第9話 新生・フォルクナー商会
フォルクナー商会に『再建への道標』が掲げられてから、季節は一つ巡った。新生フォルクナー商会の復活劇は王都中の話題となり、その中心で、商会は目覚ましい成長を遂げていた。
俊が描いた再建計画の第一段階は、もはや完全に軌道に乗っていた。
経理部長となったカスパールは、ギルドとの連携のもと、鉄壁の財務システムを構築。金の流れは完全に透明化され、無駄な支出は一リルたりとも許されない。総括部長のマルコと、その補佐であるティアが推し進めた『グランツ・モデル』も、本店の従業員たちの間に深く根付き始めていた。
最初は抵抗していた者たちも、ティアが実演した「星詠みの布」の奇跡を目の当たりにし、顧客ノートの重要性を理解してからは、自ら積極的にお客様との対話を楽しみ始めていた。週次ミーティングは、今や新しいアイデアが生まれる、商会で最も熱い場所となっている。
そして、ラッドと俊が進めていた人事改革は、予想以上の成果を上げていた。旧体制の中で埋もれていた若手や中堅が、次々と重要なポストに抜擢され、商会には新しい風が吹き荒れている。
その日も、商会長室ではラッドによる最終面談が行われていた。
目の前に座っているのは、ルーカスという名の、少し気弱そうな目をした青年だった。彼は、長年、倉庫の片隅で、仕入れた鉱石の管理だけを任されていた、目立たない従業員だ。
「……ルーカス。君が提出してくれた、新しい鉱石の仕入れルートに関する提案書、読ませてもらった」
ラッドは、手元の羊皮紙に目を落としながら言った。
「正直、驚いた。ここに書かれている鉱石の名前は、俺も、カスパールですら聞いたこともないものばかりだ。……どうして、君はこんなに詳しいんだ?」
その問いに、ルーカスは緊張で震えながらも、ぽつりぽつりと語り始めた。
彼の家は、代々、王国の北の山脈で希少な鉱石を掘り出す、小さな鉱山ギルドの一員だったという。商会で働くようになってからも、彼は独学で、誰も見向きもしない古い鉱石の文献を読み漁るのが、唯一の楽しみだったのだ。
「……それで、俊。どう思う?」
面談を終えた後、ラッドは隣で黙って話を聞いていた俊に意見を求めた。
「面白いですね」
俊は、ルーカスが残していった、手描きの鉱石のスケッチを眺めながら言った。
「特に、この『月長石』。夜になると、蓄えた光で自ら淡く輝く……か。ラッドさん、すぐに彼を、もう一度ここに呼んでください。彼が、俺たちの第二段階の、重要な鍵になるかもしれない」
数分後、再び呼び出されたルーカスは、特別監査役である俊の前に、体を縮こまらせて立っていた。
「ルーカス。君の知識は素晴らしい。だが、ただ珍しいだけでは、商品は売れない。重要なのは、その石が、人の生活をどう変えるかだ」
俊は、一枚の羊皮紙の上に、羽ペンで何かを描き始めた。それは、貴婦人がまとう、優雅なショールの絵だった。
「例えば、この月長石を、砂粒のように細かく砕いて、刺繍と一緒に布に縫い込むことはできるか?」
「え……? はい、それでしたら可能です! 細かく砕くための道具と、根気は必要になりますが!」
「もし、それができたなら」
俊は、ショールに繊細な模様を描き加えた。
「想像してみてくれ。夜会の明るいホールの中では、これはただの上質で美しいショールだ。だが、その貴婦人が恋人と共に、月明かりの庭園に足を踏み出した瞬間……この模様が、まるで本物の星々のように、淡く輝き始めたとしたら?」
その瞬間、ルーカスの目が、驚きに見開かれた。
今まで、彼にとって鉱石は、ただの研究対象でしかなかった。それが、人の心を動かす『魔法』になるかもしれないなどと、考えたこともなかったのだ。
「……まるで、星の衣をまとっているみたいに……」
「ああ。これはもう、ただの布じゃない。着る人の物語を、そしてその場の空気を支配する、最高の『演出装置』になるんだ」
隣で聞いていたラッドが、興奮したように声を上げた。
「すげえな、俊! そんなもんが作れたら、貴族の連中が黙っちゃいねえ! とんでもない値段で売れるぞ!」
その時、ずっと黙って話を聞いていたティアが、そっと口を開いた。
「……その輝く石、『星詠みの布』にも応用できそうね」
「それもいいな」
俊は頷いた。
「既存の人気商品をさらに強化する。悪くない視点だ」
俊は、立ち上がると、壁に掛けられた『再建への道標』を指さした。その木の幹には、すでに何枚もの若葉が芽吹いている。
「ラッドさん。基盤は固まった。そろそろ、この幹を太くする、次のステップに進む時です。ルーカスを責任者として、新商品開発の専門チームを立ち上げましょう」
その言葉に、一番驚いたのはルーカス本人だった。
「ぼ、僕が責任者ですか!? む、無理です! 倉庫の管理しかしたことのない僕なんかに、そんな大役は……!」
彼は、真っ青な顔でぶんぶんと首を横に振った。そのあわてぶりに、俊は静かに、しかし力強い目で彼を見つめた。
「ルーカス。このプロジェクトの成否は、経営の知識や、人をまとめる経験じゃない。誰よりも月長石を愛し、その可能性を信じられるか、その一点にかかっている。君のあの提案書を読んだ。あれは、ただの報告書じゃない。君が長年注いできた、鉱石への愛情そのものだ。だから、君にしかできないんだ」
その真っ直ぐな言葉は、ルーカスの心の奥深くに、静かに、しかし確かに突き刺さった。
(僕の、知識と愛情が……この商会の、役に立つ……?)
今まで誰からも評価されず、倉庫の片隅で、ただ一人で愛でてきただけの、ささやかな知識。それが今、この商会の未来を担うかもしれないのだ。
ルーカスは、震える手できつく拳を握りしめた。
「……や、やらせて……ください! 僕の全てを懸けて、この『魔法の布』を、必ず完成させてみせます!」
その瞳には、もはや気弱な青年の面影はなく、新たな挑戦に立ち向かう、一人の職人の覚悟の光が宿っていた。
「……よし、決まりだな」
俊は満足げに頷くと、ルーカスの肩に手を置いた。
「だが、ルーカス。君がこれから相手にするのは、王都の裕福な商人や、気難しい貴族たちだ。素晴らしい商品を作るだけでは足りない。彼らと対等に渡り合うための、マナーや教養も、これから叩き込むことになる。……やれるか?」
その問いに、ルーカスは一度だけ強く目を閉じ、そして、覚悟を決めた顔で、はっきりと頷いた。
「はい! 商会の名に恥じぬよう、精一杯努めます!」
「いい返事だ」
俊は頷くと、ラッドに向き直った。
「ラッドさん。そして、その魔法を披露するための、新しい『舞台』も必要になる。フォルクナー商会の、未来を象徴するような、全く新しいコンセプトの店を、新興の高級地区に建てる。明日から早速、この地区で売りに出されている土地がないか、探りを始めてくれ。ただの土地じゃない。俺たちの未来の『顔』になる、最高の場所だ」
「ああ、分かった。すぐに動こう」とラッドは頷く。
「それともう一つ。ルーカスの教育のために、貴族のマナーに精通した家庭教師を雇いたいんだが、心当たりはあるか? 俺も一通りのことは教えられるが、本物の貴族を相手にするなら、本物の作法を身につけさせる必要がある」
「ふむ……そうだな。俺の母方の遠縁に、子爵家の出身で、今は引退して貴族の子女にマナーを教えている老婆がいる。気難しくて口うるさい婆さんだが、多くの夜会デビュー前の貴族子女たちを一人前にしてきた経験がある。頼んでみる価値はあるかもしれん」
「頼む。最高の素材を、最高の舞台で、最高の人間が売る。それができれば、俺たちの勝ちは揺るぎないものになる」
年間売上四億リルという、途方もない目標。その頂へと続く、第二のステップが、今、一人の気弱な青年の、ささやかな才能から、始まろうとしていた。
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