしら」
仲間の言葉が、フィンの心に突き刺さる。
(……そうだ。俺は、親父の仕事を『模倣』することばかり考えていた。だが、違う。俺がやるべきなのは、親父の仕事への最大限の敬意を払った上で、俺自身の、そして俺たちの『答え』を、この椅子に刻み込むことなんだ)
その瞬間、フィンの目から、迷いが消えた。
その日から、工房は再び一つのチームとして動き出した。フィンは、あえて欠けた部分を完全に同じ色にするのではなく、少しだけ色合いの違う木材を使い、その境目を美しい象嵌細工で飾るという、斬新な修復のデザインを考案した。
それは、この椅子が一度壊れ、そして仲間たちの手によって蘇ったという「歴史」そのものを、デザインとして昇華させた、彼なりの最高の答えだった。
フィンが考案した斬新なデザインを形にするため、仲間たちは足りない材料を駆けずり回って集め、それぞれの専門知識を活かして、フィンの作業を献身的に支えた。
そして、ついに、修復は完成した。それは、単なる修復ではない。
仲間たちの想いと、新しい発想が加わって、以前のものよりもさらに力強く、美しい生命を宿した、芸術品だった。
フィンは、完成した椅子の脚を、工房の中央に置かれた布の上に、そっと置いた。
その顔には、誇りと、そしてかすかな緊張が浮かんでいる。
「……よし。約束通り、俊さんに見せに行こう」
商会長室の扉を、フィンが代表して、ゆっくりとノックした。中から「はい」という、俊の静かな声が聞こえる。
部屋の中では、俊とティアが、新しい店舗の設計図を広げて議論を交わしていた。フィンたち四人は、緊張した面持ちで部屋に入ると、修復した椅子の脚を、テーブルの中央にそっと置いた。
俊は、何も言わずに、その椅子の脚を手に取った。彼は職人ではない。その仕事の技術的な価値を、正確に測ることはできない。
だが、マーケターとして、その作品が持つ商品価値を、瞬時に分析していた。
「……合格だ、フィン」 俊は、静かに言った。
「ただ元通りに直すだけじゃない。お前たちは傷という『欠点』を、この椅子が持つ『歴史』という、唯一無二の付加価値に転換した。これは、もはや単なる修復品じゃない。新しい物語を持つ、全く別の『商品』だ。……お前たちの作り上げた、この『答え』を持って、あんたの親父さんと勝負してこい」
その冷静で、しかし最大の賛辞である的確な評価に、フィンはこらえきれず、涙を拭った。
「行ってこい」
俊は、フィンの肩を力強く叩いた。
「今度こそ、本当の意味で、あんたの親父さんと向き合う時間だ」
フィンの背中にはもう、迷いの色はなかった。
職人街へと向かう足取りは、以前とは全く違っていた。そこにはもう、戦いへ向かうような悲壮感はない。自らの仕事の価値を問う、静かで、しかし誇らしい緊張感が満ちていた。
フィンは、修復した椅子の脚を、柔らかな布で丁寧に包んで運んでいく。仲間たちは、何も言わずに、ただ静かに、その隣を歩いていた。
父、ゲルトの工房の扉は、固く閉ざされていた。フィンが意を決して扉を叩くと、中から「……何の用だ」という、低く、不機嫌な声が聞こえてくる。
「俺だ、フィンだ。……話がある」
長い沈黙の後、ギ、と音を立てて、重い扉がゆっくりと開いた。工房の中は、懐かしい木と油の匂いで満ちている。ゲルトは、作業台に向かい、息子に背を向けたまま、黙々とノミを振るっていた。
「……親父」
フィンは、覚悟を決めると、布に包まれた椅子の脚を、父の作業台の上にそっと置いた。
「これが、俺たちの『答え』だ。見てほしい」
ゲルトは、手を止めなかった。しかし、その視線が、ちらりと、布の包みに向けられたのを、フィンは見逃さなかった。
フィンは、何も言わずに、ゆっくりと布を解いていく。現れたのは、二十年の時を超えて、新しい生命を宿した、一本の椅子の脚だった。
その瞬間、ゲルトのノミを振るう手が、ぴたりと止まった。彼は、ゆっくりと振り返ると、その椅子の脚に、食い入るような視線を注いだ。
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