第9話 新生・フォルクナー商会
そして、運命の一か月後。フォルクナー商会『新生祭』の当日を迎えた。
王都の空は、冬の厳しい寒さが嘘のように、穏やかな陽光に包まれている。商会本店の前の大通りは、朝から行き交う人々でごった返していたが、その誰もが、一つの場所に好奇と期待の入り混じった視線を向けていた。
フォルクナー商会本店。その正面に特設された、巨大な屋台だ。屋台の中央には、磨き上げられた大きな鉄板が鎮座し、その周りを、この日のために集結したドリームチームが、それぞれの持ち場で開店準備を進めている。
「俊! 約束の『高級食パン』、最高の出来だ! 持ってきたぞ!」 コルネ亭の主人、ロランが、まだ湯気の立つ焼きたてのパンを、誇らしげな顔で抱えてきた。隣では、妻のエマがにこやかに微笑んでいる。
「アランも、準備は万端か?」
「はい、俊さん! プリンで培った技術の応用です。この温かいカスタードソース、絶対にパンに合いますよ!」
氷屋の店主、アランもまた、自信に満じった表情で、鍋の中の黄金色のソースをゆっくりとかき混ぜている。彼の店から手伝いに来たニコラは、これから始まる光景を、固唾を飲んで見守っていた。
そして、ティアは、色とりどりのフルーツソースが入った小瓶を、宝石のように美しく並べていく。定番のクランダの実、甘酸っぱいリンゴ、そしてこの日のために用意した、少し珍しい南国の果実のソース。その一つ一つが、彼女の真心そのものだった。
やがて、祭りの開始を告げる鐘の音が、王都に鳴り響く。その瞬間を待っていたかのように、俊は鉄板の前に立ち、集まった大観衆に向かって、張りのある声を上げた。
「皆様、本日はフォルクナー商会『新生祭』にようこそ! 私は、本日皆様に、王都で誰も見たことのない、最高の美食体験をお約束します!」
その堂々とした宣言に、観衆がどよめく。俊は、熱した鉄板の上に、たっぷりのバターを溶かした。じゅわっ、という音と共に、芳醇な香りが広がり、人々の食欲を刺激する。
「本日皆様にお届けするのは、この日のためだけに、王都一のパン屋『コルネ亭』が、採算を度外視して焼き上げた、奇跡の食パン! 北方の希少な小麦と、濃厚な山岳地方の希少な『月白牛』の乳、そして新鮮な卵をふんだんに使い、店主ロランの熟練の技で仕上げた、耳まで柔らかい逸品です! そして、そのパンの味を最大限に引き出すために、人気氷屋の店主アラン殿が、その才能を注ぎ込んで開発した、特製の温かいカスタードソース! 新鮮な卵黄をたっぷり使い、南国から取り寄せた貴重なバニラビーンズで香りづけした、とろけるように濃厚なソースです! 仕上げは、皆様ご存知、天才的なジャム職人でもある、我が助手ティアが作る、秘伝のフルーツソース!」
俊は、まるで吟遊詩人のように、一つ一つの素材の物語を語りながら、手際よく調理を進めていく。厚切りの食パンを、卵と牛乳を混ぜた液にたっぷりと浸し、バターが溶けた鉄板の上に乗せた。
ジューッという、耳に心地よい音。パンが焼ける香ばしい匂いと、バターの甘い香りが混じり合い、奇跡のような芳香となって広場全体を包み込んでいく。
「すごい……」
屋台の隅でその光景を見ていたニコラが、ぽつりと呟いた。
「ただ焼いているだけじゃない……。俊さんの言葉と動き、一つ一つが、お客さんをどんどん惹きつけていく……。これが、俊さんの……」
観衆は、もはや釘付けだった。俊が、焼きあがった黄金色のパンに見事な焼き目をつけ、皿に乗せる。そこへ、アランが温かいカスタードソースをとろりとかけ、最後にティアが、客が選んだフルーツソースで彩りを添える。
「さあ、皆様! これが、新生フォルクナー商会がお届けする、三つの店の魂が一つになった奇跡のホットスイーツ……その名も、『フレンチトースト』です!」
完成した一皿は、まるで芸術品のように輝いていた。観衆の中から、ごくりと喉を鳴らす音が聞こえる。
「最初の一皿は、この度の我々の再生に、多大なるご支援を賜りました、商業ギルドのバルド様に!」
俊が声をかけると、最前列で見ていたバルドが、驚いたように、しかしどこか嬉しそうに前に進み出た。差し出された一皿を、バルドは少しだけためらった後、フォークで一口、ゆっくりと口に運んだ。次の瞬間、その厳格なギルドマスターの目が、驚きに見開かれた。
外はカリッと、中はふわふわのパンに、濃厚なカスタードの甘みと、フルーツソースの爽やかな酸味が絡み合う。温かいパンと、少しだけひんやりとしたソースのコントラストが、口の中で至福のハーモニーを奏でていた。
「……うまい」
バルドの口から漏れた、その一言。それは、どんな賛辞よりも雄弁な、最高の評価だった。
その言葉が、号砲となった。
「俺にも一つくれ!」「私にも!」
観衆が、一斉に屋台へと殺到した。
「さあ、皆! ここからが本番だ!」
俊の号令一下、屋台は一気に戦場と化した。
「パン、焼き上がります!」
「カスタード、追加お願いします!」
「次のお客様、ソースはどれになさいますか!?」
ラッド自らも声を張り上げ、カスパールとマルコが客の列を捌き、フォルクナー商会の若手従業員たちが、生き生きとした笑顔で注文を取っていく。
そこには、かつての澱んだ空気など微塵もない。全員が、一つの目標に向かって心を一つにする、最高のチームが生まれていた。
その熱狂の中心で、ニコラはただ呆然と、しかし目を輝かせながら呟くしかなかった。
「……すごい。これが、お客さんをわくわくさせるっていうこと……。勉強になります……!」
その熱狂は、屋台だけに留まらなかった。フレンチトーストを求めて集まった人々の波は、そのままフォルクナー商会本店の中へと吸い込まれていく。
店内では、この日のために用意された『新生感謝セール』が、華やかに開催されていたのだ。
店の入り口には、ティアが心を込めて作った小冊子が置かれ、誰もが自由に手に取れるようになっていた。フレンチトーストを片手に店に入ってきた客たちは、まずその冊子を手に取り、商会が経験した苦難と再生の物語に、静かに目を通していく。
「いらっしゃいませ! 本日はフォルクナー商会『新生祭』へようこそ!」
店内に響き渡る、明るく、張りのある声。そこには、もはや以前のような無気力な従業員の姿はどこにもない。マルコから『グランツ・モデル』を叩き込まれた王都の従業員たちが、自らが担当する商品の「専門家」として、自信に満ちた笑顔でお客様一人一人に声をかけていた。
ティアが心を込めて作った小冊子を手に、商会が生まれ変わった物語を語る者。顧客ノートで学んだ手法を活かし、お客様との会話を楽しむ者。店全体が、グランツ支店で生まれたのと同じ、温かい「熱」に包まれていた。
マルコは、その光景を腕を組んで見守りながら、満足げに頷いていた。
(……たいしたもんだ。あいつら、ちゃんとグランツの連中から魂を受け継いでやがる)
『新生祭』は、ただの商品販売イベントではなかった。それは、フォルクナー商が、多くの仲間たちと共に、絶望の淵から蘇ったのだという事実を、王都中の人々の記憶に、鮮烈な美食体験と、そして心温まる顧客体験と共に刻み込んだ、最高の祝祭となったのだった。
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