第9話 新生・フォルクナー商会
嵐のような喝采が、商業ギルドの大ホールを揺らしていた。それは、一人の若き商会長が、自らの全てを賭けて運命に立ち向かおうとする覚悟に対する、王都の商人たちからの最大限の敬意の表れだった。
やがて拍手が鳴りやむと、それまで壇上のラッドを静かに見つめていたギルドマスターのバルドが、ゆっくりと立ち上がった。彼が一つ手を挙げると、ホールは再び水を打ったような静寂に包まれる。
「ラッド・フォルクナー商会長。その覚悟、見事であった」
バルドの厳かな声が、ホールに響き渡った。
「貴殿が申し出た、今後一年間の公開監査の件、この商業ギルドが正式に受理し、その証人となることを、ここに宣言する。我々は、不正を決して許しはしない。だが同時に、過ちを認め、正そうとする者の勇気を、決して見捨てることもしない」
それは、ギルドの長としての、最大限の支持表明だった。さらにバルドは、驚くべき提案を続けた。
「また、今回の不祥事により、フォルクナー商会が深刻な資金難に陥っていることは、想像に難くない。よって、ギルドとして、貴商会への短期的な融資に対する、債務保証を行う用意がある。……これも、君がその身をもって示した『誠実さ』への、我々からの投資だと思ってもらっていい」
「なっ……!」
その言葉に、ラッドだけでなく、最前列で聞いていたカスパールとマルコも息を呑んだ。商業ギルドからの債務保証。それは、金銭的な価値以上に、フォルクナー商会が「ギルドのお墨付き」を得たという、何物にも代えがたい信用の証だった。
「……ありがとうございます、ギルドマスター。そのご恩、必ずや商売でお返しいたします」
ラッドは、再び深々と頭を下げた。
会合が終わると、商人たちが次々とラッドの元へ押し寄せた。かつては彼を若輩者と侮っていた者たちが、今は敬意のこもった目で、その肩を叩き、激励の言葉をかけていく。
「ラッド会長、見事なスピーチだった。うちで扱っている南の果物、少しなら融通できる。支払いは、いつでもいい」
「うちの船も、しばらくは格安で貸してやろう。困った時は、お互い様だ」
差し伸べられる、無数の温かい手。俊が語ったシナリオは、現実のものとなっていた。ラッドが正直に全てをさらけ出したことで生まれた『物語』は、人々の心を動かし、金では決して買えない『支援』という名の追い風を生み出したのだ。
その光景を、俊は舞台袖から静かに見守っていた。隣に立つカスパールとマルコが、まるで自分のことのように、誇らしげな顔でその光景を目に焼き付けている。彼らはもう、ただの支配人や支店長ではない。ラッドと共に、この商会の未来を創る、本当の仲間になっていた。
フォルクナー商会へと帰還した一行を待っていたのは、ロビーに集まった全従業員からの、割れんばかりの拍手だった。商会で留守を預かっていたティアが、若手たちをまとめ、この歴史的な瞬間を全員で分かち合うために、準備してくれていたのだ。
その輪の中心で、ティアは潤んだ瞳で、しかし満面の笑みでラッドたちを迎えた。彼女の顔には、もう不安の色はない。ラッドは、自分を信じ、待っていてくれた従業員たちの顔を一人一人見渡すと、感極まったように声を震わせた。
「……皆、聞いてくれ。俺たちの戦いは、まだ始まったばかりだ。だが、俺たちはもう一人じゃない。今日この瞬間から、ここにいる全員が、この船を動かす仲間だ。俺についてきてくれとは言わん。一緒に、このフォルクナー商会を、もう一度、王都で一番の商会に作り上げよう!」
「「「おおーっ!!」」」
従業員たちの雄叫びが、商会中に響き渡った。それは、フォルクナー商会が、本当の意味で生まれ変わった、新生の産声だった。
その夜、再び商会長室に集まった五人の顔には、疲労の色と共に、確かな高揚感が浮かんでいた。
「さて、と」
俊は、その場の空気を引き締めるように、王都の地図をテーブルに広げた。
「最高の船出にはなったが、船底の穴は塞がっちゃいない。ここからが、本当の再建計画の始まりだ」
俊は、まるで指揮官のように、それぞれの役割を明確に示していく。
「まず、財務。カスパールさん、あんたに一時的に経理部長を兼任してもらう。最初の仕事は、ギルドの保証を取り付けた上で、主要な取引先と支払い猶予の交渉だ。今日得た『同情』という名の追い風を、最大限に利用してくれ」
「承知した。この身を捧げる覚悟でやり遂げよう」
カスパールは、力強く頷いた。
「次に、組織改革。マルコさん、あんたには王都支店の立て直しと、本店への『グランツ・モデル』の導入を任せる。抵抗勢力はもういない。思う存分、あんたがグランツで学んだことを叩き込んでやってくれ」
「ああ、任せろ。グランツの連中に、笑われるわけにはいかねえからな」
マルコもまた、不敵な笑みを浮かべた。
「そして、ティア」
俊は、ティアに視線を移した。
「君には、マルコさんの補佐として、組織改革の『心』の部分を担ってもらう。顧客ノートの精神、ミーティングで意見を出し合う楽しさ。君の言葉で、王都の従業員たちにも、その大切さを伝えてほしい」
ティアは「わかったわ!」と元気よく返事をすると、「フンスッ!」と可愛らしく鼻息を鳴らした。やる気は充分のようだ。
最後に、俊はラッドに向き直った。
「そして、ラッドさん。あんたと俺は、この商会の、新しい『顔』を作る」
「顔、だと……?」
「ああ。守ってばかりじゃ勝ない。俺たちは、攻めるんだ。一月後、この王都で、フォルクナー商会の『新生祭』を開催する。今回の事件の全てを逆手に取った、王都が始まって以来の、最大の販売促進キャンペーンだ」
『新生祭』。その刺激的な響きに、全員が息を呑む。
「俺たちの『物語』を、今度は俺たちの手で、王都中の人々に広めるんだ。そして、見せてやるのさ。どん底から這い上がった商会の、本当の底力をな」
俊の瞳は、遥か先の勝利を、すでに見据えていた。ラッドは、その瞳に吸い込まれるように、ごくりと喉を鳴らし、そして、ニヤリと笑った。
「……最高じゃないか。やってやろうぜ、俊」
ラッドが、地図の上に一つの駒を置く。それは、王都の中心部、フォルクナー商会本店を示す場所だった。新生フォルクナー商会の、記念すべき反撃の第一歩が、今、確かな熱気を持って、動き出した。
翌日から、フォルクナー商会は『新生祭』の準備のために、かつてないほどの熱気に包まれた。
それは、単なる安売り祭りではない。商会の再生を王都中に知らしめ、応援してくれた人々への感謝を伝える、一大イベントなのだ。
カスパールは、水を得た魚のように動き回っていた。ギルドの保証と、商人たちの同情という追い風を巧みに利用し、次々と支払い猶予の約束を取り付けていく。
かつてはただ帳簿の数字を眺めるだけだった男が、今は商会の未来のために、頭を下げ、人と人とを繋ぐことに奔走していた。
マルコは、王都支店で鬼軍曹と化していた。グランツで叩き込まれた『顧客ノート』と『週次ミーティング』の神髄を、本店と王都支店の従業員たちに徹底的に叩き込んでいく。最初は戸惑っていた者たちも、マルコの熱意と、その先に待つ未来の明るさに触発され、次第にその目を変えていった。
そして、この祭りの「心」を創り上げていたのは、ティアだった。彼女は、祭りで配るための小冊子を、一枚一枚手描きで制作していた。そこには、フォルクナー商会が 経験した苦難と、再生への道のりが、彼女の温かいイラストと共に、優しい言葉で綴られている。
それは、読む者の心を打つ、最高の物語だった。
俊は、全体の指揮を執りながらも、一つの特別な企画を進めていた。それは、この祭りの目玉となる、新生フォルクナー商会の象徴となるような商品の開発だった。
「ラッドさん、コルネ亭とアランの店に、協力を仰ぐための手紙を出してくれ」
「あの二つの店にか?」
「ああ。『新生祭』の目玉は、三つの店が協力して作る、王都で誰も見たことのない、最高のホットスイーツだ」
俊は、その壮大な計画を語り始めた。
「コルネ亭には、この祭りのためだけに、卵と乳をふんだんに使った、最高の材料から作った『高級食パン』を焼いてもらう。アランには、その食パンに合わせる、濃厚で温かい『カスタードソース』の開発を依頼する。プリンと似た材料で作れるからだ。そして、ティア。君には、その全てをまとめる、数種類の特製『フルーツソース』を作ってもらうんだ」
俊が提案したのは、この世界にはまだない、『フレンチトースト』という名の、温かいパンのデザートだった。 祭りの当日、フォルクナー商会の店頭で、熱々の鉄板で食パンを焼き、アラン特製のカスタードソースをかけ、仕上げにティアのフルーツソースを添えて提供する。
その甘く香ばしい香りは、それだけで最高の客寄せになる。そして、温かいパンと冷たいフルーツソースの組み合わせは、冬の王都の人々に、新しい美食体験を提供するはずだ。
「俺たちが売るのは、フォルクナー商会の商品だけじゃない。王都の素晴らしい店と手を取り合って、新しい価値を生み出す。それこそが、新生フォルクナー商会の示すべき姿勢だ」
俊の狙いは、単なる話題作りではなかった。彼がこの世界で最初に成功させたのは、小さな店同士のコラボレーションだった。その原点に立ち返り、今度は商会という大きな力でその輪を広げることこそ、最高の『物語』になると確信していたのだ。
商会の未来を賭けた『新生祭』の準備は、王都中の期待と注目を集めながら、着々と進んでいく。それは、フォルクナー商会が本当の意味で生まれ変わるための、新たな挑戦の始まりでもあった。
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