第8話 商会への帰還、新たなるチーム
合同研修の最終日を終え、俊たち一行がグランツの街を旅立つ朝が来た。フォルクナー商会グランツ支店の前には、ブレンナーをはじめとする全従業員が、見送りのために集まっていた。
「俊さん、ティアさん……本当に、ありがとうございました」
ブレンナーが、深々と頭を下げる。その隣で、他の従業員たちもそれに倣った。
「私たちは、もう道に迷いません」
ブレンナーは、顔を上げると、決意に満ちた目で言った。
「以前の私たちは、ただ時間が過ぎるのを待っているだけでした。ですが今は、明日どんなお客様に会えるのか、どうすればもっと喜んでもらえるのかを考えるのが、心から楽しいのです。この気持ちを、私たちは絶対に忘れません」
その力強い言葉に、若い店員も続く。
「教えてもらったことは、必ずやり通します! この店を、商会で一番の店にしてみせますから!」
彼らの目には、涙が浮かんでいたが、それは悲しみの色ではなかった。自らの手で未来を掴み取ろうとする、確かな希望の光だった。俊は、その光景に満足げに頷くと、馬車に乗り込んだ。ティア、そして多くを学んだカスパールとマルコもそれに続く。
グランツ支店の面々に見送られ、王都へと帰還した一行の顔には、旅立ちの時とは全く違う、確かな自信と覚悟が満ちていた。
特に、カスパールとマルコの変化は劇的だった。彼らの目に宿っていた傲慢な光は消え、代わりに、自らの手で商会の未来を切り拓くのだという、熱い炎が燃えている。
王都に戻った翌日、ラッドは早速、本店の全従業員を大広間に集めた。その場で、カスパールとマルコは、自らがグランツで何を学び、何を取り戻したのかを、自らの言葉で、熱弁を振るった。
「俺たちは、間違っていた。商売とは、数字を追いかけることじゃない。お客様一人一人の顔を見て、その人の幸せを考えることだ。先代が築かれたこの商会を、俺たちの手で腐らせるわけにはいかない!」
二人の魂の叫びに、若い従業員たちの目は輝き、広間は熱気に包まれた。
しかし、その一方で、広間の後方で腕を組み、冷ややかな目でその様子を眺めている一団がいた。先代の商会長の時代から、このフォルクナー商会を支えてきた、古参の従業員たちだ。
彼らにとって、カスパールとマルコの変貌は、理解しがたい裏切りのように映っていた。その日の午後、俊は早速、本店と王都支店の改革に着手した。
まずは、グランツで成功した「顧客ノート」と「週次ミーティング」の導入だ。しかし、その提案は、古参従業員たちからの、静かだが、頑強な抵抗に遭った。
「顧客ノート、ですか。我々は、長年この本店でお客様と付き合ってきております。今更、そのような子供の真似事のようなものが必要だとは、到底思えませんな」
そう言ったのは、古参の中でも特に発言力の強い、経理部長のバルテルスだった。
彼は、先代からの信頼も厚く、本店の実務を長年取り仕切ってきた男だ。その表情は穏やかだが、その目には、俊たち新参者に対する明確な敵意が宿っていた。
「バルテルス部長。これは子供の真似事ではありません。我々が失いかけていた、お客様との信頼関係を取り戻すための、重要な第一歩です」
カスパールが、生まれ変わった力強い声で反論する。しかし、バルテルスは鼻で笑った。
「ほう。グランツで少し上手くいったからといって、すっかり感化されたようですな、支配人。ですが、王都のやり方は、田舎のそれとは違うのですよ」
その言葉に、他の古参たちも同調するように頷く。彼らは、先代が築いた「成功体験」という名の高い壁の内側に立てこもり、いかなる変化も拒絶する構えだった。
俊は、その様子を冷静に観察していた。
(……これは、単なるプライドや、保守的な考えからくる抵抗じゃないな)
彼らの抵抗は、あまりに組織的で、そして頑なすぎる。まるで、何かを知られることを、必死で恐れているかのようだ。
「分かりました」
俊は、そこで一度議論を打ち切ると、全く別の提案を切り出した。
「では、まず現状を正確に把握することから始めましょう。明日から三日間で、本店と王都支店の、全ての在庫と、この一年間の仕入れ帳簿の、徹底的な監査を行います」
その瞬間、バルテルスとその周りにいた数人の古参従業員の顔が、微かに強張ったのを、俊は見逃さなかった。
「監査、だと……? 俊殿、それは我々の仕事を信用していないと、そうおっしゃるのかね? 我々は、先代の頃から、寸分の狂いもなくこの商会の財産を管理してきた自負がある。それを、どこから来たとも知れぬ若造に疑われるのは、心外だ!」
バルテルスの声が、荒らげられる。それは、あまりに過剰な反応だった。
「疑うなどとんでもない。改革を進める上で、正確な現在地を知るのは当然のことです。……それとも、何か、監査をされては困ることでもおありで?」
俊が、冷たい目でバルテルスをまっすぐに見据えると、バルテルスは一瞬言葉に詰まり、そして「……好きにするがいい」とだけ吐き捨て、広間から出て行ってしまった。
その夜、俊はティアと共に、本店の薄暗い帳簿室にいた。カビ臭い部屋で、膨大な量の古い帳簿を一枚一枚、めくっていく。
「俊さん、本当に何かあるのかな……」
「ああ。ありすぎるくらいにな」
俊は、ある特定の商人から、特定の品物を、市場価格よりも明らかに高い値段で、定期的に仕入れている記録を見つけ出した。その取引の全ての伝票に、経理部長であるバルテルスの承認印が押されている。
「……なるほどな。抵抗するわけだ」
俊の目に、鋭い光が宿った。これは、単なる組織改革ではない。フォルクナー商会の根幹を蝕む、深い「腐敗」との戦いになる。
その時だった。帳簿の山に隠れて見えなかった、部屋の奥の扉が、ギ、と音を立てて、ゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは、昼間とは全く違う、殺意のこもった目をした、数人の男たちだった。
その中心にいるのは、経理部長のバルテルス。その手には、鈍い光を放つナイフが握られていた。
「……どうやら、君は知りすぎたようだ、どこから来たとも知れぬ若造。ここで、静かに消えてもらう」
バルテルスの低い声が、カビ臭い部屋に響く。背後の男たちが、じりじりと二人への包囲を狭めてきた。ティアは恐怖に顔を青くし、俊の腕をぎゅっと掴んだ。
しかし、俊の表情は、絶体絶命の状況にもかかわらず、不思議なほど落ち着いていた。
「やはり、こうなりましたか、バルテルス部長。自ら墓穴を掘るとは、感心しませんね」
「……何?」
予想外の言葉に、バルテルスが眉をひそめる。
「俺がこの部屋に来ることは、すでにラッド商会長に伝えてあります。もし、俺たちがここから無事に出てこなければ、衛兵隊がこの部屋にある全ての帳簿を、徹底的に調査する手筈になっているんですよ」
それは、完全なハッタリだった。だが、そのあまりの自信に満ちた口調に、バルテルスは一瞬、動きを止めた。
その、ほんの一瞬の隙。
バンッ!!
突如、帳簿室の扉が、外から蹴破るような勢いで開け放たれた。
そこに立っていたのは、息を切らしたカスパールと、鬼の形相のマルコだった。
「そこまでだ、バルテルス!」
マルコの怒声が、部屋中に響き渡る。
「き、貴様ら、なぜここに……!?」
狼狽するバルテルスに、カスパールが冷たく言い放った。
「貴様らの様子がおかしかったのでな。もしやと思い、後をつけてきて正解だったようだ。商会を食い物にする裏切り者が……!」
形勢は、一瞬にして逆転した。バルテルスは忌々しげに舌打ちすると、「……引くぞ!」と叫び、部下と共に窓から闇夜へと逃げていった。
後に残されたのは、緊張から解放され、その場にへたり込むティアと、彼女を支える俊。そして、商会の腐敗を目の当たりにし、固く拳を握りしめるカスパールとマルコの姿だった。
フォルクナー商会の闇は、俊たちの想像以上に、深く、そして危険なものだったのだ。
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