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第2話 パン屋の建て直し施策実行

朝の通りは、いつもより少しだけ賑やかだった。


スイートクッキーブレッドを目当てにやって来る客。

そのついでに「森の恵みパン」や「焼きたて陽だまりローフ」など、名前をつけたパンに興味を持って手を伸ばす人も増えてきた。


──数日前とは、明らかに空気が違う。


「嬉しいですね……お客さんの顔、少しずつ覚えてきました」


ティアが笑う。優しくて、穏やかで、人の心をよく見ている子だ。


その彼女の言葉にもある通り、売上はまだ大きくはないが、確実に「動き出した」手応えがある。


ただし──。


「そろそろ次の手を考えるべきだな」


「次……ですか?」


「このまま“限定パン”の効果が続けばいいけど、人の関心ってのは移ろいやすい」


焼きたての香り、かわいいネーミング、試食、限定感──今はそれが奏功している。


でも、ずっと「新規のお客さん」が来続けるわけじゃない。ある程度この近所の人々に届けば、自然と新規客の増加は頭打ちになる。


「だから次に必要なのは、“来てくれた人をまた来させる”仕掛けだ」


「また来てもらう……」


ティアは小さく首を傾げた。


「うん、常連になってもらうってこと。いわゆる“リピート施策”だ」


「りぴーと……?」


「同じお客さんに、また来てもらうための工夫。たとえば、買えば買うほど“お得”になるとかね」


ティアが、ぱちくりとまばたきする。


「……たとえば、どんな?」


俺は手元の紙切れに図を描く。円を描いて「1回目」、そこから矢印で「2回目」「3回目」と続け、最後に「特典」と書き込んだ。


「“ポイントカード”ってやつだよ。買い物のたびにポイントが貯まって、ある程度貯まったら、何か特典がもらえる」


「ぽいんと……」


「たとえば《100リルのお買い上げごとに1ポイント》にして、10ポイント貯まったらパンを1個サービス、みたいに」


ティアは目を丸くしたあと、小さく微笑んだ。


「そういうの、嬉しいですね。なんだか、また来ようって思っちゃいそう」


「そのとおり」


にやりと笑って、俺は続けた。


「“どうせなら、ここで買おう”って思ってもらう。買い物のたびに“次が楽しみになる”。だから、同じお客さんが何度も来てくれるようになるんだ」


「……あっ」


ティアの目が見開かれる。


「そうなると……ポイントを貯めたくて、いつもより多く買っちゃったり、他のパンも一緒に買ったり……ってことも?」


「正解。客単価が上がる。つまり、一人あたりの売上が増えるってことだ」


なるほど……とティアは何度も頷いた。


「その、ぽいんと……カードは、どうするんですか?作れるんでしょうか」


「紙とスタンプがあれば十分。手作りでいい。むしろ、温かみがあって“らしさ”が出る」


「それなら、わたしが描きますっ。小さいカードに、店の名前とロゴと……スタンプは、パンの形のにしようかな」


その提案に、俺は思わず笑ってしまった。


「いいね。そういうの、大事だよ」


「でも、スタンプって……どうやって?」


「ロランさんに頼んで、木を彫ってもらうのはどうだ?器用そうだったし」


「なるほど……聞いてみますねっ」


こうして、《ポイントカード作戦》の準備が始まった。


──次の目標は、「再来率の向上」だ。この世界にその言葉はないかもしれないが、やることは変わらない。数字は、嘘をつかない。


ティアの宣言から数日後――。


「できましたっ!」


ティアが胸を張って差し出したのは、素朴で温かみのある手描きのポイントカードだった。


二つ折りの厚紙には、コルネ亭のロゴと、小さなパンのイラストが並ぶ丸枠が印刷……いや、一枚一枚、手で描かれている。


「すげぇな……全部、手描きなのか?」


「はい。お母さんと交代で、夜にちょっとずつ書いて……」


「ほら、手首が少し痛くなっちゃったけどね。でも、こういうのは心がこもってるほうがいいのよ」


厨房から顔を出したエマが、にこにこと笑いながらティアの肩に手を置いた。


「見ているとね、この子、楽しそうに描いてるのよ。“ここはクッキーっぽい形にしよう”とか、“焼き色っぽく濃くしてみよう”とか、工夫して」


「母さんっ、それ言わなくていいからっ……!」


ティアが慌てて顔を赤らめる。俺は思わず笑ってしまった。


「いいチームだな。じゃあ、今日はこれを、実際に配ってみようか」


ティアは小さく頷くと、今日のために新調した小さな木箱にカードを並べ、店のカウンターにセットした。


その横には、ロランが木彫りで作ってくれたスタンプが鎮座している。丸く削られた持ち手の先には、ふっくらとしたパンの形が刻まれていた。


「彫るのは面倒だったが……悪くないだろ」


無骨なロランが、どこか誇らしげに言う。


「うん、すごくかわいいです!ありがとうございます、お父さん!」


「ふん……」


照れくさそうに背を向けたロランを見て、ティアとエマがそっと笑う。


準備は万端。あとは、お客さんが来てくれるかどうか。俺たちは店の前に立ち、いつものように朝の喧騒を迎える。


「おはようございまーす!」


元気な声とともに、昨日も来てくれた若い母娘が姿を現した。


「《スイートクッキーブレッド》、まだありますか?」


「はいっ、残ってます!」


ティアが笑顔で答えると、母親のほうがふとカウンターのカードに目を留めた。


「これは……何かしら?」


「ポイントカードです!100リルごとのお買い上げでスタンプ1個、10個でパン1個プレゼントになります!」


「まあ、そうなのね。あら、試せるのね。ありがとう」


試食を口にした母親が頷き、娘に小声で囁くと、二人でパンを2つずつ選んでくれた。


「せっかくなら、ポイントもらわなきゃね」


そう言ってカードを受け取り、スタンプを押していく。その音が、今日の小さな成功の証のように響いた。


「また来ますね。可愛いカード、娘も気に入ったみたい」


「ありがとうございます!」


ティアが深く頭を下げたあと、俺のほうを見て小さくガッツポーズをする。


──こうして、コルネ亭の“リピーター戦略”が静かに、しかし確実に動き出した。


***


数日後――。


「ティア、またポイントカードくださいって」


エマの声に、厨房から顔を出したティアが「あっ、はいっ!」と慌てて駆け出してくる。木箱の中に手を伸ばして、新しいカードを差し出す。


「ありがとうございます、こちらどうぞっ」


「これ、可愛くて集めたくなっちゃうわよね。スタンプもパンの形って、センスあるわぁ」


「えへへ……そう言っていただけると、うれしいです」


常連の主婦が嬉しそうに笑いながら、今日も2個、パンを包んでもらって帰っていった。


──導入から、まだ数日。だが確実に、変化は始まっていた。


午前中に見かける顔の中に、何度か来ている客が増えてきた。しかも、買う量がほんの少し、多い。


(ポイント効果、早速出ているな)


100リルごとに1スタンプというルールは、客にとってもわかりやすい。

何度か買いに来れば、無料でパンがもらえる――その期待感が、再来を後押しする。

そして、「あとパン1個分でスタンプが貯まる」と思えば、予定より1つ多く買う心理も働く。


(リピート率だけじゃない。客単価まで上がってる)


コルネ亭は、王都の端にある街角のパン屋だ。人通りはあるが、毎日新しい客が来るわけではない。


だからこそ、「一度買った客が、また来てくれる」仕組みが必要だった。


店の中では、ティアが嬉しそうに声を上げる。


「お母さん、今日も《スイートクッキーブレッド》、午前中で半分以上売れました!」


「本当に……ここまで変わるなんて」


エマが感慨深げに呟くと、奥でパンを捏ねていたロランが、ぼそりと口を開いた。


「ちょっとしたことを変えただけで、本当に変わるんだな……」


その言葉に、俺は小さく頷く。


「ええ、そうなんです。ほんの少しの違いでも、“ちゃんと考えてやる”ことで結果は出る」


ロランはしばし黙ったあと、ぽつりと呟いた。


「なんだかんだ言って……面白いもんだな。こういうの」


「えっ」


意外そうなティアの声に、ロランは咳払いをしてごまかす。


「いや、なんでもない。さあ、午後の分も焼くぞ」


その背中に、ティアとエマがそっと笑う。


厨房の香ばしい匂いと、店頭のあたたかな空気。そこに、小さなスタンプの音が、今日も重なっていく。


「また来ますね〜!」


「ポイントカード、お願いしますっ!」


「次でパンがもらえるんです、楽しみ!」


客たちの何気ないひと言が、数字では測れない“確かな手応え”として積み重なっていく。


──そして、俊は静かに確信する。


(今、確実に“勝てる仕組み”が動いてる)


マーケティングとは、魔法ではない。

だが、正しく設計された施策は、着実に世界を動かす。


次の打ち手を思案しながら、俊はパンの香りに包まれた店内を見渡した。

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