第9話 新生・フォルクナー商会
三日間にわたるフォルクナー商会『新生祭』の熱狂が幕を閉じ、その翌朝。
王都の街は、まだ昨日までの祭りの余韻に包まれていた。酒場では、あの奇跡のホットスイーツ『フレンチトースト』の味が語り草となり、フォルクナー商会の劇的な復活劇は、吟遊詩人の新たな演目になるだろうとまで囁かれている。
商会本店の朝は、静かだった。しかし、その静けさは、かつてこの場所を支配していた淀んだ無気力なそれとは全く違う。
従業員たちは、祭りの後片付けに追われながらも、その一人一人の顔には、心地よい疲労感と、これまで経験したことのないほどの達成感が浮かんでいた。
すれ違う者たちが、自然と互いの労をねぎらい、笑顔を交わす。商会は、一つの巨大な熱量を帯びた、生命体のように脈打っていた。
その日の午後、商会長室に、再生の中心となった五人が集まっていた。
ラッド、俊、ティア、カスパール、そしてマルコ。
彼らの前には、カスパールが不眠不休でまとめた、『新生祭』の収支報告書が置かれている。
「……信じられん」
羊皮紙に記された数字を眺めながら、最初に沈黙を破ったのはカスパールだった。その声は、驚愕に震えていた。
「祭りの三日間での売上は、先月一か月の総売上の、実に五倍に達している。フレンチトーストの売上を差し引いても、だ。店内の感謝セールも、記録的な数字を叩き出した。何より……」
カスパールは、ごくりと喉を鳴らした。
「ギルドの保証と、商人たちの支援のおかげで、当面の資金繰りには、完全に目処が立った。……我々は、生き延びたんだ」
その言葉に、マルコが大きく息を吐き、ラッドは固く目を閉じて、その事実を噛み締めていた。ティアの瞳には、うっすらと涙の膜が張っている。
しかし、俊だけは、その熱狂の中から、冷静に次を見据えていた。
「ああ。最高の花火が打ち上がったな。王都中の連中が、俺たちの船が沈んでいないどころか、むしろ新しい旗を掲げて航海を始めたんだと、その目で確認してくれた。……だが、ラッドさん」
俊は、ラッドの瞳をまっすぐに見つめた。
「祭りは、終わりだ。本当の航海は、ここから始まる」
その言葉に、部屋の空気が再び引き締まる。
「今回の成功は、あくまで特効薬だ。俺たちが仕掛けた『物語』という追い風と、皆さん一人一人の、尋常ではない頑張りで成し遂げた、奇跡に近いものだ。だが、商会という巨大な船は、奇跡だけでは動かせない。必要なのは、どんな嵐の中でも決して羅針盤を見失わない、強固な『仕組み』と、それを動かす『人間』だ」
俊は、テーブルの上に一枚の新しい羊皮紙を広げた。そこには、彼がこの一か月で考え抜いた、フォルクナー商会の、未来への航海図が記されていた。
【新生フォルクナー商会・再建計画書】
第一段階:基盤の再構築
・財務:カスパールを正式に経理部長とし、ギルドと連携した、透明性の高い財務管理システムを構築する。
・組織:マルコを本店・王都支店の総括部長とし、『グランツ・モデル』を全社に完全定着させる。
・人事:今回の事件で空席となった幹部のポストに、若手・中堅から実力のある者を登用する。年功序列ではなく、実力とやる気で評価される、新しい人事制度を導入する。
第二段階:収益力の強化
・商品開発:今回のフレンチトーストのように、他店とのコラボレーションや、商会の持つ独自の仕入れルートを活かした、新しい看板商品を開発する。
・顧客管理:『顧客ノート』を、より詳細な情報を管理できる台帳システムへと進化させ、王都一の顧客満足度を目指す。
第三段階:未来への投資
・人材育成:ティアを中心に、新人従業員への研修プログラムを整備し、フォルクナー商会の『心』を次世代に繋ぐ。
羊皮紙に書かれた、緻密で、しかしどこまでも熱い未来図。それは、ただの経営計画書ではなかった。この商会に関わる全ての人間が、誇りを持って働き、成長し続けるための、壮大な設計図だった。
「……すごい」
ラッドが、呆然と呟いた。「お前は、この祭りの熱狂の中で、すでにここまで考えていたのか」
「ああ。祭りは、この計画書を実行するための、最高のスタートダッシュだからな」
俊は、静かに頷いた。
その時、商会長室の扉が、控えめにノックされた。入ってきたのは一人の若手従業員で、その手には一通の手紙が握られている。
「グランツ支店から、速達です」
ラッドが封を切ると、中から出てきたのは、支店長のブレンナーによる、少し不器用だが、熱意のこもった文字で書かれた手紙だった。
『ラッド商会長、そして俊さん、ティアさんへ。
王都での『新生祭』の大成功、誠におめでとうございます。噂は、ここまで届いております。我々も、自分のことのように嬉しく、そして誇らしく思います』
手紙には、祝福の言葉に続き、グランツ支店の近況が生き生きと綴られていた。
『先日、我々は週次ミーティングで、航海安全祈願祭のギフトセットを企画し、これが大成功を収めました。顧客ノートからお客様の本当の願いを読み解き、全員で知恵を出し合った結果です。俊さんから教わった『仕組み』は、今や、我々自身の力で動き出しています』
その報告は、何よりの吉報だった。俊がいなくても、彼らは自らの力で考え、成功を掴み取っていたのだ。
手紙の最後は、こう締めくくられていた。
『王都の皆様には、まだ負けません。我々グランツ支店が、この商会を引っ張っていくという気概で、これからも励んでまいります。次に皆様にお会いする時を、楽しみにしております』
「……たいしたもんだ、あいつら」
マルコが、目頭を押さえながら、嬉しそうに呟いた。カスパールもまた、深く頷いている。かつての部下からの、最高の果たし状だった。
ラッドは、その手紙をテーブルの中央に置くと、俊が広げた再建計画書を、力強く指さした。
「……俊。もう迷いはない。この航海図通りに、俺たちの船を動かすぞ」
その瞳は、もはや自責の念に揺れる若者のものではない。信頼する仲間たちと共に、荒波へと漕ぎ出す覚悟を決めた、一船の船長の顔つきになっていた。
「さあ、皆さん。それぞれの持ち場に戻りましょう。俺たちの、本当の船出の時間です」
俊の言葉に、四人は力強く頷き返した。彼らの顔にはもう、不安の色はない。自らの手で、この商会の、そして王都の未来を創り上げていくのだという、確かな希望の光が宿っていた。
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